第84話『西門』
翌日の昼頃、現実側で時間を合わせてログインすると、私は再びサンクティン近郊の仮キャンプに立っていた。
焚き火が既に消えているのは、昨夜のうちにロヨンが砂を被せ、火種が残らないよう丁寧に処理していたからだ。そこに残っているのは黒ずんだ枝の残骸と、熱を失った灰だけだ。もちろん枝といってもモリアのものではなく、そこらで拾ってきた適当なものだ。
曇り気味の空から落ちる陽光は柔らかく、サンクティンの灰色の外壁を薄く照らしている。
「うん、いい空気だ」
少し遅れてモリアもログインしてきた。その少し後に姿を見せたロヨンは、なんと普段のガスマスク姿ではない。昨日のうちに相談した結果、少しでも街へ入りやすい見た目に整えていた。
彼は身長が二メートル近くある上、エルフのように耳が長く、黙って突っ立っているだけでかなり目立つ。そこへガスマスクと丈の長い怪しげな外套を合わせれば、どう見ても何をしでかすか分からない何かである。今回はそれを避けるため、顔を隠さず、旅人や巡礼者が着るような丈の長い旅装用の上着を纏っていた。
厚手の布地を重ねた落ち着いた服で、肩から胸元にかけては簡素な留め具が並んでいる。杖を持つ背の高い種族の学者か巡礼者。どうにかそう見えなくもない。
モリアの方は、さらに徹底していた。
全身木の種族というのは、ただそれだけで十分に特徴が強すぎる。見た者の記憶に残りやすく、掲示板で話題にされてしまえばすぐに識別されるだろう。母数もそう多くないみたいだしね。なので彼女は、深いフード付きの上着を着込み、下は素足の見えるスカートではなく動きやすい麻のズボンにしている。手元も分厚い手袋で覆い、足元には丈夫そうな皮のブーツ。露出しているのは顔の一部くらいだ。
これらは皆で持ち寄った雑多な素材やアイテムを私がチャチャッとファブリケーターで生み出した物で、その性能は文字通り産廃といったところである。特になんの効果もない、ただの装飾品みたいなものだ。
それでも、フードの奥から覗く樹皮めいた肌や、チクチクとしている枝のような輪郭までは隠しきれない。だが、全身を晒して歩くよりは遥かにましだろう。パッと見はただ全身を隠しているヒューマンに見えなくもないからね。
そしてかくいう私も、かなり手を加えた。
この二日の準備で、私は神殿の物置や保管庫、それから以前回収していた装甲片を使い、メカメカしい機械部分を少しでも外から隠せるように整えた。正確には、吸収同化で使えそうな外装材や布地の性質を取り込み、今の装甲の上から覆える形へなんとか馴染ませたのである。
もちろん、どう見ても機械ではある。
金属めいた関節、片腕の欠損、右目の空白、装甲の継ぎ目。そもそも元より隠しきれない要素が多すぎる。それでも、上から厚手の服と簡易的な胸当て、肩覆いを組み合わせたことで、遠目には「変わった鎧を着込んだ旅人」くらいには見えるようになった、はずである。
ただ懸念していることもあって、鑑定されたら問答無用で一発で捲れるということだ。それを防ぐスキルもアイテムもまだ持っていない。それゆえ、今回の方針はそもそも鑑定されないように立ち回ることだ。無駄に目立たず、妙な挑発をせず、相手がこちらに興味を持つ前にヌルッと通り過ぎる。警戒しすぎて挙動不審になるのも逆に危ないので、あくまで自然に、少し変わった旅人として振る舞う。
私にとっては少々窮屈な方針だが、街に入る前から要らぬ騒動を起こしても得は薄い。迫り来る火の粉を散らせるようになって、初めて好き勝手に振る舞えるのだ。今はただの少し動ける片腕の無いロボットだからね。
「では、行きましょうか」
モリアがフードの位置を軽く直しながら言った。
「ああ。アルラスまで、もう一息だね」
そう言って、私たちは再び歩き出した。
サンクティンを背に離れると、辺りを覆う景色は少しずつ変わっていった。
最初のうちは、やはり見慣れた街道と草地が続いていた。以前にも見た通り、長年放置された石畳はパックリと割れ、その隙間には土が溜まり、低い草が道の端へ広がっている。ところどころには、瘴気の影響なのか黒ずんだ葉をつけた低木が生え、幹の曲がった木が丘の斜面に点在していた。
だが、昼を過ぎてしばらく進むと、世界の色が変わり始めた。
赤砂の乾いた色とも、サンクティン周辺の灰色がかった土とも違う。薄い黄金色をした背の低い草が、平原全体に小さく波打っている。風が吹くたび、その草がお辞儀でもするかのように一斉に倒れ、地表に大きな流れを作った。
「これはまた、美しい景色だね」
「アルラスの西門側は、掲示板でも平原と市場の話が多かった。今見えているのが、その西側の平原ということかな」
「恐らくは」
ロヨンが頷いた。
アルラスの周囲は、方向ごとにかなり環境が違うらしい。東には湿地と古い水路跡、北には石切場、西には平原があるそうだ。南はよく分からないが、たしか商業区や裏路地があって、外には……まあいいか。今歩いているこの場所は、まさにその西側に当たるのだろう。
草地は岩槍の広場と違って見晴らしが良いね。
だからこそ、遠くを歩く無数の人影も見えた。そうして最初にすれ違ったのは、荷車を引く二人組だった。一人は普通の人間に近い姿をしていたが、首元に細かな鱗があり、耳の上辺りから小さな角のようなものが伸びている。鬼、牛、ドラゴノイド……?
もう一人は小柄で、大きな丸い耳と長い尾を持っていた。猿の獣人系だろうか。荷車にはピッチリと張られた布で覆われた複数の箱が丁寧に積まれ、更に乾いた草束が縄で括られていた。
彼らはこちらをちらりと見た。見た、というよりかは、一瞬だけ視線が引っかかった感じだろうか。まあ怪しい風貌であることに違いはないので、警戒の意味でもすれ違う人を観察するのは当たり前のことだ。
私、ロヨン、モリア。三人揃えば、どうしたって普通の旅人には見えないしね。だが、幸いにも彼らは声をかけてこなかった。軽く会釈し、道の端へ少し寄って、そのまま通り過ぎていくのを横目で見送る。
続いて、旅人らしき四人組ともすれ違った。
こちらはもっと分かりやすい。腰に剣を下げた普通の女性、背中に小さな羽を持つ少女、腕がやや長く指の間にに薄い膜のある水色の肌を持った男、それから全身を焦げ茶色の鱗に覆われた蜥蜴人のような大男。種族の統一感はまるでない。恐らくプレイヤーによる小パーティだろう。
彼らも先程の商人と同じようにこちらを見た。
特に蜥蜴人は、私の右腕がないことと、モリアのフードの奥を見て、ん?と気になることができたような雰囲気を醸し出したが、隣の羽少女が袖を引いて小さく首を振ると、そのまま全員が軽く頭を下げて通り過ぎていった。
まあ、片腕の無い人を見かけたら、それがどんな状態なのか声をかけたくなる気持ちも理解できる。
「……うーん、それにしても意外と声をかけられないね」
少し距離が離れてから、私は小声で言った。
「彼らも不要な面倒事を避けているのでしょう」
モリアが落ち着いた声で答える。
「私たちの見た目が怪しいから?」
「それもあります。ただ、変わった種族を見つけるたびに声をかけていたら、きりがないでしょうから」
「思慮深い人が多いならありがたいね」
彼らが善良だから声をかけてこない、とは限らない。臆病なのかもしれないし、興味が薄いだけかもしれない。あるいは、こちらを危険物として認識し、あえて触れない方が良いと判断したのかもしれない。
だが、少なくとも無遠慮に鑑定してきたり、邪神の眷属だと騒ぎ立てたり、面白半分で絡んできたりはしなかっただけで今は十分幸運だ。言い争って無為に時間を使うのもまた怠いことだからね。
「さっきの羽のある人はどんな種族だろう」
私は振り返らずに尋ねた。
「鳥人系、あるいは妖精系でしょうな。羽の形からして、完全な飛行よりも滑空や補助に使う種族かもしれませぬ」
たしかにバサバサ飛ぶって感じではなかったし、なんなら歩いていたからね。
「初めて見たよ」
「当たり前でしょう。ルイス殿は、これまで人の溢れる街らしい街へ行っておりませぬからな」
「まったくだ」
そのやり取りにモリアが少し笑う。
「指の間に薄い膜のあった人も気になりますね。水辺に適した種族でしょうか」
「アルラスは思ったよりも種族の見本市かもしれないね。よし、マリー、見かけた種族はリストアップして、その特徴をメモしておいて欲しい」
〈タスクを設定。ライブラリ機能の一部を流用し、収集した種族情報をまとめるフォルダを作成しました〉
いずれこのリストが役に立つ日も来るだろう。なんせこのゲームに登場する種族の数は、概算でも既にとんでもないそうだからね。それぞれの神に庇護する種族がいる上、亜種や派生まで含めたらもう数え切れないだろう。
その後も、何度か人とすれ違った。住人らしき商人、武装した旅人、頭に布を巻いた巡礼者、大きな箱を背負った小柄な種族。皆一度はこちらを見るが、揃って声をかけてこない。視線だけが一瞬こちらを測り、すぐに外れるというのを何度も繰り返している。
しばらく歩くと、平原の向こうに薄く塔のようなものが見えてきた。
最初は、幾つもの白い線が空に刺さっているように見えた。近づくにつれて、それが塔ではなく、複数の尖塔を持つ大きな建物の一部であることが分かってくる。曇り空の下でも淡く光を拾い、草原の向こうで静かに浮かび上がっている。
「見えましたな」
ロヨンが立ち止まり呟く。
「大聖殿?」
「恐らくは。アルラスの大聖殿は、街の内側でもより高い丘の上に位置していると聞いたことがございます。遠方からでも目印になるよう建てられているのでしょう」
なるほど。
ヤトとの合流場所に大聖殿周辺を選んだのは正解だったらしい。あれほど目立つなら、街へ入った後でも迷いにくかろう。
さらに進むと、今度は立派に石積みされた外壁が見えてきた。
アルラスの外壁は、サンクティンの廃れた壁とはまるで違っていた。白灰色の石を積み上げた堂々たる壁で、一定の間隔で角塔が立っている。壁面には古い補修跡がいくつもあり、場所によって石の色が少しずつ違っていた。長く使われ、直され、守ってきた都市の壁だ。
きっとかの災厄の日も、この壁で以て脅威を退けたのだろう。当時既にアルラスがあったのなら、の話だが。
西門と思しき大きな門の前には、長蛇の列ができていた。
商人の荷車、徒歩の旅人、住人らしき家族連れ、武装した傭兵風の集団。うーん、思ったよりもずっと長い。門の前では槍を持った兵士たちが列になって並び、通行する者へ何かを確認しているようだった。
「鑑定されなきゃいいんだけども」
私は列の最後尾へ向かいながら呟く。
「既にアルラン王国の勢力圏内というわけですな」
第一都市が国の外縁にあるというのはどういうことだとも思ったが、私には分からない何らかの事情があるのだろう。
ロヨンの言葉に合わせるように、列の脇にはアルラン王国の紋章らしき旗が立っていた。風を受けて揺れる布には、穂を束ねた意匠と、その後ろに四角の盾の紋が刻まれている。平原を抜けた先に立つ門。市場へ続く西側の入口。ここがアルランの管理する土地であることを、改めて感じさせる光景だった。
「まあ、第一都市だしね。門が完全開放なら、それはそれでどうなのという話だから」
周囲の人に倣う形で列へ並ぶと、前方の動きは意外なほど早かった。
荷車は横へ誘導され、旅人は簡単な確認を受けてすぐ通される。何かしらの登録証を見せている者もいれば、口頭で済ませている者もいた。詳しい仕組みは分からないが、少なくとも一人一人を長時間問い詰める形式ではないらしい。
ポラリスと言えど、こういう部分を無駄に喧しくする趣味は薄いようだ。いや、断言はやめておこう。別の場所では平気でやっている可能性もあるしね。
前後の人と親睦を深める隙もないほど、列はするすると進んだ。気付けば、私たちの番がやって来ていた。
門番は若い男と少し年嵩の女だった。どちらもアルランの兵士らしい揃いの軽鎧を着ており、胸元には王国の紋章がある。若い男の方が一瞬、私の右腕の欠損とモリアのフードへ目を向けた。
笑っているが、見ている場所は随分と的確だ。まんま私たちのウィークポイントである。
「ようこそ、アルラスへ。旅人の方々で?」
その声は思ったより和やかだった。
「ええ。大聖殿周辺で知人と合流する予定です」
私はなるべく落ち着いた声で答える。
ロヨンも軽く頭を下げる。モリアはフードを深く被ったまま、控えめに会釈した。
「三名ですね。武器の所持は?」
「護身用に剣を一本。こちらは杖。彼女は軽い魔法を無手で使います」
嘘は言っていない。
門番の女性は、私の返答を聞きながら手元の薄い板へ何かを書き込んでいった。羽根ペンでも紙でもなく、白い札の表面に指先を滑らせると、そこへ淡い文字が浮かぶ仕組みらしい。どうやらインベントリの中身まで直接覗く手段はないようで、こちらの申告を聞き取り、必要な項目だけを記録しているのだろう。
もし本気で荷物の中身をすべて暴く仕組みがあるなら、私たちのような怪しい三人組を前にして使わない理由がない。つまり、少なくともこの門で行われているのは、完全な検査ではなく、通行者の種別、人数、人を殺めうる武器の有無、目的地を確認する程度のものらしい。
門番の女性は、さらにいくつかの項目を淡々と埋めていく。
「滞在目的は、知人との合流と大聖殿への参拝。滞在日数は?」
「まだ未定です。まずは宿を取り、合流後に決めます」
「了解しました。街中での無断戦闘、露店への迷惑行為、神殿区域での騒ぎは厳禁です。旅人同士の揉め事でも、街中で起こせば処罰対象になりますので」
「心得ています」
門番の男が、改めて三人分の異様さを確認した上で、小さく肩をすくめる。
「最近は旅人の方もかなり多種多様ですからね。宿を取るなら西門市場周辺か、中央通り沿いが分かりやすいですよ」
「助かります」
「大聖殿へ行くなら、このまま門を抜けて真っ直ぐ進み、三つ目の広場を左です。案内板もあります」
あまりにも普通に案内された。
怪しまれていないわけではないのだろう。門番の目は、こちらの異様さをしっかりと把握していた。変わった種族や癖の強い旅人の大流入のせいで、いちいち驚いていられないのかもしれない。
またおかしな奴が来たなあ。彼らの顔には、だいたいそのくらいの温度が宿っているように見えた。恐らく必要なところは見ているし、しっかりとこちらの申告も記録しているけれど、全てを疑って列を詰まらせるより、問題を起こした時に対処する方針なのだろうね。
それにしても、思っていたよりもずっとすんなり通れてしまった……。
私は彼らに軽く頭を下げた。ロヨンもぺこりと礼をし、モリアも静かに続く。
「では、次の方」
門番の声を背に、私たちは門の内側へ足を踏み入れた。
先程までの街道とは違い、美しい石畳の道が伸びている。人の声が増え、荷車の音が響き、どこかから焼いたパンのような香りが流れてきた。露店の布屋根が通りの先で揺れ、果物らしきものを積んだ籠の前で、小柄な獣人の子供が店主に何かをねだっている。
サンクティンのビル群とは異なり、こちらは文字通り中世ヨーロッパの街並みといった感じだ。この世界から高層建築の技術が失われたのか、あるいはそんな物を建てる余裕がないのか。掲示板を見ても、サンクティンが殊更に特殊であるということは分かっていたが、改めてこういった街並みも良いなと思える。
遠くで鐘が鳴った。その音は、大聖殿の白い尖塔から街全体へスっと落ちていくように澄んでいた。このゲームを初めて約二ヶ月、ようやくちゃんとした街に入ることができた。今までは廃墟だけだったからね。
「さて」
私は周囲を見回しながら、ロヨンとモリアに声をかけた。
「まずは宿探しだね」
ルイスくん、初めての街編。こんなにも多くの人々を目にしたのはGoAを開始してから初なので、少し感動しています。
それから超個人的な話ですが、かねてより楽しみにしていたH3ロケット6号機の打ち上げが成功したとのことで、大変嬉しいですね。SFや宇宙物に興味がある方は、一度見てみると面白いかもしれませんよ。




