第80話『案内・前編』
一話更新です。
「よし、じゃあ行こうか」
そう言って砂丘を下り始めると、足元の赤砂がずるずると流れた。上から見えていたオアシスは穏やかな景色そのものだったが、近付くにつれて、その印象は少しずつ別のものへ変わっていく。
まず、湖の外苑を囲う壁が思ったよりもずっと高いことに目がいくだろう。
遠目には湖を囲む低い土手のように見えていたものが、実際に近付いてみると見上げるほどの壁になっている。外側は風を受け流すためか緩やかな斜面になっていたが、頂部へ近付くにつれて砂はきっちりと固まり、ところどころに白い石材や灰色の瓦礫、古い柱の欠片のようなものまで埋め込まれていた。
「うーん、壁だ」
「ですな」
単なる砂の壁というより、この辺りに埋まっていた古い石組みや、建物の残骸、地中に沈んでいた岩盤の欠片までも巻き込み、それらを芯にして固めた防壁に見える。表面から覗く石材が骨組みのように噛み合い、さらに細い根のようなものが隙間を縫っているおかげで、見た目以上に強度がありそうだ。
ここに全力の一撃をぶつけるつもりはないが、思わず試してみたくなった。耐久力がありそうなものを見ると攻撃したくなるのは、私の性というよりも、ゲーマー共通の性ではないだろうか。
その表面には細かなサクス文字が走っており、陽光を受けるたびに淡く光る。乾いた砂が風で削られても崩れないのは、この文字と根、それから巻き込まれた石材が内側から支えているからだろう。うん、実に頼もしい。
「入口、ないね」
「ありませんな」
「……これは、どうにか普通じゃない方法で越えるしかないということでしょうか」
モリアが壁を見上げながら、少し困ったように言った。
パッと見た限り壁の途中に門や階段のようなものは見えない。外敵避けとしてはかなり優秀な反面、困るといえば困るだろう。単に水場を守るためだけなら過剰に見えるが、ここは特殊拠点エリア〈アイランド〉である。外から簡単に入れる方が困ると言えば困る。だからこれで良いのだ。
「まあ、上から確認しようか」
私は膝を軽く沈め、壁の頂部を見上げる。今の身体なら、この高さでも余裕で登れる。砂の斜面で助走が少し殺されるが、脚部の出力を上げればどうとでもなるだろう。
「モリア、いける?」
「大丈夫だと思います。根を引っかけられますので」
「ロヨンは?」
「お任せくだされ」
ロヨンは杖を軽く回し、足元へ薄い氷の足場を生み出した。相変わらず便利だな、この老人。いや、老人と呼ぶと怒られるか。絵面としては氷を操るガスマスク神官である。
私は先に跳んだ。
脚部に力を溜め、砂を蹴る。足元で赤砂が爆ぜ、視界が一気に持ち上がった。壁の表面を流れるサクス文字の光が下へ滑り、次の瞬間には頂部の硬い面へ左手をかけている。装甲の指が石材の縁を掴み、軽く身体を引き上げた。
壁の上は、思ったよりも幅があった。人が二、三人並んで歩ける程度には平らで、内側へ落ちないよう低い縁まである。防壁兼巡回路というわけか。警邏なんて居ないけども。
モリアは壁面へ細い根を刺すようにして登ってきた。枯れ枝のような身体が意外なほど滑らかに動き、黒ずんだ葉を揺らしながら私の横へ立つ。
少し遅れて、ロヨンが氷の足場を階段のように重ねながら上がってきた。
そして、三人で並んで島を見た。
「……近くで見ると、また違うな」
私の口から自然に声が漏れた。
ここから見えるのは島の半分ほどだ。外周を囲む水は深い青を抱え、ところどころで陽光を跳ね返して眩しく光っている。その向こうに、島を囲むもう一つの壁があった。外側の砂壁ほど荒々しくはなく、白い石と淡い金属、それに緑の蔓が組み合わさった、かなり整った壁だ。
その壁の向こうに、大サクス神殿が聳えている。
遠く砂丘の上から見た時も立派だったが、湖を挟んで正面から眺めると、その荘厳さはさらに増していた。段状の基壇が神殿全体を島の中心へ押し上げている。ここから薄らと見える屋根の稜線に刻まれた意匠は、光の角度によって色々なものをイメージさせる。面白い。
真新しい白さがありながら、どこか古い祈りの匂いもある。復元されたばかりの建物なのに、長い時間を背負っているように見えるのだから不思議だ。
「綺麗ですね」
モリアがぽつりと言った。
「うん。悪巧みの拠点にしては、少し綺麗過ぎるくらいだよ」
「そこは胸を張るところでございますかな……」
ロヨンの呆れた声を聞きながら、私は湖面へ視線を落とした。
当然のように、ここを行き来する船はない。
以前もそうだったが、この施設は桟橋を作ってくれているくせに、肝心の移動手段までは用意してくれていない。いや、用意したところで誰が管理するのかという話になるしね。船くらい自分で作れやという機神様からのメッセージだろう。
私はロヨンを見た。
「頼める?」
「もちろんでございます」
ロヨンは嬉しそうに杖を掲げた。
その先端から冷たい光が走る。湖面の上へ、レーザービームのような白い線がすっと伸びた。最初は細い亀裂のようだったそれが、次第に厚みを増し、透明な氷の筋となって水面を渡っていく。
諏訪の御神渡り、だったか。
昔、何かで見た湖上の氷の筋を思い出す。盛り上がった氷が水面を割り、神様が通った道だと語られる光景。ロヨンの生み出した氷は、それよりずっと歩きやすく整えられていたが、湖面を渡る白い軌跡にはどこか神秘めいたものがあった。
氷は水面に沿って伸び、桟橋へと向かう。厚みは十分だろう。
「便利だねえ」
「湖に落ちられては困りますゆえ」
そこまでのドジっ子はここには居るまい。
「普通は湖の上に道を作る時点で十分おかしいんだけどね」
そんなことを言いながら、私たちは氷の道へ踏み出した。
足元から冷気が上がる。装甲越しなので寒いわけではないが、温度差による微かなきしみが足裏に伝わった。湖面のすぐ下には深い青が広がり、氷越しに揺れる光が見える。
モリアは少し恐る恐るといった様子で氷を踏んだが、すぐに安定を確認したのか、枯れ枝の足を静かに進める。彼女の足元から伸びかけた細い根が、氷へ触れてすぐに引っ込んだ。
湖の上を歩くと、島の壁が少しずつ近づいてくる。実際には私達が近付いているのだけどもね?そう感じると言うだけだ。
壁の一部には大きな切れ目があり、そこへ桟橋が作られている。白い石と鈍い銀色の金属を組み合わせた、いかにもサクス文明らしいデザインの桟橋だ。船を留めるための金具には細い文字が刻まれ、水に触れるたび淡く光っている。果たしてその機能がアクティベートするのはいつになるのか。
ロヨンの氷はその桟橋の少し手前で厚みを増し、最後には低い段差を作って私たちを導いた。
私は桟橋へ降り立ち、アイランドの内側へ入った。
白い石畳の間には小さな緑の草花が差し込み、両端を水路が道に沿って流れている。新しく作られたばかりの清潔さと、古い神殿都市の名残のような意匠が同じ場所に並び、奇妙なほど自然に馴染んでいた。
モリアは完全に周囲へ目を奪われている。
花壇。水路。石壁。遠くに見える作業場。湖側へ張り出した歩道。どれも彼女の琴線に触れるものらしい。正直、私もあれこれ見て回りたい。モリアと一緒なら、植物や畑に関してはこちらが気づかないものまで拾ってくれるだろう。
だが、まずは大サクス神殿だ。
「先に権限周りを済ませよう。見て回るのはその後でいい」
「分かりました」
モリアは名残惜しそうに小さな花壇を見た後、素直に頷いた。
道を進むにつれ、大サクス神殿の存在感はさらに増した。外壁を越え、正面の扉を抜ける。磨き上げられた床、柔らかな光を放つ照明、植物と機械の意匠が混ざった柱。一瞬の遠出だったにもかかわらず、妙に帰ってきたという感覚があった。
その流れのままモリアを客間へ案内する。
とはいえ、長く待たせるつもりはない。すぐに再び合流し、私たちは吹き抜けの談話室を抜けて大祭壇へ向かった。高い天井から落ちる光が床の模様をなぞり、祭壇へ続く通路の両側で水路が静かに音を立てている。
祭壇の前へ立つと、私は左手をかざした。
「管理者メニュー」
半透明のウィンドウが開く。
アイランド。大サクス神殿。施設一覧。権限管理。水路、植物園、畑、図書館、貯蔵庫、居住、祭祀区画、外周、桟橋、作業場。項目がずらりと並ぶ。改めて見ると多い。多過ぎる。これを二人で管理しろというのは、かなり無茶な話だ。
まあ、三人になったところでこの全てをを扱える気はしないのだが。
「モリアに、畑と植物園へのアクセス権を付与。あと関連する種子保管庫も許可で……うーん、後であれこれ弄るのも面倒だし、植物が関係しそうなのは全部許可、と」
《対象プレイヤー〈モリア〉への各種権限付与を確認。植物関連施設へのアクセス権限を付与しました》
表示が一度明滅し、モリアの名前が権限欄へ追加された。
ちなみに私とロヨンは元より全項目にアクセスできるようになっていた。管理者と、サクス神官枠ということなのだろう。ただ、全てに触れることができるからといって、当然に全てを管理できるとは限らない。
図書館など、一足踏み入れただけで一日が消える危険物である。使わない施設、使えない施設、今の私たちでは管理しきれない施設は、これから山ほど出てくるはずだ。
「これで畑と植物園は入れるはずだよ」
「ありがとうございます。では、早速見ても?」
「もちろん」
最初に向かったのは、ここからすぐ近くの植物園だった。
扉を開いた瞬間、モリアの動きがピタリと止まる。分かるよ、それ。私たちもそうだったからね……。
巨大な温室のような空間に、段々の緑が広がっている。上層から下層へ流れる細い川が小さな滝を作り、池の縁では丸石に刻まれた文字が淡く光っている。辺りを埋め尽くす花弁の色は鮮やかで、それぞれが勝手に主張しているのに、空間全体としては驚くほど調和していた。
透明な天井から差し込む光は柔らかく、葉の表面で細かく跳ねる。湿度を含んだ空気が装甲の隙間を撫で、乾いた荒野を歩いてきた後の感覚をゆっくりと洗い流していくようだった。
「気持ちよいですなあ」
「本当にねえ」
モリアは一歩、また一歩と奥へ進んだ。
枯れ枝の指が、花の近くで止まる。触れたいのだろうが、無闇に触って傷つけたくもないのだろう。彼女は少し身を屈め、透明な羽の蝶が花弁へ降りるのをじっと見つめた。
「……すごい」
その声は、ほとんど吐息だった。ち、小さい……。
「新緑芽吹かぬ不毛の森でも、ここまで整った場所はありませんでした。自然が傷つかないように精緻に手を添えている感じがします」
自然に造詣が深い彼女らしい言葉だ。
「分かるような気がする。機神様、見た目に反してかなり丁寧なんだよね」
「見た目に反して、でございますか」
はは、よし畑へ向かおう。
こちらでも、モリアはしばらく固まったままだった。区画ごとに土の色が僅かに異なることを、モリアの言葉で今初めて知った。各植生に合わせて水路の幅や深さまで変えられている。流れる水に根を預ける植物、吊るされたポッドで育つ蔓草、低い棚の上で淡く光る苔。農地と言うには美しく、植物園と言うには実用的だった。
「荷が重いですね、これらを管理するというのは……」
気持ちは痛いほどわかるよ。でも、楽しくもあると思う。
畝の間を流れる水は澄んでいて、ところどころで小さな水車のようなものを回している。水車と言っても木造ではなく、半透明の羽根と細い金属軸を持つ小さな装置だ。回転に合わせて畑の縁に刻まれた文字が光り、土の表面へ淡い筋を走らせていく。
あれは水を送るためだけのものではないのだろう。光の強さ、土の湿り気、根の伸び方。そのあたりを測っているのか、調整しているのか。細かな理屈は分からないが、少なくともクワだっけ……?ええと、鍬を持って耕す農業とは全くの別物である。
今の時代、日本のどこに行っても鍬なんて言葉使わないから戸惑ってしまったが、要するに多くのゲームでありがちな原始的な方法ではなく、もっと便利な方法であるということだ。
モリアは畑の端に立つと、目の前に何かを表示したらしい。枝の指先が宙をなぞり、時折、小さく頷く。
「これは……植えられるものが、一覧で出ています。土の区画ごとに適性が違うんですね。水路栽培、吊り下げ、乾燥区画、影地、湿地……あ、森で拾った種の一部も候補に出ます。なるほど、こちらなら根が暴れにくい……」
ぶつぶつと呟き始めた。
うーん、完全に集中している。
彼女の視線は、もう私たちを見ていなかった。畑の区画と、宙に浮かぶであろう管理表示と、そこに並ぶ種の名前だけを追っているようだ。枯れ枝の指先が細かく動くたび、近くの区画の縁に刻まれたサクス文字が小さく瞬いた。
元々ここを管理していた神官や研究者たちがどんな者だったのかは分からない。けれど、植物と向き合う者のために、この場所はかなり丁寧に整えられていることからは、感じ入るものがある。
そこへ、植物を枯らし、操り、育てるモリアが立っているのは少し皮肉か?
美しいだけで終わる植物園より、こちらの畑の方が彼女には似合っているのかもしれない。毒も薬も、食料も素材も、危険な種も奇妙な苗も、実に彼女らしいのではないだろうか。
私はロヨンと顔を見合わせた。これはしばらく戻ってこないやつだ。
「モリア。後で吹き抜けの談話室に集合しよう。今後のことも話したいしね」
「はい。少しだけ確認してから行きます」
その少しだけが信用できない声だったが、とりあえず好きにさせることにした。
私とロヨンは吹き抜けの談話室へ戻った。
畑を離れる直前、モリアはすでに別の区画へ移動していた。足元から細い根をほんの少しだけ伸ばし、土の表面に触れる。すると、その区画の縁に刻まれた文字が淡く光り、彼女の身体を撫でるように小さな風が起こった。何かを測定しているのか、彼女の種族特性と土の相性を確認しているのか。
本人は完全に作業へ没頭している。声をかけても二拍ほど遅れて返事が返ってきそうな集中ぶりだ。
うん、置いていこう。
前後編にしました。




