第79話『モリアの実力』
前のお話が予約投稿できていなかったので、もう一話更新します。
先に仕掛けたのは、意外にもモリアだった。
ロック・ウルフが低く唸り、ガチガチと石刃の牙を噛み合わせる。乾いた音が赤砂の上に散り、獣の喉奥で岩を擦るような振動が膨らんだ。
こちらの出方を窺っているのだろう。前脚を深く沈め、背中の岩棘を激しく逆立てる様は、今にも横へ飛び退いてから襲いかかってきそうに見えた。
モリアは特に動じることもなく、ただ静かにに両手を胸の前で組んだ。
その仕草は祈りのように見えた。戦闘中であるにも関わらず祈りを捧げるようなその仕草には、中々どうして堂に入ったものがある。
枯れ枝のような指が重なり、蔓の絡む頭部がわずかに俯く。森の中ならまだしも、ここは赤砂混じりの乾いた荒野だ。彼女のステータスにあった土壌依存や根張り再生の話を思い出す。根を張ることで回復や各種の安定を得る種族なのだろう、とは思っていた。
だからこそ、この硬く乾いた大地では彼女も本領を出しづらいのだろうと決めつけてしまうのは、無理のない事だったのかもしれない。
次の瞬間、その考えは文字通り吹き飛ばされる赤砂ごとひっくり返された。
ボゴン、と地面が割れた。
少し離れた私の足元にまで細かな振動が伝わる。乾いた土と砂が内側から押し上げられ、亀裂の間からぶっとい根がうねりを上げて飛び出した。瑞々しい緑とは程遠い。
そこに現れたのは、白く乾き、ところどころに黒ずんだ樹皮を纏った巨大な根だった。水分を吸って膨らんだ植物というよりは、むしろ干からびた大木の亡骸が地中から無理やり腕を伸ばしたような姿をしている。
「不気味ですな……」
ロヨンもこの様子だ。
根は地面を這うのではなく、蛇のようにグワンと跳ねた。
それに対してロック・ウルフが反応する。太い岩の脚で砂を蹴り、横へ逃げようとした。だが、その動きよりずっと根の方が早い。一本目が前脚へ絡みつき、二本目が胴の下を抜け、後ろ足へ。三本目が首筋へ回り込んだのは、止めを刺すつもりだからか。乾いた根の表面が軋み、ギチリと石でできた獣の身体に食い込んだ。
思わずといった様子でロック・ウルフが吠える。
大気を震わせる獣声というより、岩盤に亀裂が走る音に近い。実際に発声器官が砕けそうになっているからだろうか。根の拘束から逃れようと身体をよじり、グリグリと背中の棘を根へ擦りつけ、無理に引き千切ろうとする。
だが、絡みついた根は簡単に折れそうに見えて、実際には想像よりもずっとしぶとかった。乾いた外皮の内側で、黒い筋のようなものが脈打っている。力任せに振りほどこうとするたび、根はさらに深く巻きつき、グググ、と鈍い音を立ててロック・ウルフを締め上げていった。
徐々に獲物の動きが固定されていく。
ロック・ウルフの前脚が力無く空を抉り、後脚が根を蹴る。だが、胴体を押さえられ、首を捻られ、跳躍の力が途中で殺されている狼に、できることはない。自由に身を躍らせる獣としての鋭さは、根の檻に絡め取られてしまった。
「へえ」
思わず声が出た。
モリアは胸の前で組んでいた両手をほどき、今度はゆっくりと外へ、つまり狼の方へと向けた。そこへ、見覚えのある黒い霧が彼女の足元から溢れ出す。
岩槍の広場で見た時と同じ、闇を押し固めたような霧だった。赤砂の上に落ちた影が、さらに濃く濁る。霧はモリアの足元からじわじわと広がり、砂の表面を舐めるように流れた。乾いた荒野の熱が、その霧のある場所だけ別の墓所へ繋がってしまったかのように沈む。
相変わらず、凄まじく不気味な光景だった。
ただ、先ほどとは違う。モリアはそれを垂れ流すのではなく、明確に制御していた。あれ、指向性を持たせられるのか……?
広がっていた黒霧が大きな弧を描きながら集まり始めた。ヒューン、と耳に届くような細い音がした気がする。
霧は地面から渦を巻いて立ち上がり、左右から回り込み、モリアの両手の間へ吸い込まれていく。細かな黒い粒が螺旋を描き、球体を目指してますます密度を増した。光沢を持つ液体のように表面が滑らかになり、内側では煙が閉じ込められているようにゆっくり流れている。周辺へ広がっていた黒霧がすべて収束する頃には、彼女の両手の間に、掌より一回り大きい黒い弾が浮かんでいた。
ロック・ウルフが根の拘束を振りほどこうと、さらに強く身体を捩る。その身から岩片が飛び、砂が散る。根の一部が砕けたが、依然として拘束は緩まない。
モリアは小さく息を吐いた。
「行きます」
短い一言のあと、彼女は両手を前へ押し出した。
その動きに合わせて黒い弾が弾き出される。
見た目の質量に反して、飛び方は鋭かった。美しい球体を維持したまま、赤砂の上を一直線に走る。空気を裂く音が耳元で跳ね、次の瞬間、ロック・ウルフの肩口へ激突した。
パキャン、と喧しい音が響いた。
岩が割れる。装甲のように重なっていた岩板が砕け、そこからさらに内側へ黒い衝撃が食い込んだ。ロック・ウルフの身体が衝撃によって横へ弾かれ、その慣性に従って拘束していた根ごと大きく傾く。根が最後にもう一度締め上げると、割れた肩から胴体にかけて亀裂が走った。黄色く光っていた目が明滅し、低い唸りが力無く途切れる。
根が力を緩めると、岩の獣はポトリと地面へ崩れ落ちた。
落下と同時に体表の岩片が砂の上へばらけ、赤茶けた塊がいくつも転がる。少しのあいだ尾のような岩の突起がぴくりと動いたが、それもすぐに止まった。ロック・ウルフだったものは、ただの岩と砂の山へ戻っていく。
「えーと」
私は少し間の抜けた声を出した。
ロヨンも私の横で黙り込んでいる。ガスマスク越しなので表情は読めないが、首の角度だけでかなり驚いていることは伝わった。
そんな簡単に行くものなのか。
私は改めて崩れたロック・ウルフを見た。体格はそれなりに大きく、岩の身体を持つ以上、物理的な打撃にもかなり強そうだった。私一人でやるなら、まず機動力を削り、硬い装甲を砕き、隙を見て内部へ通る攻撃を叩き込む必要があったはずだ。少なくとも、初手から拘束して黒い弾で体を粉砕するような手際は想定していなかった。
しかも、モリアにはまだ余裕があるように見える。
彼女は両手をゆっくり下ろし、足元から伸びていた根を地面へ戻した。乾いた根は砂の下へ沈むように消え、亀裂だけが残る。黒霧もすでに薄れていた。
「……あー、モリア、今の戦闘でレベル上がった?」
自分のステータスを確認したのか、少しだけ視線を宙へ向けるような仕草をした。
「はい。上がりました。レベル二十二です」
「二十二か」
森を発つ前の時点で、彼女はレベル二十一だったはずだ。今のロック・ウルフを倒して、ひとつ上がったということになる。
レベル云々は置いておくとして、その多彩さが凄まじい。拘束、制圧、遠距離火力。ついでに見た目の威圧感まで備えているときたか。現時点ではとても適いそうにない。
「いや、心強い仲間ができて嬉しいよ。本当に」
私は素直にそう言った。
この世界で頼れる戦力は貴重だ。まして、ただ強いだけでなく、私の趣味やプレイスタイルにも合うと来たら、それこそ両手で数える程しかいないからね。枯れ木の異形が乾いた荒野に根を突き立て、黒い霧を弾丸へ変えて岩の獣を砕く。絵面の邪悪さも含めて、実に良い。
モリアは少しだけ首を傾げた。
「こちらこそ、改めてよろしくお願いします。面白いこと、するんでしょう?」
その問いかけには、どこか昏い期待が滲んでいた。安全な冒険を求める声ではなく、もっと物騒で、もっと騒がしく、もっと取り返しのつかない何かを見たいという嫌な響きがある。森でボス個体に初期から挑み、祈りと供物を捧げながら目につく敵を撃滅してきた彼女らしい声だった。
「もちろん」
私は即答した。
「面白いことはするよ。派手に、迷惑に、できるだけ取り返しがつかない方向でね」
「それは楽しみです」
「楽しみにしている時点で、君も相当だよ」
「ルイス殿がそれをおっしゃるのでございますか」
ロヨンが横から控えめに差し込んだ。私はそんなロヨンの方を見て、肩をすくめるように片腕を動かす。
「私はほら、この通り自覚があるから」
「自覚があれば許される類いの話でございましょうか」
「許されるか許されないかなんてのには興味無いよ。私のしたいようにするだけさ。その自覚があるってだけ」
そんな軽口を交わしながら、私たちは再び歩き出した。
ロック・ウルフの残骸は、モリアが当然のようにインベントリへしまっていた。砕けた岩板、牙のような石刃、目の奥で光っていた小さな黄石。素材として使えるかは分からないが、彼女にとっては拾う価値があるらしい。私も彼女の許可を得て小さな欠片を手に取ってみたが、機械部品と違って扱いはかなり難しそうだ。
その後の道中は、思ったより穏やかだった。
赤砂は風に流され、足元でさらさらと音を立てる。遠くでは岩槍の影が少しずつ薄れ、代わりに砂丘のなだらかな稜線が視界の前方へ広がっていった。太陽は高く、空気は乾ききっている。モリアにとっては相性のよい土地とは言いがたそうだが、彼女は時折ステータスを確認しながらも、特に弱音を吐かずに歩いている。
「やっぱり乾燥はきついかな?」
私は横目で尋ねた。
「継続的にあらゆるものが少しずつ削られる感じはあります。ただ、今はまだ大丈夫です。早めに水場へ着けるなら助かります」
「それならもう少しだよ。ここを越えれば、かなり大きな水場が見えるから」
「オアシス、でしたか」
「うん。ここから見える景色は、楽しみにしておいた方が良い」
モリアが少しだけ反応した。枝の指先が、期待するように小さく動く。
「それほどですか?」
「それほどだね。少なくとも、初めて見た時の私はかなり驚いた。ロヨンもそうだろう?」
私が話を振ると、ロヨンは砂の坂を見上げながら頷いた。
「あの場所は、我らにとっても特別でございます。地上から望む姿にも格別の力がありましょうが、砂丘の上から眺める景色はこれまた格別でございますな」
「二人がそこまで言うなら、期待しておきます」
砂丘へ差しかかると、足場が少しずつ柔らかくなった。赤砂の粒が装甲の足を受け止め、踏み込むたびにずるりと沈む。ロヨンは慣れているのか、無駄の少ない歩幅で登っていく。モリアは枯れ枝の脚を砂へ取られかけながらも、細い根のようなものを足裏から短く伸ばしてなんとか踏ん張っていた。
私は先頭に立ち、斜面をゆっくり登る。頂上へ近づくにつれ、向こう側から涼しい風が流れてきた。乾いた砂の匂いに混じって、僅かに水の気配がある。湿り気を含んだ空気が装甲の表面を撫でたのだ。
そして、ようやく砂丘を登り終えた。それに合わせて視界が一気に開ける。
そこに待っていたのは、大きく美しいオアシスだった。
赤砂の海の中に、青と緑がそれぞれ円を描いている。水面は太陽の光を受けてきらきらと輝き、風が渡るたびに細かな波紋を広げていた。外縁には浚渫された砂がうず高く積まれ、低い壁のように水場を守っている。
そして、その中央にこれまた円形をした緑の島が浮かんでいる。
島の外苑にも、外縁より少し低い砂の壁が巡らされていた。上から見る分には、形も高さも整っていて、今のところ崩れや危うさは感じられない。島全体には薄らとした結界のようなものが張られている。透明な膜が空気の流れをわずかに歪め、陽光を受けて淡く揺らいでいた。
島の中央には、ここからでも確認できる立派な神殿が聳えている。
白とも灰ともつかない石材で組まれた大きな建物だ。太い柱が立ち並び、段状の基壇が水面から浮かぶ島をさらに高く見せている。屋根の稜線には古いサクスの意匠が刻まれ、遠目にもその荘厳さが伝わった。荒野の中に突然現れた水と緑と神殿。その取り合わせは、現実感が薄れるほど整っていた。
モリアが声を失ってしまうのも、無理はない。
彼女は砂丘の上で立ち止まり、島の中央を見つめている。乾いた枯れ木の身体が風に揺れ、黒ずんだ葉が小さく擦れた。しばらくして、ようやく微かな声が漏れる。
「美しい……」
その言葉には、素直な感嘆があった。
森の廃墟を整え、危険な植物を集め、黒い霧と枯れた根を扱う彼女が、目の前のオアシスと神殿に見入っている。その光景は少し意外で、同時に妙にしっくり来た。あの島には、彼女が好みそうな歪さと、普通に見惚れるだけの美しさが同居しているからね。
「だろう?」
私は少しだけ誇らしい気分で言った。
別に私が作った景色ではないが、これからあそこが私たちの拠点になることを誇示するかの如く。ロヨンも静かに砂丘の下を見つめている。彼にとってもこの神殿がただの建物で済むはずがない。長い地下の時間を抜け、
私は一度二人を見て、それからオアシスへ視線を戻した。
「よし、じゃあ行こうか」
到着ですね。お次は工場見学(島ver.)です。




