第66話『恩寵について』
遅くなりました。
明日は少し多めに投稿する予定です。
アイランドの外周を軽く見て回っただけで、頭の中には今後の予定が次々と積み上がっていた。
桟橋は湖を使った移動や物資搬入に役立つだろうし、半屋外の作業場は素材の洗浄や加工前の選別にちょうどいい。神殿の周囲に生まれた余白は、今の段階ではただ整えられた土地に見えるが、いずれ工房や倉庫、もしくはもっと物騒な何かを置けるかもしれない。
だが、拠点の確認ばかりに意識を向けていると、この島に来た目的の一つを後回しにしてしまう。
恩寵の克服を忘れてはいけない。
これまでの私は、まともにその情報を集める余裕を持てなかった。目覚めた直後から機体は壊れ、右腕は失われ、移動するだけで苦労し、地下施設では敵や環境に追い立てられた。
ロヨンと出会ってからも、サクスドルフの話、溶岩蜥蜴との戦闘、機体の最適化、そしてこの神殿の復元と、目の前の出来事がひたすら濃かった。
恩寵の克服という言葉そのものは、掲示板やマリーの説明から何度か触れている。けれど、私はまだ自分の恩寵の克服について、よくよく考えたことがなかったように思う。
なら、今がその機会だ。なにしろ、祭壇が復元された上、ちょうど機神サクスザント様本人が神殿の中にいるしね。
「ロヨン。そろそろ祭壇へ戻ろうか」
私がそう言うと、神殿の外壁を食い入るように見ていたロヨンが、はっと顔を上げた。
「恩寵の件ですな」
「うん。島は後からでも見られる。サクスザント様がいるうちに、まずは恩寵の克服についてあれこる聞いておきたいんだ」
「まこと、よき判断にございます。儂としては、この壁の一文字一文字を擦り切れるほど観察したいところではございますが、ルイス殿は恩寵の克服こそが最優先でございましょう」
ロヨンの声には、目の前で失われた神域が蘇り、自らの信仰対象が顕現し、その神が今も祭壇の間で待っているという事実に対する喜びが浮かび上がっている。
彼の頭の中では、信仰と研究と感動が、今頃とんでもない勢いで回転しているはずだ。
そんなこんなで、先程までいた祭壇までを歩く。
「にしても、今まで機械系プレイヤー向けの恩寵情報って、あまり見かけなかったんだよね」
「それには仕方のない面もありますな」
「機神様が邪神扱いされているから?」
「それも大きな理由の一つですな。機神サクスザント様は、信仰の対象であると同時に、破滅の象徴として語られる御方でもありまする。ゆえに、御身を祀る神殿や祭壇は、他の神々に比べて数が限られておるのです」
まあ、以前遭遇した五人組のプレイヤーたちから分かっていたが、この邪神って認識に関してはかなり浸透している噂なのだろう。
「もちろん、完全に失われたわけではございませぬ。探せば、今もどこかに眠る祭壇や、小さな祠、古い地下礼拝所の類は見つかりましょう」
「つまり、詰みではなく、単に探すのが大変ということか」
「左様ですじゃ。機械系として生まれ落ちた旅人殿らも、情報集めにはそれなりに苦労しているはずですぞ。機械の身そのものが珍しい上に、信仰先の事情まで重なりますからのう」
なるほど、と胸の奥で納得する。
GoAにおいて、機械系という種族はかなり魅力的だ。少なくとも、私のようなプレイヤーにはたまらない。硬い装甲、格好良い内蔵機構、自身の改造。ロマンの塊である。
実際、掲示板でも機械系プレイヤーによる情報交換の類は思ったより多い。フルダイブ型のゲームで、自分が機械として生まれる体験をまともに用意している作品は、かなり貴重なのだろう。
だからこそ、GoAでは機械系を選ぶ者が一定数いる。
だが、その先で待っている信仰や恩寵の情報収集に関してだけは、他の種族よりも少し面倒らしい。機神を祀る場所が少なく、仮に見つかったとしても廃墟や地下、あるいは人の近づかない場所に眠っている。
機械系プレイヤーが掲示板でやたらと「祭壇どこ」「機神関連の施設が怖すぎる」「ようやく祠を見つけたら敵の巣だった」などと嘆いていた理由が、ここに来てようやく腑に落ちた。
「それでも、数は多いんだよな。機械系プレイヤー」
「機械の体へ生まれ落ちるという経験そのものが、旅人殿らには珍しいのでしょうな。儂には少々想像しがたい感覚ですが、ルイス殿を見ておりますと、惹かれる者が多いのも分かる気がいたします」
「格好いいからね。こういうのは大事だよ。見た目とロマンは、旅を続ける理由になるからさ」
ロヨンは少しだけ考え込むように目を細め、それから納得したように頷いた。
そうこうしているうちに、祭壇の間へと続く扉が見えてきた。
復元された扉は、白い石と美しい金属を組み合わせた造りをしている。中央にはサクス文字が円を描くように刻まれ、私たちが近づくと、その線が緑色に淡く灯った。重々しい開閉音の代わりに、滑らかな動きで扉が左右へ滑る。
中では、サクスザント様が待っていた。いや、待っていたというより、完全にくつろいでいる。何をしているんだ、この御方は……。
相変わらず復元された自身の石像の肩に腰をかけ、片足をプラプラとゆっくり揺らしている。石像に肩車でもされているような姿だ。本人があまりにも自然な顔をしているので、まるで何もおかしなことはないと錯覚してしまいそうになる。
「ようやく戻ったか、我が寵児よ。どうだ、この島は気に入ったか?」
「はい、かなり」
「ふふ、素直でよろしい。もっと駆け回ってくるかと思っておったが」
「もちろんまだ見たい場所は多々ありますが、先に恩寵の克服についての確認を済ませておこうかなと」
「ほう」
サクスザント様の足がぴたりと止まった。
ロヨンは即座に背筋を伸ばし、深く頭を下げる。私も一応、軽く姿勢を正した。彼女の前で過剰に畏まるつもりはないが、話題が話題だ。最低限の礼儀くらいは見せておく。
「今すぐ克服を始めたい、という話ではありません。今回は仕様の確認です。私は今まで、恩寵の克服についてまともに情報を集められていませんでした。機神系の祭壇も見つけづらいらしいですし」
「そうだな。我の祭壇は、多くの土地で壊され、隠され、埋められた。それが理由で信仰を捨てた者もいれば、恐れながら密かに守った者もいる。そこの小僧の一族のようにな。ゆえに、我に連なる旅人は少々苦労しているようだ」
サクスザント様は面白がるでも怒るでもなく、どこか遠いものを見るように目を細めた。その胸中は、如何程か。
「機神の名は祝福を与える神であると同時に、世界を軋ませた邪神として語られる。その名を口にするだけで眉をひそめる者も多い。お主ら旅人が祭壇を探す場合、他の神々よりもずっと面倒な手間がかかるだろうな」
「やっぱり、他の機械系プレイヤーも苦労してるんですね」
気になったことを尋ねてみる。
「苦労しておるだろう。もっとも、機械の体に惹かれて我が系譜へと足を踏み入れた者たちだ。多少の不便で折れるほど軟弱でもあるまい。物好きどもは嫌いではない」
サクスザント様は石像の肩からふわりと浮かび上がった。衣の裾が水に沈む薄布のように揺れ、袖口の金属飾りが小さく鳴る。彼女は床に足をつけず、私たちの前まで滑るように降りてきた。
どれ、一つ講釈でもしてやろうと呟くと、私が知りたかったことを語り出した。
「まず、恩寵とは、神が与える祝福であり、試練でもある。多くの旅人から学んだ言葉で言えば、克服することで強力な特殊能力を得られる重いデバフといったところか」
「ええと、とても分かりやすいですね」
「お主向けに噛み砕いてやっておる」
「助かります」
「そしてその克服とは、恩寵に課せられた試練が加護へと転じることだ」
試練が加護へと転じる。まあ、多くのプレイヤーが目指すべきゴールとも呼ぶべきものだね。
単に弱点を取り除くとか、デメリットを無効化するとか、そういう味気ない話ではないのだろう。
例えば〈火炎嫌悪〉であれば、火属性への弱さを抱えたまま戦い、対策し、何らかの形で乗り越えたとき、その試練が火属性に関する別の良い働きへとその姿を変えるということだろう。
「条件は、神が認めることですか?」
「正しくは、恩寵を与えた神、あるいはその神に連なる眷属が、試練を越えたと認めることだ。お主らの内側で起きる変化だけでは確定しないのが難しい部分だろうか。自分では乗り越えたつもりでも、我らが見れば今はまだその時ではないと思うこともあろうな」
「以前、マリーが色々と変化点をまとめてくれました。あれは克服とは別で?」
「別だ。あの支援AIが拾った変化は、極めて有用な内部の観測結果であろう。だが、あれはあくまでも主観的な観測に過ぎないのだ。試練が加護に変わったと判じる権能は、神かその眷属にのみ属するゆえな」
《補足します。私が提示した各種変化は、機体状態、試練による各種枷の反応、行動履歴などから推定した分類です。当支援AIは恩寵の克服判定に関する権限を保持していません》
「なるほど」
ロヨンが横で呟く。
「旅人殿らが自身の変化を把握することと、御神側がそれらを認めるということは、別段階ということですな」
「うむ。ロヨンの言う通りだ」
サクスザント様がそう言うと、ロヨンの背筋がびくりと跳ねた。褒められるたびに寿命が伸びたり縮んだりしていそうだ。
「多くのプレイヤーは神様本人ではなく、眷属に見てもらうんですか?」
「そうなる。神が直接すべての者を見るとなれば、業務量が尋常ではない」
「業務量」
かなり俗な表現だ……。
「何だ、その顔は」
「機神様の口から業務量という言葉が出るとは」
「神とて暇ではない。我らの注目に値する旅人だけでも相当な数がいる上に、この世界の住人まで加えれば、恩寵に関わる者は膨大なのだ。すべてを神々が直接見ていては、世界の運行より先に神々の気分が荒んでしまうだろう」
淡々と言っているが、言われてみればその通りだ。現在の具体的なプレイヤー人口は分からないが、以前は1300万人程だったと記憶している。更に増加していても何らおかしくない上、元々この世界に住んでいた人々を合わせれば、その数は膨大になるだろう。
ゲーム的に見ても、すべてを最高位NPCが直接担当するわけがない。各地の神殿、祭壇、眷属、巫女、神官など、そういった存在が窓口として機能する方がずっと楽だし自然だ。
「眷属というのは、神官とは違う存在ですか?」
「神官は神を祀る者。眷属は神に属する者だ。重なる場合もあるが、同じ箱へ放り込むには大きく性質が異なる」
「なるほど」
「多くの旅人は、眷属を通して恩寵の克服を迎える。その神の眷属が試練の状態を見て、必要な言葉を与え、克服へ至る手続きを代行するのだ。神が直接見るのは、寵児、あるいは将来性のある者、よほど面白い歩みをした者くらいだな」
「私は寵児だから、直接ということですか」
「無論だ。我が寵児を他の眷属に任せてどうする」
サクスザント様は当然のように言った。
ありがたい話ではある。だが、同時に少し落ち着かない。普通ならそこらのNPCを介して進むイベントを、ラスボスか裏ボスに近い存在が直々に見ているようなものだ。
「それに、お主は見ていて飽きぬからな」
サクスザント様がその美しいビスクドールのような顔を笑みに変え、私の顔をジッと見つめた。その顔からは彼女が何を考えているのかさっぱり分からないが、なにやら面白いものを見るような目つきだ。
「それにしても、短い時間で随分と濃い道のりを歩んだものだ。普通の旅人なら、既にいくつかの試練を乗り越えていてもおかしくないだろう」
「普通?」
「お主は我の寵児だからな。基準も少し贅沢になるということだ」
「う、厳しい」
「愛ゆえだ」
「なるほど……」
サクスザント様は悪びれもせずに笑った。
「見れば分かる。今この場で軽く確認してやるくらいなら、すぐ済むぞ」
私が身構える前に、サクスザント様は指先をこちらへ向ける。白い指が胸部装甲の前で止まり、そこから細い光が一筋だけ伸びた。コアの奥で小さな振動が生まれる。
《高密度の恩寵反応を確認。敵対的挙動は検出されていません》
「そんなに構えずともよい。我が寵児を軽〜く点検するだけだ」
ロヨンは固唾を呑んで見守っていた。研究者としては間近で見たいのだろうが、神の手による恩寵の確認など、軽々しく覗き込んでいいものか迷っているらしい。杖を握る指が忙しなく動いている。
いや、君も克服しているんだよ、ね……?あれ、そういえばそんな話なかったような。
サクスザント様は楽しげに目を細めた。
「見てやろう、お主がこの過酷な道行きで、どこまで我が試練を揺らしたのかをな」
その言葉と共に、大祭壇の床に刻まれた円形文様が、淡く息づくように光り始めた。
改めて恩寵に関する説明です。
次回は、いよいよその克服です。章題からもわかる通り、きっちりと回収します。
第三章も残すところ僅かで、来週中には終われそうです。書いているうちに文量が増えたりして、想像していたものよりもずっと話数が増えてしまいました……。




