第64話『小島再誕・前編』
小島は残念ながら人名ではなく、小さな島ということです。未だに二文字以上の苗字が登場していない本作ですが、わざとではありません……。
最初に動いたのは、床に散らばっていた小さな破片だった。
砕けた石片、割れた装飾、錆びて黒ずんだ金具、祭壇の縁から崩れ落ちた名も分からない欠片たち。それらが震え、床の上を滑り、あるべき場所へ吸い寄せられていく。
まるで逆再生だった。
これ、絶対にリラックス効果があるはずだ。見ていて気持ちが良い……。
砕けた石像の断面が淡い光を帯び、欠けていた部分へ細かな粒が集まる。ひび割れは糸を引くように閉じ、風化して丸くなっていた角は、元からそうであったかのように滑らかで美しい稜線を取り戻していった。
美しいサクスザント様の石像が現れる。
壁にこびりついていた赤砂がさらさらと浮き上がり、空気の中で光に溶ける。長い年月に燻んだ燭台は、表面の黒ずみを薄皮のように剥がし、銀とも白金ともつかない柔らかな輝きを取り戻した。
床石の隙間に溜まっていた泥は跡形もなく消え、代わりに部屋の隅に刻まれた溝から、清潔そうな水が流れていく。
ちょろちょろと、石の奥から染み出すように生まれた水が、壁際に刻まれた浅い側溝へ落ちる。やがてその流れは一定の量を持ち、部屋の縁に沿って静かに巡り始めた。
水路の底にもサクス文字が刻まれているらしく、一定の間隔で淡く光る。光は流れに合わせて揺れ、部屋全体に柔らかな反射を散らした。古代の祭祀施設というより、よく設計された屋内庭園の一部のようだ。
どういうわけか、死んだように垂れていた蔦や草花までもが、静かに息を吹き返していく。
なんとも不思議な光景だ。
これが神の力なのか……。うん、やはりとんでもないな。
朽ちたものがただ新品へ戻るのではなく、長い時間の中で傷ついたことすら、この瞬間のために必要だったのだと言わんばかりに、美しく整えられていく。
まるで魔法のような、と思ったところで、私は自分に呆れた。いや、魔法に違いないじゃないか。神様が目の前で島全体に力を振るっているのだ。これを魔法と呼ばずに、いったい何と呼ぶというのか。
私とロヨンは、思わず顔を見合わせた。
ロヨンはまだ畏れに体を強張らせていたが、その目の奥には隠しきれない好奇心が灯っている。研究者の目だ。神を前にして跪く神官の顔と、未知の技術を目にした学者の顔が、彼の中で忙しなく入れ替わっていた。
サクスザント様は、そんな私たちを見て、なんでもないことのように微笑んだ。
「見てくるがよい。我が寵児よ。ついでに、そこの神官もな」
その一言で、ロヨンの背筋が跳ねた。
「は、はい……! 御身の御心に従い、拝見させていただきます……!」
「そこまで畏まらずともよい」
サクスザント様は可笑しそうに言うと、蘇った石像の上で、まるで肩車でもされるかのように座る。いやいや、いったい何をしているんだ、この女神様は……。
石像に肩車で座っている光景は、どこか罰当たりに見えた。もっとも、本人がやっているのだから、誰にも文句は言えないだろうが。
「では、行こうか、ロヨン」
「無論ですぞ、ルイス殿!」
私たちはほとんど同時に走り出した。
喜ぶ犬のように、と表現するのが一番近いかもしれない。私もロヨンも、表情や種族こそ違えど、今この瞬間だけは完全に浮かれていた。
遠くの方では、トットットッ、と石積みが行われるような軽い音が聞こえている。壁の奥や天井の上、島の外周でも、まだ何かが組み上がっているらしい。
当然、ここにいた人々の命までも元通りにすることはできないだろう。
壊されたものの中には、取り返しのつかないものがある。どれほど神の力が偉大でも、失われた時間と命を軽々しく戻すことはできないのだと思う。
けれど、これで十分ではないだろうか。
少なくとも、ロヨンの中で崩れかけていた何かは、今この瞬間に確かに支え直されたようだしね。それに、機神様もかなり力を入れてくれたらしい。単なる復元というより、今後私たちが使いやすいように、あちこち手を加えてくれている気配すらある。
最初に辿り着いたのは、吹き抜けの大きな部屋だった。
先ほどまで崩れた天井と瓦礫に埋もれていた空間が、信じられないほど瀟洒な部屋へ変わっている。
高い天井からは、細い鎖で吊られた照明が幾つも下がっていた。炎ではなく、サクス文字の刻まれた小さな結晶が光を放っているようで、部屋全体を柔らかく照らしている。光の色は冷たすぎず、かといって熱を持つわけでもなく、長時間過ごしても目が疲れにくそうだった。
壁際には高そうな家具が並び、背の低いソファや丸いテーブル、装飾棚が品よく配置されている。それぞれの木材に見える部分にも細い金属線が走っており、脚の先端は床の微細な溝に噛み合うように作られていた。地震や揺れがあっても簡単には倒れない仕組みなのかもしれない。
それでいて、見た目は堅苦しくない。
座る者の体を自然と受け止めるように曲線が多く、テーブルの角は丸められ、通路にはかなりの余裕がある。古代の神殿というより、人が長く滞在することを前提にした、かなり親切な空間だった。
「これは……客間、あるいは談話室のようなものでしょうか」
「随分とお洒落だね。機神様の施設って、もっと先鋭的で、冷たいものかと思っていたよ」
「サクス文明の中でも、信仰に関わる施設は人の往来が多かったと考えられますからのう。技術と祈りが同じ場所にある以上、訪れる者に優しく作られていたとしても不思議ではありますまい」
ロヨンは早口にそう言いながらも、視線は忙しなく部屋中を走っていた。完全に研究者の顔である。
それに、サクスザント様もなにやら特別な処置をしてくれているようだし、その影響も強いのだろう。
と、その時、彼がハッとしたようにこちらを見た。
「ルイス殿。儂は植物園を見たいですぞ。先ほどの流れからして、恐らくそちらも復元されているはずです」
「いいね。よし、行こう」
私たちは部屋の奥へ続く扉を抜けた。
その先に広がっていたのは、絶景だった。
うん、植物園。
そう呼ぶしかない空間が、そこには広がっていた。
下へ向かって段々になった巨大な温室のような構造で、足元から奥へかけて、色とりどりの草花や木々が層を作っている。赤、白、青、黄色、薄紫。見慣れた色もあれば、現実では見たことのない色をする花弁もある。
各段差の間には細い川が流れていた。透明な水は小さな滝となって下層へ落ち、ところどころで浅い池を作っている。その池の縁には丸い石が並び、石の表面には目立たない程度にサクス文字が刻まれていた。
恐らく周囲の植物に何らかの作用を及ぼしているのだろう。
水の流れは美しく、同時に植物へ必要な水を無駄なく届けるよう設計されているように見えた。
一部の地面は盛り上がり、小さな山のようになっていた。斜面には低木が生え、根元には豊かな苔が広がってている。
まるで、一つの自然がこの空間の中で完結しているようだ。
すごいぞ、自然豊かな私のホームタウンでもお目にかかれるか分からない緑だ……。今の時代だと、自然ってだけで尊いものだからなあ。眼福だ……!
空を見上げると、ガラス張りの天井がドーム状に広がっている。正確にはガラスではなく、もっと薄く、もっと強靭そうな透明素材だ。そこに薄い水色の線が幾何学模様を描き、外光の強さを調整しているらしい。曇り空の光すら柔らかく取り込み、植物園全体を穏やかに照らしている。
通気のためか、壁面の一部には小さな窓がいくつも並んでいた。花弁のような特殊な形をしたルーバーが静かに開閉し、外の風を取り込みながら、温度や湿度を整えているようだ。
その窓の一つから、蝶が入ってきた。
この島に足を踏み入れた時に見た、あの美しい蝶だった。透き通るような羽に青と白の模様を宿し、光を受けるたびに小さな虹を散らす。
蝶は花から花へ舞い、植物園の色彩にさらに一つ、動く装飾を加えた。
「これは、なんと素晴らしいことか……」
ロヨンの声が震えていた。
同感だ。今までプレイしてきた数多くのゲーム中の自然で、一番感動したかもしれない。いや、私のプレイするジャンルだと、そもそも美しい自然に出会うことが無いので母数が少ないというのもあるが……。
「ここだけで一生を費やせますぞ。ただ美しいだけではありませぬ。生き物を活かすために組まれておるのが素晴らしい」
「機神様、意外と園芸もいけるんだね」
「ルイス殿、その言い方は些か恐れ多いですぞっ」
そう言いつつ、ロヨンも少し笑っていた。
植物園を後にした私たちは、ちょうどここの反対側にある図書館らしき部屋へと向かった。
扉を開いた瞬間、私たちは言葉を失った。
見上げるほどの本棚が、壁一面を埋め尽くしている。しかも一階部分だけではない。部屋の上部には回廊が巡り、そこにもまた本棚が並んでいた。
梯子や階段は壁際に溶け込むように配置され、手すりには細かなサクス文字が刻まれている。軽量化、それから魔力の調整次第で好きに長さを調節できる効果が込められているようだ。
棚には、所狭しと本が収められていた。
革表紙の分厚い本。薄い冊子。よく分からないが、金属板を束ねたような資料。それから巻物に近いもの。形も大きさも様々で、見ているだけで頭がおかしくなりそうだ。
私はドリーム・スケイルのホーム画面を豪邸に設定し、ソフトを本棚に収まる本の形で収納しているくらいには本が好きである。幾つもの本棚が満杯になる程度には、それに囲まれる空間を愛している。
そんな私に、この部屋は危険過ぎた。
「……まずい」
《何がでしょうか》
「ここ、出られなくなるかもしれない」
《探索の継続を推奨します》
マリーの冷静な声に押され、私はなんとか一冊だけ手頃な本を抜き取った。薄茶色の表紙に、美しい線で小さな鳥のような意匠が描かれている。
ぱらぱらと捲る。
そこには、私でも読める文字で御伽噺のようなものが書かれていた。
古い森に住む小鳥と、光る種を探す子供の話。文章は柔らかく、挿絵もある。しかもその挿絵がただ描かれているだけではなく、ページの角度によって微かに羽ばたくように見えた。
「これ、全部にちゃんと内容があるのか……?」
声が掠れた。
もしこの部屋にある全ての本に内容があるなら、これはもう宝の山どころではない。ゲーム内の資料としても、読み物としても、研究対象としても、あまりにも価値が高すぎる。
ロヨンも本棚の前で固まっていた。
「サクスドルフの民話、祭祀記録、植物誌、恐らく工学書らしきものまで……。儂は今、夢を見ておりますかな」
「うん、そんな夢なら、いっそ覚めない方が良いね」
「まったくですじゃ」
私たちは名残惜しさを振り切って図書館を出た。
今は探索だ。ここで腰を据えたら最後、本当に一日が消える。
玄関ホールへと繋がる長い廊下へ出ると、そこには美しい黄色のカーペットが敷かれていた。以前見た時は、ほつれ、擦り切れ、触れれば粉になりそうなほど乾いていたものだ。それが今では、柔らかな厚みを持つ立派な敷物へ戻っている。
両壁には燭台が整然と並び、そこには炎ではなく、サクス文字の力で灯された優しい光が揺れていた。火を使わないため煤も出ず、熱もほとんどない。壁の高さも絶妙で、通る者の目に直接刺さらない位置から足元を照らしている。
うーん、ユニバーサルデザイン……。
古代文明の超技術というと、もっと威圧的で、使う者を選ぶものを想像してしまうが、この施設にある技術は、訪れた者が自然に過ごせるよう、細かな不便を取り除く方向へ向いているのが素晴らしいと言わざるを得ない。
廊下を抜けると、大きな玄関ホールへ出た。
ここも見違えていた。
二股の階段は美しい曲線を取り戻し、手すりには植物と歯車を組み合わせたような彫刻が施されている。床は磨き上げられた石材で、中央にはサクス文字を組み込んだ円形の模様があった。人が踏む場所は滑りにくいよう微細な凹凸があり、車輪や杖が通りやすいよう段差は緩やかに処理されている。
「こちらが、先ほど儂が確認した側ですな」
ロヨンに案内され、私たちは玄関から見て右側の通路へと向かった。
そこには、完璧に整えられた客間があった。柔らかな椅子と低い卓、来客用と思しき収納、壁には落ち着いた色の装飾布。続く食堂は広く、長いテーブルの上には何も置かれていないが、天井の照明と壁際の棚だけで十分に華やかだった。
食堂の奥には貯蔵庫があり、温度を保つための仕組みが壁に組み込まれているようだった。さらに各種備品を整頓した物置もある。棚は用途ごとに高さが変えられ、重い物は下へ、頻繁に使う物は手の届きやすい位置へ収められていた。
新築のように美しい。
それでいて、どの部屋にもサクス式とも言うべき装飾が控えめに散りばめられている。直線と曲線、植物と機械。それらが妙に自然と混ざり合っていた。
逆側の通路へ向かうと、そこには簡易的な祭壇があった。
中央の大祭壇に比べれば小規模だが、日常的な祈りや儀式にはこれで十分だったのだろう。隣の小部屋には祭祀に使えそうな道具が整然と仕舞われている。布、器、金属製の細い杖、用途の分からない小さな円盤。どれも清潔で、持ち出しやすいよう番号のような印が添えられていた。
さらに奥には、司祭や神官が寝泊まりするためであろう大部屋が一つある。簡素な寝台が複数並び、壁際には収納と小さな机が置かれていた。共同生活を前提にしつつ、最低限の個人空間を確保できる配置になっている。
先程の客間などがある通路は突き当たりが行き止まりだったが、こちらの通路には外へ出られる扉があった。
そのまま外へ出ると、壁によって区切られた中程度の庭が広がっていた。
石畳の小道、椅子と机、美しい花壇。花壇には背の低い花が色ごとに植えられ、中央には小さな噴水がある。
その庭の隅には小屋があった。
中を覗くと、植物の種が入った小瓶や、薬草などを干したものが並んでいる。乾燥棚には薄い網のようなものが張られ、湿度を調整するための小さな光が点滅していた。どうやら植物関係の物を収めるための小部屋らしい。
「種子保管庫に近いものですかな。乾燥、保温、防虫……これも相当に高度ですぞ」
庭の一角には図書館側へと向かう両開きの扉があった。
開くと、そこには広大な畑が広がっていた。位置としては、ちょうど図書館の横あたりまで伸びているのだろう。
畑といっても、ただ土に植物が植えられているだけではない。
色とりどりの作物が区画ごとに育てられ、間には細い水路が走っている。流れる川に根を預ける見たこともない植物があり、木に吊るされたポッドの中で育つ蔓草があり、低い棚の上で淡く光る苔のようなものまであった。
農地でありながら、植物園にも見劣りしない美しさがある。
「これは、ロヨン。管理できる?」
「儂一人では到底無理ですな」
「うーん、だよね」
「ですが、この施設そのものに管理補助のような仕組みがあるのなら、ある程度は維持できるやもしれませぬ。水路も、光も、土の区画も、全て何かしらの意図を持って整えられておりますからのう」
なるほど。
完全自動とまではいかずとも、利用者が扱いやすいようにかなり工夫されているらしい。正確には、ここを使う神官や研究者、あるいは信徒たちに優しい設計なのだろう。
一度玄関ホールへ戻り、私たちは左右に広がる階段を上った。
階段の角度は緩やかで、足を置く場所には滑り止めのような細かな模様がある。
「至れり尽くせりだね」
「高齢の神官にも優しい作りですな」
「ロヨン向けかな」
「儂はまだまだ若いですぞ」
そんな軽口を交わしながら上へ出ると、そこからは四つの通路が伸びていた。
二つは先ほどの吹き抜け空間へ繋がる通路で、残り二つは左右へ続いている。それぞれの先には四つずつ部屋があり、すでに住めるほどの家具や設備が整っていた。
寝台、机、椅子、収納、洗面らしき設備。部屋ごとに少しずつ内装が違い、使う者の好みに合わせて選べそうだ。窓際には小さな机があり、自然光で本を読んだり記録を書いたりできるようになっている。
吹き抜け空間へ繋がる通路を抜けると、そのまま真っ直ぐ続く廊下があった。
ずっと先には、先ほどまで私たちがいた祭壇の部屋へ繋がっているようだ。考えてみれば当然である。あの吹き抜けを真っ直ぐ進み、階段を登った先に大祭壇があったのだから、二階側からも動線が確保されているのだろう。
これで内装はだいたい把握できた。
客間、食堂、貯蔵庫、物置。簡易祭壇と祭祀道具の小部屋、神官用の大部屋。庭、種子保管庫、畑。植物園、図書館、居住区画。そして、大祭壇へ続く通路。
控えめに言って、ただの二人が使う拠点としては破格である。
ただ、サクスザント様はこの小 島全体に何らかの力を働かせていた。建物の中だけでこれなら、外も相当なことになっている可能性が高い。
私はロヨンと顔を見合わせた。
彼も同じことを考えていたらしく、その顔に抑えきれない期待を浮かべている。
そういえば、ガスマスクはもういいのかな?
「……あーと、外、行く?」
「行くに決まっておりますぞ!」
私たちは、この施設の外へと向かって歩き出した。
書いていて思ったのですが、私は戦闘シーンとかよりも、こういった自然や風景、施設を描写することの方が好きなようです。
こちらの方が圧倒的に筆が走ります。
ただ、気が付くと文字数が爆発していて、前後編にしてしまうのが玉に瑕ですかね。




