第63話『機神降臨』
あと一話投稿するかもです!
どれほど視界が白く染まっていたのか、正確な時間は分からない。
強烈な光は、目を焼くようなものではなかった。むしろこの機械の体の奥へ染み込んでくるような、妙に柔らかな輝きだった。けれど、そこに含まれている力の密度は尋常ではないのがわ分かった。
やがて光が薄れ始めた。
白く塗り潰されていた世界の輪郭が元に戻り、バラバラに砕けた祭壇、それから折れた石像、驚いたのか片膝をついたロヨンの姿がゆっくりと浮かび上がる。
その直後、背後に強烈な気配が現れた。あまりにも唐突のことだったが、その気配には覚えがある。
ただそこに在るだけで、居ると理解できてしまう。装甲に覆われているはずの全身が総毛立つような、あり得ない感覚が機体の奥を走った。
ああ、やはり来たのか……!
以前にも、サクスザント様が私の近くに現れたことはある。だが、その時も彼女は決して姿を見せようとはしなかった。声と気配だけを残し、こちらが振り返るよりも先に、まるで最初から存在しなかったかのように消えてしまうのだ。
なぜ、そこまで頑なに姿を見せなかったのだろう。
そんなことを考えていた刹那、ロヨンの声が響いた。
彼の口が、顎でも外れたのかと思うほど大きく開く。投げ捨てられたガスマスクが無惨に転がっているのは、いったいどうしてだ?
彼の目は限界まで見開かれ、手にしていた杖が石床へ乾いた音を立てて転がった。
「ひ、ひぃっ……!」
彼には似つかわしくない、なんとも情けない声だった。
けれど、その無様を見ても笑う気にはなれない。むしろ、当然の反応だろう。長く追い求め、信仰し、神話の影に眠る真実を掘り起こし続けてまで探し求めた存在が、今まさに目の前に現れたのだから。
ロヨンはその場で崩れ落ちるように跪き、額が床にぶつかる寸前で止まった。というより、全身が恐怖と畏敬で硬直しているように見えた。
ガチガチじゃないか……。折角なのだから、一声でもかけたら良いのに。
「まあ、仕方ないか」
私は苦笑する。
すると、それに合わせるように、背後の気配が動いた。
水の中を泳ぐ魚のように、あるいは風に乗る薄布のように、サクスザント様は私の脇をするりと抜けて前へ出た。その動きは可憐で、滑らかで、そしてどこか人間離れしている。
彼女は床に足をつけることなく、宙を漂ったまま砕けた石像へ近づき、胸部と思しき残骸の上へ腰を下ろした。
「ええ……」
神を象った物の上に、その神そのものが座る。
その振る舞いには、偶像などに意味はないとでも言外に告げる傲慢さがあった。けれど、その姿はひどく様になっているから不思議だ。
サクスザント様は、全体としては機械仕掛けのドールのような姿をしていた。
思わず見惚れてしまった。
白磁を思わせる色白の肌に、艶やかな銀の御髪。年の頃は二十代前半にも見える若い女性の姿だが、その顔立ちはあまりにも整いすぎていて、人間というより精巧な人形に近い。彼女を形作る線の一つ一つが、作為的なまでに美しい。
身に纏うのは、白と水色を基調とした薄い生地の民族衣装だった。胸元から肩へ流れる柔らかな布地には、銀糸のような細い線でサクス文字が縫い込まれている。水色の短い上衣は羽衣のように軽く、袖口と裾には歯車の歯を思わせる細かな金属飾りが連なっていた。
腰には透け感のある白い布が幾重にも重なり、動くたびに水面の揺らぎのような影を落とす。その下から覗く脚は細く、膝や足首の関節には球体関節人形に似た丸みがあった。
継ぎ目に極細の銀線が走っているそれは、人形の関節を模しているようでいて、実際にはもっと複雑で、もっと精密な何かだ。私には全く分からない。
それが曲がるたびに内部の青白い光が僅かに覗き、ほんの一瞬だけ、そこに組み込まれた回路が息をするように明滅する。
アンドロイド。彼女の正体をそう言ってしまえば、酷く簡単だ。だが、目の前の彼女を見て、ただの機械人形だと考える余地はなかった。
そこにいるのは、紛れもない一柱の神だ。
サクスザント様は砕けた石像の上で足を組むと、上になった足へ肘をつき、そのまま頬を支えた。水色の薄布がふわりと揺れ、銀の飾りが澄んだ音を立てる。
彼女はしばらく、愛おしげな顔で私を眺めていた。
その視線は、出来の良い作品を眺める職人のものに近い。慈しみも、所有欲も、得意げな満足感も、その全てが混ざった表現に困る顔で、私をジッと見つめている。
なぜそんなにジッと見つめるのだろうか……。少し気まずいじゃないか。
「ふむ」
やがて、彼女は何かに気付いたように視線を下げた。
足元で跪いたまま震えているロヨンを見つけると、僅かに目を丸くする。
「こんな所にサクスドルフの神官がいるではないか。我が寵児を眺めていたゆえ、その存在自体は知っておったが、こうして改めて接触すると、過去のあれこれが水面に浮かぶ油のように漂ってくるな」
その言葉は穏やかだったけれども、そこには長い年月を跨いだ幾分かの重みがあった。彼女がサクスドルフという名を口にした瞬間、ロヨンの肩が大きく跳ねる。
やはり、サクスザント様は普段から私を見ているらしい。寵児なのだから当然と言えば当然なのかもしれないが、改めて当人の口から示唆されると、少し背筋が伸びる思いだ。
つまり、これまでの私の行動も、ロヨンと出会ったことも、地下でゲートを見上げたことも、ここまでの道程も、その全てを彼女は見ていたということだ。
「こ、光栄に……ございます……」
ロヨンは床に額を擦りつけそうなほど身を低くしたまま、辛うじて声を絞り出した。
普段の彼なら、機神様を前にして聞きたいことが山ほどあっただろう。神話やサクスドルフの滅亡の真実、それから怨敵である勇者たちのこと。積み上げてきた疑問は、一晩語っても尽きないはずだ。
だが、今のロヨンにそれを口にする余裕はないようだった。
まあ、仕方あるまいか。それもまた当然である。信仰対象が目の前に現れ、しかもちゃっかり自分を認識していたのだ。普通ならまともな思考など保てまい。
ならば、ここは私から切り出すべきだろう。
「サクスザント様」
「なんだ、我が寵児よ」
彼女はすぐにこちらを見た。その声はやはり柔らかいが、ただ甘いだけではない。細く研がれた刃物のような冷たさが、声の奥に潜んでいる。
「あの信号と、私の機構の問題を解消するために必要だった大量の情報を送ってくださったのは、あなたで合っていますか?」
彼女は当然だと言わんばかりに頷いた。
「無論だ。お主にあれほど都合よく、あれほど的確な知恵を授けられる者が、我以外にいると思うたか?」
「ああ、やはり」
納得と同時に、胸の奥の引っかかりがすっと落ちた。
あれは明らかに通常のシステムメッセージとは違っていた。マリーにしか解析できない通信フォーマットで、今の私が抱えていた問題を解消するための具体的な手順が流れ込んできたのだ。
親切な誰かが助けてくれた。そう感じてはいたが、その誰かが目の前の神なら、あまりにも自然だった。
「お主は我が手ずから鍛え上げた、一番の傑作だからな」
サクスザント様は頬に添えていた指を離し、膝の上へ軽く置いた。その仕草に合わせて、袖口の金属飾りが小さく鳴る。
「本来のエクス・マキナ・アポカリプスであれば、あの程度の問題など問題にすらならぬ。強敵を砕き、過酷な環境を踏み越え、凄まじい力を宿した物品を次々と取り込み、その全てを己の力として従える。それこそが我の想定していた流れであった」
彼女の目が、少しだけ細くなる。
「だが、我が課した試練によって、お主は大きくダウングレードしておる。過酷であることは分かっていた。分かってはいたが……ふむ、少しばかり想定を超えておったな」
その声音には、ほんのわずかな反省の色があった。
神の反省、これ、なかなか聞けるものではない。
「特に、我が良かれと思って授けた吸収同化との兼ね合いがだな。恩寵の試練によって課せられた重荷を克服するには、当然新たな機構の創造が不可欠であるのだが……」
「元々の機構とぶつかってしまった、と」
「うむ!その通りよ」
サクスザント様は軽く指を鳴らした。
ただのそれだけで、私の視界の端に一瞬だけ青白いウィンドウが表示される。以前にマリーが展開していた内部構造の表示に似ているが、もっと洗練され、もっと美しかった。
「その状態を、当たり前に動ける程度にまで押し上げるには、特殊な機能を複数備えた機構をファブリケーターで生み出し、その能力を吸収同化で取り込むのが最も合理的であった。だが、それを行った結果、お主の内側では幾つかの機能がぶつかった。そこには我にも責があると判断したゆえ、少しばかり知恵を授けてやったのだ」
「なるほど。非常に助かりました」
「当然だ。我が寵児が、足回りの調子一つで転がり続ける姿など、見ていて面白くはあるが、さすがに少し不憫であったからな」
見ていて面白かったのか。
喉元まで出かかった言葉を飲み込む。
まあ、生みの親からすれば、朽ちた機械兵器が廃墟で転びまくる姿は、どこか滑稽に見えたのかもしれない。否定しきれないのが悲しいところだ。
サクスザント様はくすりと笑い、指先で神捧珠が砕けた後に残った光の粒を掬うような仕草をした。
「さて、本題に入ろうか、我が愛しの寵児よ。お主が捧げた神捧珠は、信仰する神に願いを差し出すための珠だ。お主は我が寵児であるからな。その願い、叶えてやろうではないか。当然限度はあるが」
「限度、ですか」
「今この場で世界をもう一度滅ぼせと言われても困る、という程度の限度だ」
彼女はお茶目に肩をすくめた。
いや、たしかに彼女の願いではあるのだろうが、そんなのが無理なのは分かっているよ。思わず苦笑いしてしまったではないか!
言っている内容は物騒極まりない。だが、本人の表情は、なんでもないかのような、平静そのものだった。
「もっとも、いつかお主がその程度の願いを、自力で叶えられるほどに育つなら、それはそれで喜ばしいことだが」
「努力します」
「うむ。大いに励め」
そんな軽いやり取りの後、私はロヨンへ視線を向けた。
彼はまだ跪いていたが、先ほどまでの絶望に沈んだ姿とは随分と違うではないか。サクスザント様を直接目にしたことで、心の芯が強引に持ち上げられたのだろう。震えは残っていても、その目には先ほどまで失われていた光が戻っていた。
正直、この時点でロヨンの気持ちはかなり持ち直していると思う。
それでも、私は願いを変えるつもりにはならなかった。
やぶれかぶれの知恵だったが、拠点を持つことは悪くない。ましてや、機神様に縁ある島と施設を復元できるなら、今後の活動においてかなり大きな意味を持つだろう。
祭壇が拠点の中にあるというのも、何かと便利そうだ。恩寵の克服、機体の整備、ロヨンの研究、そして私の今後の悪巧み。
その使い道はいくらでもある。
「この施設を蘇らせて欲しいのです」
私の言葉に、ロヨンがハッと顔を上げた。
「ルイス殿……」
「もちろん、私のためでもあるよ。拠点は欲しいし、祭壇も使える形で残っていた方が何かと便利だからね」
そう付け加えると、ロヨンは震える唇を噛み、深く頷いた。
「そうですな……。この地が蘇るのであれば、それは我らにとって、この上なき恩寵にございます」
サクスザント様は、私とロヨンを交互に見てから、ほんの少し拍子抜けしたように笑った。
「なんだ、そんなことか」
ん?
「そんなこと、ですか?」
「神捧珠は、それを捧げた者の願いを叶えるという一点に限り、地上へ大きな影響力を働かせることを許す特殊な器だ。願いを叶える神は、その過程で捧げられた大きな信仰と祈りを受け取り、自身の力を高めることができる」
彼女は空中に指を滑らせた。
何もない場所に、細いサクス文字が一つ浮かぶ。そこから波紋のように小さな光が広がり、すぐに消えた。
「与える力を考えれば、ただの願いなど些細な出費に過ぎぬのだ。こちらとしては概ね黒字だ。もちろん、寵児には多少奮発するがな」
なるほど。
つまり、プレイヤーの願いを叶える神々側にもメリットがある仕組みらしい。
そして、それを許可しているのは、おそらくもっと上の存在だ。サクスザント様は具体的な名前を口にしなかったが、私の中ではすぐに答えが出た。
ああ、運営ね、と。
神々にゲームバランスを壊しすぎない範囲で力を振るわせ、プレイヤーに特別な体験を与え、その代わりに神側も信仰や力を得る。いかにもポラリスが考えそうな、厄介で面白い仕組みだった。
「ゆえに、寂れた物の再生など、お主が想像しているよりもずっと軽い力で済むのだ。ましてや、この島は元より我に縁ある場所。この通り、干渉の通りも良いしな」
どの通りなのか分からないが、たしかにここは彼女を祀っていた神殿らしき構造物だからね。彼女に馴染みがあるのも頷ける。
そこで、サクスザント様の唇が、悪戯っぽく吊り上がった。
「ただ祭壇を蘇らせるだけではつまらぬな」
ん、嫌な予感がするぞ。
同時に、胸の奥が少し高鳴る。
この神がつまらないと言い出した時、大抵ろくでもなく面白いことが起きるのは、彼女のパーソナリティから何となく察せていた。
「せっかく我が寵児が願ったのだ。ただ古びた施設を磨き直す程度で終わらせては、機神としての我が名が廃る。この島全土を、少し面白いものにしてやろう」
「島全土、ですか」
「たかが二百メートルほどの小島であろう?そんなもの、造作もない」
さらりと言う。
だが、考えてみれば当然なのかもしれない。
サクスザント様は、一度は世界を滅ぼした邪神とも語られる存在だ。その力は並の神々では太刀打ちできないほどなのだろう。加えて、この世界に機械系の種族のプレイヤーが増えたことで、彼女の力はさらに強まっているようだった。
もちろん、それは他の神々も同じなのだろう。新たなプレイヤー、新たな信仰、新たな物語。それらが神々へどのように影響するのか、詳しい仕組みは分からない。
ただ、目の前の女神が今、とんでもない力を振るおうとしていることだけは分かった。
「では、早速始めるとしようか」
サクスザント様は、石像の残骸に腰かけたまま、ゆっくりと右手を持ち上げた。
彼女の唇が動く。
そこから零れたのは、私には完全には聞き取れない言葉だった。だが、音の並びからしてサクス言語であることは分かる。やはり不思議な響きだった。
彼女の指先が空中を滑る。
その軌跡に、あまりにも美しすぎるサクス文字が描かれていった。
私がこれまで見てきたサクス文字も十分に美しかった。ゲートに刻まれたもの、ロヨンの資料に残されていたもの、施設の壁に眠っていたもの。そのどれもが、ただの文字というよりも芸術品に近かった。
だが、サクスザント様が直接描くそれは、正しく別格だと言えよう。
一本の線に、無数の意味が折り畳まれている。曲線の端に小さな歯車の意匠が生まれ、それが次の線へ流れ込み、さらに別の文字へと噛み合う。
そうやって光でできた文字列は、空中で立体的に重なり、まるで透明な機械がその場で組み上がっていくようにも見えた。
これが機神……!何がどうなっているのか、その一端すらも分からないが、とてつもなく高度なことをやってのけているのは、私でもなんとか理解できる。
ロヨンを見ると、また顎が外れるほど口を開けて驚いているので、この理解で間違いないのだろう。
次の瞬間、彼女を中心に純白の魔法陣が生まれた。
それは床に描かれるものではなく、空間そのものへ焼き付けられるように広がり、壁も柱も、砕けた祭壇も、崩れた天井も無視して外へ外へと伸びていく。
光の輪はこの施設を越え、海風の吹く外周まで達したらしい。マリーの補助表示がなければ把握しきれなかったが、その広がりはこの小島全体をすっぽりと覆うほどの大きさになっているようだ。
《凄まじい力による広域干渉を確認。範囲は島全域です》
サクスザント様は、描き上げたサクス文字の群れの前へ右手を掲げた。
すると、あの美しい文字列は一つ一つほどけるように崩れ、光の塊となって彼女の掌へ収まっていく。小さな太陽にも似た輝きが、白い指の上で脈打った。
彼女はそれを、天へ捧げるように掲げる。
「我が名において命ずる。器に形を、忘れられた島に再び役目を与えよ」
光の塊が砕けた。無数の粒となったそれは、雨のように降り注ぐ。
純白の雨は、魔法陣へ触れるたびに吸い込まれ、島のあちこちへ迸る光の線へと変わっていった。
どうやらこの島全体に、特殊な力が働き始めたようだ。




