第49話『浮島、岩槍』
久しぶりに二ノ国をプレイしたのですが、相変わらずとんでもない神ゲーですね。読者様の中に知っている人がいるか分かりませんが、DS版の漆黒の魔道士なるソフトには、なんと分厚い本が付属していたんですよね。
その本には魔法や敵モブの詳細、錬金のレシピや二ノ国の世界の御伽噺などが載っていて、一頁一頁に胸を躍らせたものです。
今思えば、あの体験が私のファンタジー好きの原点だったのかもしれません。
プールから帰宅した後、心地良い疲労感によって横になった途端に眠りについたが、相変わらず目覚めは最悪だ。
もう慣れてしまったが、あらゆる工夫を飛び越えて克服すら叶わなかったこの体質に関しては、今後の人生を通して付き合っていくしかない私の幼馴染なのだろう。
さて、そんなこんなでログインしたGoAだが、なにやらアップデートが行われたらしい。
目を覚ました直後、視界の端に薄い通知が浮かんでいた。パッチが当てられたのはいくつかのスキルと加護に関するもの、それからNPCに搭載されているAIの強化に関するものらしい。
私に直接影響がありそうな修正はなかったが、AIに関する点にだけは少し注視する必要がありそうだ。
とはいえ、今の時代に旧世代のAIを搭載しているなんてことはないだろうし、恐らくこのゲームに合わせてチューンアップしたのだろう。まあ、このゲームの世界観を考えれば、住人の思考や反応に何らかの特別な細工が必要なのは考えるまでもないことだが。
「さて、おはようロヨン。よく眠れたかい?」
私が声をかけると、街道脇の草地で身を起こしたロヨンが、肩にかかった土埃を軽く払った。
「地面に横になることが快眠に繋がるかと言われると頷けませぬが、地下の塒よりはずっと快適ですな。何より空気が美味いのが良い」
ということで早速ロヨンと会話をしてみたが、別段変わっているようには感じられない。まあ、この短いやり取りだけで何かを感じられるほど、私は敏感ではないのでなんとも言えない。
「よし、では目的地である広場まで行こうか。今日中には着きたいね」
アイテムや装備の簡単な確認を済ませ、出発の時間である。昨日剥ぎ取ったブラッド達の装備は、既に分解して使えそうな素材に仕分け済みだ。
私には既に銀索蜘蛛から作り出した銀牙があるからね。中途半端な数打ちは必要ない。
使えそうな金属片、革紐、留め具、小さな魔石らしき部品は残し、役に立ちそうにないものは吸収同化の餌にした。旅人同士の小競り合いで得られた戦利品としては、まあ悪くない。彼らの態度は不愉快だったが、死んだ後に素材として役立ったのなら、少しは価値があったというものだ。
古びた街道は、相変わらず頼りない線となって灰色の大地を横切っていた。街道脇には背の低い草が広がり、時折、見慣れない小さな花が曇天の下で淡い色を点している。
地下の澱んだ空気を知った後では、この湿った風でさえ十分に贅沢だね。
「岩槍の広場までは、まだ距離があるのだったね」
「ええ。街道をこのまま辿れば見えて参ります。道は荒れておりますが、大きく外れなければ迷うことはありますまい」
ロヨンは杖をつきながら、街道の先へ視線を向けた。
私はその横を歩きながら、時々空を見上げた。
やはりこの辺りの雲は特別ぶ厚いのだ。なぜだろう。やはり地形に関係しているのだろうか……
だが、昨日よりは随分と明るい気がする。雲の切れ間から薄い光が落ち、遠くの丘陵を霞ませるように照らしているのが目に入る。
その時だった。
街道のずっと先、目的地とは少し外れた方角の空に、奇妙な影が見えた。
「……ん?」
私は足を止めた。
最初はお馴染みの雲の塊かと思った。だが、それは雲にしては輪郭が幾分か硬く、風に流される様子もない。遠すぎて細部までは分からないが、淡い青灰色の空の中に、いくつもの黒い影が浮かんでいる。
大小さまざまな塊が、まるで空に吊るされたように漂っていた。
小さなものは砕けた岩盤の欠片のようで、大きなものは丘を丸ごと持ち上げたように見える。下部は細く尖り、上面には草木のようなものが茂っているらしいのが何となく確認できた。霧の帯がその間をゆるやかに流れ、光を受けた縁が淡く輝いていた。
そして、その浮島群の中心近くには、とりわけ大きな島があった。
他の島々が欠片なら、それは一つの土地だ。遠目にも分かるほど広く、上には山のような盛り上がりがあり、白い筋が滝のように垂れている。あれは水が本当に流れ落ちているのか、それとも光や霧がそう見えるだけなのかは分からない。だが、その姿はあまりにも幻想的で、思わず見惚れてしまった。
「すごいな……、すごい」
口から漏れた声は、思ったより素直だった。
機械の身体であっても、美しいものを見れば動きが止まるらしい。いや、むしろこの身体を動かしているのが私自身なので、当然の話だ。
朽ちているとはいえ、神がその手で作り上げた優れた機体だからこそ、視界に映る情報が余計に鮮やかに感じられるのかもしれない。
「ロヨン、あれは何だい。サクス文明の遺跡か何かだろうか?」
そう尋ねると、ロヨンは私の視線の先を追い、すぐに穏やかな笑みを浮かべた。
「ああ、浮き島群ですな。サクス文明とは関係ありませぬ。あれはこの世界に古くからある、母なる大地の不思議の一つでございます」
「自然現象なのか」
「ええ。どうして浮いているのかを学者方は昔から調べておりますが、これといった結論は出ておりませぬな。大地の力が空へ漏れ出したものだとか、天と地の均衡があの辺りだけ乱れているのだとか、神々が大地を摘み上げて遊んだ跡だとか、その要因は語る者によって話は変わりますぞ」
「最後のはだいぶ雑だね」
「民の語る昔話とは、その多くがそういうものであるゆえ」
ロヨンは楽しげに顎の辺りを撫でた。
私はもう一度、空の島々を見た。確かに、あれがサクス文明の産物なら巨大な機械の痕跡や人工的な構造を探したくなるところだが、遠目に見える輪郭はむしろ自然そのものだった。岩肌は崩れ、なんとか確認できる草木は好き勝手に伸び、島と島の間には鳥らしき影が弧を描いている。
《遠距離のため詳細な解析不可。ただし、現時点で人工構造物と断定できる反応は確認できません》
「マリーでも分からないか」
《観測距離が過大です。近距離からの再確認を推奨します》
「つまり、観光しろということだね」
《その解釈は過剰です》
淡々と返され、私は小さく笑った。
「ロヨン、あれは目的地とはかなり離れているのかい?」
「ええ。岩槍の広場とは随分と遠くにあるのです。しかも、こうしてこの距離から見えてはおります通り、私たちの想像よりもずっと巨大ゆえ、その遠近感によって幾許か近くに在るように見えてしまうのですな」
「なるほど。なら今回は無理か」
残念だ。かなり残念だ。
あれほどの光景を見せられて、近づかずに済ませるのはもったいない。だが、今の目的は岩槍の広場と、その先にあるというサクスザント様の祭壇だ。観光気分で寄り道を始めれば、ロヨンの案内も、ここまで積み上げた予定も崩れる。
私は空の浮島群から目を離しきれないまま、少しだけ首を傾けた。
「いつか、あそこへ行くのも良さそうだね」
「おお、それは良い。浮き島群は遠くから眺めるだけでも美しいですが、近づけばまた違う景色があると聞きます。島の影にしか咲かぬ花、空を泳ぐ魚、雲を食む獣。真偽のほどは分かりませぬが、旅人の心をくすぐる話には事欠きませぬぞ」
「空を泳ぐ魚か。いいね。素材としても興味があるよ」
「ルイス殿は、なんでもすぐ素材にしたがりますな」
「美しいものは眺めたいし、使えるものは使いたい。両方大切だよ」
ロヨンは一瞬黙り、それから愉快そうに笑った。
「まこと、機神様の寵児らしいお言葉ですな」
褒め言葉として受け取っておこう。
ロヨンは浮き島群の中でも、ひときわ大きな島へ杖の先を向けた。
「ではおひとつ、あの大きな島には、不思議なものが眠っているという噂もあります」
「不思議なもの?」
「ええ。古い王の宝だという者もおりますし、天に近づきすぎた魔術師の塔だという者もおります。あるいは、まだ誰も見たことのない神獣が眠っているのだ、と語る者もおりますな」
「随分と話が大きいな」
「あくまでも噂ですからな。実際に行った者の話と、行ったこともない者の願望が混ざり、さらに酒場で三倍ほど膨らんだものと思っておくのがよろしいでしょう」
「でも、何かがあるかもしれないね」
「それは否定できませぬ。人が噂を作る時、まったくの無から生まれることもありますが、時に小さな真実の欠片が芯となることもございますゆえ」
いい言葉だ。
小さな真実の欠片。その響きだけで、十分に行く理由になる。もっとも、今すぐ向かう理由にはならないが。
私は名残惜しさを覚えながら、街道の先へ向き直った。
「では、浮き島観光は今後の楽しみに取っておこう。まずは岩槍の広場だ」
「ええ。あちらもまた、見応えのある場所ですぞ」
再び歩き始める。
浮島群は目的地から外れた遠方にあるはずなのに、しばらくの間、視界の端に残り続けた。歩く角度が変わるたび、島々の重なりが少しずつずれる。
大きな島の下を霧が流れ、小さな島の影が空に薄く溶けていく。現実では見られない景色なのに、不思議とこの世界では当然のものとして空にあった。
街道の周囲も、少しずつ表情を変え始めた。
草地はまばらになり、地面に露出する岩が増えていく。土の色は湿った黒から灰色がかった褐色へ変わり、足元の石畳にも鋭い砂粒が混じるようになった。遠くでは風が岩肌に当たり、低い笛のような音を立てている。
空に浮く島々の幻想的な美しさを眺めた後だからこそ、目の前の大地の荒々しさが際立った。
やがて、街道の先に異様な影が見え始めた。
最初は山だと思った。
だが、近づくにつれて違うと分かる。連なる稜線ではない。巨大な何かが、地面から一本ずつ突き出している。遠近感がおかしくなるほど太く、高く、鋭い岩の柱が、広大な範囲に偏在していた。
「……あれが、岩槍の広場か」
自然と声が低くなる。
そこは広場という言葉から想像するような、開けた平坦な場所ではなかった。
大地そのものが裂け、内側から無数の岩槍を突き上げたような場所だった。一本一本があまりにも大きい。細いものでも巨大な塔ほどあり、太いものはサンクティンに残っていたビルと見紛うほどの質量を持っている。その先端は天へ向かって鋭く尖り、曇天を突き破ろうとしているように見えた。
完全に等間隔で並んでいるわけではないようだ。密集している場所もあれば、ぽっかりと空いた場所もある。
傾いたもの、真っ直ぐ屹立するもの、途中で折れて巨大な刃の断面を晒しているもの。その全てが、長い時間をかけて風雨に削られ、表面に黒い筋や白い鉱脈を浮かべていた。
あまりの衝撃に、ただ見上げることしかできない。
首を傾けても、先端まではすぐに視界へ収まらなかった。空へ向けて伸びる岩の輪郭を追っていると、自分の身体がひどく小さくなったように感じる。
機械の身体で、銀牙を持ち、瘴人や旅人を斬ったところで、この大地そのものの前ではただの小さな駒でしかない。
それが、少し腹立たしく、同時に心地良い。
「壮観だね」
「ええ。これが岩槍の広場ですぞ」
ロヨンの声にも、自然と敬意が混ざっていた。
「この岩々は、かなり古くからある自然物だと伝えられております。サクス文明より前からあったとも、神々の時代に既に屹立していたとも。正確なところは分かりませぬが、少なくとも人の手によるものではありますまい」
「自然物にしては、あまりにも形が派手だ」
「母なる大地は、時に人の想像より大胆な造形をなさいますからな」
ロヨンは杖を静かに持ち直し、近くにそびえる岩槍へ目を向けた。
「古くから、ここは様々な形で祀られてきました。時代や土地の民によって意味は変われど、この場所が特別なものとして扱われてきたことは確かですな」
岩槍の根元には、確かに人の痕跡があった。
風化した小さな石積み。割れた供物台のような平石。色褪せた布切れが結ばれた古い杭。どれも長い年月に晒され、今では祈りの形だけが残骸として残っている。それでも、誰かがここに立ち、何かへ頭を垂れたのだということだけは分かった。
「神聖な場所というわけか」
「多くの者にとっては、そうでしょうな」
「その先に、邪神の祭壇があるという噂が広まっているのは皮肉だね」
私がそう言うと、ロヨンはゆっくりこちらを見た。ガスマスク越しで表情は分かりにくいが、その沈黙には静かな熱があった。
「まったくですな。邪神ではなく、我々に素晴らしい叡智を授けてくれたサクスザント様ですぞ!」
「いつか多くの神々を跪かせてやろうではないか、お前たちのせいでアビステイカーに襲われたのだ、あの時の愚行がなければ、きっと今頃人類は別の大地を耕すまでになっていただろう、と」
「素晴らしい。そうですな、それがよろしい」
ロヨンは満足げに頷き、岩槍の間を抜ける細い道筋を示した。
「この広場を越えた少し先に、古き機神サクスザント様を祀っていた祭壇がある、という噂がございます。確たる証拠があるわけではありませぬ。ですが、サンクティンの外縁部に残る古い話、旅の神官が書き残した断片、そして岩槍の広場に伝わる禁足の言い伝え。それらを繋ぎ合わせると、どうにも無視できぬ場所が浮かび上がるのです」
「それが今回の目的地というわけだ」
「ええ。ルイス殿が機神様の御跡を求めるなら、訪れる価値はあるはずです」
私は岩槍の群れを見上げた。
空の浮島群は美しかった。あれはいつか見に行きたい。だが、こちらにはこちらで別種の魅力がある。地面から天へ伸びる無数の岩槍。その先に、サクスザント様を祀った祭壇があるかもしれない。
もし本当に何かが残っているなら、私にとって大きな意味を持つ。
祈りか、力か、情報か。それとも、ただの壊れた石積みか。
どれでも構わない。重要なのは、そこへ行き、この目で確かめることだ。
「いいね。観光としても、信仰としても、探索としても悪くない旅路だ」
《周辺地形、遮蔽物多数。視界不良箇所あり。移動時の警戒を推奨します》
「分かってる。せっかく美しい場所に来たんだ。つまらない不意打ちで台無しにされたくはないからね」
私は銀牙の柄に左手を添えた。
岩槍の間から風が吹き抜ける。低く、長く、まるで巨大な笛の中にいるような音だった。空では雲が流れ、遠くの浮島群は薄い霞の向こうへ沈みつつある。
ああ、やはり自然は美しい。
そして、この美しい世界のどこかに、絶望と混沌を撒き散らすための種が眠っている。
私は口元に笑みを浮かべ、岩槍の広場へ足を踏み入れた。
GoAの世界には特殊な自然が溢れていることの示唆です。
こんなのは序の口で、もっとおかしな土地や構造物が沢山登場する予定です。




