表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
〈Genesis of Anomaly〉〜恩寵という名のデバフを盛るほど強くなるVRMMOで、盛れるだけ盛ったオンボロ機械兵器のお話〜  作者: 月麗 ジアマリ
第三章▼恩寵の克服▼

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

50/84

第48話『憧れ』

 急に暑くなってきたので、皆さん水分補給を忘れずに!

 私は林さんを横目で見ながら、自分の足の運びに意識を集中させた。


 水を雑に蹴ると、余計な抵抗が返ってくるのが難しい点なのだ。力任せに進もうとすると、すぐ疲れてしまう。林さんの動きは、そうした無駄が少ないように見える。


 見た目はくたびれたサラリーマンだが、水中歩行に限れば、私の師匠みたいなものである。


 折り返し地点で一度止まり、壁に手をつく。冷たいタイルの感触が掌に伝わり、上がった体温を少しだけ落ち着かせてくれた。林さんも隣で呼吸を整えながら、何気ない調子で口を開いた。


「琉生くん、最近はゲームばっかり?」


 水中歩行の最中に出る話題としては、私たちらしいものだった。健康の話ばかりをしていると気が滅入るし、かといって天気の話だけでは時間が持たない。自然と、ゲームや最近見た作品の話に流れることが多い。


「ばっかりというほどではないですけど、まあ、かなり」


「若いねえ」


「林さんもやってるでしょう」


「やってる。そこは否定しないよ」


 林さんは楽しそうに笑った。その笑みは、普段の疲れた表情から少しだけ力が抜けたように見える。仕事や体調の話をしている時より、ゲームの話をしている時の林さんはわずかに若返る気がした。


「最近は〈Monster Battle Online 3〉だね」


「ああ、モンバトのVRMMO版ですか」


 私はすぐに思い当たった。


 〈Monster Battle Online 3〉。名前の通り、モンスターを育て、戦わせ、ときには一緒に冒険する人気シリーズの三作目だ。元々は据え置き機時代から続く老舗ゲームメーカーの看板タイトルで、世代を跨いで遊ばれてきた化け物みたいなシリーズである。


 VRMMO化された時は、懐古層と新規層が入り混じって大騒ぎになった。今でも根強い人気を維持しているあたり、看板作品としての地力は相当なものなのだろう。


 古参が語る伝統と、新規が求める快適さの両方をなんとか成立させているところに、開発陣の胃痛が感じられる作品として別の意味でも有名である。


 林さんは、そのシリーズの話になると少し声が明るくなる。


「なんだかんだ完成度が高いんだよ。老舗メーカーの執念というか、シリーズものの蓄積というかさ。派手な新しさはそこまでないけど、触ってるとなんだか安心するんだ」


 水の中を再び歩き始めながら、林さんはゆっくりと言葉を続けた。ひとつ話すたびに呼吸を整え、歩幅を崩さない。その横顔を見ながら、私はこの人が王道の物語を好む理由が少しだけ分かる気がした。


 モンスターが懐いてくれる。町の人がちゃんとお礼を言ってくれる。世界が分かりやすく危機に瀕していて、自分の行動が少しずつ良い方向へ積み重なっていく。


 疲れた大人には、そういうものが必要なのかもしれないね。


「林さん、そういう王道系好きですよね」


「疲れた大人には王道が染みるんだよ」


 林さんは短くそう言ってから、ちらりと私を見た。


「君が好きそうなゲームは、たぶん不健康寄りだろう?」


「否定はしません」


 私は水中で軽く肩を回した。


 実際、その評価はかなり正しい。明るく楽しい冒険より、陰鬱で、理不尽で、こちらの性格の悪さまで試してくるようなゲームの方が、どうにも肌に合ってしまう。


 もちろん多くの人が好む王道なハイファンタジーも嗜むが、それも長くは続かないのだ。そこで私のプレイスタイルを嵌め込もうとすると、なんだか息苦しさを感じてならないのだ。


 林さんも、私のそういうところは何となく察しているのだろう。責めるでも引くでもなく、ただ少し呆れたように笑っている。


「ポラリスの新作、やってるんだよね。ジェネシスなんとかっていうやつ」


「〈Genesis of Anomaly〉ですね。通称GoA」


「ああ、それそれ。紹介映像だけ見たよ」


 そこで林さんは一拍置いた。思い出すように視線を斜め上へ向け、すぐに眉間へ皺を寄せる。


「いやあ、陰鬱な世界だったねえ」


 あまりにも率直な感想だったので、私は少し笑ってしまった。


「酷かったですか?」


「うん、酷かったよ。あと、開発者の性格が悪そうだった」


「それはたぶん褒め言葉ですよね?」


「君にとってはそうかもしれないね」


 林さんは呆れたように笑いながら、折り返し地点の壁に手をついた。私も隣で一度止まり、乱れかけた呼吸を整える。水面が二人の体にぶつかって、小さな波を作っていた。


 その名前を聞くと、GoAの世界が浮かび上がる。


 荒廃した風景。異形。過去に沈んだ文明。恩寵アノマリーという、便利さと厄介さが同じ顔でこちらを見てくるようなシステム。


 確かに、健康的なゲームとは言い難いかもしれないね。ログアウトした後でさえ、あの世界の金属の軋みや、湿った地下の匂いのようなものが意識の奥に残ることがある。


 けれど、私にとってはその暗さこそ魅力だった。


 優しい世界を救うより、どうしようもない世界の底を覗き込む方がずっと面白いだろう?


 そこに何が沈んでいるのか、どんな悪意が仕込まれているのか、どこまで利用できるのか。そういうものを考える時、私は自分でも少し性格の悪い顔をしているのだと思う。


「林さんはGoA、やらないんですか?」


 私が尋ねると、林さんはすぐには答えなかった。水中で指を開閉し、しばらく自分の手の動きを確かめている。疲れの具合を測っているのか、あるいは本当に考えているのか、その表情からは読み取りにくい。


「今のところはモンバトで手一杯かな。仕事終わりに少し遊んで、育成して、イベントをこなして、寝る。それで十分忙しい」


 堅実な答えだった。


 林さんらしいと思った。自分の体力と時間を見積もり、その範囲内で楽しむ。ゲームでさえ、無理に抱え込まない。その姿勢は、私には少し眩しい。


 けれど、林さんはそこで言葉を切らなかった。


「ただ、近々覗いてみるかもしれない」


「本当ですか!?」


 思ったより勢いよく声が出た。林さんが少し目を丸くする。私は自分の反応が分かりやすすぎたことに気づいたが、今さら取り繕うほどでもない。


「そんなに?」


「はい。林さんがどういう反応をするのか、かなり見たいです」


「私が苦しむところを?」


「楽しむところを、です」


 返事をするまでのわずかな間に、林さんの視線が疑わしげに細くなった。私はなるべく平然とした顔を保ったが、たぶん完全には隠せていない。


 正直に言えば、林さんがGoAでどんな目に遭うのかには興味がある。王道のモンバトを安心すると評する人が、ポラリスの不親切で悪趣味な世界に放り込まれた時、どう適応するのか。


 あの魔境に順応するのか、拒絶するのか、それとも案外あっさり楽しむのか。


 人の反応を見るのは楽しい。何かしらの反応集をついつい見てしまうのと同じ心理だ。特に、自分が面白いと思う地獄を誰かが初めて覗き込む瞬間は、私の健康にかなり良い。


 林さんは私の内心を完全に見抜いたわけではないだろうが、何かを察したように苦笑した。


「始めたら教えるよ。あーあ、ポラリスだろう?どうせろくな目にあわないよ……」


「楽しみにしときます」


「はあ」


 林さんはため息をついたが、声には笑いが混じっていた。


 その後も、私たちはしばらく並んで歩いた。会話は途切れ途切れで、間には水を押し分ける音と、遠くのレーンから響く水飛沫の音が入った。


 林さんは最近の体調を短く話し、私はプールに来る時間帯を少し変えたことを話した。施設の自販機に増えた妙に高い栄養ドリンクの話では、二人して「あれは効きそうな顔をしているだけだ」という結論に落ち着いた。


 林さんの話は、いつも少し疲れていて、少し現実的で、それでいてどこか諦めきっていない。そういうところが、私は好きだ。


 頑張れば何でもできる、などとは軽々しく言わない。気合いでどうにかなる、とも言わない。できないことはできないと認めたうえで、それでもまだ残っている選択肢を実直に拾い上げる。


 林さんの強さは、派手な前向きさではなく、床に落ちた小銭を一枚ずつ拾うような粘り強さにあった。


 その姿勢は、私にとってかなり眩しい。眩しいが、目を逸らしたくなるほどではない。むしろ、時々こうして近くで見ていたくなる。なんとなく、その健気さに肖れる気がするから。


 何往復したのか分からなくなってきた頃、私は壁に手をついて立ち止まった。太腿の奥が重く、膝の周りにもじわじわと疲労が溜まっている。これ以上やると、明日の私が文句を言いながら寝込む可能性がある。


「そろそろ上がります」


 短く告げると、林さんも無理に続けようとはしなかった。


「私もそうするよ。今日は十分働いたし」


 水から上がる瞬間、体にお馴染みの重さが戻ってくる。さっきまで水に預けていた分が一気に肩や腰へ乗ってきて、私は思わず手すりを強く握った。


 足裏が濡れた床に触れる。滑らないよう慎重に一歩を置いた。


 その瞬間だけ、小さな緊張が走ったが、私は何事もなかったように歩きだした。林さんは少し前を歩きながら、こちらを振り返らない。けれど、私の歩幅に合わせるように速度を落としているのが分かった。


 更衣室へ戻り、シャワーで塩素の匂いを流す。温かい水が肩に当たると、張っていた筋肉がわずかに緩んだ。


 脳裏に古い記憶の端が掠れた気がして、私は目を閉じずに顔を上げたまま髪を洗った。


 着替えを終える頃には、体はすっかり重くなっていた。


 衣服の布地が肌に触れる感覚すら、運動後は少しだけ煩わしい。ロッカーの扉を閉め、荷物を肩にかけると、背中から腰にかけてじんわりと疲労が広がった。


「あー……疲れた」


 思わず声に出た。


 更衣室を出ると、先に着替えを終えた林さんが自販機の前で水を買っていた。濡れた髪を雑に拭き、いつものくたびれた雰囲気をまとい直している。プールの中では少しだけ軽く見えた体も、陸に戻れば現実の重さを思い出すのだろう。


 それでも林さんは、こちらに気づくと片手を上げた。


「琉生くん、はいこれ、水。じゃ、またね。GoAを始めたら連絡するよ」


 林さんのスマートな行動に思わず感動する。これができる大人かあ。


「ありがとうございます。首を長くして待ってますね」


「お手柔らかに」


「それはゲーム側に言ってください」


 林さんは「一番信用できない返事だ」とでも言いたげに苦笑し、施設の出口へ向かって歩いていった。その背中はやはりくたびれていて、少し頼りなく見える。


 私はその姿を見送ってから、林さんから手渡された冷えた水を一気に流し込んだ。喉を通る冷たさに小さく息を吐き、肩の荷物を持ち直す。


 疲れた。本当に疲れた。


 けれど、悪くない疲れだったのではないだろうか。水への恐怖を少しだけ踏み越え、鈍りかけた体に少しだけ負荷をかけ、林さんといつものように話せた。その結果としての疲労なら、まあ、受け入れてやってもいい。


 まあ、私はこの体を捨てていないからね。捨てられない以上、最低限の手入れくらいはしてやる必要がある。


 近々、あの人がGoAを覗くかもしれない。


 そう考えると、疲労の奥で小さな楽しみが灯った。あの暗くて、悪趣味で、きっとろくでもない世界を、林さんがどう歩くのか。


 その姿を想像しながら、私はゆっくりとプール施設を後にした。

 作中の登場人物の名前が漢字一文字なのは、まったくの偶然です(T_T)


 ファンタジー作品に多くある格好良い響きの苗字は、個人的になんだか小っ恥ずかしくて、在り来りな名前を好き好んでいる結果、こうなってしまいました……。


 島、森、林と、なんでやねんと言いたくなる並びですが、後々出てくる人々で調整しようと考えています。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ