第47話『運動日和』
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玄関の扉を開けると、冷えた外気が顔に触れた。
思わず吐いた息が、薄く白に染まる。ほんの一瞬だけ形を持ったそれは、すぐにほどけて夜とも朝ともつかない街の色に混ざっていった。
私は肩にかけたプールバッグの紐を少し持ち直し、背後にあるドアの鍵が閉まったことを確かめてから、ゆっくりと歩き出した。
家の中に残っていた温度が、背中から少しずつ剥がれていく。
さっきまで私は、あのGoAの中にいた。荒れた道を進み、嘲り、戦って、不自由な身体を動かしていた。そんな過酷な世界とは異なり、ここ日本はずっと穏やかだ。
よく分からない電波塔、白線。閉じたシャッター。自動販売機の明かり。遠くを走る自動車の音。我が国が誇る東京はずっと先進的な都市だけど、この地はまだギリギリ地方都市の矜持を保っている。
しかし、再開発の計画が練られているとのことなので、直にこの風情ともお別れだ。
寒さのせいか、虚弱のせいか、相変わらず足取りが重い。嫌になるよ。
ゲームの中でどれだけ動いても、こちらの体が都合よく鍛えられることはない。むしろ、向こうで動けていた分だけ、現実の体のぎこちなさが目立つことがある。
ゲームの中で鍛えられたなら、今頃私の体はゴリゴリのマッチョマンだったに違いない。
そんなのは置いておくとして、今日はプールへ行く日だ。行きたいから、というより、行かないと後が面倒になるという理由からである。そういう制度云々とい話ではなく、この体のコンディションに関するお話だ。
バッグの中には水着とタオルと替えの服が入っている。中身だけ見れば健康的な人間の休日みたいだが、私の場合はもう少し切実だった。体を強くするためというより、健康に保つための欠かせない習慣である。
歩いているうちに、吐く息の白さは何度も目の前に現れては消える。
信号待ちの間、私はぼんやりとそれを眺めていた。白くなった息は、まるで自分の中にまだ熱が残っている証拠みたいだった。そう考えると少しおかしい。自分の体に熱があることを、目で見て確認している。
うん、何を言っているんだ?
道沿いの植え込みには、冬の湿った匂いが残っていた。コンビニの前を通ると、揚げ物の油とコーヒーの匂いが混ざって流れてくる。中に入れば温かいのだろうが、入ったらそのまま帰りたくなりそうだったので、私は視線だけ向けて通り過ぎた。
今私が歩いているこの道は、ぼんやり歩くにはちょうどいい道だった。
考えごとをしていても迷わない。何度も通っているから、足が勝手に曲がる場所を覚えている。横断歩道を渡り、少し古い住宅街を抜け、馴染みの公園の横を通る。
遊具の金属部分が街灯を受けて鈍く光っていた。昼間なら子供の声が響いている場所も、この時間は静かで、ブランコだけが冷えた空気の中に並んでいる。
突然だが、私は水が怖い。そのことを、私はいつまでも忘れていない。
忘れていないのに、こうして水のある場所へ向かっている。怖いものを避けるためではなく、怖いものの近くで体を動かすために、寒い中をわざわざ歩いている。
プール、川、海。
不思議なことに、私にとっての思い出したくない記憶は、なぜか水辺に揃っている。湯船に浸かっているだけで、ふと昔の感覚が浮かび上がることもある。沈む感覚。音が遠ざかる感覚。足がつかない場所で、体の向きが分からなくなる感覚。
まあ、だからどうしたという話なのだが、我ながら数奇な運命だなと思わずにはいられない。
怖いから近づかない、という選択だけで済むほど、私の体は素直にできていないのだ。この体が弱れば、それでまた動くのが億劫になる。その繰り返しに入ると、戻るのに余計な時間がかかる。
やがて、前方に市民プールの建物が見えてきた。
派手さのない、四角くて実用的な建物だ。入口のガラス戸からは白い光が漏れ、館内の暖かさが外からでも少し想像できた。自動ドアの前に立つと、冷えた頬に室内の空気がふわりと触れる。
私はぼんやりとしたまま市民プールの中へ入った。
私が通っているプールは、競泳選手が一秒でも速く水を切るための場所というより、もう少し生活に根ざした施設である。
泳ぐためのレーンもあり、時間帯によっては水泳教室の子供たちが賑やかに水飛沫を上げている。だが、私が利用する時間帯に目立つのは、水中歩行用に区切られた浅めのレーンを、一定の速度で往復する年配の方々だ。
昔のテレビ番組などでよく見る、あれである。
両腕を水の中でゆっくり前後に振り、膝を少し高く上げながら歩く。健康番組や市民プールの紹介映像に映っていそうな、穏やかで地味な運動だ。
リハビリというほど大袈裟なものではない。
少なくとも私の場合、怪我をした部位を元通りに動かすための訓練ではなく、どちらかといえば、何もしなければすぐ鈍っていく体を、どうにか人間として扱える範囲へ留めておくための、地味で、退屈で、それでも確かな意味を持つ習慣である。
私の体は、何もしないでいると本当にすぐ弱る。
少し寝込んだだけで、筋肉は萎えたように重くなり、階段の上り下りすら小さな試練へ変わる。健康な人が言う「運動不足で体が鈍る」という感覚とは、たぶん少し質が違う。怠けた分だけ戻るのではなく、手を離した瞬間に坂道を転がり始めるものを、毎回なんとか拾い上げているような感覚に近い。
男性用の着替え用に誂えられた部屋に入り、そのまま水着へと着替えてドアを抜ける。体を水に慣らすための優しいシャワーを浴び、そのまま施設のメインへ直行した。
プールサイドから眺める光景は、なんというか地味そのものである。年配の方がプールの中を往復する様子を見て、私もそれに従うように入水した。
周囲を歩く年配の方々は、私よりずっと自然に運動をこなしていた。
同じレーンを利用している白髪の女性は、背筋をすっと伸ばしたまま、毎回きれいに腕を振っている。別の男性は、隣の人と世間話をしながらでも速度を崩さない。
私からすると、あれはもう達人の域だ。プールの中をゆっくり歩くという行為に、年季と生活の重みが宿っている。
私は彼らの邪魔にならないよう端へ端へと寄りながら、折り返し地点で壁に手をついた。
「ふう……」
口から漏れた息が、自分でも少し情けない。
泳いだわけでも、走ったわけでもない。ただ水の中を数往復しただけだ。それでも心臓は律儀に仕事をしているし、呼吸も少し深くなっている。
私は壁から手を離し、もう一度歩き出した。水面が胸の前で小さく割れ、照明の白い光が細かく揺れる。水の匂い、塩素の匂い、何やら話し合う御老人の声、監視ロボの笛の音。そうしたものが混ざった空間の中で、私は慎重に足を運ぶ。
水が怖い私にとって、水中歩行はなかなか悪趣味な習慣だと思う。自分の弱さを維持するために、自分の恐怖へ定期的に足を踏み入れているのだから。
三度目の折り返しを終えたところで、隣のレーンから水を押し分ける音が近づいてきた。一定の歩幅で、急がず、必要以上に遅くもない。何度も同じ場所で会っている人間の気配というのは不思議なもので、声をかけられる前から、私は相手が誰なのかだいたい分かっていた。
「お、今日も来てるね、琉生くん」
私は水を押し分けていた腕の動きを止め、声のした方へ顔を向けた。
そこにいたのは、くたびれたサラリーマンを絵に描いたような中年の男性だった。水泳帽の下から覗く髪には白いものが混じり、目元には慢性的な疲れが薄く張り付いている。プールに入っているのに、なぜかスーツの上着を片手に駅のホームで溜息をついていそうな雰囲気が消えない。
林隼人さんだ。
年齢は私よりかなり上で、初めて会った時からずっと「さん」付けで呼んでいる。本人はもっと気楽でいいと言うが、私はこの人を内心かなり尊敬しているので、呼び捨てや変なあだ名で呼ぶ気にはなれなかった。
「林さんも来てたんですね」
私がそう返すと、林さんは水の中で肩をすくめた。くたびれた表情のまま、腰のあたりを軽く叩く。その仕草に悲壮感はなく、いつもの冗談めいた諦めが滲んでいた。
「来てたというか、来させられたというか。家にいると、体が椅子と同化しそうでね」
林さんはそう言って、私の横に並ぶように歩き始めた。歩幅は私より少し広いが、速度は自然に合わせてくれている。こういうところがこの人らしい。気を遣っていることを、相手に気づかせすぎない。
「椅子と同化はまずいですね。新種の家具になってしまう」
「そうなったら治験より稼げるかもしれない。人類初、座ると愚痴を言う椅子」
くだらない冗談なのに、林さんが言うと妙な説得力があった。私は思わず笑い、胸元の水面が小さく揺れた。
私と林さんが知り合ったのは、このプールでのことだった。
お互いに虚弱と言ってしまえば一言で済むが、抱えている事情はそれぞれ違う。病名や体質の細部を聞いたこともあるが、すべてを正確に理解している自信はない。
なにやら長ったらしい横文字の名前の先天性疾病を抱えているそうで、それを克服するために努力を続けているらしい。
普通に生活するだけでも人より多くの調整が必要で、普通に働くだけでも人より多くの工夫がいるという点で、私たちは少し似ていた。
林さんは、私よりずっと先を歩いている人でもある。
私たちのような体を持つ人間は、検査や治験への協力を求められることがある。場合によっては、それだけで生活できる程度のお金が入る。妙な話だが、私たちの不便や苦痛には、研究上の価値がつくのだ。
もちろん林さんもその恩恵を受けている。
正直、何もしなくても生活できるだけの収入があるなら、それに寄りかかってしまう人もいるだろう。私だって、その気持ちは分かる。実際に今はそれで生活しているからさ。
体調の波に生活を振り回されるのは、本当に面倒だ。毎朝、今日は動けるのか、どこまで動いていいのか、そんなことを考えるだけでうんざりする日もある。
けれど林さんは、それだけで終わらなかった。
自分にできる仕事を探し、何度も失敗して、働き方を調整し、それでも続けられる場所を見つけた人だ。完全なフルタイムではないらしいし、健康な人と同じようには働けない。それでも彼は、自分の体に合わせた形で社会に居場所を作った。
そこが凄い。綺麗事ではなく、本当に凄いと思う。
「今日は調子良さそうですね」
私がそう言うと、林さんは少し目を細めた。プールの照明が水面に反射して、その表情を柔らかく揺らす。
「そう見える?」
「少なくとも、この前よりは」
「ああ、あの日はだめだった。足が自分の所有物じゃなかったからね。今日はなんとか借り物くらいには戻ってる」
その言い回しが林さんらしくて、私は少しだけ口元を緩めた。笑っていい話ではないのだろうが、本人が笑える形に整えて差し出してくれるから、こちらも必要以上に重く受け取らずに済む。
「借り物でも歩ければ勝ちだよ」
林さんはそう付け加え、水の中で膝を上げ、ゆっくりと一歩を踏み出した。その動きは軽快とは言い難い。周囲を歩く御老人の方がずっと上手く歩けているだろう。
けれど、少なくとも私よりはずっと滑らかだった。自分の体の限界を知っていて、その範囲内で最大限に扱う人間の動きだ。いったい今までにどれだけの苦労を重ねてきたのだろうか。
水辺での臨死体験に関するお話は、まんまジアマリの体験談です。どういうわけか、毎回水辺に遊びに行くと危ない目にあうんですよね……。悲しい。




