第43話『不愉快な初邂逅』
ロヨンが杖を鳴らし、私たちは岩槍の広場へ向かう古道へ戻った。
さっき腰を下ろしていた草地は、振り返るたびに小さくなっていく。敷石はところどころ沈み込み、割れ目から黒ずんだ土が覗いていた。人の足が絶えていない証拠のように、踏み固められた跡が細く先へ続いている。
やはり瘴気は明確に人体への悪影響があるんだなあ。
美しい景色の裏側に、そういう破滅が普通に混ざっている。
ただ綺麗なだけの世界なら、私はここまで夢中にならなかったかもしれない。旅の高揚も、瘴気の不気味さも、誰かが人でなくなる理不尽も、すべてが同じ重さで世界に息づいてる。そういう容赦のなさが、ゲームとしての手触りをより一層濃くしていた。
考えがそこまで流れたところで、ふと掲示板で見た情報を思い出した。
アルマッド方面で生まれ落ちた旅人たちは、すでに街道沿いの狩場や古い遺跡について情報を集め始めている。商人から聞いた噂。神殿関係者が口にした禁忌の土地。冒険者のような連中さえ避けて通る危険な古道。その中に、サンクティンと明言されてはいないものの、廃ビルが偏在する都市を思わせる話がいくつか混じっていた。
その時は、どうせ遠い場所の話だろうと読み流していた。
しかし、ロヨンの地理感覚と照らし合わせると、完全な別地方とも言い切れない。瘴気と瘴人のせいで普通の住人は近づきたがらない場所。そう聞けば、旅人にとってはむしろ格好の探索先に見える。
私が地下で修理だの腑分けだのゲートだのにかまけている間に、外の旅人たちはもうこの周辺へ手を伸ばし始めているのかもしれない。
誰かがログインしていない間にも、別の誰かは動く。街を見つけ、依頼を受け、住人と関係を築き、得た情報を掲示板へ投げていく。私がサンクティンで濃密な経験を積んでいたとしても、世界全体の進行から見れば、かなり特殊な寄り道をしていたことになる。
また、彼との会話にも、だいぶ馴染んできた。機神様やサクスドルフの話になると時々危険な方向へ跳ねるが、普段の彼は思ったより付き合いやすい。大地や旅に対する言い回しは独特で、時に芝居がかって聞こえる。それでも、その奥には実地で身につけた判断力がある。
だから、彼が足を止めた瞬間、私も自然と歩みを止めた。杖の石突きが、敷石を軽く叩き、カン、と乾いた音が鳴った。ロヨンはすぐには口を開かず、ガスマスクは古道の先へ向いている。
「ロヨン?」
声を落として尋ねると、彼は片手をわずかに上げた。
待て、という仕草だ。
私も視線を伸ばす。
曲がりかけた道の向こう、路肩の低木が切れたあたりに人影があった。最初は枝ぶりの歪な木かと思ったが、すぐに違うと分かる。足があり、腕があり、装備らしきものが光を返している。こちらと同じように道を歩いてくる一団だ。
先程のように見るからに怪しいゴブリンというわけではなく、度に必要な装備を誂えられる知恵を持った存在だ。
《前方に五名。体格、歩行姿勢、外見的特徴より、全員ヒューマン系種族である可能性が高いと推定します》
「ヒューマンか」
種族選択の時に最初に見た、最もオーソドックスな種族。説明によれば、たしか環境適応力が高く、人口が最も多く、受け入れられる恩寵の幅も広い。森に山に海にと、あらゆる環境で生きていくことができると書かれていた。要するに、この世界における最も一般的な人族と言っていい。
前方の五人は、まさにその説明に近い姿をしていた。
先頭を歩くのは、赤髪をツンツンと跳ねさせた少年だった。腰に中程度の片手剣を下げ、背筋を必要以上に反らしている。隣には同じくらいの金髪少女がいて、彼の袖を軽く引きながら何かを言っていた。その背部には彼女の半分ほどの大きな斧が。
後ろには緑髪革鎧の少年が一人。左手に中程度の盾、右手に短槍を持って肩に担ぎ、視線を忙しく動かしている。その横には短い杖を大事そうに抱えたピンク髪の少女。最後尾に近い位置には、私と同じくらいの年頃に見える青髪の青年がいて、背中の大剣の柄を握りながら周囲を見渡している。
少年二人、少女二人、青年一人。
構成だけを見れば、駆け出しの冒険者パーティそのものだ。掲示板に投稿される記念写真の一枚目にでも載っていそうな、分かりやすいオーソドックスな組み合わせだった。
剣士、戦士、タンク、魔法使い、それから……なんだ、これまた戦士?一見最後尾の彼がリーダーのように見えるが、先頭の少年もこのパーティを率いているように見えるのが不思議だ。
それに、盾を装備しているタンクと思しきメンバーが中衛にいるのはどういった意図があってのことだろうか。
「あれらは旅人様方でしょうな」
ロヨンが低く言う。
「旅人、見たことないんじゃ?それとも、考えるまでもなく住人に見えない?」
「この辺りを、住人があのような軽い足取りで歩くとは思えませぬ。危険を知らぬか、知ってなお軽んじているか。そのどちらかでございましょう」
「なるほど。どちらにしても旅人らしい」
私は銀牙の柄から手を離さなかった。
初めて会う他の旅人。
普通なら、もう少し別の感慨があってもいい場面だ。情報交換の機会であり、外の進行度を知る貴重な相手でもある。うまくやれば、サンクティン周辺の情報を高く売れるかもしれない。
ただ、私たちの見た目はかなり目立つ。
白い外装を持つ機械種の私。二メートル近い長身にガスマスクをつけたロヨン。傍から見れば、普通の旅人二人組にはまず見えないだろう。しかも、私の身体には欠損した右腕があり、片目には青い光が灯り、胸部の奥ではリアクターが赤く瞬いている。
穏当にいくなら、まず会話。必要なら情報を引き出し、面倒なら距離を置く。無駄に争う理由は、まだない。
そう考えた直後、身体の内側を何かが撫でた。
ぬるり、と。
見えない指先が、装甲の隙間から神経めいた配線へ触れてくる。それは痛みではない。熱でもない。だが、不愉快さだけが鮮明だった。
《簡易鑑定を検知。発信源は前方五名のうち、先頭側の少年と推定。情報抽出深度は不明です》
掲示板で読んだ通りだ。
この世界で鑑定を受けると、人は不快感を覚えることがある。理由はまだはっきりしていない。一方的な情報閲覧が魂や恩寵に触れるからだとか、神々の庇護する種族が一方的に鑑定されたことに気付けるようにするための工夫だとか、説はいくつか流れていた。
理由が何であれ、このゲームが開始する以前から存在する、非常に分かりやすい絶対の暗黙の了解は単純だ。
すなわち、見知らぬ相手へ、なんの断りもなく鑑定を飛ばすな。
便利な能力だからこそ、使いどころを間違えれば喧嘩を売ったと見なされる。相手が住人ならなおさら面倒だ。地域によっては、その場で武器を抜かれても文句は言えないらしい。
それを、あの少年はやった。
前方の先頭にいた少年が、こちらを見ながらにやついている。隣の少女が何かを言い、彼の腕を軽く叩いた。勝手に鑑定したことを注意しているのだろう。だが、その手つきに切迫感はない。場を荒らさないために形だけ整えようとしている程度だった。
「マリー。今の鑑定、どれくらい抜かれた?」
《詳細不明。ただし、ルイス様の機体構造および恩寵は通常の簡易鑑定と相性が悪い可能性があります。相手側が十分な鑑定情報を取得できたとは限りません》
「つまり、向こうも中途半端に見たかもしれないわけだ」
《はい。不完全な情報に基づく誤認に注意してください》
実に嫌な助言だ。
中途半端な情報は、無知より面倒なことがある。見えなければ警戒で止まる者も、少しだけ見えたことで分かった気になる。まして相手が軽率なら、その危うさは跳ね上がる。
「ロヨン。今の、分かった?」
「ええ。無遠慮な目がこちらへも伸びてきましたな。礼節を知らぬにもほどがあります」
不機嫌そうな様子を隠そうともしないその言葉に、少し笑ってしまう。
《対象五名との距離、約三十メートル。相手側に減速傾向》
「このまま行けば、ちょうどぶつかるな」
《はい》
「避ける?」
《戦闘回避を最優先する場合、左方の植生帯へ退避する選択肢があります。ただし、あちらの注意が完全にこちらに向いている場合、追跡される恐れがあるため推奨できません》
「つまり、わざわざこちらが避けるには割に合わない、と」
《表現としては概ね適切です》
私たちはそのまま歩いた。こちらには何ら恥じ入る点がない初邂逅だ。どんなファーストインプレッションなのだろうか。
同じく向こうも止まらない様子だし、これは会話になるだろうな。
徐々にお互いの距離が縮まる。相手の革鎧の縫い目の甘さや、剣の鞘についた浅い傷まで見える位置で、どちらからともなく足が止まった。
沈黙が落ちる。
私は無言で、件の少年を見た。
少年は視線を受けても怯まない。むしろこちらの沈黙を、何か都合の良いものと勘違いしたのか、口元をさらに歪めた。
「おい、プレイヤーだったのかよ。チッ、おかしな組み合わせだから鑑定しちまったじゃねえか。分かりにくい見た目しやがってよ」
最初の一言で、私の中で会話する価値が大きく削れた。それはロヨンも同様のことだったようで、明らさまに警戒度を数段下げた。
若い。外見年齢だけなら中高生くらいだろうか。仮想世界の姿をそのまま信じるわけにはいかないが、言葉の選び方と態度を見る限り、精神の方は見た目にかなり近そうだった。
隣の少女が、眉を寄せる。
「だから、勝手に鑑定するのやめなって言ったじゃん。相手がプレイヤーでも普通に失礼だよ」
プレイヤーじゃなくても失礼だと思うが。
「いや、だって怪しいだろ。機械人形みたいな奴と、ガスマスクのデカい奴だぞ?特別なNPCとのイベントかだと思うだろ、普通よ」
後ろの少年が、こちらをじろじろ見ながら笑った。
「でも鑑定、通らなかったんだろ? 何か隠蔽系持ってんの?」
「おい、聞くなよ。そういうの掲示板だと揉めるって」
青年が軽く止める。だが、その声も笑っていた。制止というより、揉め事になった時に自分は止めたと言える程度の動作だ。
短杖を持つ少女も、興味深そうに私たちの身体を見ている。
「でも、機械種って初めて見たかも。掲示板でスクショ見たのとは違うね。この人はもっと壊れてる感じ?」
「片手無いし、戦闘明け?」
勝手にぺちゃくちゃぺちゃくちゃと。蚊帳の外にされるのは困るな。
「スクショと比較されても困るな」
私が口を開くと、五人の視線が集まった。
「無断鑑定について、謝罪は?」
相手の出方を探る、短い問いだ。返答の何如によって、今後の対応が決まるだろう。
少年の表情が露骨に変わる。何を大げさなことを言っているのか、と顔に書いてあった。
「は? いや、だから間違えたって言ってんじゃん。紛らわしい見た目してるそっちも悪いだろ」
「なるほど。君の頭の中には、見た目が珍しい相手は勝手に覗いても許されるとい常識があるのか」
「そんな大袈裟に言うなよ、ただの鑑定だろ?ゲームに備え付けられたただの機能じゃんか」
少年は肩をすくめた。彼にとって本当にその程度のことなのだ。まるで鑑定し合うのは当然のことで、それを許容しない私たちの方がおかしいとでも言いたげな様子を隠そうともしない。
他のプレイヤーも同じ考えなのか、特におかしいとも思っていない表情でこのやり取りを眺めている。
「ゲームの機能なら何をしても良い、と」
私は軽く頷いた。
「分かりやすくて助かるよ。それならば、こちらも色々と判断しやすいからね」
少年の顔に、更に不快そうな色が浮かんだ。
すると、彼は私の足元から頭まで、舐めるように視線を動かした。白い外装。欠損した右腕。同じく欠損した右目。胸の奥に微かに見える赤い光。そして隣に立つロヨン。
その一つ一つをつぶさに観察しているのが分かる。
「つーか、やっぱお前、機械種なのかよ」
少年の半笑いの声が少し大きくなった。彼の声に釣られたタンクの少年が嫌な視線で口を開く。
「うわ、マジじゃん。邪神の眷属じゃねえか」
隣にいるからこそ分かる。ロヨンの内側で、抗い難い憎悪が増大し、目の前のクソガキ共をすぐにでも誅殺する準備を整えたことが。
複数投稿する予定です。




