第39話『穏やかな道中』
もしかしたらもう一話更新するかもです!
26/5/15
物語全体を考え、終盤の一部に加筆しました。
世界全体の話は面白いが、今の私たちが歩いているのはこの大陸だ。
七つの大陸があるだの、海の向こうに未知の陸地があるだの、そうした話は興味を惹かれるには十分すぎる。だが、いま気を払うべきなのは遠い土地の事情ではなく、目の前に続くひび割れた街道だった。
まずは、足元の地理を把握しなければならない。
ロヨンは街道のひびを避けながら、記憶を確かめるようにゆっくり答えた。
「私が地上を旅していた頃には、大きく四つの国があるとされておりました。アルラン、アルマッド、ゴンザザ、そしてミニッツラット。この四つが、ハルサイファン大陸における主要な国ですな」
「されていた、という言い方をするのはなぜだい?」
「私は十年前にサンクティンの調査を始め、三年前には地下へ取り込まれてしまいましたからな。今の地上がどうなっているのか、正確には分かりませぬ。国境が動いたかもしれませぬし、王が代わったかもしれませぬ。あるいは、どこかの国が大きな災いに見舞われたとしても、私は知る術を持ちませぬゆえ」
以前の会話から既に分かっていたことだが、十年前にサンクティンの調査を始め、三年前に地下へ取り込まれた。つまり、彼の知識は少なくとも三年前の時点で止まっている。
あの地下施設の中で生き延びるだけでも過酷だったはずで、地上の政治や戦争、街の噂まで知る方法などなかっただろう。
ただ、ロヨンの口から出た国名は、掲示板で得た情報と合致している。アルラン、アルマッド、ゴンザザ、ミニッツラット。少なくともこの四つがハルサイファン大陸における主要な国であるという認識は、今も大きく外れていないのだと思う。
もちろん、細かな政変や国境沿いの争いまで含めれば、三年の間に何かが変わった可能性はある。だが、それほど短い期間で大陸の主要国が丸ごと消えたり、国の体制が完全に入れ替わったりすることは、そう頻繁に起きるものではないはずだ。
それに、旅人の出現はごく最近の出来事である。
プレイヤーがこの世界に溢れ始めた時、ロヨンは地下にいた。だから彼は、旅人がどれほどの規模で現れ、どの国にどれだけ影響を及ぼしているのかを知らないだろう。
「ロヨンは、旅人が今どれくらいいるのかも知らないんだよね」
「ええ。ルイス殿から話を聞くまで、旅人様方がそれほど多く現れているとは思いも寄りませなんだ。サンクティンの地下では、噂ひとつ届きませぬからな」
「まあ、私の知る限りだと、すでに一千三百万人くらいはいるらしい」
「いっ……」
ロヨンの足が止まった。
杖の先が街道の石に当たり、こつんと乾いた音を立てる。彼は目を見開いたまま、私の真意を探るように私の方を見た。冗談か誇張だと判断しきれず、次の言葉を探しているような顔にも見える。
「いま、何と仰いましたかな」
「一千三百万くらい」
「……それは、もはや国の規模ではありませぬか」
「旅人の総数だよ。もちろん、全員がこの大陸にいるわけじゃないだろうし、常に全員が活動しているわけでもないけど」
ロヨンはしばらく黙った。
彼の反応は当然だ。現地の感覚で考えれば、一千三百万の異邦人が短期間で世界に現れたという話である。国によっては、都市や地方の人口規模どころか、国そのものに匹敵するかもしれない。
しかも、旅人は死んでも戻ってくる。恩寵を持ち、成長が早く、情報共有の速度も異常に速い。政治的にも軍事的にも、放置できる存在ではない。
「それほどの数の旅人様が、この母なる大地へ……」
ロヨンは噛み締めるように呟き、髭を撫でた。そこには驚きだけではなく、どこか畏れに近いものも混ざっているように見えた。
「多くは大きな街や、種族に縁のある地域へ生まれ落ちたみたいだよ。掲示板、ええと、旅人たちが離れた場所から情報をやり取りする場にて集まった話によると、この大陸の都市で目覚めた人もかなりいるらしい」
「離れた場所から情報をやり取りする……。旅人様方は、やはり不思議ですな」
「私も不思議だと思うよ。特に、自分がその一員になってからはね」
掲示板では、すでに各国の都市名や周辺の狩場、商店の相場、住人との付き合い方まで整理され始めていた。プレイヤーの成長が想像以上に早いのも、単に個々の能力が高いからではない。現地の住人と協力し、得た情報を共有し、失敗例まで含めて次へ繋げているからだ。
これらの経験を経ていくつか分かったことがあるが、その中でも特に注目したいのが住人が持つ特殊な力だ。
この世界の住人にも、旅人の機能に似た力がいくつかある。たとえば、荷を不思議な空間へ収めるインベントリという力や、品物の名前や大まかな性質を読み取ることができる簡易的な鑑定能力は細かく説明するまでもないだろう。
容量や精度にも差があるようだが、少なくともロヨンはそれらを旅人だけの異能として驚いたりはしなかった。
一方で、掲示板は明らかに別物である。
遠く離れた旅人同士が、見知らぬ土地の情報を文字で書き込み、ほとんど時間差なく共有していく。街から街へ手紙を運ぶ必要もなく、伝令を走らせる必要もない。ある場所で死んだ者の失敗談が、次の瞬間には別の大陸で誰かの命を救うこともあるかもしれない。
サンクティンで孤立していた私は、このゲームの大まかな流れからかなり外れていた。だからこそ、掲示板を覗く度に世界の進み方へ驚かされる。
きっと私と同じように僻地にて生まれ落ちたプレイヤーの多くが、この掲示板機能に感謝していることだろう。
その間にも、私たちは歩みを再開していた。街道はゆるやかに曲がり、低い丘の縁をなぞるように続いている。右手側には湿った窪地が広がっていた。
水面は濁っていて、ところどころに細長い草が突き出している。虫の羽音のようなものが聞こえるが、姿は見えない。水の中で何かが小さく跳ね、濁った波紋が輪になって広がった。
左手側には、崩れかけた石の標柱が点々と残っている。元は道しるべか、何らかの境界を示すものだったのだろう。表面には何か文字のような跡があったが、風化と苔でほとんど読めない。近づけばマリーが解析してくれるかもしれないが、今は無理に立ち止まるほどの優先度は高くない。
しばらくして、遠くから大きな鳥の声のような音が聞こえた。
現実で聞き慣れた鳥の鳴き声とは少し違う。笛のような高音に、細い金属を擦った時の響きが混ざっている。美しいと言えなくもないが、耳慣れない音はそれだけで警戒心を刺激するね。
私は反射的に足の動きを鈍らせる。ロヨンも同時に杖を握り直した。
《音源、北西方向。距離は推定二百メートル以上。現時点で接近傾向は確認できません》
「この辺りでよくいる生き物?」
「おそらくは鼠喰鳥の類でしょうな。群れで襲うこともありますが、こちらから巣に近づかぬ限り、そう危険な相手ではありませぬ」
「そうか。初めて聞く鳴き声は、全部ボスの登場演出に聞こえるから困る」
「ぼす、ですかな」
「強敵のことだよ」
「なるほど。では、母なる大地にはぼすが多うございますな」
「それは嫌な話を聞いたね……」
ロヨンは少し楽しそうに目を細めたが、すぐに視線を周囲へ戻した。軽口を交わしていても、警戒は途切れない。彼のそうした動きは、私にとって良い手本になっている。
こちらも歩きながら、周囲を観察しつつ異変がないか確かめていく。
「そういえば、アルラン、アルマッド、ゴンザザ、ミニッツラットだっけ。この辺りはどこの国に属するんだい」
「サンクティン周辺は、厳密にはどの国の手も届きにくい地とされておりました。古き災いの爪痕が色濃く、瘴気も濃い。近隣の国々が領有を主張した時期もあったようですが、実際に治め続けるのは難しかったのでしょうな」
サンクティン周辺を領有するにしても、大きな得がないのだろう。ここらの立地が分からないのでなんとも言えないが、山間にある平地に築かれたサンクティンは、たしかに魅力的な土地に見えなくもない。
しかし、実際には復興をするために必要な資源が馬鹿にならないだろうし、仮にできたとていつ怪物の群れが再来するかも定かではない。
そもそも危険が蔓延る領域外へ出て、無人の街を占領することは実質的に困難だろう。健在や人的資源の輸送に必要なコストを考えると、割に合わない。
「まあ、滅びた都市、地下に住み着いた危険なモンスター、瘴気、怪しい施設。観光地にするには癖が強すぎるか」
「機神様の御跡を巡る聖地としてなら、命を懸ける価値はありましょうぞ」
「それはロヨン基準の観光地だね」
ロヨンはどこか誇らしげに胸を張った。
冗談として言っているようで、半分以上は本気なのだろう。彼にとってサンクティンは単なる危険地帯ではなく、神話と信仰、学術的な好奇心が重なる特別な場所だ。地下であれだけの目に遭っても、その評価は簡単には変わらないらしい。
逞しいと思わずにはいられない。
雲の厚みが僅かに変わり、地上に落ちる光が少しだけ強まった。周囲の草花に付着した露の水滴が鈍く反射し、街道の先に続く石畳に点々と影を映す。晴れたわけではないが、暗さが少し薄まっただけで景色の印象は変わった。
私はもう一度、空を見る。
もしハルサイファン大陸が比較的小さく、周囲を海に囲まれているなら、湿った空気が入り込みやすい可能性はある。そこへ大陸内の山地や高原が風を受け止めれば、当然雲はできやすくなるだろう。
瘴気が空気の流れや雲の性質に影響しているなら、この重い曇り空にも理由があるのかもしれない。
もちろん、私は気象の専門家ではない。現実の学者に聞かれれば、これこれの条件が足りないなどと半目で呆れられるだろう。しかし、この世界の空をただの暗いものとして受け入れるよりは、そうである理由を考える方が面白い暇潰しになる。
「この辺りが曇りやすい理由、地形にもありそうだね」
「ほう。ルイス殿には、空の機嫌が読めるのですかな」
「読めるというほどじゃないよ。あちら側の世界には、地形や海の位置などによって曇りが多い地域があるんだ。ここも瘴気だけじゃなくて、大陸の形や風の流れが関係しているのかもしれないと思っただけ」
「なるほど。大地の形が、天候を決めると」
「そういうこと」
そう呟くと、すかさずウチの頑固娘が反論してくる。
《気象観測に基づく正確で重要なデータが不足しています。仮説としては成立しますが、検証には長期的な観測が不可欠です》
ライブラリにもこの大陸に関する情報はないらしい。機神様の気紛れだからね、仕方がないさ。
「旅の途中で天気日記でもつけるかい」
《有用です》
「え、冗談のつもりで言ったのだけれど」
《有用な冗談です》
うん、マリーは相変わらず真面目だった。
とはいえ、実際に記録を残す価値はある。天候、瘴気の濃度、生き物の出現傾向、地形の変化。サンクティンの外で活動するなら、そうした情報は後々役に立つはずだ。私自身のためにも、いずれ他のプレイヤーと情報交換する時のためにも。
彼らと積極的に迎合するつもりはないし、いずれ面白おかしく振り回す予定の対象でもあるが、利用できる点は髄まで利用するべきだ。そしてそのために有用であろう対価は、今のうちから集めておいて損はないはず。
外の世界は広い。分からないことだらけで、今の私では対応を誤りかねない場面も多いだろうしね。
その一方で、歩けば歩くほど知りたいことが増えていく。サンクティンの外にある自然、この大陸の国々、力のある旅人や住人、ロヨンの知らない三年間で生じた変化。どれも今すぐ答えが出る話ではないが、こうして道中で少しずつ輪郭を拾っていく感覚は悪くない。
やがて、街道の先に背の低い石造りの建物が見えてきた。
建物と呼ぶには小さく、道端の休憩所か見張り小屋のような規模だ。屋根は半分ほど崩れ、片側の壁には蔦が絡みついている。入口らしき開口部には扉もなく、その内部が丸見えでかなり暗い。周囲に人の気配は感じられないが、雨風を避ける程度には使えそうだった。
ロヨンはそれを見つけると、杖で軽く方向を示した。
「少しあそこで休憩しましょうぞ。岩槍の広場まではまだ距離がありますゆえ。旅で急ぎ過ぎるのはよくありませぬ」
「賛成だ。目的地のことばかり考えて、道中の確認を疎かにするのはよくないからね」
ロヨンは納得したように頷き、私は街道の端へ足を向けた。
休憩所へ近づくにつれて、足元の草が少し深くなる。石畳から外れた地面は柔らかく、雨を吸った土が足底にわずかに沈み込んだ。
入口の周囲には古い焚き火の跡らしき黒ずみがあり、壁際には割れた陶器の破片が落ちている。ここを使った者がいたのは間違いないが、それが数日前なのか、数年前なのかはすぐには分からない。
私は立ち止まり、内部を覗き込む前に意識を周囲へ向けた。
近場を探るように意識を広げる。
サンクティンの門を出てから、まだそれほど遠くへ来たわけではない。岩槍の広場も、その先にあるという機神様の御跡も、視界には入っていない。
今の私たちに必要なのは、がむしゃらに目的地へ急ぐこともそうだが、外の世界に身体と判断を慣らすことではないだろうか。
街道の状態を知り、外の空気を知り、ロヨンの記憶を聞き、マリーの分析を重ねる。そうして少しずつ、この世界の歩き方を身につけていくのも悪くない。
カンッ。
突然、背後で杖の石突きが地面を強く叩いた。
乾いた音が、湿った空気の中で妙にはっきり響く。私は入口へ向けていた意識を戻し、ロヨンの方を見た。
彼は休憩所ではなく、街道の先を見ていた。岩槍の広場へ続くはずの方角だ。先ほどまでの穏やかな表情は消え、荒れ地を長く歩いてきた者の顔になっている。
「ロヨン?」
「ルイス殿、少々お待ちを」
ロヨンは低い声でそう言うと、杖を胸の前で斜めに構えた。
風が草を撫でる。遠くの灰鳴き鳥が、また細い声で鳴いた。だが、今度はその音が妙に遠く感じられる。周囲の空気が、急に静まっていた。
《周辺に明確な敵性反応は確認できません。草地および地形の遮蔽により、検出精度が低下しています》
「今の機能では拾えない?」
《現時点では不確定です》
マリーの返答を聞きながら、私は腰の銀索剣へ手を伸ばした。
金属の柄に指が触れる。繊維を巻いた部分が掌に馴染む。すぐさま戦うと決めたわけではない。ただ、すぐに抜ける状態にしておくだけで、判断の遅れは少し減らせる。
ロヨンは街道の先から目を離さない。
彼の目に何かが見えている様子はない。少なくとも、私の視界に敵らしい影は映っていない。草地は鈍い光を受けて揺れ、低木の枝が風に合わせてかすかに震えているだけだ。
それでも、ロヨンの肩には緊張が走っていた。
「何かいるのかい」
「ええ。はっきり姿を見たわけではありませぬが、こちらへ向かう道筋に、獣とは違う気配が三つ。小さく、迂闊で、落ち着きがない。瘴気に侵された醜鬼ですな」
醜鬼。
その言葉を聞いた瞬間、頭の中でゴブリンという単語が自然に重なった。
いかにも序盤のモンスターといった印象の名前ではある。だが、この世界における序盤が、現実のゲーム的な序盤と同じ意味を持つ保証はどこにもない。
この世界にもゴブリンは存在する。しかし、彼らは一般的なゲームに登場するモンスターとは異なり、きちんとこの世界に根を張り生活をしている一つの種族だ。
それが敵とは、どういうことだ……?瘴気に侵されたという表現と関係があるのだろうか。
地下で出会った敵性個体とは違う、地上に生きる一般的なモンスター。その最初の相手としては、むしろ名前から相手を甘く見てしまうことの方が危うい。
「三匹か」
「おそらくは。まだこちらに気付いているかまでは分かりませぬが、目的地へ向かうなら避けて通るのは難しいやもしれません」
ロヨンの声は静かだった。
恐れているというより、危険を測っている。風の動き、草の揺れ、遠くにあるはずの足音の乱れ。私には拾えない何かを、彼は長年の経験で感じ取っているのだろう。
マリーの索敵に映らないから安全、というわけではない。
機械の感覚には機械の強みがあり、人が外を歩いて身につける勘にはまた別の強みがある。サンクティンの地下でそれを何度も経験してきた以上、ロヨンの言葉を軽く扱う理由はなかった。
私は休憩所の入口からロヨンのすぐ側まで移動し、街道の先へ向き直った。
「休憩の前に、一仕事入りそうだね」
「ええ。母なる大地は、旅人様を退屈させる気がないようですな」
《戦闘準備を推奨します》
「分かってる」
銀索剣をゆっくり抜く。
曇天の鈍い光が、湾曲した刃の縁を細くなぞった。草地の向こうで、何かが枝を折る小さな音がする。
私は足元の石畳の感触を確かめ、ロヨンの杖が示す先へ視線を据えた。
改めてシステム面に関する説明のテコ入れです。
住人がプレイヤーも使えるインベントリを所有していることから、掲示板も使えるのでは?と思われないための説明を加えました。
流石に世界中の誰もが生まれながらに遠距離通信能力を有しているのは、些か作品として都合が悪うございます……(T_T)
住人が神々より賜りし恩寵によって得られる基本的な特殊能力は、簡易鑑定とインベントリ位ですかね。じゃないと元々この世界に根を張る人々がOP過ぎてしまうので。
個人的には掲示板が使えたりしても面白そうだなと思うのですが、まあどう考えても辻褄が合わなくなるので本作では控えておきます。




