第19話『決着・前編』
長文になってしまったので、前後編に分けて投稿します。次話はお昼〜夕方辺りに!
私と銀索蜘蛛は、同じタイミングで床を蹴り、お互いの距離を縮めていく。
とはいえ、それは英雄譚に描かれるような華々しい突撃ではなかった。銀索蜘蛛は瓦礫に押し潰されたことで脚のいくつかをまともに動かせず、私は私で右腕を失い、全身のあちこちに応急処置を施しただけの状態である。
視界半分、見えないものはどう願っても見えない。見える分だけで戦わなければならない。
きっと、第三者がこの光景を眺めていたら、命を懸けた死合だとは思わなかっただろう。互いに満身創痍のまま、壊れかけた機械と死にかけの怪物が、泥臭く床を這うように近付いているだけに見えたかもしれない。
だが、当事者である私たちにとっては違う。
わずかな判断の遅れが、即座に死に繋がる。
先に仕掛けたのは銀索蜘蛛だった。
やはり、リーチの差は誤魔化せない。こちらがハンマーを振り抜く距離に入るよりも早く、銀索蜘蛛の前脚が横薙ぎに振るわれた。細く鋭い脚先が、濡れた空気を裂くように迫る。
私は完全には避けられなかった。
「くそっ、反応はできているはずなのにっ!体がっ……!」
胸部の外装をかすめられ、装甲の表面が一息に削り取られる。
眩い火花が散り、衝撃で上体が大きく横へ流れた。右腕があれば、そこで姿勢を立て直すために振ることができただろう。だが、存在しない腕に頼ろうとする癖は、戦闘の最中でさえ容赦なく私の動きを狂わせる。
ならば、崩れるなら崩れるなりに利用するしかない。
私は無理に踏み止まろうとせず、半回転しかけた身体の勢いをそのまま左腕へ流し込んだ。肩の駆動部が悲鳴を上げる。応急処置を終えたばかりの左肩に、明らかに許容量を超えた負荷がかかっている。
それでも、止めない。止めたら痛打を与えられず、それ即ち負けを意味するから。死ぬか壊れるかだったら、私は迷わず壊れるのを選ぶ。
左腕一本で握ったハンマーを、銀索蜘蛛が振り抜いた脚の関節へ叩き込む。
鈍く、硬いものが潰れる音が響いた。
銀索蜘蛛の脚が一本、付け根に近い部分から奇妙な角度に折れ曲がる。巨体がわずかに傾き、その体重に引きずられるように、床や壁に張り巡らされていた銀糸の束がいくつも引き千切られた。
ミチミチ、と湿った音が鳴る。
私は思わずニヤリと笑みを零した。信じられない程のデバフを受けながら、この細腕であの巨体を傾かせることができたのだから。
彼に引っ張られて糸が千切れる度、周囲の朽ちた構造物がわずかに歪んだ。今さらながら、この部屋のあちこちが銀索蜘蛛の巣に支えられていたのかもしれない。
怪物を倒すということは、同時にこの区画そのものの均衡を崩すことでもあるのだろう。
そんなの知ったこっちゃないことだがね!
「やはり、まともに殴り合うべき相手じゃないな、普通に考えて」
《同意します。現在の機体状況で真正面からの継続戦闘は非推奨です》
「分かっている。だがしかし、正面から殺し合うんだ」
《発言の整合性に疑問があります》
きっと誰にも理解できまい、私のこの醜い哲学は。
「細かいことはどうでもいいんだよ、マリー……。これは一種のケジメのようなものだからね。」
そう、ケジメだ。これから私は機神に請われ、そして私自身が望むままに、この狂った世界で絶望と混沌に包まれた歴史を積み重ねて行くのだ。その序章が、きっと今だ。
「腑甲斐ない戦いはゴメンなんだよ。最初こそ罠を利用したがね。ふふ、ヴィランは狡猾だが、ある種では独自の拘りがあるだろう?私も彼らと同じように強い哲学があってね」
使えるものは何でも使い、神すらも建前に利用する。ただし、時に真面目に、時に真剣に。いいではないか、自由に気の向くままの悪党が居ても。
《非合理ですが、あなたの選択が結果的に絶望や混沌に繋がるなら、私はそれを否定することはしないでしょう。》
会話を交わしている間にも、銀索蜘蛛はゆっくりと体勢を立て直そうとしていた。折れた脚を引きずり、潰れた腹部を震わせながら、それでも複眼だけは湿った光を宿してこちらを追っている。
一瞬でも目を逸らせば、その瞬間に死ぬ。
そう思ったからこそ、私は銀索蜘蛛の腹部が不自然に膨らむのを見逃さなかった。
先ほど私を吹き飛ばした糸よりも太いものが、腹の下で束になっていく。糸というより、もはや銀色の弾丸のようだ。
あれをまともに食らえば拘束されるだけでは済まない。右腕がない今の私では、絡め取られた瞬間に自力で抜け出すことは難しいだろう。
私は周囲へ意識を走らせた。
蒸気。水たまり。朽ちかけた配管。
先程この怪物に大ダメージを与えた残骸だ。これらには本当に世話になった。そして、私の背後に聳え立った倒れかけた筒状構造物。
銀索蜘蛛の丹念に作り上げた巣は崩れかけている。だが、いくら私が大立ち回りしたからといって、完全に消えて無くなるわけがない。
「さて、どうするか……」
あの怪物自身が吐き出す糸がこの部屋に残った残留物を動かすための力になるなら、やはりそれを利用した戦い方から逸れるのは悪手ではないだろうか。
「やるだけやって、死ぬ時は死ぬのみだな」
一つ深呼吸し、私はわざと銀索蜘蛛の正面へ出た。
私のせいでひしゃげた天井の配管から蒸気が白く流れ、視界を何度も遮る。思えば、銀索蜘蛛は邂逅時から位置を大きく変えていないのだな。
床は濡れ、切れた糸はだらりと垂れ下がり、破損した配管からは腐った油のような臭いが立ち上っている。この古い機械の部屋は、今や蜘蛛の巣というより、壊れかけた処刑場に近い。
再び銀索蜘蛛の腹部が震える。
来る!
吐き出された太い銀糸が、一直線にこちらへ飛んでくる。視界の端で白く蒸気が流れ、距離感が一瞬だけ狂った。私は床を蹴り、紙一重で横へずれる。
完全には避けられなかった。
糸の端が右肩の欠損部をかすめ、焦げた装甲の縁をさらに削り取る。痛みというより、内部構造を乱暴に撫でられるような不快感が走り、欠損部の奥で火花が散った。
火花って……!
もはや金属と変わらない硬度ではないか!いや、きっと今までとは大きく異なる技術や工夫が加えられたのだろう。この巣に使われている柔糸とは全く違うシステムのように感じられる。
糸の本体は私ではなく、背後にあった倒れかけの筒状構造物へ絡みついた。初めからそれが目的だったかのような滑らかな動きで。
銀索蜘蛛がその糸をグッと引く。
だが、私はその瞬間を待っていた。
左足で床を踏み込み、折れた右前脚の側へ回り込む。銀索蜘蛛は糸を引くために重心を後ろへ逃がしている。そのせいで、壊れかけた脚の付け根が一瞬だけむき出しになった。
私はハンマーを振るう。
今度は振り抜くのではない。突き込むように、押し潰す。
ハンマーの頭を関節へ押し当て、機械の重さを一点に乗せる。左腕だけでは足りない力を、この朽ち果てた全体で補う。左肩の駆動部が軋み、嫌な音が響いた。
それでも押し通す!
バキャ、と悍ましい色の体液を吹き出しながら関節が砕けた。銀索蜘蛛の巨体が大きく沈む。
その動きに合わせて、背後の筒状構造物へ絡みついていた銀糸が一斉に張った。銀索蜘蛛は体勢を戻そうとして無茶苦茶に糸を引く。
だが、その力は蜘蛛自身を助けることなく、もっと別のことに振るわれてしまった。
《退避》
マリーの声が、これまでよりもわずかに鋭く聞こえた。
私は迷わなかった。
床へ倒れ込むように横へ逃げる。右腕がないため、まともな受け身は取れない。肩口を濡れた床へ打ちつけ、機体内部に嫌な衝撃が走る。それでも意地で転がり続け、壊れた操作パネルのように見える残骸の影へ滑り込んだ。
直後、元よりかなりの劣化具合だった筒状の構造物が崩落した。糸の張力に引かれ、文字通り銀索蜘蛛の真上へと。
轟音が響く。
腐った床材が砕け、広がっていた糸がまとめて潰れ、埃が蒸気が爆発したかのように部屋中へ広がった。落ちた配管は銀索蜘蛛の腹部後方を押し潰し、既に傷んでいた外骨格へ大きな亀裂を走らせる。
銀索蜘蛛は、ただ残った脚を激しくばたつかせた。
隠れた場所から抜け出し、力無く座り込んだ。
「これが今の私にできる戦い方の一つなのか。コソコソと駆け回り、周辺の環境をとことん利用し尽くし、それでもって大質量攻撃で仕留める……」
もっと単純明快な倒し方もきっと存在しただろう。私以上にゲームセンスがあるプレイヤーがこの体を操ったなら、きっと私よりもスムーズに、スタイリッシュにこの怪物を斃したかもしれない。
でも、選ばれたのは私だ。私なのだ。機神は私の思想や哲学が気に入ったのだろう。なら、これでいいではないか。
生き物らしい苦痛の声もなく、壊れた機械のように、残った脚だけが床を掻き続ける。紫と赤が混じった複眼が、蒸気の向こうでいつまでも私を探していた。
まだ死んでいない。それどころか、未だ私の命をかき消そうと脚が動く様子に、思わず感動した。近付けば一撃で胴体を貫かれるだけの力を、あの怪物はまだ残している。
まだ諦めないのか。二度も叩き潰され、惨めに這いつくばっていると言うのに。
何がコイツをそこまで駆り立てるのだ?本能か?理性か?アビステイカーか?瘴気か?それとも私の想像すら及ばない、もっと別の何かか?単なるゲームデザイナーのソースコードをなぞっているだけなのか?
私は興味深く死に体の蜘蛛を眺めた。糸すらもうまともに吐けない。外骨格にも致命傷と言わざるを得ない大きな亀裂が入っている。脚もひしゃげ、複眼も幾つかが欠けている。
「よく分からないな……。しかし、お前は強いな。私ならお前が食らった崩落の初撃で跡形もなく押し潰されていただろう。今は、お前の頑強さが少し羨ましい」
思わず胸の傷をなぞる。この蜘蛛の脚に抉られ傷だ。改めて蜘蛛の前脚を確認すると、その攻撃的な造形にゾクリとする。こんなのを自由に振り回せるのに、罠を巡らせ、獲物を待ち構えて狩るという生態なのだ。
この世界には、いったいどんな怪物が闊歩しているのだろうか。
「さて、止めを刺すか」
私の口から漏れ出た言葉は、この空間の中で嫌に響いた。
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