第97話『第一回イベント③初ダンジョン』
遅くなりました!
私はすぐには近付かず、その場に突っ立って数秒間だけ眺めた。今回選択した難易度は星一。入口の前で長々と考え込む気はないが、だからといって、生成されたものを一瞥しただけで踏み込むほど自分が素直なつもりもない。
「あれだね、石扉に見えるよ」
《外観上はそのように認識できます》
骸の柄に軽く指を添えながら歩み寄る。近付くにつれて、表面の凹凸が少しずつ見えてきた。白灰色の石材が積まれているように見えたが、よく見ると蝶番も取っ手もない。左右へ開く継ぎ目も、押し込むための板も存在しない。あるのは正方形に組まれた石の枠と、その内側に張られた薄い光の膜だけだった。
……うーん、これはもう『ゲート』と呼ぶべき代物ではないだろうか。サンクティンの地下に眠っているあのゲートでは無いが、要素だけを抽出して並べたならきっと同じような物に違いない。
その表面には自然石に似たざらつきがあるが、外縁の線は妙に滑らかで、どこか人工物らしい角の立ち方をしている。洞窟の入口をそのまま切り取って、綺麗な額縁へ無理やり収めたような代物だった。
「扉の見た目が、生成される迷宮の傾向を示している可能性はあるかな」
《現時点では判断材料が不足しています》
「一回目だからね。まあ、覚えておこう」
石枠の内側は、薄い灰色の膜で満たされている。触れれば冷たいのか、それとも光そのもののように感触がないのか。
……入口で指先だけ浸して一喜一憂する時間を使うより、さっさと足を進めるべきだろう。
「よし、行こうか」
《はい》
思い切って石枠の中へ踏み込んだ瞬間、視界がぱっと暗転した。それに合わせて全身がほんの少しだけ浮く。フルダイブ開始時のように意識が沈むほどではないが、足裏から床が抜け、体の重さを一拍だけ誰かに預けるような、とても軽い浮遊感。
次の瞬間、パッと視界が晴れた。
少しして靴底が硬い地面を踏む。着地と言うにはあまりに静かで、衝撃も小さい。足首から膝へと微かな重みが戻り、私は反射的に姿勢を低くした。周囲の空気はひんやりとしている。水気を含んだ石の匂いが鼻先を掠め、耳にはどこか遠くから滴る水音が届いた。
「洞窟か」
視界に広がっていたのは、狭すぎず広すぎずの石の通路だった。左右の壁は自然に削れた岩肌というより、人の手である程度整えられたような洞窟に見える。天井は私の身長より十分高く、アレコレ考えずただ無心に骸を振るうだけの余裕もある。
ハッとして背後を振り返るも、先ほど入ってきた石枠は無かった。前方へ視線を戻す。
果まで見通せるわけではないが、どうやら通路は真っ直ぐ続いているらしい。地面には薄い砂と細かな石片が散っており、壁面には先ほどの石枠と似た白灰色の層が混じっていた。石枠がこの洞窟を示していた、という仮説は少しだけ強くなった気もする。
まあ、サンプルの少ない仮説を弄ぶのは後だ。
私は重心を低く保ったまま歩き出した。普段ならもう少し気楽に進む場面だが、ここは公式イベントの迷宮で、しかも個人参加である。☆という表示を免罪符にして無防備に歩いた結果、初心者向けの罠で死にました、などという話を生み出すつもりはない。
「マリー、正面警戒。音と振動に偏りがあれば教えて」
《了解しました》
淡い光源は通路の壁に点々と埋め込まれていた。炎ではなく、何らかの鉱石の欠片のようなものが薄く光っている。とりあえず一つ摘んで適当にインベントリへ放り込んだ。空間を包む闇は濃いが、真っ暗ではない。
しばらく進むと、前方の床に不自然な線が見えた。
「……おお」
思わず声が漏れる。
どこまでも続いているように見える床の中央に、四角い切れ込みが入っていた。周囲の石床と全体的な色合いは近いが、縁の部分だけが細く沈み、そこに一目で分かる隙間が走っている。近づけば近づくほど、そこだけが一枚の蓋として切り取られているのがよく分かった。
「うん、落とし穴だ。たぶん」
見たら分かる落とし穴だ。ありがちなダンジョン物語に頻出する雑な罠の見本市のような存在が、堂々と通路の真ん中に鎮座している。思わずミスリードを疑って辺りを見回したが、隠し矢や横から突き出す槍のような類は見当たらない。
どうにも簡単に見えるのは、私が慎重に進んでいるからだろうか。難易度が低いのではなく、基礎動作を怠ると罰が入る構造を目的としているのかな。それとも、シンプルにこのイベントの目玉であろうインスタントダンジョンという概念のチュートリアルとして明示しているのか?
「……」
どうせなら蓋の耐久も見ておきたい。扱いにも慣れてきた大地魔法で人の頭ほどの石塊を作り、罠の上へ叩きつければ、どの程度の荷重で抜けるかも分かる。思考のままに左手を前に出す。足元の砂と石片が小さく震え、掌の先で拳ほどの石の塊が生み出された。
「よいしょ」
少し勢いをつけて放る。石塊は鈍い音を立てて件の床の中央に落ちた。
その瞬間、切れ込みの内側がストンと綺麗に消えた。
拍子抜けするほど軽い音と共に、区切られた床板が下へ落ちる。石塊も一緒に穴の中へ吸い込まれ、少し遅れて下からパンと乾いた衝突音が返ってきた。通路の真ん中には、ぽっかりと四角い穴だけが残った。
私はその穴を見つめた。
穴もまた、何か言いたげにこちらを開けている。
罠を発動させたあと、すぐには近付かない。数々のポラリス製ダークファンタジーに毒されたことで身につけたスキルだが、信頼性はピカイチだ。周囲の床に追加の仕掛けがないかを念入りに確認し、念の為に壁と天井にも目を向ける。そこまでしてようやく穴の縁へ近付き、膝を曲げて中を覗き込んだ。
まあ、ソロだしね。一瞬で死ぬかもしれないのだ。
どうやらこの底は、落ちたら即死という深さでもなさそうだ。杭も刃も毒々しい液体もない。恐らく落下の衝撃で体力を削り、登る手間を発生させるためのものだろう。初心者向けの罰としては妥当だ。
「杭くらいあるかと思ったけれど、さすがにそこまではしないか」
《難易度☆として調整されている可能性があります》
これ以上この罠に用もあるまい。先に進むか。
穴の縦幅は、余裕を持って飛び越えられる程度だった。私は数歩下がり、助走というほどでもない短い踏み込みで跳び越える。機械の脚が床を蹴り、体が軽く浮く。反対側へ着地した瞬間、膝を柔らかく使って音を殺した。背後の穴を一度確認し、先へ進む。
そこからは、本当に何もなかった。
分岐も、横道も、怪しい空間すらない。通路はただ前へ前へと伸び、足元の砂が足底に小さく擦れるのみだ。たまに天井から水滴が落ち、岩肌に小さな黒い染みを作っているが、本当にそれだけなのだ。チュートリアルと言えばチュートリアルだが、一本道を延々と歩かされると、これはこれで警戒の集中力が削られる。
「本当にこれが現段階のプレイヤーに則した難易度なのか……?」
だとすれば、掲示板で話題に上がっていた人々の強さにも疑問が生じるのだが。まあ、外れ値は間違いなく存在し得るので一旦置いておくとして、プレイヤーの平均がこの程度なのだとしたら、彼らが強くなる前の今、この時に打って出るのも悪くない選択肢のように思えた。
アレコレと思考を巡らせつつ数分ほど歩いたところで、前方に蠢く影が見えた。
小柄な人型だ。背は低く、手足は病的なまでに細い。濁った緑色の皮膚、尖った耳、ひび割れた唇から覗く歯。手には粗末な棍棒を握っている。
あれは……ゴブリンか。いや、以前見たものと同じなのだとしたら、正確にはイビル・ゴブリンだったかな。
相手もこちらに気付いたようで、喉の奥から濁った唸りを漏らした。私は歩みを止めず、簡易鑑定を飛ばす。
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▼基礎情報▼
♦名称:イビル・ゴブリン
♦属性:瘴人
♦レベル:3
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うん、見覚えのある表示だ。
瘴人。たしか瘴気に侵され、元の在り方を失った者、だったか。以前ロヨンから聞いた説明が、この洞窟の冷えた空気の中で静かに蘇る。ゴブリンという種族そのものが敵なのではないが、目の前にいるこれは、戻れなくなった危険物だ。
このイベントの開催にゴブリンを庇護する神が居るのか否かは知らないが、このような存在が敵として出てくることに驚きはなかった。まあ、このゲームに存在する神はどこか超越的で冷めているように思えたので、きっと彼の神もそうなのだろう。
瘴気に侵された軟弱者など、興味も無いのかもしれない。あるいは、このイベントに出てくる敵は大御神が作り出した幻影のような存在なのか。今はそんなことどうでも良いか。
「骸の試し斬りには丁度良い獲物だね」
腰から骸を抜く。根元から鋒に向かって色を変える刃が、洞窟の淡い光を鈍く受けた。
イビル・ゴブリンが喧しい叫び声を上げて棍棒を振り上げる。遅い。以前ならそれでも十分な脅威として見ただろうが、体の調子が戻った今の私にとっては、その動きの始まりから終わりまでが見えすぎるほどに見えた。
私は低い姿勢のまま敵との間合いを潰し、骸を奴の首横へと滑らせる。赤色の刃は首筋へ抵抗らしい抵抗もなく入り、骨を断つ手応えを機械の腕へ返した。次の瞬間、頭部と胴体が分かれる。ゴブリンは棍棒を振り下ろすこともできず、ただ膝から崩れ落ちた。
「おお」
以前なら、死体はその全てがその場に残った。血の匂いも、肉の重さも、倒した相手がそこにいた証として残り続けた。だが今回は違うようだ。
倒れた身体がフワッと淡く光る。輪郭がほどけ、そのまま小さな粒子となって空気へ散っていった。洞窟の床に血溜まりは広がらず、肉も骨も残らない。数秒後、そこにあったのは落ちた棍棒の影すら消え、後に残ったのは何事もなかったような石床だけだった。
代わりに、視界の端へ通知が浮かぶ。
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♦イビル・ゴブリンを討伐しました。
♦経験値を獲得しました。
♦ダンジョンポイント[2]を獲得しました。
♦以下のアイテムを獲得しました。
▼ゴブリンの耳×1
▼粗末な腰巻×1
▼粗末な棍棒〔破損〕×1
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「少ないな」
難易度、討伐対象のレベル、討伐方法、イベント仕様による自動抽選など、色々と細かな計算があるのだろうが、まあ少ない。
とはいえ、
「解体の手間がない分、随分と楽だね」
死体が残らないのは、探索を続ける上では便利だ。血の匂いで別の敵を呼ぶこともなく、素材の剥ぎ取りに時間を使う必要もない。かなりの親切設計だ。
ただ、便利さと引き換えに、どこか世界の手触りが薄くなるのは仕方がない。瘴気に呑まれたゴブリンを斬ったというよりも、むしろ配置された敵性存在をただ処理した、という感覚が強い。
それが悪いとは言わない。このイベントはそういうものなのだ、と潔く納得できるだけの度量はある。死体が残るたびに参加者が処理を強いられていたら、このイベント自体が肉屋の実習になってしまう。
それに、この戦闘で色々と納得できた。
「罠、接敵、ドロップ。順番に基本を踏ませてくるわけだ」
《チュートリアル的構成と判断できます》
「そういう顔をしているね。顔だけかもしれないけど」
骸を軽く振り、血も付いていない刃を鞘へ戻す。へばりついていた血は死骸と共に粒子化したため、微かな汚れすらない。戦闘後の整備が楽なのはありがたいが、これに慣れると通常探索へ戻ったときに面倒を感じそうだ……。
私は再び通路を進んだ。
しばらくすると、前方の空間が少し広がっているのが見えた。どうやら通路の少し先に正方形の部屋があるようだ。自然にできた洞穴ではなく、明らかに人の手で削り整えられたような空間だ。僅かに見える壁は平らで、床も通路より滑らかに均されている。天井の四隅には小さな光源があり、部屋全体を薄く照らしていた。
休憩場所、あるいは小さな中継地点か。
私は入口の手前で止まり、体を壁際に寄せてゆっくりと中を覗き込んだ。
どうやら敵はいないようだ、少なくとも見える範囲には。床にも露骨な切れ込みはない。正面の奥には次の通路らしき口があり、入口から見て右側の壁際に粗末な木製の宝箱が一つ置かれていた。
「お」
少しだけ声が弾む。
宝箱だ。こういうのは、どうしても気分を上げてくる。もちろん、その箱が爆発物や毒煙発生装置を兼ねている可能性も大いにあるだろう。むしろ、あからさまな宝箱だからこそ疑うべきだ。私は入口から細棒を一本取り出し、床を軽く叩きながら部屋の中へ入った。
一歩、二歩。床の感触に変化はない。壁から矢が飛ぶこともなく、天井が落ちてくる気配もない。
宝箱には部分的な金属の補強が入っているが、大きさも膝上程度で、見るからに初心者向けの箱だ。正面には小さな留め具がある。鍵穴はない。
「爆発したら笑うしかないね」
《回避準備を推奨します》
「ああ、分かっているよ」
私は体を少し横へずらし、箱の正面から外れた位置に立った。左手で蓋の端をチョンと掴む。毒煙なら全力で後退、針なら腕で受ける、爆発なら諦める。そんな雑な対処案を頭の隅に置きながら、蓋を一気に開けた。
結果、何も起きなかった。まあ、当然か……。少し過剰だったかもと思うが、油断して良い事はないからね。
箱の中には、小さな瓶が三本並んでいた。赤みのある液体が入った、見慣れた形の瓶だ。私は数秒だけ蓋を開けた姿勢のまま待ったが、毒煙も警報も追加の敵も出てこない。
「本当にただの宝箱だったか」
宝箱から一本を取り出し、簡易鑑定をかける。
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【C】簡素なポーション
┗最低限の材料と簡易的な手順で作られた回復薬。飲用することで軽微な体力回復効果を発揮する。品質は高くないが、応急処置には十分役立つだろう。
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「簡素なポーションが三つ。星一つの宝箱としては妥当だね」
《消耗品の補充地点として配置されている可能性があります》
「罠に落ちた初心者へ、これを飲んで次はしっかりと足元を見ろよ、ということかな」
私は三本のポーションをインベントリへ収めた。決して派手な報酬ではないし、珍しい素材でもないが、初回の洞窟で落とし穴を見せ、イビル・ゴブリンを一体置き、最後に回復薬を三つ渡す構成は非常に分かりやすい。
私は空になった宝箱を閉じ、部屋の奥に続く通路へ目を向けた。
「まあ、最初はこんなものか」
呟いた声は、正方形の部屋の中で小さく反響した。簡単ではある。少なくとも、今のところは拍子抜けするほどだ。だが、この素直さに慣れた頃に少しだけ意地悪を混ぜられたら、簡単に足元を掬われるだろう。
そして、ポラリスというゲームメーカーはそういった底意地の悪さに定評があるという大前提を忘れてはいけない。
私は骸の柄を軽く叩き、次の通路へ向かって歩く。
どうやらカクヨムの方で☆評価が1000を超えていたようで、感無量です……。




