第4話 コレヒサ、死す
「おぉ。アウル。だいぶ上手くなったな。あと3年もすればワシの絶頂期を遥かに超えられるじゃろう」
11歳になったノアは、ダンジョン第21階層まで来ていた。いつも見本を見せていたコレヒサは、今日は後ろで見守っている。
さっきまで斧を振り回していたオークは、バタリと倒れた。ノアがオークの斧を避けながら、首を切り落としたのだ。わずか20秒の出来事だった。
「ありがとうございます。コレヒサさん」
ノアがお礼を言うと、コレヒサはニコニコと頭を撫でた。恥ずかしいから辞めてほしいと言っても聞いてもらえない。いつものことだ。老人に拾われてから日常になったこと。
「それじゃ、戻ろうかの」
「もうですか……?」
「お前はこれ以上老人を働かせる気か」
カラカラとコレヒサは笑った。
嫌な予感に渋い顔をするノアを引きずるようにしてコレヒサは家に戻った。
コレヒサの家は、ダンジョンから西の方角に30分ほど歩いた山の奥にある。幸いにも資源に恵まれた山だ。
魔獣は食べられないこともないが、食べすぎると体に魔力が溜まってしまい魔力中毒を起こすので普段は山の鹿などを獲ったり木の実や野菜をとったりして生活していた。あとはひたすら、ノアの稽古。コレヒサは老人のわりにアホみたいに強く、剣術から体術、あとは効率的な狩り方やコツまで徹底的に叩き込まれた。主に実践で。
「コレヒサさん。いつもはもういくつかクエストを受けるでしょう?」
「なぁ、アウルよ。ワシは今いくつだと思う?」
今日のクエストでもらったお金を貯金箱に入れつつ、ノアは想定外の質問に目をパチリとさせた。貯金箱、と言ってもただの籠だが。ここは山奥だから、盗むような人もいない。
「70歳くらいでしょうか……?」
「ハハッ。全然違うぞ。102歳だ」
「ひゃ、102歳……!?」
驚きのあまり、ノアが椅子から勢いよく立ち上がる。ガシャン、と机の上の貯金箱が揺れた。
「あぁ。今年で102歳だ。それでアウル、お前は普通の冒険者の寿命を知ってるか?」
「60歳くらいですか?」
「だいたい35歳だと言われておる」
なんだかんだ言って、ノアは貴族とコレヒサとの生活以外をあまり知らない。貴族だとだいたい65歳~70歳までは生きると言われている。あまりに低い年齢に、今度は椅子に逆戻りした。力が抜けてしまったのだ。
「ワシは彼らの3倍近く生きとるわけだな」
「そんなに……」
絶句したノアに、コレヒサはぽんと肩を叩いた。ノアの隣の随分使い込まれた椅子に、よっこらしょと座る。
「アウル。ワシはこの先長くない。明日にでも死んでしまうかもしれん。分かるんだ、自分で」
「そんなの、気のせいですよ……」
「ノア」
本当の名前を呼ばれ、肩がびくつく。その小さい肩をコレヒサはさすった。さっきまで一緒にダンジョンに潜っていた老人の手は、前よりかなり冷たくなったような気がした。
「その名前は嫌いです」
「じゃあアウル。あんたは強い。まだ11歳だが、これから1人でやっていけるだろう。3年間、ワシはそういう風にお前を育てた。ワシの人生最後の、大仕事だ」
「でもまだ……」
「確かにワシも色々言いたいことはある。まずワシについて。ワシは、勇者だ」
「はぁ!?」
突然の事実に、ノアは素っ頓狂な声と共に顔を上げた。今まで落ち込んでいたのも忘れて。
「いや、元勇者と言った方が正しいかもしれん。勇者としてこの世に召喚されたが、しばらくして元の世界へと帰った。意識していたわけではないが、あるときふっと、向こうに意識が戻ったんだ。しかし、87歳で向こうで死んでから、今度はその歳のままこっちに来てしまったのだ」
「はぁ」
「それで今度はこっちで102歳まで生きた。一体何がどうなっとるのか、ワシにも分からん。この先のことも。だけどな」
コレヒサは一度深く息をついた。
「お前に出会った。ワシはお前に出会ったのは、必然的な運命だと感じとる。それだけは分かる。矛盾してるがな。たまたまギルドでアウルを拾った理由も、可哀想だから、というのだけではない」
「じゃあ、何のために……?」
「それは秘密だ。それでアウル。お前に1つ聞きたいことがあるんじゃ。ワシの人生最後に聞きたいことじゃ」
「何ですか……?」
コレヒサはノアの顔を覗き込んだ。今までにない優しい眼差しに、ノアは唾を飲み込む。
「アウル……いや、ノアは何がしたいんだ?」
「それはどういった……」
ノアが混乱する。そんなことを聞かれると思っていなかった。
「ワシはお前が貴族出身だということも分かっとるし、訳アリだということも分かっとる。そもそも最初に着ていたのも貴族の服だったしな。家でも出たんじゃろう?」
言い当てられ、ノアは黙って頷いた。
「何で出たんじゃ? わざわざ貴族の家を。しかも過酷な冒険者になって。何のために? ワシはずっと、そこが気になっとった……というか、分かっとる。でも、最終確認がしたいんじゃ」
「何のため……」
いじめられ続ける生活にうんざりしたから、というのが初めの理由だ。だけどそんなこと、コレヒサは大体分かっているだろう。
「自由に、なりたかったんです。知らない世界を、知りたかった」
数分考えたのち、ノアは答えた。そうだ。自分は昔から、あの狭い貴族社会から抜け出したかった。
「知らない世界はどうじゃった?」
「生きにくそう、でした。貴族以上に。たまに路上で子供が餓死しているし、よく物乞いがいます。家がない人々もたくさんいます。華やかな貴族の陰に、こんな生活があったんだな、と……」
「じゃろうな」
今までのいじめられていた生活が嫌になって家出したことが申し訳なくなるくらいには、一般市民の生活はそれは酷いものだった。
「まぁワシとしてはな。お前には死んでほしくない。でもお前の成し遂げたいことはしてほしい」
「はい」
「これ以上のことを聞くつもりはないが、決して死んだりするなよ」
「バレてるんですか?」
「あぁ。3年も一緒にいれば、分かる」
コレヒサは頷いた。
「きっとワシには止められん。お前だって自分のしたいことに半分気づいてないじゃろう。いつか、ワシが死んでから確信するじゃろうが。だけど自分の命を投げ打つことだけはするな、というのがワシの1番お前に言いたいことだ」
コレヒサは、気づいていた。ノアのしたいことに。
ノアには、ずっと隠し持っているものがある。
『復讐心』だ。
昔、ノアの日記を盗み見たことがあった。そこに書かれていたのは、ここでの生活と、それから。
今までノアが受けた虐待全てについてだった。
自分では死んでいたのではないかと思うほど、酷い罰たち。それをノアは淡々と綴っていた。
それから、貴族での生活を仔細に書き、その下に一般市民の生活を書いていた。
まるで歪んだ貴族社会と、救いのない一般人との比較をするかのような。
きっと彼は、憎んでいる。この世界を。
自分では推し量れないほどに。ノア自身も、分かっていないほどに。
だから、
――王族貴族全員を貶めて、もっとみんなが楽に生きられるようにできればいいのに。
なんて書くのだ。
コレヒサだって、多少王族や貴族に物申したいことはあった。勇者というのは非常にアンバランスな職業で、貴族としてもてなされるが、その実ダンジョンの攻略を先陣切って進めていくだけである。他の冒険者と同じように。
つまり、2つの生活が見えるのだ。
その差に苦しめられたこともあったが、コレヒサは見た見ぬフリをした。そうするしかなかった。
けれどノアには、あの子には強い意志と気力がある。あの子はきっと……
国を滅ぼしてしまうだろう。
これは単なる勘でしかない。
さっきからの自分の訳の分からない言葉に首を傾げている少年にそんなことができるとも思えない。
だのにコレヒサは確信していた。彼なら変えられるだろうと。この世界を。何度も生を得たコレヒサには分かっていた。
それに、ノアがきっとあの子に出会ったなら。
2人がもし出会うことができたら、世界は変わっていくだろう。
それを望んで、ノアを叩き上げたまである。
自分のできなかったことを、ノアにしてほしかったから。
あぁ、でもそれよりも。
思考に霧がかかってきた。さっきまでかくしゃくとしたいたのに。突然だった。だんだん脈が遅くなっていく感覚がする。
できればこの先ずっと、ノアとあの子のことを見守っていたかったのに……
「なぁ、アウル。ワシは眠くなってきた」
「コレヒサさん……?」
「いーい人生だったよ。2人も助けることができて。こんなに長生きして。こんなに満足できて。こんなにもいい人生はない」
目の前のノアが霞む。まるで猫みたいな、黒髪と黄色の目が心配するようにこっちを見ていた。最初に拾ったときは、シャー、と威嚇しそうだったのに。今は優しい目をしている。
さっきまで何で動けたんだろうというほど、体が言うことを聞かない。
声もだんだん聞こえなくなってきた。
「コレヒサさん、コレヒサさん!?」
ガタガタと肩を揺さぶられた。でもその感覚も次第になくなっていって……
「あったかい飯を腹いっぱい食って、あったかい布団で寝て。清潔な家で、優しい奥さんと子供と、幸せに暮らすんじゃぞ……」
この子に理想を押し付けたくはない。ただ幸せに生きてほしい。望むのはそれだけだ。
ノアという名前を嫌がるから、『アウル』と、苦労続きだったこの子が苦労しないように、不幸を感じたことのあるこの子に福が来るように、強くなるように、賢くなるように名付けてまでしまった。
きっとこの子を深く深く愛していたのだろうと、ついぞ本物の子供を持つことのなかったコレヒサはそっと思った。
日本に戻っても結婚できなかったし、1人静かに死んでここに来た。
今は自分を愛して看取ってくれる人がいる。自分が愛して、心から幸せを願える人が看取ってくれる。
「お前に会ってからは、幸せな人生じゃった……そうじゃ、2つ名を、授けよう」
それでもきっと、この子は満足しない。幸せな生活だけには、満足できない。
「2つ名? そんなのどうでもいいから、早く。横になろう? ゆっくりして、美味しいものでも食べたら……」
「昔、聞いたことがあったんじゃ。勇者に2つ名を考えてもらえたものは、強くなれると。魔力を持つものを許されるのは、魔族と勇者だけじゃ。勇者が、2つ名を、与えたら、魔力も、分け与えることができる。勇者は、死んでしまうが」
「何言ってんだよ! そんなのいらないから、安静に……」
「《アンノウン・デストロイヤー》」
「は!?」
「静かに国を蝕んでいけ、アウル。未知の破壊者になるのだ」
コレヒサは手を伸ばした。ほとんど力のない手を、ノアの額に向ける。ほぼ無意識だった。ただそうするべきだと分かった。2つ名の話は、正しかったのかもしれない。
最も、英語を知らないノアに伝わるかは分からないが。
コレヒサの指先がノアの額にぶつかった瞬間、光が弾けた。奇妙な、形容しがたい色のその光は、ノアに注ぎ込まれていく。
「幸せだったよ」
老人の、最期の言葉だった。
――人間は、死んでも数分は聴覚は生きていると言う。
「コレヒサさん。俺は貴方に出会えて良かった。俺も……幸せでした」
コレヒサが意識を失って少し。
涙混じりのノアの声は、届いていただろうか。




