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白翼の光  作者: 月凪
第四巻 希望と影は光を紡いで

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第84話 翼の約束


――7年前。光の誕生日の前日、12月23日。


世界を冬の色に染め上げるような、

風の強い快晴の午後だった。


調査任務を終えた神崎は、

寒そうに肩をすくめながら、

どこか張り詰めた空気が漂う

討魔局本部へと足を踏み入れた。


自販機の前に立ち、

冷え切った指先で小銭を投入する。


温かいコーヒーのボタンへと手を伸ばした、

まさにその刹那――


横から別の細い手が素早く伸びて、

冷たいミルクティーのボタンを

勝手に押し込んだ。


――ガコン。


「あ……」


神崎が呆気に取られて口をポカンとさせた。


隣りにはいたずらが成功した子供のような

満面の笑みを浮かべる希がいた。


取り出したミルクティーの缶を掲げてみせる。


「へへへー!


ありがと、かんざき!


ちょうど喉が渇いてたんだよねー!」


希は躊躇うことなく蓋を開け、

ゴクゴクと勢いよく喉を鳴らした。


神崎は、すべてを吐き出すような

深い溜め息をひとつ、静かに零す。


「お前な……自分の金で買えよ。


今日は休みだったんじゃねえのか?

また『空刃』探してたのかよ?」


希はミルクティーの缶を揺らしながら、

軽い足取りで歩き出す。


「うん。


失くなった『空刃』の進捗を

捜査課の人に聞いてたの。


やっぱり、どこにも見つからないって」


神崎も彼女と歩調を合わせ、

討伐課の執務室へと向かいながら、

低くぼやいた。


「まあ……咲也が殺されて

データまで抹消されたんじゃ、

もう同じものは作れねえからな」


希の足が、一瞬だけ止まる。

その唇に、少しだけ寂しげな微笑が浮かんだ。


「そうなんだよねー……。


私が虎くんと戦った後に、

気絶して落としちゃったからね。


まー、私は普通の妖魔刀でも

全然戦えるんだけどさ……。


咲ちゃんが作ってくれた、

大切なプレゼントだから。


……諦めきれないよ」


言葉の端々に滲む、過去の重み。


神崎はそれを意識の底へ追いやるように、

ふと思い出した事実を口にした。


「あ……プレゼントといえば……


光ちゃんの誕生日、明日じゃねえか?

クリスマスイヴだから覚えやすいな」


希は大きく目を見開き、

今度こそ完全に足を止めた。


「やばっ!!


今日は光と会う約束してたんだ!


ごめん!

今日はもう帰るね!


ミルクティーありがと!


後は、かんざきにあげる!」


希はまだ半分以上残っている

ミルクティーの缶を

神崎の胸元に押し付けると、

冬の風を切り裂くような速さで

走り去っていった。


残された神崎は、

手の中の、冷たい金属の重みを見つめ、

ぽつりと呟いた。


「……お前……これどうしろっつーんだよ」


◇


南砂にある、討魔局が管理する保護施設。


高いフェンスに囲まれたその施設で、

希と光はひっそりと暮らしていた。


鋭い冬の風が吹き抜ける中、

12歳の光は、同じ施設で暮らす

3歳年下の天野ひなたと、

庭のベンチに腰掛けて

いつもの楽しいおしゃべりをしていた。


「ひなちゃん!


このキーホルダー可愛いね!」


光はひなたのカバンについた、

イニシャルと小さなぬいぐるみの

セットになったキーホルダーを、

目をキラキラさせて見つめた。


ひなたは嬉しそうに、

小さな胸を張って微笑む。


「うん!

この前、買って貰ったんだ!


ひかりお姉ちゃんも、

そろそろ誕生日じゃない?


お母さんに買って貰ったら?


そしたら私とお揃いになるよ!」


「うん!


そうしようかな……


私も、ひなちゃんと

お揃いだと嬉しい!」


光の胸が、一瞬期待に小さく弾んだ。


だが、すぐにその表情は寂しげに曇った。


「でも……

お母さん、いつも忙しいから……


今日も、たぶん

会えないと思うんだよね……」


そのとき、施設の厳重な門の前に、

討魔局の黒い車が止まった。


後部座席のドアが開き、

降りてきた希が、

光に向かって大きく手を振る。


光の顔が、

世界に灯りがともったかのように

ぱっと明るくなった。


「お母さん!!」


光は駆け寄り、希はその小さな頭を

愛おしそうに何度も優しく撫でた。


「ごめんね。


光……遅くなっちゃった」


「大丈夫だよ。


ひなちゃんと一緒だったから」


希はひなたにも、

いつもの天真爛漫な笑顔を向けた。


「ひなちゃん!


いつも光と遊んでくれてありがとうね。


ほら、もうすぐ暗くなっちゃうから、

一緒にお家に帰ろう!」


希を中心に三人は手を繋ぎ、

冬の乾いた土を踏み締めながら、

赤く染まりゆく夕方を見上げた。


希は光の横顔を優しく見つめ、

穏やかに聞いた。


「ねえ、光。


……何か欲しい物、ある?」


希がいつもの優しい声で問いかけてきた。


光は少しだけ考え込み、

茜色に染まる夕方の空を見上げた。


真っ白な翼を広げた一羽の鳥が、

夕焼けのグラデーションの中を、

自由そうに優雅に飛んでいた。


「……あの翼が欲しいな」


光は、希がいつも忙しく働き、

それでも自分のためなら

無理をしてしまう人だと知っていた。


でも、そんな希に負担をかけたくなくて、

光は、絶対に手に入らないものを

子供っぽい冗談を言うように、

ふふっと笑って言った。


「私、あの鳥みたいに、

お母さんと一緒に空を飛んでみたい……」


その言葉に、希はほんの一瞬だけ、

どこか遠くを見るような

寂しげな微笑みを浮かべた。


「翼ね……。


いつか、本当にあげられるといいね。


光が、どこへでも行けるような……


そんな翼。」


その刹那――。


まるで母と娘を引き裂くような

希のスマートフォンが鋭い電子音を鳴らした。


画面に浮かび上がるのは、

『篠宮 冬華』の文字。


希はいつもの軽い調子で通話ボタンを押した。


「もしもーし、冬華。


どうしたの?」


スピーカーから漏れたのは、

冬華の緊張した声だった。


『緊急任務だ。


Sランクの妖魔が出現した。

神崎と私はすでに現場へ向かっている。


お前のところにも、

もう迎えの車両が行っているはずだ。


……後で合流する』


「分かった。


私が行くまで、無茶しないでよねー」


希は明るく返したが、

冬華の応えはいつも通り冷静だった。


『フッ……誰に言っている。


お前じゃないんだ、

そんな無謀な真似はしない。


……じゃあ……後でな』


プツリ、と通信が切れる。


光の笑顔がゆっくりと凍りついていく。


輝いていた瞳から光が消え、

代わりに不安と寂しさが静かに広がった。


小さな手が、無意識に

自分の制服の裾を強く握りしめていた。


携帯を懐に収めた希は、

申し訳無さそうに

ゆっくりと、光に向き直った。


「ごめん! 光……


大事な仕事が入っちゃった。


……そんな顔しないの。


ちょちょいって終わらせて、

すぐ戻ってくるから


由依さんと一緒に

お家で待っててね!」


光は何かを言おうとして、

小さく口を開いた。


けれど――

結局、何も言えなかった。


希の指が、

光の小さな手のひらから離れていく。


最後まで触れていたのは、

ほんの一本の指先だった。


それも、冬の風にほどかれるように

ふっと離れた。


希は背中に受ける強い風よりも早く、

夕陽のオレンジの中へ走り去っていった。


光は遠ざかる母の背中を見送りながら、

小さく、痛むほどに唇を噛み締めた。


その小さな手を、

ひなたがぎゅっと、力強く握りしめる。


「光お姉ちゃん……


どうして翼が欲しいって言ったの?」


光はひなたの手を、そっと握り返した。


喉の奥が熱く痺れ、

言葉を紡ごうとするだけで、

涙が堰を切って溢れそうになる。


けれど、年下のひなたの前では

どうしても泣きたくなくて、

光はただ、痛々しいほど小さく微笑んだ。


強い風が、二人の髪を乱暴に揺らしていく。


茜色だった空は、ゆっくりと、

夜の闇に侵食されようとしていた。


遠い空では、

さっきまで飛んでいた白い鳥の姿も、

もうどこにも見えなかった。


それは、もう二度と戻らない、

最後の約束の時間だった。


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