第80話 目覚めの病室
ゆっくりと、まぶたを開けた。
視界に飛び込んできたのは、
無機質な白い天井。
柔らかな照明の光と、
鼻を突く消毒液の匂い。
(ここは……病院……?)
そう認識した、まさにその瞬間だった。
――ドンッ!!
脳裏に、あの瞬間の衝撃が鮮烈に蘇る。
お腹を貫く、焼け付くような激痛。
影目の無慈悲な足。
ミシミシと肋骨が砕ける感覚。
「光!! 逃げて!!」
遠くで響く、美咲先輩の悲痛な叫び声。
「――っ!?」
光の身体がベッドの上でビクンと硬直した。
背中が弓なりに跳ね上がる。
額から冷たい汗が一気に噴き出し、
息がひどく荒くなった。
(影目は……
最後、笑ってた……よね……?)
「ひかり!?」
彩花がその異変に気づき、
隣のパイプ椅子から
慌てて身体を起こした。
「どうしたの!?
顔色が真っ青だよっ!?」
「ごめん……
あやか、起こしちゃったね……」
光は浅い呼吸を繰り返しながら、
弱々しく微笑もうとした。
その言葉を聞いた瞬間、
彩花の目から大粒の涙が溢れ、
耐えかねたように
光の身体に抱きついてきた。
「バカ! ひかりのバカ!
なんでそんな傷だらけなの!?
謝るとこもおかしいよ!
どんだけ天然なのよ!?
このまま
死んじゃうかと
思っちゃったじゃない!」
「痛たたっ……痛いよ、あやか……」
顔をしかめる光の背中を、
彩花は泣きながら優しく叩いた。
「……電話、ずっと出なかったじゃん」
ぽつりと、彩花の声が震えた。
光は何も言えなかった。
「……私、どのくらい眠ってた?」
「二日」
彩花は涙を拭いながら、
掠れた声で答えた。
「こっちは全然
笑えなかったんだからね……」
「えっ……!?」
光は目を丸くした。
丸二日も意識不明だったなんて。
彩花は光の両肩を掴み、声を震わせた。
「もう……一人で無理しないで。
本当に怖かったんだから……」
「……うん」
光はぼんやりと天井を見つめ、
記憶の断片を手繰り寄せる。
最後に見た、
黒い雪のように
消えていった妖魔の姿。
「……影目……」
「あ、ちょっと待って!
今、看護師さん呼んでくる!
美咲さんにも連絡しなきゃ!」
彩花が慌てて立ち上がった。
光も起き上がろうとするが、
その刹那、全身に鋭い激痛が走った。
「っ……痛ッ!」
「動かないで!
肋骨も折れてるし、
手術もしたんだよ!?」
彩花に制され、
光は再びベッドに横になった。
深く息を吐きながら、
白い天井を見つめる。
(二日も……
みんなに心配かけちゃって、
本当に申し訳ないな……)
ふと窓の外に目をやると、
太陽がゆっくりと落ち始めていた。
空を綺麗なオレンジ色に染めていく夕焼け。
時計は午後4時を指している。
数分後、彩花が息を切らせて
病室に戻ってきた。
「看護師さん、今来るって!
美咲さんも急いでこっちに向かってるよ!」
「うん……
あやか、心配かけてごめんね」
申し訳なさそうに微笑む光に、
彩花は小さく首を横に振った。
そして、光の手をぎゅっと握りしめる。
「美咲さんから全部聞いたよ……。
ひかりが、美咲さんを助けるために
一人で頑張ったんだって」
彩花の瞳に、温かい光が灯る。
「私にとっても、美咲さんはもう、
かけがえのない家族なんだ。
……本当に、ありがとう、ひかり」
その真っ直ぐな言葉が、
光の胸の奥にストンと落ちた。
張り詰めていたものが溶けていくように、
光の目から涙が零れ落ちる。
「……うん……」
「もう、泣かないの。」
彩花は優しく、光の頬の涙を指で拭った。
その後、医師と看護師がやってきて、
診察と容態の説明をしてくれた。
ひと安心したあと、
彩花が心配そうに光の身体を見つめた。
「ひかり……本当に傷だらけになっちゃったね」
「大丈夫だよ」
光は苦笑いして、話をそらす。
「それよりあやか、仕事は?」
「もう、仕事どころじゃないって。
二日もサボっちゃった」
「ごめんね……」
「大丈夫だよ。
仕事より、ひかりの方がずっと大事。」
彩花は少し照れくさそうに笑うと、
光の頭を優しく撫でた。
「それにしても凄いよ、ひかり。
今度は美咲さんの
ヒーローになったんだね」
「そんな……っ」
光は少し頬を赤くして、手を振った。
「ヒーローなんて
格好いいもんじゃないよ。
ただ、必死だっただけで……」
そんな光の反応を見つめながら、
彩花が少しからかうように口元を緩める。
「今回は頭突きしなかったね!」
「もう……そんなことしないよ」
光は照れくさそうに笑った。
病室に、二人の柔らかな笑い声が響く。
窓の外では、
オレンジ色の夕焼けが
ゆっくりと広がっていた。
光はその美しい空を
ぼんやりと眺めながら、
穏やかな微笑みを浮かべた。
その夕焼けの向こう……
まだ、お母さんの温もりが
残っている気がした。




