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白翼の光  作者: 月凪
第四巻 希望と影は光を紡いで

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第77話 死神の贈り物


激しい死闘が終わりを告げた直後。


その部屋は、生き残った者たちの

慌ただしさに包まれていた。


……パチパチ


天井の非常灯が不気味に明滅する。


橙色の光が、

無機質なコンクリートに刻まれた

無数の爪痕と、

散らばるガラスの破片を

冷たく照らし出していた。


蓮司は、光の傷だらけの身体に

素早く応急処置を施していた。


はだけないように

自分のワイシャツを優しく着せ直し、

ぽん、と光の頭に手を置く。


「……オレは医療班に連絡してくるから、

光ちゃんはここで少し休んでな」


「……はい」


蓮司が部屋を出ていくのを、

光はぼんやりと見送った。


そして、小さな両手に

握りしめたままの金属の筒――


『空刃(くうじん)』の柄を、じっと見つめた。


(影目……消えちゃったのかな……?)


(それとも……

どこかへ行っちゃったのかな……?)


(なんで……私にこれを渡したの……?)


胸の奥をざわつかせる、数々の疑問。


光は羽織った白いワイシャツの袖を

ぎゅっと握りしめたまま、

ゆっくりと立ち上がった。


ふらつく足取りで、

吸い寄せられるように

部屋の外へと歩き出していた。


――地下駐車場の最奥の隅。


先ほどの戦闘で、光が身を隠し、

カーディガンを脱ぎ捨てたあの暗がりに。


影目零次は静かに横たわっていた。


すでに、世界からの

拒絶が始まっていた。


指先から、腕へと。


どす黒い粒子が、ゆっくりと形を失い、

地上から流れる湿った夜風に溶けていく。


それはまるで――


漆黒の雪が、

地吹雪となって舞い上がるような、

あまりにも儚く美しい光景だった。


光は血と埃にまみれた身体を引きずり、

影目の傍らまでそっと歩み寄った。


気配を察した影目は、

うっすらと長い睫毛を持ち上げて

目を開いた。


光の姿をその瞳に映すと、

唇に、かすかな微笑みを浮かべた。


「……ミス光……


来てくれたのですね。


素晴らしい戦いでした……」


その弱々しい声に、

光は胸が痛いほど

きつく締め付けられるのを感じ、

そっとその場に膝をついた。


「……影目……


あなたは……どうして、


私と戦いたいって思ったの?」


どうしても、聞かなければならなかった。


「……虎と、何か関係があるの?」


影目はゆっくりと天を仰ぎ、

途切れがちに言葉を紡いだ。


「虎は……私の友でした。


誰よりも……強かった……。


そして希は……


自由で……奔放で……」


影目の身体から、

黒い粒子が一層激しく湧き上がり、

下半身はすでに夜に溶け始めていた。


声も、風音にかき消されそうなほどに

細くなっていく。


光は黙ってその言葉に耳を傾け、

震える手で空刃の柄を強く握りしめていた。


「……その『空刃』は……


希が……虎を屠った刀です……」


「え……?」


「だから……


それを持つ貴女が、

どれだけの強さがあるのか……


この目で、見てみたかったのです……」


光の大きな瞳から、

一筋の涙がぽろりと零れ落ち、

コンクリートの床に小さなシミを作った。


「……そのためだけに……


命を懸けて、戦ったの……?」


影目は、子供の悪戯が見つかったかのように、

優しく微笑んだ。


「ええ。


……でも、私の心は満たされています。


貴女に『空刃』をお返しできて……


貴女は強かった。翼を壊されても……

最後まで立ち上がった。


希も……


きっと、喜んでいるでしょう」


影目は残された左腕を、

ゆっくりと、震わせながら伸ばした。


目の前で泣いている、

希によく似た少女の頬に、

せめて一度触れようとするかのように。


しかし、その指先は光の肌に届くより早く、

黒い雪となって崩れていく。


「……ミス光……


貴女は、希に似ています。


強さだけではなく……


その奥に、優しさも持っている。


……どうか……


強く、生きてください」


光の瞳から、

堪えきれなくなった涙が

次から次へと溢れ出した。


溢れる涙の向こう。


消えゆく死神の、

あまりにも切ない眼差しを見つめながら。


光の唇が、無意識のうちに、

ある一つの問いを紡ぎ出していた。


「……影目……もしかして……。


貴方は、お母さんのことが……


好きだったの?」


「――っ」


その言葉が、影目の耳に届いた、

まさにその瞬間だった。


影目は一瞬、弾かれたように

その目を大きく見開いた。


消えかけていた思考のすべてが、

その一言によって激しく揺さぶられる。


「…………」


やがて影目は、どこか遠い、遥か過去の

まばゆい光を見つめるような目をして――


静かに、愛おしそうに目を細めた。


「……ああ……


そう、かもしれませんね……」


ぽつりと言い落とされた、

あまりにも静かな告白。


「長い間……。


自分でも

気づかないふりをしていました……」


その刹那。


影目のセピア色の視界の向こうに、

鮮烈なフラッシュバックが走った。


それは、いつかの、

抜けるように青い空の下。


悪戯っぽく笑いながら

自分を振り返る、『美雲 希』の姿。


「……ねぇ、影目くん。


影目くんの方が、人間っぽいよね!」


鈴の音を転がしたような、

今でも鮮明に思い出せるあの歌うような声。


届かなかった憧れの背中。


けれど、夢の中の彼女は、

確かに今、自分に向かって

世界で一番まばゆい微笑みを

向けてくれていた。


(ああ……そうか。


私は、ずっと……)


残された身体が、

静かに黒い霧へと還っていく。


その霧は、微かな光を宿しながら――。


最期に、彼は小さく。


けれど確かに、

これまでのすべての人生の

救いを見つけたような声で、

心の底から囁いた。


「……ありがとう、光」


次の瞬間、

黒い粒子は夜風の奔流に乗り、

広い地下駐車場の重苦しい空気の中へと、

美しく舞い上がった。


それはまるで、

漆黒の夜空に溶けていく、

儚い雪のようだった。


「…………っ」


光は影目の身体が完全に消え去り、

黒い雪が天井の闇へと溶けていく

その瞬間まで、その場に跪いたまま、

一歩も動くことができなかった。


「……さようなら……影目」


小さな、掠れた嗚咽が、

光の喉から静かに漏れる。


ぎゅっと両手で握りしめた、

お母さんの形見――


『空刃』の冷たい金属の柄が、

光の涙によって、

静かに、静かに濡れていた。








〜第77話 あとがき〜


実は、この第77話「死神の贈り物」が

『白翼の光』が生まれた原点であり、

ずっと描きたかった一話でした。


元々、この物語の主人公は

『美雲(みくも) 光(ひかり)』ではなく、

『美雲(みくも) 希(のぞみ)』でした。


希という一人の女性の物語を

どこへ着地させるのか。


それを考えているうちに、

娘の光が生まれました。


そしてこの――


第77話が思い浮かんだ瞬間、

頭の中に生まれてしまった物語を、

消えてしまう前に

この世界のどこかへ置いておきたかった。


そんな思いから

『白翼の光』という

物語が生まれました。


この一場面を書き残すためだけに

主人公が一世代ずれて、

一人、また一人と登場人物が生まれ、

過去が生まれ、日常が生まれ、

戦いが生まれて……


気づけば、ここまで来ていました。


誰かに認められるためでも、

評価されたいでも、

数字を取りたいでもなくて、

ただ、この世界に残しておきたかった。


その原点が、この第77話です。


物語は、まだ続いていきます。


けれど今日、ようやく。


ずっと残しておきたかったものを、

この世界に残すことができました。


ここまで読んでくださって、

本当にありがとうございました。

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