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白翼の光  作者: 月凪
第四巻 希望と影は光を紡いで

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第74話 流涙のユニゾン


ガラスの破片が

星屑のようにキラキラと散らばる、

冷酷なコンクリートの部屋の中で。


光と美咲は、互いの存在だけを

世界の拠り所とするように、

強く、強く抱きしめ合ったままだった。


混ざり合う涙が肌を伝う。


互いの体温だけが、

傷だらけの二人の輪郭を

この世界に繋ぎ止め、

今はただ優しく包み込んでくれていた。


この数秒間だけは、

世界のすべてが穏やかだった。


だが、運命という名の境界線は、

どこまでも冷酷に二人を切り裂く。


――ガチャリ。


無慈悲な金属音が、

静寂の膜を鋭く引き裂いた。


部屋の重い鉄扉が、

ゆっくりと開いていく。


心臓が不快に跳ねた。


抱き合ったままの二人の視界に、

映し出されたのは、『二つの最悪な影』。


「……え?」


光の思考が、一瞬で真っ白になった。


視界が、恐怖でぐにゃりと歪んでいく。


「うそ……」


掠れた声が、

血の気の引いた

喉の奥から漏れ出す。


影目との戦いで、

すべての神経を使い果たしていた。


だから、目の前の現実に対して

理解が追いつかない。


(何で……?


何でこの人達がここに……?)


あまりにも絶望的な現実を突きつけられ、

光の瞳が、カタカタと激しく震えを刻む。


久我は光の姿を見た瞬間――。


その目が狂気的に大きく見開かれ、

指先が不自然に震えだした。


「……光ちゃん……」


久我の声は、ひどく歪に震えていた。


その瞳を見た瞬間、光はハッとした。


狂気に染まっているはずの彼の瞳が、

ひどく――酷く、悲しそうに見えたからだ。


それは、居場所を失くした

迷子のような、哀しい色をしていた。


久我は、世界から、

光以外のすべてを、

排除したかのような瞳のまま、

覗き込むように屈んだ。


その後ろに佇む薄刃は、

眼鏡の奥の細い目をさらに細め、

冷徹に状況を観察していた。


「……影目を倒したのか。


予想以上に手強いな、希の娘」


感情の籠らない、淡々とした評価。


「しかし……妖力は完全に限界のようだ。


今なら……容易く捕らえられる」


薄刃のその一言が、決定打だった。


一瞬、久我の瞳に気が逸れていた光だったが、

薄刃の冷酷な言葉によって、

目の前が真っ黒な闇に染まっていく。


(もう……だめ……。


美咲先輩を守るって、決めたのに……。


私、もう何も残ってないよ……)


妖力を失いかけ、

短く縮みきった空刃を持つ手からも、

じわじわと力が抜け落ちていった。


武器の形状すら維持できない。


本当の限界。


もう、何も残っていなかった。


――その時。


ゆっくりと、

久我の震える右手が

光に向かって伸びた。


それはまるで、

ずっと失くしていた、

世界で一番大切な宝物を

やっと見つけたかのような――


空っぽの掌。


美咲は崩れそうになる光の身体を

必死に抱きしめ返し、涙の滲む瞳で、

目の前の二人の怪物を猛烈に睨みつけた。


声が恐怖でかすれ、震える。


「光に……これ以上、

指一本でも触らないで!!」


久我の右手が、ピタッと止まった。


一瞬だけ、美咲の抵抗に

苛立った表情を浮かべると、

隣の薄刃に冷たく確認を取った。


「チッ……。


なぁ、こいつはもう

好きにしていいんだっけ?」


薄刃は表情一つ変えず、冷たく言い放つ。


「光さえ五体満足で捕らえられれば、

他の生存者はどうなろうと構わん。


……ただし、連れ帰ってからにしろ。


ここで希に暴走されたら、

全てが水の泡だ」


「わかった……」


久我は「フーッ」と深くため息をつき、

感情をリセットするように立ち上がった。


「……仕方ねぇ。


美咲ちゃん……。


お前も……帰ってから

光ちゃんの後で遊んでやるよ……」


『光ちゃんの後で遊んでやる』


その卑劣な言葉が、

冷たく鋭利な刃となって、

光の心をズタズタに切り裂いた。


自分が動けないせいで。


自分が弱いせいで。


大好きな美咲先輩が、

これからもっと、

酷い目に遭わされてしまう。


光は美咲を抱きしめたまま、

ただ、激しく震えていた。


ボロボロと

溢れ落ちる涙が止まらない。


それでも――。


美咲を抱きしめるその手だけは、

決して、決して離さなかった。


光の胸の中で、

激しい葛藤が渦巻いていた。


(どうしよう……


もう……


一歩も動けないのに……)


(私が……


私が美咲先輩を

守らなきゃいけないのに……っ!)


ボロボロに傷ついた肉体に

無理やりムチを打つように、

光はガタガタと震える膝に力を込め、

床へ手を突いて立ち上がろうとした。


しかし、その瞬間――。


美咲の柔らかな手が、

そっと光の細い肩を押し、

その動きを制した。


「美咲……先輩……?」


美咲は光を見ずに

静かに前だけを見据えていた。


ごめんなさい、お父さん、お母さん。


ごめんね……悠真。


あなたとの約束、守れそうにないや。


でも。


美咲は床のガラス片の向こうに落ちていた、

むき出しの錆びた鉄パイプへと手を伸ばした。


それを、指先が白くなるほど

強く、強く握りしめる。


私は……ここで、光を守る。


たとえこの命がここで尽きても――


絶対に、この子を

あいつらには渡さない。


パイプ椅子の枷から

解放されたばかりの、

まだ血の巡らない足。


美咲は奥歯を噛み締め、

光の前に立ちはだかるようにして、

毅然と立ち上がった。


その背中は、光の視界をすべて覆うほど、

大きくて、頼もしかった。


(光……


カッコ悪い先輩でごめんね。


ちゃんと、

助かってあげられなくてごめん……)


(私が死んだら……


光はきっと、


たくさんたくさん泣くだろうな……)


(でも……


私は、笑ってる光の顔が

何よりも大好きなの)


美咲はゆっくりと振り返り、

光の顔を見つめた。


涙で濡れたその頬に、

どこまでも穏やかで、慈愛に満ちた、

世界で一番美しい微笑みを浮かべる。


(お願い……光。


……いつかまた、笑っていてね)


そのあまりにも綺麗で、

哀しい微笑みを見た瞬間、

光は心臓を直接掴まれたようにハッとして、

絶望に目を大きく見開いた。


すべてを悟ってしまった。


美咲先輩は、もう――


帰ってくるつもりがないのだと。


「美咲先輩……!?


いや……


嫌だ、やめて……っ!!」


美咲は震える声を必死に張り上げ、

しかし、はっきりと敵に向かって叫んだ。


「――渡さない!!」


光の目から、

大粒の涙がポロポロと

止めどなく溢れ落ちる。


這ってでもそれを止めようと、

血まみれの手を虚しく伸ばし、

喉をかきむしるように叫んだ。


「だめ!! 


美咲先輩!! 


行かないで……!


お願いだから、

行かないでぇぇぇっ!!」


美咲は光の叫び声を背中に浴びながら、

錆びた鉄パイプを大きく振り上げた。


そして、目の前の久我に向かって、

迷わず地を蹴り、真っ直ぐに駆け出した。


「光! 


走って!!


逃げてええええええっ!!!」


それが、美咲が全霊を絞り出した、

最後の命令だった。


しかし――


現実はどこまでも無慈悲だった。


――ガァンッ!!!!!


けたたましい金属音が、

狭い室内に虚しく響き渡る。


久我の背中から奔った黒い妖肢が、

美咲の渾身の力ごと、

鉄パイプを容赦なく

遥か彼方へと弾き飛ばした。


「あ……」


手首に伝わる痺れるような衝撃。


美咲の顔が、一瞬にして

真っ白な絶望へと染まっていく。


「……」


久我の歪んだ笑みとともに、

禍々しくうねる黒い妖肢が、

無防備になった美咲の

細い身体へ向かって、

狂暴な速度で襲いかかった。


「いやぁぁぁぁぁっ!!!」


光は、これ以上訪れる

最悪の光景を

直視することができなかった。


狂ったように激しく首を振り、

強く、強く目を瞑って顔を逸らす。


迫り来る黒い死の刃を前にして、

美咲もまた、静かにそっと目を閉じた。


(光――)


最後に愛しい人の名前を、

心の中で呼んだ、その瞬間。


――ズブリッ……。


世界が、しんと静まり返った。


肉を貫く、鈍く重い音。


それだけが、

冷え切ったモニタールームに、

やけに鮮明に響いていた――。


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