第73話 交響する二人の涙
――同時刻。
元地下駐車場・防災センター。
「クソ……影目の野郎……ッ!」
久我はモニターを睨みつけ、
苛立たしげに激しく舌打ちした。
「カメラの外に逃げやがって……っ!
まさか……
このまま、光ちゃんを
殺す気じゃねぇだろうな!?」
怒りに震える久我の横で、
薄刃は冷徹に顎を引いた。
「……影目の目的が、ようやく分かった」
その声には、確信めいた冷たさがあった。
「虎と希の戦いを、
自分と光で再現しようとしている。
……直接、確認しに行くぞ」
「チッ、連れてけよ」
二人は乱暴に重いドアを開け、
地下駐車場へと姿を消した。
無人になった部屋。
機械の駆動音だけが、虚しく響いていた。
――その、直後だった。
――ガシャァァンッ!!!!!
けたたましい破壊音とともに、
モニタールームの窓ガラスが激しく割れ、
無数の破片が青白いモニターの光を
反射しながら部屋中に飛び散った。
「っ……、う、あ……」
割れた窓から、
血と埃にまみれた小さな身体が、
勢いよく室内に滑り込んできた。
縛られていた美咲が、
驚愕して弾かれたように顔を上げる。
青白い逆光の中に浮かび上がったのは――。
傷だらけで息を荒げ、
背中に純白の片翼を、
今にも消えそうなほど
薄く揺らがせた光だった。
「ひ、光……っ!?」
「美咲……先輩……」
光はよろよろと立ち上がり、
限界を迎えた足を引きずりながら
美咲へと駆け寄った。
そして、その手に握られた空刃を、一閃。
――シュンッ!
美咲の身体を縛り付けていた、
あの忌々しい太いロープが、
一瞬にして音を立てて切り裂かれる。
「あ……」
すべての枷から解放された美咲の身体は、
椅子から崩れ落ちるようにして、
真っ直ぐに光の胸へと倒れ込んだ。
「光……?
本当に、光なの……?」
美咲の声が、激しく震える。
視界が涙で完全に歪み、
止まることを忘れたように
大粒の涙が溢れ落ちていく。
光は床に膝をつき、
血の滲む震える指先で、
美咲の冷え切った頬にそっと触れた。
愛おしそうに、慈しむように。
「美咲先輩……
本当に……
無事で良かった……」
その、いつもと変わらない
あまりにも優しい声。
美咲も震える手で
ゆっくりと光の頬へ手を伸ばした。
「あったかい……」
美咲の中で張り詰めていた何かが、
完全に決壊した。
「光……っ!
光ぃぃぃ……っ!!」
美咲は、ありったけの力を込めて
光を抱きしめた。
その瞬間だった。
ずっと堪えていた何かが、
光の中でも、音を立てて崩れた。
(美咲先輩……っ、
良かった……
本当に、良かった……っ)
声が出なかった。
ただ、気がついたら
光の目からも、涙が溢れていた。
怖かった。
ずっと、怖かった。
でも……間に合った。
傷だらけの、細くて小さな背中。
美咲は指先が真っ白になるほど強く、
光の服を掴み、自分の胸へと抱き寄せる。
「ごめんね……ごめんね、
光……っ!
私……何もできなくて……っ」
顔を光の肩に埋め、
美咲は声を震わせて嗚咽した。
「光を守るはずだったのに……
逆に、私が餌にされて……っ!
光があんなに傷ついて、
ボロボロになっていくのを……
私は、ただ見てるしかできなくて……っ!
……私のせいで、
こんなになったのに……
それでも助けに来てくれたんだね……っ!」
美咲の涙が、
光の白いキャミソールを濡らしていく。
光はそんな美咲の背中に、
ゆっくりと、細い両腕を回した。
そして、優しく、
けれど確かな強さで抱きしめ返した。
いつものシトラスの香りが
ゆっくりと、張り詰めた心を解いていく。
自分の肩を濡らす美咲の涙の熱さを、
光は胸の奥で、じっと受け止める。
そうして、ゆっくりと深く息を吐き出し、
愛おしそうに目を細めた。
「……守られてばかりじゃなく、
私も美咲先輩を支える……って、
あの時、決めましたから……」
妖力が底を突きかけているせいで、
その声は消え入りそうなほど弱々しい。
けれど、美咲を包み込む温もりは、
どこまでも優しかった。
「私こそ……
遅くなって、すみません……。
美咲先輩……」
二人は、ガラスの破片が
キラキラと散らばる冷酷な部屋の中で、
ただ互いの体温と、
狂おしいほど速い鼓動を
確かめ合っていた。
混ざり合う涙。
震えながら重なり合う、二つの肩。
長い、長い間――
二人はただ、離れられなかった。
この瞬間だけは。
鼻を突く血の匂いも、
身体を苛む激痛も、闇の恐怖も。
そのすべてが、
今だけは遠いもののように思えた。
光の背中で、
今にも消えそうだった純白の粒子が、
ほんの少しだけ、温かく輝いた。




