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白翼の光  作者: 月凪
第一巻 白翼は希望の光となって

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第7話 背中の温もり


夢を見ていた。


幼い頃、遊び疲れて泥のように眠り、

お母さんの細い背中におんぶされていた。


遠い日の夢。


世界のすべてを赤く染め上げるような、

眩しいほどの夕焼け。


耳元で心地よく響く、

お母さんの優しい、歌うような声。


「光! 明日は誕生日だね!


明日は絶対、早く帰るから、

一緒にお祝いしようね!」


心地よい揺籠のなかで、

私は安心しきって

お母さんの背中で眠りに落ちていた。


そして、その翌日。


お母さんが大きなケーキを

両手で大切そうに抱えて、

全身、ボロボロに

傷だらけになって帰ってきたこと。


幼かった私は、

その姿を忘れられずにいた。


(あぁ……


私の為に、あんなに急いで

帰ってきてくれたんだ……)


(お母さんが……


こんなに傷だらけになってしまったのは、

私が、誕生日のお祝いを

せがんでしまったせいだったんだ……)


誕生日の前日、私を包み込んでいた、

まるで世界のすべてであるかのように

心地よかったお母さんの背中の温もり。


今でも、その温もりだけは、

何年経っても色褪せない。


――不意に。


私の名前を呼ぶ、

清らかで、けれど酷く焦燥したその声に、


少しずつ、私の意識は

暗闇の底から現実へと引き戻されていく。


「……光!……光!!」


うっすらと重い目を開けると、

そこには、心配そうにこちらを覗き込む、

血の気が完全に引いた美咲の顔が映った。


「美咲……先輩……?」


おかしい。


まだ、誰かに

おんぶされている感覚が残っている。


でも、お母さんの匂いじゃない。


鼻腔をくすぐったのは、

あの車内と同じ、

すっきりとしたシトラスのいい香り。


光はハッとして我に返り、

自分を背負う人物の横顔へ目を向けた。


「ゆ……悠真さん……っ!」


悠真は意識を失った光をおんぶしたまま、

埃っぽい廃ビルの薄暗い階段を、

一歩一歩、静かに降りていたのだった。


「光……意識が戻ったのか。良かった……。」


冷たい印象を受ける悠真の、

心底ホッとしたような低い声。


状況を理解した瞬間、

光の頬が一気に沸騰したように赤く染まった。


「す……す……すみません!


大丈夫です! 自分で歩けます!」


悠真は光の慌てように小さく口元を緩め、

ゆっくりと光をその背中から下ろした。


「本当に、大丈夫か?」


心配そうに覗き込まれても、

光の頬の火照りは一向に治まらない。


「は……はい! 大丈夫です!」


勢いよくそう言い切ったものの――


地面に両足を着いた瞬間、

まるで地球の重力が

急激に増したかのように、

ヨタヨタと足の感覚がいうことを聞かず、

身体が大きく傾く。


美咲が素早く、

そっと光の華奢な身体に手を添えて支えた。


「光……大丈夫なの?


一体、何があったの!?」


光は美咲の温かい手を

命綱のように握りしめ、

少しずつ、麻痺していた

足の感覚を取り戻していく。


「すみません……。


私も、よく分からなくって……。


あの黒いシミに触れた途端、

激しい痛みが襲ってきて……。


そのあと、たくさんの人達の悲鳴と……

お母さんの声が、聞こえました。」


美咲は痛ましそうに眉を寄せ、

心配そうに光の顔をじっと見つめる。


「今は?……痛みは大丈夫なの?」


光は、自分の体調を確かめるように

小さく息を吐き、コクンと頷いた。


「はい。


……まるで、さっきまでの激痛が

嘘のように、全然、痛くないです……。」


少し先で階段を降り、

踊り場で待っていた悠真が、

振り返って外の空気に目を向けた。


「もう車に戻ろう。


日もだいぶ落ちてきた。


この辺は、灯りもないから、

すぐに真っ暗になるぞ。」


光は、硝子の一枚も残っていない

無機質な窓から、そっと外の景色を見遣った。


お母さんにおんぶされて見上げた、

あの日の記憶と同じように。


真っ赤に燃え盛る夕陽が、

遠くの街のビル群の向こう側へと、

ゆっくりと、静かに沈んでいこうとしていた。


――バタン!


悠真は運転席へと乗り込み、

滑らかに車のエンジンをかけた。


続いて、美咲に支えられるようにして

光が後部座席に身を沈める。


美咲はそのすぐ隣、

光をいつでも庇える距離に静かに座った。


「美咲と光は、このまま直帰だ。」


悠真はシフトレバーを握り、

バックミラー越しに光へ問いかける。


「必要なら、病院まで送っていくが……


どうする? 光?」


光は、自分がもう

健康であることを証明するように、

ブンブンと大袈裟に両手を振った。


「いえ!


本当にもう全然、

痛くないので大丈夫です!」


悠真はバックミラーで

光の少し赤みの戻った顔色を

注意深く確認し、静かに頷いた。


「そうか……。


俺は、お前達を送ったら

一度支部に戻って、

保管庫に妖魔刀を戻してくる。」


車が夜の道へと滑り出す。


美咲は、未だ拭いきれない

心配の気配を纏ったまま、

光の方を優しく振り返った。


「ねぇ、光……。


お友達の所じゃなく、

私の家に暫く泊まらない?」


光の大きな瞳が一瞬だけ、

戸惑いと嬉しさに揺れる。


「やっぱり……


光のことが心配だし、

翼のことも含めて、

私が傍にいた方がいいと思うの。」


美咲の手の温もりを思い出し、

光は胸が熱くなった。


けれど、すぐに小さく首を横に振った。


これ以上、

この大好きな先輩たちの日常を、

自分の運命で壊したくはなかった。


「……ありがとうございます、

美咲先輩。


でも、あやかにも、

もう凄く心配をかけちゃってるし……。


今は、あやかのところに泊めてもらいます。


皆に、迷惑をかけすぎていて……

本当に、申し訳ないんですけど……」


美咲は少しだけ心配そうに眉を寄せたが、

すぐに光の小さな決意を汲み取るように、

フッと優しく微笑んだ。


「わかったわ。


くれぐれも、無理はしないでね。

何かあったら、すぐに連絡して。」


悠真はそのやり取りを

ミラー越しに確認すると、

ヘッドライトの青白い光を灯し、

東京の暗い夜道へと車を加速させた。


やがて車は、親友・彩花の住む

マンションの前へと滑り込む。


美咲は、光が車を降りるのと同時に

自分も外へ出て、最後まで見送ってくれた。


「ここまで送ってくれて、

本当にありがとうございました……」


光が深く頭を下げると、

美咲は夜の風に黒髪を揺らしながら、

優しく微笑み返した。


「ううん。


何かあったら、すぐに連絡してね。


いつでも駆けつけるから。」


美咲は光の華奢な肩を、

愛おしそうに軽く抱き寄せ、

耳元でそっと囁いた。


「明日はゆっくり休んで。


絶対に無理しないでね。」


そのシトラスの香りに

守られるようにして、

光は小さく頷いた。


美咲が車の助手席に乗り込み、

黒いセダンが去っていく。


赤いテールランプの光が夜の闇に溶け、

完全に一人になったその瞬間。


光はまるで、

誰にも見つかってはいけない

子どものように、

マンションのエントランスの

死角へと滑り込んだ。


無機質な、冷たいコンクリートの壁に

背を預ける。


その冷徹な感触が肌に触れた途端、

これまで張り詰めていた緊張の糸が、

ぷつりと音を立てて切れた。


膝の力がヘナヘナと抜けていく。


さっき、聞こえたお母さんの声が、

頭の中で、何度も、何度も、

壊れたレコードのように

リフレインを繰り返す。


『光……


ありがとう……幸せだったよ……』


壁に背を預けたまま、

光は重力に逆らうことすらできず、

ズルズルと力なく、

冷たい地面へとへたり込んでいった。


美咲や悠真の前では、

「もう大丈夫です」と、

必死に大人の顔を繕っていた。


これ以上、

誰の手も煩わせたくないという、

意地だけが彼女を支えていた。


けれど――


静まり返った、誰もいない夜の空気は、

光のその拙い仮面を容赦なく剥ぎ取り、

ただの寂しい子供へと引き戻してしまう。


脳裏を過ぎるのは、

二度と会うことのできない、

死んだお母さんの温もり。


一人で生きるのには、

慣れているはずだった。


もう、孤独なんかで

涙を流すことは無いと思っていた。


しかし。


押し寄せる圧倒的な孤独感と、

張り裂けそうな母への恋しさに耐えきれず、

光はコンクリートに座り込んだまま、

自分の太ももに深く顔を伏せた。


「……ぅ、……ぁ……お母さん……っ」


声を出すことすら怯えるように、

小さな手のひらで口元を覆い、

声を、嗚咽を必死に押し殺しながら、

その華奢な小さな肩を激しく震わせた。


ぽろぽろと零れ落ちる涙が、

膝の上へと落ち、

小さな染みを作っていく。


その時だった。


ふと、光の左の肩甲骨の奥が、

微かな、けれど

どこまでも優しい熱を帯びた気がした。


――フワリ。


泣きじゃくる光の背中から、

真っ白な雪のような光の粒子が、

夜の闇を優しく照らしながら、

いくつか、ふわりと空中へ舞い上がった。


それは、まるで泣き崩れる我が子を

愛おしそうに慰めるかのように。


光の髪を優しく、優しく

撫でるようにして軌跡を描き、

そして、夜の風の中に、

静かに溶けて消えていった。


光は涙に濡れた目を少しだけ開き、

自分の髪に残った微かな熱の余韻を、

世界で一番大切な

宝物を確かめるようにして、

そっとその場所へ手を重ねた。


挿絵(By みてみん)

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