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白翼の光  作者: 月凪
第四巻 希望と影は光を紡いで

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第66話 影のリターン

挿絵(By みてみん)


数日後、雨上がりの

爽やかな朝を迎えた江東区・南砂。


美咲のマンション

十五階のリビングからは、

雲一つなく晴れ渡った青空の下、

都心のビル群がキラキラと

眩い光の海のように輝いていた。


朝の清らかな太陽光が

大きな窓ガラスから差し込み、

リビング全体を温かく、

隅々まで明るく照らし出している。


そんな気持ちの良い朝のキッチンには、

ベーコンの香ばしさと

味噌汁の優しい香りが混じり合う、

温かな匂いが広がっていた。


「おはよう……。


光、今日は珍しく朝から元気ね」


寝癖を少し残した美咲が、

目をこすりながらリビングに姿を現した。


「美咲先輩、おはようございます!


今日はちょっと早起きができて……!」


光が満面の笑顔で振り返ると、

彩花がニヤニヤと

意地悪っぽい笑みを浮かべて突っ込んだ。


「美咲さん、今日はあの金髪チャラ男が

朝から来ないじゃないですか?


私、マジで心の底から

ホッとしたんですよねー」


「ちょっと彩花ちゃん、

蓮司に失礼でしょ(笑)」


美咲が呆れたように笑いながらも、

優しく目を細める。


光たちは三人でテーブルを囲み、

出来立ての朝ごはんを食べながら、

他愛のない世間話を交わした。


至って普通の、

どこまでも穏やかで、

愛おしい朝の風景だった。


◇


――討魔局深川支部・訓練所。


『パシィィン! ガァンッ!』


鋭い竹刀の音が

午前中の広い道場に響き渡る。


「光、もっと腰を落として!


剣先がブレてるわよ!」


「はい……っ!」


美咲が光の拙い一撃を

竹刀の腹で綺麗に受け止め、

凛とした声で指導する。


アドバイス通り、

もう一歩深く踏み込もうとした――


その、刹那だった。


「――っあ!?」


突如、左の肩甲骨の奥……

あの純白の翼が爆発した場所から、

肉を直接焼き焦がされるような

凄まじい激痛が走った。


一瞬にして肺の空気をすべて奪われ、

視界が真っ白に激しく明滅する。


背中が異常な熱を持ち、

心臓の拍動に合わせて、

焼けた鉄杭を打ち込まれるような痛みが、

何度も身体の内側を抉っていく。


「は、っ……ふぅ、く……っ」


止まらない冷や汗が吹き出し、

額から頬を伝って

床へとボロボロと落ちていく。


指先が完全に痺れ、

握っていた竹刀が乾いた音を立てて

床へ滑り落ちた。


光は痛みに耐えかねて、

その場に激しく膝をついた。


「光――ッ!?」


「おい、どうした光ちゃん!」


「光! 大丈夫か!?」


対面していた美咲が顔を強張らせ、

少し離れた場所にいた悠真と蓮司、

そして神崎が、弾かれたような速度で

光のもとへと駆け寄ってくる。


光は痛む背中を庇うようにして

胸元の道着を強くむしり、

唇を血が出るほど噛み締めながら、

震える声で必死に答えた。


「……だ、大丈夫、です……。


あの、影目と戦った後から、たまに……っ。


すぐ、すぐに治まりますから……っ」


美咲が慌てて光の背中にそっと手を当て、

その熱を確かめる。


それを見た神崎の表情が、

一瞬にして厳しいものへと変わった。


「……念のため、今すぐ病院へ行け。


美咲、お前が付き添ってやってくれ」


◇


――討魔局提携・深川中央病院ロビー。


長時間の詳細な診察を終えて戻ってきた光に、

待合室の長椅子で待っていた美咲が

すぐに立ち上がって声をかけた。


「どうだった、光?」


「……はい。


精密検査でも、

特に異常は見当たらないみたいです。


ただ、体内の妖力の流れを落ち着かせる

安定剤と、痛み止めの注射を

打ってもらいました」


「そう……。


よかった、本当に」


美咲は心底安堵したように胸をなでおろした。


そのとき、美咲のポケットで

スマホが激しく震えた。


神崎からの連絡だ。


画面を確認した美咲は、

光を振り返って優しく告げた。


「班長から。


光は今日の業務は免除、

このまま直帰していいって。


今日はもうゆっくり休みなさい」


「……すみません、私のせいで、

また皆さんに迷惑をかけてしまって……」


「謝らないの。


ほら、マンションまで

ちゃんと送っていくから」


「え、でも、美咲先輩の午後の業務が……」


「ダメ」


美咲は光の言葉を遮ると、

有無を言わせない、

けれど誰よりも温かい眼差しを向けてきた。


「あの日から、あなたはまだ

誰かに狙われてるかもしれないでしょ?


一人にはさせないわ」


「……ごめんなさい」


光が俯くと、美咲は愛おしそうに微笑み、

光の頭を優しく撫でてくれた。


◇


――夕方。


光を自宅マンションまで確実に送り届け、

再び支部へと戻ってきた美咲は、

オフィスの不自然な静けさに、

わずかに眉を寄せた。


自席のデスクに座り、

未処理の報告書をファイリングしていると、

神崎、悠真、蓮司の三人が、

酷く疲弊した様子でオフィスへ戻ってきた。


「お、美咲。


もう戻ってたのか。


……病院で、光の様子はどうだった?」


神崎が椅子に腰掛けながら声をかける。


「光は今は大丈夫そうでした。


さっきより顔色も良くなっていて。


……それより班長、

緊急任務だったんですか?」


「ああ。臨海エリアに

AAランクの寄生型が出やがった。


……チッ、それにしても最近、

やけに個体の出力が強い奴が

増えてる気がするな」


最奥のデスクに腰掛けた悠真が、

包帯の巻かれた腕を押さえながら

静かに応じた。


「出現のペースも明らかに異常です。


地方都市程度だったこの地域が、

ここ最近、都心部の激戦区並みの

過密さになっています」


「仙台じゃAランクすら

滅多に拝めないってのに、

ここ最近の江東区はマジでおかしいよ。


……いや、それだけじゃねえんだわ」


蓮司がいつもの軽い調子を完全に消し去り、

タバコの箱を弄びながら低く呟く。


「あの豊洲の廃墟マンションのときさ。


……確実に、誰かが上から

俺たちの戦闘を見てた」


「……やはり、お前も気のせいじゃなかったか」


悠真の目が鋭く細められる。


「監視、か?」


神崎が腕を組んだまま、

眉間のシワを深くした。


「たぶん……。


それも、ただの野良妖魔の視線じゃねえ。


もっと、ねっとりとした、

頭のいい悪意の視線っすよ」


蓮司はブラインドの隙間から、

沈みゆく夕日を見つめ、

小さく息を吐いた。


神崎班を取り巻く見えない組織の影が、

確実に、すぐ近くまで迫ってきている。


◇


すべてのデスクワークを終えた美咲は、

夕陽が沈みかけ、オレンジ色に染められた

支部を後にした。


「美咲、スープラで送っていこうか?」


廊下で声をかけてきた蓮司に、

美咲は足を止めて小さく首を振った。


「大丈夫、ありがとう。


今日は光もいないし……


たまには、

ゆっくりバスで帰るわ」


そう言って蓮司と別れた美咲は、

駅前のバス停へ向かう道すがら、

スマホを取り出して光にLINEを送った。


『これから帰るけど、

夕飯で何か食べたいものある?』


一分もしないうちに、光から返信が届いた。


『ありがとうございます!

今日はカレーが食べたいです♪』


続けざまに、もう一通のLINEが届いた。


『前のカレーは、

彩花が全部食べちゃったので(> <。)』


画面を見つめる美咲の目元が、

ふっと柔らかく綻んだ。


「ふふ……了解。


じゃあ、バス停前のスーパーで

材料でも買って帰ろうかな」


夕焼けの最後の残光が

血のように赤く世界を染める中、

美咲は薄暗いバス停のベンチの近くで、

静かに停留所の時刻表を見上げていた。


周囲には人影もなく、

車道を通る車の音が

遠くに聞こえるだけだった。


生暖かい風が、

誰もいないベンチをゆっくりと撫でていく。


バスの接近を知らせる電子音が、

停留所の表示板から一度だけ鳴った。


――その、刹那だった。


『ゾクッ――!!』


美咲の全神経が、

頭のてっぺんから指先まで、

まるで氷水を浴びせられたかのように

一瞬で凍りついた。


風の止まった淀んだ空気の隙間を縫って、

美咲のすぐ近くから、

ねっとりと、まとわりつくように

『それ』が強く漂ってきたのだ。


――甘ったるく、腐った果実のような、

吐き気を催す悍ましい香水の匂い。


光と満員電車の中で嗅いだ、あの匂い。


美咲は、その瞳を限界まで見開いたまま、

肺の空気をすべて奪われたように、

思わず息を止めた。


バス停の街灯が、

何かに怯えるように、

一度だけチカリと明滅した――。


その頃――。


ファミレスの、窓際の席。


昼と夜の境界が曖昧になっていくその場所に、

ひとり物思いにふける影目の姿があった。


頼んだまま少し冷めてしまったカフェラテ。


その湯気の向こうにある彼の佇まいは、

まるで、大切な誰かと、

待ち合わせをしているかのように静謐だった。


ガラス窓の向こう。


茜色から群青色へと

移り変わるグラデーションの空の下、

帰宅を急ぐ人々の群れが

波のように通り過ぎていく。


街灯や、絶え間なく流れていく

車のヘッドライトがぽつぽつと点り始め、

夕闇の底に淡い光の川を創り出していく。


影目はその黄昏の景色をただ、

静かに見つめていた。


細い指先でカップを持ち上げ、

カフェラテを一口だけ、その唇に含む。


かすかな苦味をやり過ごすように、

フゥ……と、小さなため息が白く溢れた。


影目はただ、

急速に夜へと沈んでいく世界の景色を、

いつまでも静かに眺め続けていた。


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