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白翼の光  作者: 月凪
第三巻 宿命は光と影になって

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第65話 光と影のインタールード


分厚く垂れ込めた雲の裂け目から、

冷たい月明かりが銀の刃のように差し込む、

雨の夜の六本木。


降りしきる雨に濡れたアスファルトは、

街灯の鈍い光をぼんやりと歪めて反射し、

かつて欲望が渦巻いていた無人の大通りは、

今はまるで死に絶えたように

静まり返っていた。


消え去ったネオンの残骸が、

黒々とした高層ビル群の隙間に

骨組みとなって

不気味に浮かび上がっている。


そんな地上の死寂を

嘲笑うかのように――


六本木の地下深く、

かつて華やかな夜を彩っていた高級クラブは、

今や異形の妖魔たちが蠢く

底なしの巣窟と化していた。


重く湿った足音が、

冷たいコンクリートの通路に響き渡る。


久我と薄刃の二人が、妖魔たちに案内され、

最奥にある豪奢な間へと通された。


部屋の中央、巨大なソファーに

だらしなく腰掛けた巨躯の男が、

琥珀色の液体が揺れるグラスを傾けたまま、

低く、喉を鳴らして笑った。


――最高位妖魔、『龍』。


その正体たる、蒼龍 黎。


「おう、ようやく来たか。


豊洲の実験データは、

すでに俺の手元にも届いてるぞ。


……その粒子、

後で月魄(つきしろ)に回しておけ」


龍の言葉に応えるように、

部屋の暗がりから銀髪の男が

音もなく浮かび上がるようにして姿を現した。


影目零次は、どこまでも恭しく一礼すると、

薄刃から受け取った黒い粒子入りの小瓶を、

薄暗い照明へとかざすように掲げてみせる。


「――承知いたしました」


龍はニヤリと肉食獣のように

口の端を吊り上げ、

その金色の眼光を久我たちへと向けた。


「で? 肝心の『希の娘』の件は

どうなってんだよ。さっさと吐けよ」


水を向けられた久我は、

不機嫌そうに視線を他方へ逸らした。


先日の戦い――


悠真に圧倒されたあの屈辱が、

胸の奥で今もドス黒く燻んでいる。


「黒崎を、潰す……。


必ず、光ちゃんの目の前で、な……」


部屋のさらに奥、壁に背を預けて

腕を組んでいた九条が、

ぽつりと冷たい声を漏らした。


「……黒崎悠真か」


九条の口元が、一瞬だけ獣のように歪む。


「――面白そうだ」


それは、誰へ向けたものでもない、

狂気を孕んだ独り言だった。


薄刃は眼鏡の奥の冷徹な瞳をさらに細め、

抑揚のない淡々とした声で答えた。


「美雲光の観察は、

引き続き継続しています。


……そして、非常に興味深いデータが

採取できました」


「回りくどいんだよ。


さっさと結論を言え」


龍の声が、地響きのように低く唸り、

部屋の空気を圧壊させる。


薄刃はわずかに間を置いてから、

冷酷な確信を込めて、静かに言葉を続けた。


「光の放つ『翼』の妖力波形は――


母親である、『美雲 希』のものと

完全に一致します。


単なる血縁の類似

などというレベルではない。


完璧に、同一のものです」


「……あぁ?」


龍の目が、細く、

危険な狂気の光を帯びていく。


「推測の域を出ませんが――


あの純白の翼は、妖魔化した希

そのものであると考えられます。


娘を守りたいという、希の強烈な執念が、

今も光の背中に宿り続けている……。


そう判断するのが妥当です」


「――っ」


久我の口元が、

押し殺しきれない笑みに歪む。


部屋を支配する、重苦しい沈黙。


龍は一瞬だけ、動きを止めた。


そして――。


「…………ははっ」


低く、地の底から湧き上がるような

乾いた笑いが、龍の喉から漏れ出た。


その笑いは徐々に大きくなり、

次の瞬間、龍は頭を仰け反らせ、

狂ったように大笑いした。


「はははははははっ!!


なんだそりゃあ!?


つまりあの女、死んだフリして

まだ娘の背中で生きてやがるってことかよ!?


クククッ……ははははは!!」


龍はソファーを

蹴り飛ばすかのような勢いで立ち上がった。


興奮でその目を血走らせ、

鋭い牙を剥き出しにする。


「最高じゃねえか!!


虎の仇そのものが、

まだ娘の背中にへばりついてるとはよぉ。


薄刃、お前のつまらねえやり方じゃ

やっぱり殺しきれなかったってことだ!


おい、影目!」


「はい、ここに」


「お前、美雲希とやり足りねえんだろ?


まだ、あの娘の背中にいる『それ』と

戦いてえんだろ?」


影目は静かに、

けれどその慇懃な面の下から、

狂気的な熱を帯びた微笑みを

浮かべてみせた。


「……はい」


影目は深く一礼した。


その所作は、

どこまでも優雅で、

どこまでも静かだった。


しかしその背後では、

黒い殺気だけが

ゆらゆらと揺れていた。


「ミス光と、もう一曲お相手願えるよう、

お取り次ぎいただけますか?


……いえ、何が何でも、

その機会をいただきたいです」


その声音には、

上品な紳士の仮面を焼き切るほどの、

最悪な執着が滲み出ていた。


龍は満足げに獣のような哄笑を上げ、

地下の部屋中に響き渡る大声で、

再び薄刃を顧みた。


「薄刃! 希の娘を捉える計画の進捗は

どうなってんだ?」


「並行して網を狭めてはいますが……

神崎班のガードが少々厄介です。


現在は――」


「フン、神崎などどうでもいい!」


龍は低く唸り、

獰猛な笑みを浮かべてそれを遮った。


「実はウチの影目が、先日、希の娘に

ずいぶんと世話になったらしい。


また、遊びたいんだとよ」


その一言に、久我と薄刃が

同時に顔を跳ね上げた。


影目は二人の前に歩み出ると、

深く頭を下げた。


「薄刃殿、久我殿。


どうか、私の同行をお許しください。


……私は何としても、

ミス光と再びお会いしなければなりません」


久我は、そんな影目を

忌々しげに睨みつけながら、鋭く口を開く。


「……チッ。


光ちゃんを捉えたら、

真っ先に俺によこせよ」


影目は微笑みを崩さないまま、

冷たく応じた。


「……承知いたしました」


龍は豪快に笑い、

その巨大な手を大きく振った。


「ま、そういうこった。


お前ら、存分に楽しんでこい」


龍の凶悪な笑い声は、

地下の暗闇にいつまでも長く

不気味な尾を引き――


やがて、冷たい月明かりの下で

静かに降り続ける、

地上の雨音へと溶けていった。


◇


――六本木、廃ビルの最上階。


剥き出しのコンクリートが連なる、

何も無い廃墟の一室。


影目は壁に背を預け、

ただ静かに目を閉じていた。


世界を満たしているのは、

窓枠の向こうから聞こえる、

世界を削り取るような雨の音だけだ。


タッ、タッ、と。


その静寂の結界を破るように、

弾むような、けれどひどく軽い足音が

少しずつ近づいてくる。


「あー……


いたいた。


影目さん!」


ドアの失われた入り口から、

屈託のない、それゆえに

酷く歪な微笑みを浮かべた

月魄(つきしろ) 奏(かなで)が顔を出した。


「月魄殿……。


龍から、貴方にこれを

渡すよう言われたので――」


影目はコートのポケットから、

ひとつの小瓶を取り出した。


中では、光を吸い込むような

黒い粒子が蠢いている。


それを、無造作に

ヒュッと月魄へと投げ渡した。


月魄は微笑みを一切崩さないまま、

片手でその小瓶を受け取った。


「あー……。


これ、どうでしたか?」


影目はガラスの失われた窓に視線を戻し、

灰色に霞む雨の街を眺めながら、

淡々と応じた。


「再現率は3割程だそうです」


月魄はいたずらっぽく、

小さな舌を出して笑った。


「あらら……


やっぱりそうでしたか。


まだ美しくないですからね……

そんな所でしょう。


でも、おかしいなぁ……。


翼の粒子がないや……」


影目はフッと自嘲気味に笑い、

月魄の底の知れない瞳を見つめた。


「ミスター鳴海が、

翼を使わせてくれなかったそうですよ」


その言葉を聞いた瞬間、

月魄の瞳の奥に、昏く妖しい光が灯る。


彼は手の中の小瓶を

愛おしそうに見つめた。


「へぇ……。


それは、美しいですね」


月魄は小瓶をそっと握りしめ、

ポケットの闇へと滑り込ませた。


そして、探るような視線を影目に向ける。


「そういえば……


『月』と会って来たんですよね?


どうでした?


『太陽』が忘れた『空』は

届けられそうですか?」


影目は遠い目をしながら、

ただ雨に濡れそぼる六本木を見下ろした。


その横顔には、長い年月を生き、

何かを諦め、それでもなお

見届けようとする者の

深い哀愁が滲んでいる。


「ええ……。


しかとこの目で、

彼女のファースト・ステップを

拝見させていただきました」


月魄は相変わらず笑みを崩さないまま、

足音も立てずに影目の隣へと歩み寄った。


「それは良かった!


これでようやく、

貴方の呪いも解けそうですね。


道理で……


いつもより、

美しい貌をしていると思った」


その言葉を肯定も否定もせず、

影目は丁寧に一礼した。


その場を去るため、

出口へと静かに歩き出す。


カツ……カツ……。


乾いた足音が響く。


影目の身体が、

部屋と廊下を隔てる『境界線』を跨いだ、

その刹那。


不意に、背後から月魄の声が、

冷たい風のように滑り込んできた。


「影目さん……。


また、会いましょうね!」


影目はぴたりと足を止めた。


そして、月魄の方へと静かに向き直ると、

もう一度だけ、深く、痛切なほど

綺麗な所作でお辞儀をした。


交わす言葉は、もう何もない。


影目はそのまま闇に溶けるように、

静かにその場を去っていった。


月魄は、その背中を

いつまでもニコニコと見送っていた。


やがて一人になると、

彼は影目の真似をするように、

ガラスのない窓枠に手をかけ、

外の雨を見つめる。


「……美しいなぁ……」


ザァァ……、ザァァ……。


雨はただ、容赦なく、

無人の六本木へと降り注いでいる。


アスファルトを叩く無数の水滴は、

この街にこびりついた

誰かの未練を洗い流すこともなく、

ただ冷たく、等しく世界を塗り潰していく。


遠くで、境界線の

あちら側とこちら側を繋ぐように、

雷鳴が小さく震えた。


それは、既に始まっている、

美しくも残酷な劇の間奏。


世界がその色を

失っていくような静けさの中で、

ただ雨だけが、これから訪れる終わりを

予感させるように……


いつまでも、

いつまでも降り続いていた。


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