第61話 解放の代償
その翌日。
討伐課のオフィスは、
朝から少し活気づいていた。
雲の隙間から差し込む柔らかな朝日が、
机の上を優しく照らしている。
今日、悠真が退院して復帰する日だ。
光はまだ軽い包帯を巻いたまま、
自分のデスクで
報告書のチェックをしていた。
背中はもうほとんど痛くないが、
念のため安静にと言われている。
美咲がキーボードを叩く手を止め、
弾かれたように顔を上げて声を弾ませた。
彼女にしては珍しく、
テンションは最高潮だ。
「あ……来た来た!」
オフィスの扉が開き、
悠真がゆっくりと入ってきた。
病み上がりで少しばかり白い肌。
けれどその顔には、
「日常」を取り戻した
安堵と清々しさが宿っていた。
美咲は椅子を引いて立ち上がると、
弾けたような満面の笑みを咲かせた。
「おはよー! 悠真!
今日から復帰ね!」
その言葉を合図に、
オフィスが一気に活気づく。
神崎がニカッと、
彼らしい豪快な笑みを浮かべて
声を張り上げた。
「おう! 悠真! 待ってたぞ!!」
光もまた、
パッと表情を輝かせて立ち上がった。
「悠真さん……っ!
おはようございます!
今日から、ですね……!」
全方位からの熱烈な歓迎に、
悠真は少し照れくさそうに頭を掻いた。
「おはよう。
すまない。
みんなに迷惑をかけた」
どこか不器用で、
けれど真っ直ぐな謝罪。
その様子を
少し離れた席から眺めていた蓮司が、
いたずらっぽく口元を歪めた。
彼は視線が合うと、
二本の指を眉に当てて、
軽快な敬礼のポーズを決めてみせる。
悠真は光のほうへと視線を向け、
柔らかい声を紡いだ。
「光……
入院中にプリン
持って来てくれてありがとう。
美味しかった」
不意を突かれた光は、
恥ずかしそうに頬を緩めた。
「えへへ……
悠真さんが
元気になるといいなと思って……。
プリン好き……って
言ってくれて良かったです」
悠真は小さく目を細めた。
「……体、大丈夫か?
無理してないか?」
光は慌てて首を横に振った。
「大丈夫です!
もうほとんど痛くないです……っ」
神崎が手を叩いて
みんなの注意を引いた。
「よし、朝礼だ。
今日はデスクワーク中心。
報告書まとめと、
次期任務の資料整理を進める。
悠真は無理するなよ。
軽い業務からな。」
朝礼が終わると、
オフィスはいつもの
業務モードになった。
光は時折、背中を庇うように
小さく姿勢を変えていた。
美咲は隣のデスクで資料を整理し、
悠真は自分のデスクに戻って
ゆっくりとPCに向かっていた。
蓮司は相変わらずだるそうに
椅子に寄りかかりながら、
キーボードを叩いている。
光が隣の席の美咲へと視線を向け、
周囲に聞こえないほどの小声で話しかけた。
「美咲先輩。
悠真さん、元気そうで
本当によかったですね」
美咲は作業中の画面から視線を外し、
チラリと悠真の背中に視線を送ってから、
優しく目を細めた。
「うん……本当にね。
私もずっと心配してたから……
今日はなんか、心の底からホッとするわ」
そんな二人の秘密めいた会話に、
向かいの席から、蓮司がひょっこりと
首をのぞかせて、声をかけてきた。
「光ちゃん、背中まだ痛む?
無理すんなよ。
なんなら俺が代わりにその書類、
まとめておこうか?」
光は少しイタズラっぽく微笑んだ。
「ふふ、大丈夫です!
蓮司さんこそ、
昨日遅くまで残って
報告書を書いてたんじゃないですか?
お疲れ様です」
核心を突かれた蓮司は、
ニヤッと口元を歪めた。
「へへっ、ばれたか。」
悠真は自分のデスクに腰を落ち着け、
そんな三人の他愛のないやり取りを
静かに眺めていた。
その唇の端には、
自然と穏やかな笑みが浮かんでいる。
午前中の業務が一段落を告げ、
オフィスに昼休みの
穏やかな空気が満ち始めた頃――。
悠真が不意に席を立ち、
美咲のデスクへと歩み寄った。
その足取りには、
どこか張り詰めた気配が混じっている。
「美咲。
お前の妖魔刀、見せてくれないか?」
唐突で真剣な眼差しに、
美咲は驚いたようにパチリと瞬きをした。
「え……
いいけど、急にどうしたの?」
「ちょっとな。
確認したいことがあるんだ」
悠真の声音に、
いつもとは違う重さを感じ取り、
美咲は静かに頷いた。
◇
――深川支部・出撃準備室。
重厚な防音扉の向こう、
鉄の匂いと微かに妖力が漂う空間。
悠真は厳重にロックされた武器保管庫から、
美咲の白い『妖魔刀』を取り出し、
机の上に静かに横たえた。
刀身に触れるか触れないかの距離で、
悠真は、その鋼の肌をじっと見つめた。
「……やはり、な」
確信を孕んだ悠真の呟きに、
隣で見守っていた美咲の背筋に
冷たいものが走る。
「え……?
何が分かったの、悠真」
午後の柔らかな陽光が、
出撃準備室へ静かに差し込む。
二人の影だけが、
冷たい床へ長く伸びていた。
悠真は刀身を斜光に翳し、
刃元をじっと見つめながら
静かに口を開いた。
「蓮司が言っていた。
お前の妖魔刀には、
『解放』された形跡がある……と」
「カイホウ……?
って何、それ」
「簡単に言えば、
特式以上の妖魔刀を持つ
殲滅班だけが扱える、
妖魔刀戦術の奥義だ。
使用リスクが高いため、
殲滅班以外の一般隊員には
存在すら秘匿されている」
「私は殲滅班じゃないし、
そんなの知らないわよ」
「そうだな。
だが美咲……
お前はあの日、無意識のうちに
その解放を引き出した可能性がある」
悠真の真剣な眼差しに、
美咲の心臓が小さく跳ねた。
「イメージするなら、
光が翼を広げる時のあの感覚だ。
あれを妖魔刀に変える。
自分自身の強い感情を妖力に上乗せして
解き放つのが、解放の本質だ。
……心当たりはないか?」
その言葉がトリガーとなり、
あの夜の記憶が鮮烈に蘇った。
薄刃との戦い。
光を護ることへの必死さ。
父の死に薄刃が
関与していたと知った時の、
胸が張り裂けそうな怒り――
刃が青く輝き、
信じられない速度で
連撃が生まれたあの瞬間。
「……そうか……
あれが、解放だったのね」
悠真は小さく頷いた。
「間違いない。
それがお前の解放状態だ」
「でも、なぜ蓮司が
直接言ってくれなかったの?」
「ここを見てみろ」
悠真が刃元を指差すと、
うっすらと灰色に燻んだ痕跡があった。
「蓮司はこの極小の変色に気づいた。
……そしてお前に直接言わず、
俺に伝えてきた理由はこうだ。
お前が解放の適性を持つことが
公になれば、美咲、
お前は殲滅班に引き抜かれる。
しかし今の神崎班には、
すでに俺と蓮司の二人が殲滅班として
籍を置いている。
つまり……
お前が殲滅班になれば、
俺とお前のどちらかが、
別の班へ異動になる可能性が高い」
「チームが、バラバラに……?」
「だから蓮司は、
俺たち二人で話し合わせるために、
まず俺に伝えてきたんだ」
美咲は大きく目を見開いた。
(だからあの時、
蓮司は強引に私の刀を奪って
制式妖魔刀を渡してきたのね……
リスクがあるから、
私にこれを
使わせたくなかったんだ……)
「……あいつ、
チャラチャラしてるくせに、
そんなことまで
考えてくれてたの……」
「ああ。
あいつはそういう奴だ」
悠真は短く、
しかし確かな信頼を込めて言った。
美咲はなんだか可笑しくなって
くすっと笑ってしまった。
「ふふ……
そういう話を聞くと、
悠真と蓮司って、
本当に親友なんだなぁ……
って、つくづく思うわ」
「……勝手にあいつが
俺に絡んでくるだけだ」
悠真はフイと顔を背けたが、
その耳の端が少しだけ
赤くなっているのを
美咲は見逃さなかった。
美咲は笑みを収め、
真剣な眼差しで
悠真を見つめ直した。
怖くないと言えば、
それは嘘になる。
……でも。
「ねえ……悠真。
私にそのチャンスがあるなら——
やるわ。
殲滅班、受けて立つわよ」
「美咲……。
さっきも言ったが、
そうなれば――」
「分かってる」
美咲は真っ直ぐに、
悠真の目を見つめた。
「それでも私は、もっと強くなりたい。
悠真と……
光と……
みんなと、
これからも一緒に戦いたいもの」
悠真は静かに、
誇らしそうに微笑んだ。
「そうだな……
美咲ならそう言うと思っていた」
「うん……
ありがとう、悠真!」
「礼なら、蓮司に言ってくれ」
美咲はまたクスッと笑った。
「ふふ……
そうね!」
午後の柔らかな日差しの中、
二人は並んで出撃準備室を後にした。




