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白翼の光  作者: 月凪
第一巻 白翼は希望の光となって

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第5話 血涙の雨が降った場所へ


翌日――。


美咲のマンションの広いリビングには、

快晴の日差しが大きな窓いっぱいに

降り注いでいた。


光はゆっくりと目を覚まし、

リビングの扉をそっと開けた。


キッチンから、

味噌汁の優しい香りが漂ってくる。


「おはよう、光。


ちゃんと眠れた?


朝ごはん、できたよ」


美咲の穏やかな声に、光は力なく微笑んだ。


「はい……


本当にありがとうございました。


助けてもらった上に、

制服まで貸していただいて……


申し訳ないです」


美咲の少し大きめのブラウスからは、

シトラスの柔らかな匂いがした。


美咲のその温もりが、

光の胸に不思議な安心感を広げていく。


眠る直前まで泣いていた光の目は、

まだ充血し、瞼も少し腫れていた。


美咲は優しく微笑み、

光のブラウンの髪をそっと撫でた。


「いいの、気にしないで。


そんなことより、ご飯食べよう」


テーブルには、ご飯、味噌汁、ハムエッグ、

キャベツの炒め物が温かく並んでいた。


光は椅子に座り、

箸を手に取りながら、

ぽつりと呟いた。


「……いつも一人で食べてるから。


誰かと朝ごはんを食べるの、

すごく久しぶり……」


美咲は自分も席に着きながら、

小さく目を細めた。


「私も実はあんまりないのよ。


この部屋、悠真と同棲する予定で

大きめに借りたんだけど……


まだ一緒に住めてなくて」


光は味噌汁を一口飲み、

小さく息を吐いた。


「……美味しい……。


温かくて、


すごく……ほっとする」


声はまだ小さく、

箸の動きもゆっくりだった。


美咲はそれを静かに見守りながら、

時折、短い会話を交わした。


食事が終わりかけの頃、

美咲が柔らかく言った。


「今日は悠真が車で迎えに来てくれるから、

一緒に支部に行きましょう」


準備を済ませ、

マンションのロータリーに降りると、

黒いセダンが停まっていた。


助手席に美咲、

後部席に光が乗り込む。


車内には爽やかな

シトラスの香りが漂っていた。


悠真はバックミラー越しに光を見て、

心配そうに声をかけた。


「昨日のことは美咲から聞いた。


光……無事で良かった」


その短い、

けれど不器用な

情愛の詰まった言葉が、

光の胸にじんわりと染み込んだ。


「はい……ありがとうございます。


迎えにまで来てくださって、

本当に助かります」


悠真はゆっくりと車を走らせながら、

穏やかに答えた。


「ああ。


気にするな」


支部までの道中、

前席で交わされる

悠真と美咲の自然で温かい会話。


その二人が醸し出す、

寄り添うような空気感が、

光にはひどく眩しかった。


そして胸の奥が少しだけ疼くほどに、

羨ましく、寂しかった。


光は車の中で、

中学時代からの親友である

佐藤彩花さとう あやかに、LINEを送った。


『あやか、急だけど

今夜から何日か泊めて貰ってもいい?


ちょっと怖いことがあって……

詳しくは会って話すね』


彩花も仕事中のせいか、

すぐに返事は来なかった。



――深川支部討伐課、執務室。


今日は討伐任務が無く、

比較的、平和な一日になりそうだった。


光は昨日の報告を纏めていたが、

どうしても、調べたいことがあった。


周囲の目を盗むようにして、

そっと、手元の画面を切り替える。


(電車の男は……


お母さんを知っていた。


もしかして、


お母さんが死んだことと、

何か関係があるのかな……?)


あの日。


7年前の、私の誕生日に、

一体何があったんだろう。


光は過去の任務履歴の検索窓に、

その名前を打ち込んだ。


『美雲希』


画面が白く明滅し、

7年前の12月24日まで、

無機質なデータがスクロールしていく。


――あった。


《深川支部任務報告》


12月24日

南砂廃倉庫にてAAA妖魔出現。


一般からの通報により

深川支部討伐課・橋本班が対応。


パワー特化の異常妖肢を確認。

殲滅班へ応援要請。

殲滅班・美雲希を派遣。

――美雲希は現地到着後、任務放棄。


「え……っ!?


任務放棄……?」


光は自分の目を疑った。


世界のシステムが

バグを起こしたかのように、

何度も同じ無機質な報告書を見直した。


(お母さん……


任務で死んだんじゃなかったの!?)


光は必死に、

その日の別のタイムラインを

スクロールした。


「あ……」


《新宿本部活動報告》

12月24日

江東区南砂廃ビルにて、美雲希の遺体を確認。

犯人:Sランク妖魔『薄刃 恒一』


(何で……

任務を放棄したの……?)


(何で……

その妖魔の所へ行ったの……?)


(お母さん……あの日……

私より大事な理由があったの……?)


マウスを持つ光の指先が、小刻みに震えた。


(私も……

あの日、妖魔に襲われた。


でも、助けてくれたのは、

お母さんじゃなく……)


大きくて、


温かくて、


怖くない、


あの無骨な手だった。


「……光!


……ねぇ、光!」


光は自分を呼ぶ声に、ハッと顔を上げた。


そこには、心配そうに

こちらを覗き込む美咲の顔があった。


「光! 大丈夫?


顔色が真っ青よ」


光は慌てて、

キーボードを叩いて画面を閉じた。


「すみません、大丈夫です……。


少しボーッとしちゃってて……」


美咲には、光が画面を閉じる直前、

そこに映っていた文字が少しだけ見えていた。


けれどそれを追及することはせず、

美咲はわざと明るい声で光に話しかけた。


「そっか……


無理しないでね。


ねえ、光。


昼休み、一緒にランチ行かない?」


光は少し驚いたような表情をしたが、

すぐに取り繕うような笑顔に戻った。


「はい。


一緒にランチ行きましょう」



昼休み、近くのファミレスに入った。


快晴の昼下がり、

ファミレスの窓からは

明るい陽光が差し込んでいた。


外では車が絶え間なく行き交い、

信号のたびにたくさんの人々が

横断歩道を歩いている。


街の無関心な喧騒が

ガラス越しにぼんやりと聞こえてきて、

昨夜のあの恐ろしい出来事とは、

まるで別の世界のように感じられた。


光はサラダうどんを、

美咲はオムライスを注文した。


食事が運ばれてくるのを待ちながら、

光がふとスマホを覗くと、

彩花からLINEの返信が届いていた。


『もちろん! いつでも来て!』


光はホッと、小さく息を吐いた。


食事が届き、二人は静かに食べ始めた。


しばらくして、

美咲がスプーンを置いて、

優しく切り出した。


「ねぇ、光……。


さっき、お母さんのこと調べてたでしょ?」


光はギクっとして、

バツが悪そうな笑顔を浮かべた。


「はい……。


昨日の妖魔も、

お母さんのこと

知ってたみたいだったし……。


お母さんが死んだことと、

もしかしたら

何か関係があるのかな……って」


美咲は真剣な瞳で、

まっすぐに光を見つめた。


「光のお母さん……


『美雲 希』さんの事件の報告は、

私も見たことがあるわ。


あの報告には、

心無い事実しか記されていないけれど……


過去の希さんの任務報告を見ても、

彼女が任務を簡単に放棄するなんて、

私には思えない」


光は少し寂しそうな表情で俯いた。


「理由までは分からないけれど、

何か、よっぽどな事情があって、

その場を離れる必要が

あったんじゃないかな……って思うわ」


「はい……


そう、信じたいです」


光の声は弱々しかった。


「お母さんが死んだ日……。


それは、


私の誕生日でした……」


「えっ……!?」


「私は……


お母さんが

任務で死んだと聞いていたので、

どこかで諦めに近い

感覚があったんです。


でも、任務とは関係の無い妖魔に

殺されたと知って……


やっぱり、ショックでした。


私の誕生日より……


その妖魔のところへ

行くことを選んだんじゃないか……


そのせいで、お母さんは

私を残して死んじゃったんじゃないか……


って、考えてしまう自分が、

どこかにいて……」


少しの沈黙が、二人の間に流れた。


ファミレスの喧騒が、

遠くのノイズのように

鼓膜を素通りしていく。


「希さんはね、


今でも討魔局の伝説の人よ」


美咲が静かに沈黙を破った。


「天真爛漫で、自由奔放で。


誰にでもふわっとした優しさを持ってた人。


光のその優しさとか、

人を疑わない純粋さとか……


すごく希さんに似てるって、

班長が言ってたわ」


「班長が……」


「だから、お母さんも

あんな事件が無ければ、

本当は、光の誕生日のお祝いを、

したかったんじゃないかな?」


光は手の中のカップを、

ぎゅっと握りしめた。


その瞬間、左の肩甲骨の奥がまた、

鋭い火傷のように疼いた。


光は思わず顔を少し歪める。


「……私……


お母さんと同じような力が、

出ちゃったみたいです……。


でも、まだ片方だけで……

全然コントロールできなくて……


怖くて……


どうしたらいいかわからない……」


目が潤んだ光を見て、

美咲はそっと席を立ち、

光の隣へと座り直した。


そして、その震える小さな手を

優しく包み込むように握った。


「昨日、初めて出てきたんでしょ?


……コントロールできなくて当然よ。


焦らなくていいんじゃないかな?」


光は嬉しいような、

けれど哀しいような、

複雑な表情で美咲を見つめた。


「光はまだ新人よ。


私も、班長も、悠真も……

みんなで支えるから。


一緒に、強くなっていきましょう」


光は美咲の手を強く握り返し、

小さく、けれど確かに頷いた。


「……ありがとうございます。


美咲先輩。


私……頑張ります」


美咲は光の頭を、もう一度優しく撫でた。


「あの……美咲先輩……」


光は、手の中の温もりを

確かめるようにして続けた。


「私、どうしても行きたい場所があるんです。


一緒に……


付き合って貰えませんか?」


美咲は少し驚いたような表情をした。


「え……いいけど……。


昨日、あんなことがあったばかりだし、

今日はやめておいた方が……」


「……お願いします!」


光はまっすぐに、真剣な瞳で美咲を見つめた。


美咲はその強い眼差しに圧されるように、

諦めたように息を吐いた。


「分かったわ……


班長に相談してみる。


でも、一体どこに行きたいの?」


光は、まるで

何か重要な決心をしたような瞳で、

美咲を見つめ返した。


「南砂の廃ビル――


お母さんが死んだ場所です」


美咲は表情が凍りついた。


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