第49話 分断の朝
遮光カーテンの隙間から、
世界を覚醒させるような青空が覗いていた。
窓を開け放てば、
爽やかな風が
美咲のマンションを静かに吹き抜ける。
今日もまた、
平和な一日になりそうだった。
「ひかり! 美咲さん!
今日もちゃんと残さず食べてね!」
キッチンから響く
彩花の弾んだ声と一緒に、
木製のテーブルへ
手際よく朝食が並べられていく。
こんがりと
絶妙なきつね色に焼けたトーストに、
優しく湯気を立てる温かいスープ。
三人で囲むこの食卓は、
それだけで何物にも代えがたい、
最高に居心地のよい居場所だった。
小気味よくスプーンを動かし、
テレビのニュースや天気予報を眺めながら
他愛のない会話を交わす。
そんな、絵に描いたように
穏やかな朝の静寂を、
突然、高い電子音が無慈悲に切り裂いた。
ーーーピンポーン。
「……こんな時間に、誰……?」
光が怪訝そうに
スプーンを持つ手を止めると、
隣にいた彩花が
すぐさま臨戦態勢に入り、
玄関のインターホンのモニターへと
弾丸のようにすっ飛んでいった。
電子画面のバックライトが、
彩花の顔を青白く照らす。
画面の内側を確認した瞬間、
美咲と彩花の声が、
寸分の狂いもなく綺麗に重なった。
「……また来た」
「……また来た」
液晶画面に映し出されていたのは、
およそこの爽やかで清らかな朝の風景には
一ミリも似つかわしくない、
満面の笑みを浮かべながら
カメラに向かって
ダブルピースを力強くキメる、
金髪パーマの男の姿だった。
一瞬にして、彩花の背中から
文字通り「ゴゴゴゴゴ……」と
物理的な効果音が聞こえてきそうなほどの、
凄まじい怒りの殺気が立ち上る。
一人だけ事情の分からない光が、
スプーンを咥えたまま「……?」と
不思議そうに小さな首を傾げる。
手早く朝食を終えて身支度を整え、
マンションのエントランスから
ロータリーへと降りると、
そこには朝の閑静な住宅街において、
およそ一番目立っているであろう
ド派手なマットイエローのスープラが、
威風堂々と鎮座していた。
運転席のドアが開き、
金髪パーマヘアを揺らしながら
蓮司が降りてきた。
彼はにやにやと
軽薄な笑みを浮かべながら
助手席のドアを開け放ち、
大袈裟に手招きをする。
「さぁ!
行こうぜ、お嬢さん達!」
美咲はそのあまりのチャラさに
眉間にくっきりと青筋を立て、
凍りつくような冷たい視線で
蓮司を睨みつけた。
「蓮司……
あんた、何で私の家の
部屋番号まで分かってるのよ。
ストーカー?」
「ん? 何言ってんだよ。
悠真にさ、家どこだ?って
軽く聞いただけだぜ」
蓮司はどこ吹く風といった様子で、
あっけらかんと肩をすくめてみせた。
「はぁ……」
美咲は一瞬だけ絶句したが、
すぐに得心がいったように、
本日最初の手痛いため息をついた。
(確かに……
ここは悠真の家でもあるか……)
光は、自分のために
わざわざ高級車を飛ばして
迎えに来てくれた男性に対し、
申し訳なさそうに
ペコリと小さな頭を下げた。
「蓮司さん、いつも朝早くから
迎えに来てくれてありがとうございます……。
本当に、私たちのせいで
毎朝ご迷惑じゃないですか?」
「いーってことよ!」
蓮司は光のその素直な感謝の言葉に、
嬉しそうに白い歯を見せて笑った。
「光ちゃんの可愛い寝起きの顔が
毎朝拝めるんだから、俺的には大歓迎、
むしろ役得だぜ!」
「光! 騙されちゃダメ!
この金髪チャラ男はね、
下心全開であんたを車に乗せてるだけなのよ!
お礼なんか一ミリも言わなくていいの!」
彩花が鋭い氷の刃のような視線で
蓮司の五体を刺しながら、
光の細い肩をがしっと両手で掴み、
後ろへと引き戻した。
だが、蓮司は余裕を崩さず、
「チッチッ」と舌を鳴らしながら
人差し指を横に振り、
光に向けて軽快にウインクを飛ばしてみせた。
「違うよ彩花ちゃん!
俺は光ちゃんのナイトだぜ?
どんな悪意からも
光ちゃんを無傷で守り抜くのが、
俺に課せられた使命なんだからさ!」
「使命じゃなくて、
ただのあんたの個人的な欲望でしょ!!」
彩花の鋭いツッコミが
朝のロータリーに響き渡る。
「あはは……」と
二人の温度差に苦笑いする光と、
早く職場に行こうと言わんばかりに、
本日何度目か分からない
特大のため息を深く吐き出す美咲。
そんな、賑やかすぎるドライブを経て、
四人は職場へと向かった。
ーーー深川支部、討伐課執務室。
「おはよう!
今日は調査課と合同で任務だ!」
デスクが整然と並ぶオフィスに、
いつものように神崎の野太い大声が響き渡り、
本日のブリーフィングが開始された。
「辰巳の工場敷地内に、
C級の低級妖魔が多数確認された。
今回は調査課が現地での原因特定を行い、
俺達はその護衛と周辺の討伐を担当する。
まぁ、お前達にとっては
いつもの雑魚散らしとほぼ同じワークだが、
決して油断はするな。以上だ」
神崎の短い号令に、
光、美咲、そして蓮司の声が、
重なるようにして室内に響いた。
「「「了解!」」」
出撃準備室へと移動し、
それぞれのスチールロッカーの前で
美咲と光が装備を整え、
妖魔刀の点検を行っていた、
まさにその時だった。
神崎の衣服のポケットから、
静寂を切り裂くようにして、
不穏な緊急呼び出し音が
けたたましく鳴り響いた。
画面を確認した神崎の表情が、
一瞬にして凍りついたように強張る。
彼はすぐさま通話ボタンを押し、
早口で指示を出し始めた。
「了解した。
すぐに向かう」
受話器を耳に当てたまま、
神崎はこちらへと鋭い視線を投げた。
「……よし、状況が変わった。
中央から緊急要請だ。
俺と美咲の二人で、
即座に発生したAAランクの
個体討伐に向かう。
悪いが、蓮司と光の二人は
このまま予定通り、
辰巳の調査任務の方を頼む。
蓮司、そっちの指揮はお前に任せるぞ」
「あいよ!」
神崎の緊迫した言葉に対し、
蓮司はいつもの軽い、
緊張感のない調子で応じてみせた。
だが、その直後だった。
蓮司の身体が音もなく動き、
装備を整え終えたばかりの美咲の腰元へと、
すっと細い手を伸ばした。
「ちょっと!
あんた、何するのよ!?」
美咲が驚きと不快感を露わにして、
鋭い声を上げる。
しかし、蓮司はその一瞬の拒絶の隙をつき、
美咲の腰のホルダーに差されていた
『特式妖魔刀』の柄を、
目にも留まらぬ鮮やかな手並みで
引き抜いていた。
そして、代わりに自分が持ってきていた、
何の変哲もない量産型の『制式妖魔刀』を、
戸惑う美咲の手へと強引に押し付けた。
「悪いけどさ、
今日はこっちの刀を使ってくれよ。
ほら、光ちゃんの訓練も兼ねてさ、
実戦の中で制式と特式の違いってやつを、
先輩から優しく教えてやりたくてね」
「……はぁ?
急に何言い出すのよ」
手渡された量産型の刀を見つめ、
美咲は怪訝そうに眉をひそめた。
「ま、細かいことはいいだろ?
俺が言うんだから大丈夫だって」
蓮司の口元には、
いつも通りのチャラチャラとした
無責任な笑みが浮かんでいた。
けれど、その仮面の裏側。
蓮司の瞳の奥底だけは、
一瞬にして、血の匂いを嗅ぎつけた
冷徹な戦士の表情へと切り替わっていた。
(……あいつ、やっぱり
自分の刀の異常に気づいてねぇな)
(こんな、危ねぇ刀を持たせたまま、
任務になんて行かせられるわけねぇだろ)
蓮司のその本音を知る由もない美咲は、
怪訝な顔を崩さないまま、
それでも手渡された
制式妖魔刀を腰へと収めた。
「……まったく、勝手なんだから。
仕方ないわね。
私の刀なんだから、
傷一つつけずに、
ちゃんと責任持って
預かっておきなさいよ?」
「任せろって!」
いつもの軽いノリで手を振る蓮司。
それを確認すると、神崎と美咲の二人は、
まるで嵐のように
急ぎ足で準備室を飛び出していった。
二人の足音が遠ざかり、
静まり返った準備室。
蓮司は手にしていた美咲の特式妖魔刀を、
ひとまず作業台の上へと置いた。
光は、白い花の模様が描かれている
美咲の特式妖魔刀を見つめた。
(蓮司さん、
制式と特式の違いを教えるって言ってたし……)
(今日は、私が美咲先輩の
特式妖魔刀を使うのかな……)
光は作業台の上に残された
『特式妖魔刀』へと手を伸ばそうとした。
「私たちも、急いで行きましょう!」
「おっと、光ちゃんのはこっちだぜ」
蓮司が、光のその小さな手の動きを
優しく、しかし確実に制した。
そして、もう一振りの
別の『制式妖魔刀』を
彼女の前に差し出してきた。
光はきょとんとしてその場に佇み、
戸惑いながらも、
手渡された量産型の刀を受け取った。
「……?
分かりました。
……でも、美咲先輩のあの刀は
どうするんですか?
ここに置いたままじゃ……」
「今日は制式刀で十分だろ」
蓮司は光の疑問を遮るようにして、
いつものようにあっけらかんと笑ってみせた。
「光ちゃんもさ、
その制式刀の基本的な扱い方に、
もう少し身体を慣らしておいた方が
いい時期だしな」
蓮司はそう言って
器用に片目を瞑ってみせたが、
その直後、作業台の上に置かれた
美咲の『特式妖魔刀』へと、
一瞬だけ、鋭く冷徹な視線を落とした。
引き抜かれた刀の刃元には、
まるで呪縛の煙のように、
うっすらと灰色にくすんだ痕跡が、
不気味にこびりついて離れなくなっていた。
「……?」
光はその、
一瞬だけ蓮司の指先に宿った
張り詰めた気配に、
胸の奥がわずかにざわつくのを覚えていた。
(なんか、変な感じがする……)
(美咲先輩のあの刀。
どうして今日は、
使っちゃダメなんだろう……?)
言葉にできない不穏な予感。
けれど、それを確かめる術は
今の光にはなかった。
「よし、行こうか!」
蓮司は美咲の妖魔刀を
厳重なロックのかかった保管庫へと
滑り込ませると、
何事もなかったかのようにスタスタと、
軽い足取りで歩き出した。
光は小さく首を傾げながらも、
その頼もしい背中を追いかけ、
外で待機している
調査課のバンへと向かって歩みを進めた。




