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白翼の光  作者: 月凪
第三巻 宿命は光と影になって

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第47話 美しいものには棘がある


分厚く垂れ込めていた

灰色の雲の切れ間から、

眩い昼の太陽が不意に顔を覗かせ、

柔らかな晴れ間が差してきた。


帰還するバンの窓硝子から差し込んだ、

遮るもののない日差し。


それが、自らの力で戦い抜いた

光の横顔を真っ直ぐに、鮮烈に照らし出す。


その温かい黄金色の残光は、

まるで彼女の勝利を、

世界が静かに祝福しているかのようだった。


バンの3列目、

一番窮屈な最後部座席。


光はそこにチョコンと小さく座り、

まだ胸の奥の興奮が冷めやらない様子で、

足早に流れていく

窓の外の景色を見つめていた。


高揚感のせいで、

その白い頰が少しだけ赤らんでいる。


意識せずとも、口元には自然と

柔らかな笑みが浮かんでしまっていた。


(……褒められた……。


班長にも、蓮司さんにも……)


(私、ちゃんと、

みんなの役に立てたんだ……!)


お荷物なんかじゃない。


その無邪気で嬉しそうな横顔を、

すぐ隣に座る蓮司が、

チラチラと視線を送りながら

ニヤニヤと楽しげに眺めていた。


だが、そのすぐ前列。


2列目のシートに座る美咲は、

窓の外の光を完全に拒絶するように、

無言で自らの膝の上だけを

じっと見つめていた。


戦場で刀を握りしめていた手の感触が、

泥のように重く、

今もなお彼女を支配している。


(……どうして……)


胸の奥の、どす黒い澱みが

じわりと広がっていく。


(光の翼は

あんなに美しく輝いて、

みんなを助けて……。


なのに私は……

刀が重くて、動きが遅れて……。


光に助けられて……)


ざわざわと、

心臓の奥が不快な音を立てて波立つ。


肺の空気が薄くなっていくような錯覚に、

美咲の呼吸がわずかに浅く、苦しくなった。


隣で光が嬉しそうに笑う気配を感じるたび、

美咲の心の柔らかい場所に、

目に見えない棘のような痛みが

チクリと深く刺さる。


(……光は、

私の本当に大事な後輩なのに……)


どうして私は、

素直に笑ってあげられないんだろう。


どうして私は、

こんなにも醜い感情を、

あの小さな背中に

抱いてしまっているのだろう。


自分でも気づかないうちに、

美咲の細い肩が微かに震えていた。


そんな張り詰めた沈黙を破るように、

不意に、後部座席から

前のめりになった蓮司が、

シートの隙間から美咲に声をかけた。


「なぁ、美咲。


お前ってさー……殲滅班だっけ?」


感情の処理が追いつかない状態の中、

美咲は苛立ちを隠しきれず、つい衝動的に

その声を尖らせて弾き返した。


「違うわよっ! だから何!?」


美咲のその反応を見て、

蓮司の目が、一瞬だけ鋭く細められた。


何かを確信したような、

静かな光がその奥を掠める。


しかし次の瞬間には、

いつものチャラ男の顔に戻っていた。


「だよなー。」


そう吐き捨てると、

蓮司はシートに背中を預けて座り直し、

それ以上は何も言わなかった。


光は、二人の間に流れた

ただならぬ空気の摩擦に気づき、

動揺を隠せない様子で

美咲の横顔を見つめた。


「美咲先輩……?」


「……」


美咲は光の純粋な視線から逃げるようにして、

乱暴に窓の外へと視線を逸らした。


急激に目頭が熱くなっていくのを必死に堪え、

彼女は血が滲むほどの力で、

きつく唇を噛み締めた。


(……カッコ悪い……。


本当に、最低だ……)


(光があんなに頑張っているのに……。


私は……先輩のくせに、

光のあの美しい翼に、

醜い嫉妬をしてるなんて……)


窓の外を流れる陽光が、

彼女の歪んだ心象風景を、

容赦なく残酷に照らし出し続けていた。


ーー深川支部、討伐課執務室。


時計の針が、

夕刻の18時を回ろうとしていた。


任務報告を終え、

ようやくすべての業務から解放された頃、

窓の外の空は燃えるような茜色から、

静かに夜の藍色へと融け始めていた。


蓮司がデスクから立ち上がり、

椅子の背もたれに手をかけながら、

大げさに両腕を伸ばして声を張り上げた。


「んー! 


今日も仕事終わったー! 


さあ、光ちゃん! 


今日も俺のスペシャルな車で

家まで安全第一、送り届けてあげるぜ!


……あ、美咲もついでに送ってやるよ」


最後におまけのような

一言を付け足しつつも、

蓮司は光に向かって

白い歯を見せて笑った。


話を振られた光は、

今日一日を無事に終えられた安心感から、

少し嬉しそうに柔らかな笑顔を彼に返した。


「お疲れさまです、蓮司さん!」


夕暮れの残光を浴びて、

咲くように笑った光のその無垢な顔。


その圧倒的な純粋さを前に、

蓮司は一瞬だけ言葉を失い、

喉をピクリと震わせた。


普段のチャラチャラとした余裕が

剥ぎ取られたように、

その金髪の隙間から覗く頰に、

不器用なほど淡い朱が差した。


「お、おー! 


今日も可愛いな、光ちゃん!」


自分の動揺をごまかすように声を張る蓮司。


光は照れくさそうに、

「もう……」と小さく笑った。


斜め後ろのデスクで、

荷物をまとめていた美咲は、

そのやり取りが視界に入った瞬間、

胸の奥の棘がまた疼いた。


「いい。


私はいいから」


冷たく言い放たれたその一言が、

鋭いナイフのように空気を切り裂いた。


光と蓮司は、

同時に驚いたように目を丸くして、

彼女の方を振り返った。


「……美咲先輩?」


光が心配そうに、

どこか不安げな目でその名前を呼ぶ。


美咲はハッとしたように肩を揺らし、

自分が大好きな後輩に対して

酷く冷たい態度を

取ってしまったことに気づき、

胸の奥の罪悪感に顔を歪めた。


美咲は引きつりそうになる口元を

必死に動かし、

取り繕うような笑顔を慌てて作った。


「ごめん……。


今日はちょっと、

どうしても寄る所があるから、

二人は先に帰ってて。


……蓮司、

光のこと、ちゃんと宜しくね!」


そう言って、美咲は光の目を

真っ直ぐに見ることすらできず、

逃げるようにしてカバンを肩に掛けた。


蓮司は、その美咲の笑顔の裏に隠された、

今にも割れてしまいそうな

張り詰めた痛みを一瞬で見抜き、

少しだけ戸惑うように視線を鋭くしたが、

すぐに親指を立ててみせた。


「おっ、おお!


任せとけって!」


「ありがとう。


……じゃあ、お先に」


美咲はそう残すと、

夕暮れの長い影が伸びるオフィスを、

早足で立ち去っていった。


その背中は、誰の助けも拒むように

ひどく頑なで、そして寂しげだった。


ーー深川中央病院、悠真の病室。


その個室の白い扉の前で、

美咲はしばらくの間、

どうしてもドアノブに

手をかけることができなかった。


張り詰めた廊下の静寂の中、

一度深く息を吸い込み、

肺の腑に溜まった澱みを

ゆっくりと吐き出す。


そうして自らの歪んだ心を

平坦に均してから、

ようやく、躊躇いがちに

ドアを小さくノックした。


カラカラと扉を開けると、

そこにはいつもと変わらない、

静かな瞳をした悠真がいた。


美咲は途中の自販機で買った

冷たい缶コーヒーを悠真へと手渡すと、

吸い込まれるようにして

ベッド横のパイプ椅子に腰を下ろした。


冷えた缶を両手で受け取った悠真は、

彼女の輪郭を静かに見つめ、

その異変を瞬時に察して声を漏らした。


「……ありがとう。


顔色が悪いぞ。どうした?」


「え?


ううん、なんでもーー」


美咲は無理に

いつものように笑おうとした。


けれど、悠真の前では、

取り繕った仮面など

何の意味も成さなかった。


引き結んだ口元が、

一瞬にして悲痛に崩れ落ちる。


「……ねぇ……


悠真。


凄くカッコ悪いこと、

今から言っていい?」


悠真はそれ以上何も訊ねず、

ただすべてを受け止めるように、

静かに肯いた。


美咲は膝の上で

自らの両手を白くなるほど強く握りしめ、

今にも千切れてしまいそうな

震え声を絞り出した。


「私……


光のあの翼に、嫉妬してる……」


言葉として世界に解き放たれた瞬間、

決壊したダムのように、

彼女の瞳から大粒の涙が次々と溢れ落ちた。


「今日も……


光が、あの純白の翼を出して、

みんなを助けて……。


あんなに綺麗で、

強くて、

まるで暗闇を照らす

希望みたいに輝いてて……。


なのに私は……


刀が重くて、

動きが遅れて、

結局また光に助けられて……」


涙がボタボタと、

衣服の膝を黒く濡らしていく。


「情けなくて、悔しくて……。


……ほんの一瞬だけ、

どうして私じゃなくて、

光なんだろう……って。


そんな風に思ってしまったの。


光は、私の本当に大事な後輩なのに……。


光が強くなっていくのが、

本当は心の底から嬉しいはずなのに……。


心のどこかで、

こんな気持ちを抱いている自分が……


本当に、最低……」


彼女の細い肩が、

小刻みに、哀しいほど激しく震えていた。


悠真はそんな彼女のすべてを

ただ無言で聞き届けた後、

静かに手を伸ばし、

美咲の震える手の上に

そっと掌を置いた。


人肌の温もりが、

彼女の張り詰めた空気を

ゆっくりと解いていく。


「美咲……


お前はお前だ」


悠真の声音は、どこまでも低く、

誤魔化しのない確信に満ちていた。


「光は確かに、

特別な力を持っているかもしれない。


しかし、光はまだ、

自分の大きすぎる力に

振り回されている。


だが、お前は違う。


これまで積み上げてきた技術や経験……


それは一歩ずつ、

確実に自分の足で歩んできたものだ。


そしてそれは、光にとっても、

高い目標であり、憧れだ。


自信を持て。


光と比べる必要はない」


美咲は溢れる涙を

手の甲で何度も拭いながら、

悠真の一文字ずつに魂が乗った言葉を、

心の奥底へと深く噛み締めていった。


「……うん……


ありがとう、悠真……。


やっぱり、あなたに話してよかった……」


胸の支えが取れた美咲が

ようやく小さく微笑むと、

悠真は途端に気まずそうな顔をして、

少しだけ照れくさそうに

視線を窓の外へと逸らした。


「……いつでも来い。


俺はまだ当分、

この退屈なベッドの上だ」


病室の大きな窓からは、

夕焼けの柔らかいオレンジ色の光が

差し込んでいた。


それは二人の影を、

優しく、長く、床の上に伸ばしていく。


美咲は差し込む残光を見つめながら、

自らの心の中で、誰にも聞こえない声で

静かに誓っていた。


(…………私は、光の翼に負けない)


(こんな醜い嫉妬なんかで、

あの大切な光を、

私の手で傷つけるわけにはいかないから……)


まだ、どうすればいいのか、

その具体的な答えは分からない。


けれど、美咲は自分の妖魔刀の柄の感触を、

脳内で強く思い描いた。


(私には、私だけの戦い方が、

きっとどこかにあるはずだからーーー)


美咲の足音が

廊下の彼方へと消えていった後、

悠真は硬いベッドの背に

ゆっくりと身体を預け、

窓の外に広がるオレンジ色の夕焼けを

ぼんやりと眺めていた。


刻一刻と、黄昏の赤が

夜の藍色へと融けていく。


(……美咲。


お前ならきっと、

自分で立ち直れるはずだ……)


彼女の静かな誓いを思い返し、

心の中でそう呟いた、その時だった。


ーーーガラッ。


静寂を破り、病室のスチールの扉が

勢いよく開き放たれた。


「よぉ、悠真!


久しぶりだなー! 


元気してたか?」


そこに立っていたのは、

まばゆい金髪を揺らした蓮司だった。


彼はいつもの

チャラチャラとした満面の笑みを浮かべ、

まるで自分の部屋のように

躊躇いなく敷居を跨いできた。


悠真は不意の来訪に

少しだけ驚いた顔をしつつも、

どこか懐かしそうに、

その口元を優しく緩めた。


「……久しぶりだな、蓮司。


俺の代わりに、すまない」


蓮司はベッド横のパイプ椅子に

ドカッと乱暴に腰を下ろし、

どこか気楽な調子で笑い飛ばした。


「病人のくせに、

まだそんなこと言ってんのかよ。


相変わらず真面目だな、お前は。


まぁ、お前の代役を務められるほど

動ける優秀な要員なんて、

局には俺ぐらいしかいねぇだろ?」


悠真がその言葉に苦笑いを浮かべると、

蓮司は持ってきた缶コーヒーを差し出したが、

悠真は軽く手を振ってそれを断った。


「いやー、それにしてもさ。


噂には聞いてたけど、

光ちゃんのあの翼を

初めて生で拝ませてもらったぜ。


……ありゃ、反則だな。


正直、背筋に鳥肌が立ったよ」


蓮司が窓の外の夕陽を見つめながら呟くと、

悠真もまた、静かに肯いた。


「そうだな……光は強くなる。


いずれ俺達を遥かに超えて……


もっと強くなるだろう」


「……だろうな。


あの翼、ちょっと別格すぎるわ。


神崎サンが昔、

『美雲 希』を見ていたときも、

きっとこういう、

世界の理がひっくり返るような

感覚だったんだろうな……」


蓮司はふいに

その口元の笑みを消し去った。


「……でさ、悠真。


美咲の件だけど」


急に美咲の名前が出たため、

悠真は不思議そうに

蓮司の真剣な顔を見つめ返した。


蓮司はその目をさらに細め、

悠真の視線を真っ直ぐに射抜いた。


「アイツ……


自力で妖魔刀を『解放』してるぞ」


その言葉が落ちた瞬間、

悠真の瞳がわずかに見開かれた。


「!?」


悠真のその動揺を確認した瞬間、

蓮司はこの異常な状況を、

まだ誰も把握していないのだと確信した。


「本来なら厳しい訓練を積んだ、

殲滅班にしか許されないはずの、

感情を爆発させる『解放』の奥義だ。


情報すら一般の討伐課には

秘匿されてる危険な技術を、

美咲の奴、どうやったのか

完全に自力でこじ開けてる。


……だけど、


訓練も受けてねぇから

戻し方もわからなくて、

刃元が解放後の色に染まったままだ。


あれじゃあ、出力がブレて

マトモに戦えねぇよ」


悠真は、先ほど美咲が口にしていた

「刀の重さ」という言葉の意味を

瞬時に理解した。


そして、

思考の深淵へと深く沈み込んでいった。


それから、ゆっくりと重い口を開く。


「……お前がまだ仙台にいる頃、

Sランクの妖魔が同時に現れたんだ。


一方はブラフ、もう一方は本命。


そして、美咲と光は、

その本命と戦った。


恐らく……光の危機を前にして、

美咲の『護りたい』という想いが、

無意識に妖魔刀とシンクロして、

解放したのかもしれない」


蓮司は腕を組み、

小さく息を漏らしながら、

どこか痛々しそうな表情を浮かべた。


「悠真。


もし美咲の解放がバレたら、

間違いなく殲滅班入りだ。


美咲は喜ぶかもしれねぇが……


俺達同様、最も生存率の低い死地へ

最前線で駆り出されることになる。


任務の危険度は、

それまでとは別格だ。


神崎班にいられるかも分からねぇ」


蓮司は、ベッドの上の悠真を

真っ直ぐに見つめた。


「だから悠真。


俺は、このことは美咲には言わねぇ。


お前が退院したら、

お前の口から美咲に伝えてやってくれ」


悠真は親友のその不器用な優しさと、

隠された温かい気遣いを受け止め、

静かに頷いた。


「……わかった」


「と言うワケさ!


頼んだぜ、悠真!」


悠真の返事を聞くと、

蓮司はニコッと白い歯を見せて笑い、

一瞬にしていつもの軽い、

掴みどころのないチャラ男の調子へと戻った。


そう言い残すと、

彼は軽い足取りで病室を後にし、

夜の帳が下りる廊下へと消えていった。


悠真は再び窓の外へと視線を移し、

静かに、一人で物思いにふけっていた。


西の空の残光は完全に消え去り、

世界は夜の底へと沈み込んでいる。


(美咲は、誰かを護る時だけ、

いつも自分の命を計算に入れない。


……無茶をする。


光を護ろうとする想いが、

その扉を開けさせたのか……)


悠真は小さく、

誰にも聞こえない息を吐き、

ゆっくりとベッドの背に

頭を預けてそっと目を閉じた。


痛いほどの静けさと、

窓から差し込む蒼い月光だけが、

誰もいなくなった病室を静かに、

満たし続けていた。


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