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白翼の光  作者: 月凪
第三巻 宿命は光と影になって

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第46話 風が運ぶ


朝露が葉先で眠る、

静かな時間特有のーー


あのピンと張り詰めた空気の冷たさを、

光は決して嫌いではなかった。


けれど、彼がその

鮮やかな金髪を揺らして席に着いた瞬間。


気取らない、

けれどどこか異国を感じさせる

香水の匂いとともに、

その空気はふっと一瞬で明るくなる。


それは、変わらない日々を

揺り動かしていく、

少しだけ熱を帯びた、

心地のよい新しい風そのものだった。


その余韻を、そのまま乗せたバンの車内は、

いつもより少しだけ賑やかだった。


フロントガラスの

向こう側を見つめる助手席には、

がっしりとした体躯の神崎。


後部座席の前側には、

窓の外を見つめる美咲。


そして、一番後ろの窮屈な席に、

光がちょこんと小さく座っていた。


そのすぐ隣に、

まるで自分の部屋にいるかのように

大股開きで座り、距離を詰めてくる。


ーー鳴海蓮司だった。


前を向いていた美咲が、

シートの隙間から少しだけ

苛立ちを隠せない様子で

後ろを振り向いた。


「ちょっと! あんた!


いつまで光に引っ付いてんのよ!


距離が近いのよ!」


美咲の冷たい視線を受け流すように、

蓮司は悪びれもせず、

むしろ楽しげに肩をすくめてみせた。


「なんだよ美咲、これも任務だよ! 


任務! 俺は光ちゃんの

ナイトとして守るのが任務なの! 


ねー、光ちゃん?」


話を振られた光は、

二人の間に流れる不穏な空気に

苦笑いしながら、

なんとか話題を変えようと、

気になっていた疑問を口にした。


「そういえば、蓮司さん……。


少し聞いてはいましたけど、

本当に二刀流なんですね。


私、二刀流の妖魔刀って、

実物を見るの初めてです」


光が蓮司の横に置いてある

二振りの柄を見つめると、

蓮司はへへっ、と

嬉しそうに目元を細めた。


「へへっ、興味ある? 


まあ、俺のはちょっと特殊なやつでさ」


「特殊……ですか?」


光が不思議そうに首を傾げると、

蓮司はそれまでの軽い口調を

ほんの少しだけ整え、

妖魔刀という存在の深淵について、

静かに説明を始めた。


「妖魔刀ってのはさ、

大きく4つのカテゴリーに

分かれてるんだよ」


蓮司の指先が、

シートの背もたれを

トントンと規則正しく叩く。


「一番普通なのが、制式妖魔刀。


まさに光ちゃんが今使ってるやつで、

誰でも扱いやすいように調整された量産型だ。


次が出力を高めてエース向けに調整された、

特式妖魔刀。


美咲や悠真が、今使ってるのがこれだな」


バンのエンジン音が、低く車内に響く。


「そして、俺が使ってるのが固有妖魔刀……。


これは使用者の

妖力の波形や出力に合わせて最適化された、

世界に一振りだけの専用武器さ。


俺の場合は

『双妖刀・風牙』っていう二刀流。


陽と陰の二振りで、

間合いを操って

流す、崩す、そして斬るーー


って戦い方をするんだよ」


ふと、蓮司は窓の外を流れる

薄暗いビル群へと視線を投げた。


その声音から体温が消える。


「……そしてもう一種類。


異装妖刀。


妖魔の粒子そのものや、

由来する素材を強く組み込んだ、

ひどく危険なやつだ。


これは俺も資料でしか

見たことがない。


暴走のリスクが桁違いに高いから、

今の討魔局じゃほとんど使う奴はいないよ」


蓮司はいつものように

あっけらかんと軽く笑ってみせたが、

その言葉が落ちた瞬間。


フロントシートにいた神崎の表情が、

目に見えてわずかに曇った。


まるで傷に触れたかのように、

車内の空気が一瞬だけ重く張り詰める。


光はその微かな変化に気づかないまま、

ただ感心したように瞳を輝かせた。


「へえ……


蓮司さんは固有、なんですね。


私、制式と特式くらいしか

知らなかったです……」


「ははっ、勉強不足だな〜光ちゃん」


蓮司はすぐにいつものチャラい笑顔に戻り、

光の顔を覗き込んだ。


「妖魔刀の違いってのは、

討伐課の業務の中でもいちばん映える、

華のある部分なんだぜ? 


いつか光ちゃんも、

固有が使えるようになるといいな。


楽しみにしてるよ」


光は彼の期待に応えるように、

膝の上で小さく拳を握りしめた。


「……はい。


頑張ります」


窓の外を見つめながら、

光は心の中で小さく呟いていた。


(……この人、


普段はあんなに

チャラチャラしてるけど……。


意外としっかり、

説明してくれるんだ……)


見直した、というのとは少し違う。


けれど、彼の内側にある

プロとしての確かな輪郭に

少しだけ触れたような気がして、

光の胸の奥が少しだけ温かくなった。


バンは、怪異の気配が蠢く

現地へと向かって、ビル群の隙間を

真っ直ぐに突き進んでいた。


鉛を溶かしたような

薄曇りの天蓋が広がる、

入り組んだ住宅街。


バンのドアを開け、

アスファルトへ足を踏み降ろした瞬間、

肺の腑を直接鷲掴みにするような、

重く粘つく妖気のプレッシャーが

四人を容赦なく包み込んだ。


周辺にはすでに黄色い規制線が張り巡らされ、

近隣住民の避難は完了している。


静まり返ったゴーストタウン。


狭い私道の先、

ひび割れた廃屋と民家の歪な隙間で、

ソレは悍ましく蠢いていた。


指定災害『AA』クラス、触手型妖魔。


人間の大腿部ほどもある太い妖肢が、

肉組織のようにドクドクと

不快に脈動しながら、

コンクリートの電柱やフェンスを

容易く薙ぎ払い、

飢えた獣のようにうねっている。


神崎が大剣の柄を握り締め、

いつも通りの迷いの無い指示を出した。


「油断するな。AAランクだ。


俺が前衛で注意を引く。

蓮司は右翼から回り込め。

美咲と光は後方支援。


……光、翼が出せるなら準備しろ」


短い指示に、

光は緊張で強張る喉を震わせた。


「……はい……!」


思考のスイッチを切り替える。


蓮司はその光の姿を

固唾を呑んで見つめた。


(神崎サンが言ってた『翼』か……)


その瞬間、ふわり、と。


彼女の華奢な背中から

一筋の鮮烈な輝きが溢れ、

純白の翼が、ゆっくりと展開された。


羽の一枚一枚が、

朝日に照らされた新雪のように、

冷徹なまでの白さを以て煌めく。


白い光の粒子が、

彼女の周囲を包むように

優しく舞い上がった。


まるで、世界を悪意から

隔離する天使の抱擁。


初めてその『異常』を

至近距離で目撃した蓮司は、

小さく息を呑み、目を大きく見開いた。


「……すげぇな……」


光の背で、

その純白の翼が静かに揺れている。


羽先から零れ落ちる白い粒子だけが、

翳る空へと、切ない祈りのように

舞い上がっていった。


だが、怪異はその美しさを許さない。


妖魔が鼓膜を灼く咆哮を上げ、

無数の妖肢を鞭のように

一斉に振り下ろした。


ーーーズドォォッ!!!!


神崎の構えた大剣が、

火花を散らしながら

最初の肉塊を真正面から受け止める。


凄まじい衝撃波が足元の地盤を粉砕した。


「ぐっ……重いな……!」


骨の軋む音。


その神崎の低い呻きを合図にするように

蓮司が不敵に唇の端を吊り上げた。


手の中で『双妖刀・風牙』を

軽やかにジャグリングさせ、金属音を奏でる。


「へへっ、じゃあ俺の出番だな〜。


光ちゃん、ちゃんと見ててくれよ? 


俺のカッコいいとこ!」


言い終えるよりも早く、

蓮司の肉体は風を切り裂いて消えていた。


一瞬で、妖魔の懐ーー


肉が断てるゼロ距離の間合いへと滑り込む。


ーーその刹那。


シャッ! 


シャシャッ! 


ザンッ!!!!


空間が、銀色の刃の閃光によって

ズタズタに引き裂かれた。


二振りの刃が、

さながら暴風となって異形の肉を貪る。


妖魔が放った肉厚の妖肢を、

刃の側面で滑らせるように「流し」、

その破壊的な推進力を完全に殺す。


体勢が前傾になった

タイミングを見計らい、軸を「崩す」。


そして生まれた致命的な隙を、

容赦なく「斬り捨てる」。


流す・崩す・斬るーー。


その洗練され尽くした

三段の絶技が鮮やかに決まるたび、

切断された妖肢が、

黒い腐肉の飛沫を撒き散らしながら

次々と宙を舞った。


光は後方で、あまりの速度に

息を呑むことしかできなかった。


(……すごい……!


普段はあんなにチャラチャラしてるのに、

動きが、全然違う……!)


それは、無駄な感情を一切排除した、

美しくも残酷な屠殺の技術だった。


美咲は自身の妖魔刀を正眼に構え、

蓮司が切り開いた戦線の隙間へと

突っ込もうとした。


ーーーだが。


(……また……


この感覚……。


刀が、重い……)


前回の薄刃戦以降、

彼女の手に馴染んでいたはずの特式妖魔刀は、

まるで泥を詰めたように

不快な違和感を放ち続けている。


刀に神経を奪われ、

美咲の踏み込みのモーションが、

ほんのコンマ数秒、致命的に鈍る。


妖魔はその肉体の隙を見逃さなかった。


生き残っていた太い妖肢が、

美咲の頭上から、

空気を圧し潰す速度で振り下ろされる。


「美咲先輩!!」


光が考えるより先に、身体が動いた。


ドン、と激しく地を蹴る。


その背の白翼が大きく羽ばたき、

重力を無視した推進力が、

光の身体を一瞬で音速の領域へと加速させた。


視界がブレる。


美咲の前に滑り込むと同時に、

展開した翼を淡い青色に変えて

妖肢を側面から切り飛ばした。


「大丈夫ですか!?」


美咲は、己の前に立ちはだかる

小さな背中を見つめ、

浅い呼吸の中で声を絞り出した。


「……ありがとう、光。


助かったわ」


しかし、怪異の生命力は

未だ尽きてはいなかった。


残された最後の巨大な妖肢が、

怒り狂ったように、前衛の神崎へと

狂気的な速度で叩きつけられる。


その瞬間ーー


神崎の喉から、

野獣のような低い唸りが漏れた。


「チッ!


……舐めんな!」


大剣を頭上高くに掲げ、

肉体の膂力だけで、

迫る妖肢を真正面から迎え撃ち、

叩き落とす。


ーーーズドォォン!!!!


激しい衝撃音が路地に轟き、

真っ二つに叩き割られた妖肢が、

派手に弾け飛んだ。


体勢を崩した妖魔。


神崎はその隙に一瞬で間合いを詰め、

大剣を真横へと豪快に振り抜いた。


「光! 今だ!」


「……はい……!」


光の澄んだ瞳が、

戦士のそれへと鋭く光った。


ーーードゥンッ!!!!


純白の翼が眩く発光し、

光の身体は、薄暗い空間に

白い残光の軌跡を引きながら駆ける。


しかし、妖魔も自らの死を察知したのか、

視界を覆い尽くすような速度で、

必殺の触手を光の軌跡へと振り下ろしてきた。


光は超高速で加速しながら、

手にある制式妖魔刀を斜めへと、

滑らせるように構え直した。


(軌道を見極めて……)


(刃を、妖肢の隙間を、すり抜けるように……)


(敵の力を利用するーー


翻弄するような、円のステップ……!)


ーーーキィィンッ!


火花を散らしながら、

光は妖肢を受け流した。


その生じた遠心力のまま、

重力を置き去りにして、

回転するようにステップを踏み

妖魔の完全な死角へと滑り込む。


(……ここ!)


制式妖魔刀を、

世界のすべてを両断するように

真横へと振り抜いた。


ーーーシュゥゥゥン!!!!


一閃。


光の残した超高速の身のこなしと、

鋭利な刃の軌道が、純白の光の軌跡を

空間に焼き付けながらーー


妖魔の肉体の中心にある『核』を、

完璧に破壊した。


「ギシャアアアアアアアアッ!!!!」


巨体が激しく痙攣を始める。


傷口から黒い生命の粒子を

大量に撒き散らしながら、

怪異はゆっくりと膝をつき、

重力に従って崩れ落ちていく。


光は刀を正眼に構えたまま、

荒い呼吸の隙間から、

その形を失っていく光景を見つめていた。


(……で……出来た……!?)


(私が……自分の力で……あの核を……!)


自分の意志で

死線を乗り越えたという驚きと喜びが、

一気に彼女の胸の奥へと広がっていった。


妖魔の肉体は完全に粒子化し、

夜の底に舞い散る黒い雪のように、

薄暗い路地へと消えていく。


後に残されたのは、

ただ耳が痛くなるほどの、

深い静寂だけだった。


神崎は身の丈ほどもある大剣を

無造作に肩へと担ぎ、

その場に立ち尽くす光を、

しばらくの間ただじっと見つめていた。


そして、記憶の底にある

誰かの姿を重ね合わせるように、

ふっと、愛おしそうにその目を細める。


「……見事だ、光。


俺と一緒にやった訓練の成果……。


ちゃんと、お前のものになってたな」


神崎は、静寂に溶けるような声で、

ぽつりと呟いた。


「……似てきた」


光を見つめるその瞳は、

眼前の少女を見ているようでいて、

もう二度と戻らない

どこか遠くの景色を

見つめているようでもあった。


あまりにも哀しく、優しい色。


光は神崎のその双眸の奥に宿るものを

問いかけるように、小さく声を漏らした。


「え……?」


だが、神崎はそれには答えず、

光の華奢な背中を静かに見つめ直した。


「いや。何でもねぇ」


言葉を濁すと同時に、

純白の翼は、ゆっくりと

光の背中へ溶け込むようにして

収束していく。


淡い白い光の粒子が、

最後の美しい残光を空間に焼き付け、

吹き抜ける風に溶けるようにして

完全に消え去っていった。


張り詰めていた空気を笑い飛ばすように、

蓮司がその目を輝かせながら、

軽い足取りで近づいてきた。


「マジかよ……! 


あの速度から

一瞬で核をぶち抜くとか……。


すげぇな、初めて生で見たわ。


光ちゃん、マジで天使じゃん! 


強さも可愛さも完璧すぎるぜ!」


大袈裟に両手を広げて絶賛する蓮司の言葉に、

光は引き結んでいた唇を緩め、

ぽっと頰を赤らめて照れくさそうに笑った。


「……ありがとうございます、蓮司さん。


自分でもビックリしてます。


……でも、これはみんなが一緒に戦って、

隙を作ってくれたおかげですから!」


無垢な喜びと、仲間への感謝。


だが、その温かい輪郭から

少し離れた所で、美咲はただ一人、

自身の妖魔刀の柄を

白くなるほど強く握りしめたまま、

きつく唇を噛み締めていた。


(……私、また……


ほとんど何もできなかった……)


胸の奥を焦がす、どす黒い敗北感。


(光に全部、任せて……。


この刀、どうして……?)


震える手。


その悔しさと焦燥に歪む美咲の横顔を、

少し離れた位置から、

蓮司が一切の笑みを消した

静かな目で見つめていた。


彼の鋭い視線は、美咲の貌から、

じわじわと彼女が握りしめる

特式妖魔刀の『歪み』へと移り変わっていく。


(……あれは……)


蓮司の脳裏に、

自らの過酷な訓練の日々が甦る。


(ーーー美咲が解放を?)


鉛色の薄曇りの空の下。


美咲の表情は、

完全に光を失った上空の天蓋と同じように、

重く、どこまでも昏く曇っていた。


雨の予感を孕んだ風が、

血の匂いを残した路地に

冷たく吹き抜けていった。


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