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白翼の光  作者: 月凪
第三巻 宿命は光と影になって

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第45話 新しい風


あの、廃倉庫での

死線を徨うような悍ましい戦いから、

一週間以上の月日が流れていた。


幸いなことに、暫くの間は、

大きな事件も突発的には起きず、

討魔局深川支部の周囲には、

久しぶりに穏やかで、

静謐な時間がゆっくりと流れていた。


まるで、張り詰めていた運命の糸が、

ほんの束の間だけ

弛むことを許されたかのように。


朝の清らかな陽射しが

リビングの大きな窓から優しく差し込み、

フローリングの床に白い光の帯を描く中、

光は鏡の前で少し緊張した面持ちのまま、

制服の襟元を丁寧に直してから、

トントンと軽い足取りで

キッチンへと顔を出した。


そこでは、すでにエプロン姿の彩花が、

手慣れた手つきで

香ばしい厚切りトーストを

焼き上げているところだった。

バターの芳醇なコクと、

小麦の焼ける温かい匂いが、

まだ眠気の残る部屋の隅々まで

柔らかく広がっていく。


「おはよー! ひかり! 


今日は厚切りトーストに目玉焼き、

ベーコンも多めだよ! 


ちゃんと全部食べてね?」


彩花のはじけるような、

いつもと変わらない元気な声が響く。


それに触れた瞬間、

光の心に宿っていた微かな硬さが融けていき、

自然と口元が綻んだ。


彼女は木製の椅子を引き、

そっと腰掛けた。


「あやか……


最近朝ごはん、

すごく張り切って

作りまくってるよね。


……ありがと。


でも、あんまり無理しないでね」


光が気遣うように声をかけると、

彩花はフライ返しを

小さく振りながら振り返り、

朝の光をその全身に受け止めるようにして、

にっこりと眩しく微笑んだ。


「いいの! 


ひかりも美咲さんも、

最近ずっと大変だったでしょ? 


入院したり休んだりばっかりで……。


私にできることって、

こういう風に美味しいごはんを

作ることくらいしかないんだから。


ここは私に全部任せてよ」


日常の愛おしい音が

心地よく響くキッチン。


そこへ美咲が、

少し眠そうに細い指先で目をこすりながら、

静かにリビングに入ってきた。


「おはよう……。


彩花ちゃん、いい匂いね。


私も何か手伝うわ」


美咲がエプロンの紐を結ぼうと

手を伸ばすと、

彩花は慌ててそれを制するように

両手を振った。


「美咲さんは座ってて! 


今日は私が全部やるって決めたんだから! 


ほら、温かいお茶も淹れたよ」


湯呑みから、

白い湯気が幾重にもなって優しく立ち上る。


光はサクリと心地よい音を立てて

トーストを頰張りながら、

せっせと立ち働く彩花の

小さな後ろ姿と横顔を、

ただ愛おしそうに見つめていた。


「あやか……ごめんね。


最近、私たちばっかり心配かけて。


私、すぐに倒れたりして……」


小さな罪悪感を口にした光に対し、

彩花は少しだけ照れくさそうに笑い、

それからフライ返しを置き、

少しだけ真面目な顔になって、

光の澄んだ瞳を見つめた。


「いいよ。


ひかりがこうして元気になってくれるなら、

私はそれで十分。


……ただね、次に危ない任務に行くときは、

ちゃんと『行ってくる』って言ってよね。


黙って行っちゃうと、

私、すごく心配になるから」


見えない世界で、

光がどんな怪異と戦い、

どんな恐怖を抱えているのか、

彩花には分からない。


それでも、ただ無事に

この場所に帰ってきてほしいと祈る

その不器用な優しさが、

光の胸の奥をぎゅっと温める。


美咲は、そんな彩花の想いを包み込むように

隣から優しく微笑みかけた。


「彩花ちゃん、

いつも心配をかけてごめんね。


私も光も、これからはもっと気をつけるね」


光も、自分の胸の奥に

そっと誓うようにして、小さく頷いた。


「……うん。


約束する。


あやかにも、

これからはちゃんと伝えるね」


三人の間に流れる空気は、

傷を負う前の、いつもの大切な日常へと

確かに戻っていた。


窓の外には、雲ひとつない、

どこまでも透き通った青空が

ただ静かに広がっている。


その空はーー


まるで彼女たちの

これからの未来を

祝福しているかのようだった。


ーーー討魔局深川支部、討伐課執務室。


光と美咲がいつものように

オフィスの扉を開けると、

そこには班長である神崎が立っていた。


いつもなら仏頂面で

書類を睨んでいるはずの彼が、

今日は少しだけ声のトーンが高く、

どこか嬉しそうな様子で

二人を迎え入れる。


「おはよう! 


今日は朝礼で、

ちょっとしたニュースがあるぞ!」


朝の気怠い空気を

一瞬で吹き飛ばすような神崎の大声が、

執務室に響き渡った。


その言葉に、

美咲は不思議そうに首を傾げ、

神崎の顔を覗き込んだ。


「ニュース……ですか? 


班長がそう言うのって、

大抵ろくなことじゃない気がしますけど……」


「なっ、お前な……!」


光も美咲の隣で同じように、

小さな首をちょこんと傾げて神崎を見上げる。


「何かあったんですか、班長?」


ピコッ。


タイミングを計ったように

神崎のスマホが電子音を鳴らし、

彼はその画面へと視線を落とした。


内容を確認した神崎は、

どこか楽しげに口元をニヤリと歪め、

執務室の入り口のドアのほうへと

視線を向けた。


「よし、じゃあ早速始めるか! 


おい、入ってこーい!」


神崎の号令が室内に響いた瞬間、

ドアが、勢いよく開け放たれた。


まばゆい金髪のパーマヘアを

軽快に揺らした一人の男が、

ひどく明るい声とともに、

文字通りオフィスへと

弾けるように飛び込んできた。


「チィース! 


おはよーございまーっす! 


鳴海蓮司でーす! 


今日からよろしくねー!」


エネルギーの塊のような男の登場に、

それまで静かだったオフィスの空気が

一瞬にして塗り替えられていくのだった。


突然、執務室全体の空気が

しんと静まり返った。


キーボードを叩く音も、

書類をめくる音も止まり、

誰もが呼吸を忘れたかのような

数秒の空白が生まれる。


しかし次の瞬間には、

水面に広がる波紋のように、

大きなどよめきとざわめきが

オフィス全体へと広がっていった。


周囲の隊員たちが、

信じられないものを見る目で囁き合う。


「鳴海だ……」


「本当に帰ってきたのか……」


「仙台の支部で暴れ回ってたって噂の……


あれ、本物かよ……」


「神崎班、

また化け物みたいな奴が増えたな……」


「あの金髪のチャラ男が、

本気出すとヤバいって話だぞ……」


そんな周囲の騒ぎを置き去りにして、

美咲は驚きにその目を丸くして声を上げた。


「蓮司……!? 


え、嘘、久しぶり……! 


急にどうしたのよ!?」


光は新しく現れた人物の

あまりのエネルギーと独特の雰囲気に、

ポカンと口を開けたまま、

心の中でそっと呟いていた。


(……この人、めっちゃチャラい……)


蓮司はそんな光の素直な視線に気づくと、

美咲に向かってひらひらと手を振りながら、

人懐っこい笑みを浮かべた。


「美咲!! 


久しぶりー! 

元気そうじゃん! 


あ、こっちが噂の光ちゃん?


うわー、めっちゃ可愛いね!


よろしくね、光ちゃん!」


あまりの距離の近さに、

光は少しだけ身を引きながら、

小さく頭を下げた。


不意に声が上ずってしまう。


「……よ、よろしくお願いします……蓮司さん」


神崎はそんな彼らのやり取りを、

がっしりとした腕を組んで

苦笑いしながら眺めていた。


それから、少しだけ声を

真面目なものへと戻して説明を始める。


「蓮司は宮城県の仙台支部に異動していたが、

ここ最近、江東区周辺に

Sクラス以上の危険な妖魔が

数体ウロついている。


そこで、俺が仙台と交渉して、

特別に東京へ戻してもらったんだ。


今日から神崎班に正式配属となる。


現在入院している

悠真の代わりを務めてもらうと同時に、

Sクラスの妖魔が

標的としている可能性があるとして、

光の護衛も兼ねる。


……口は軽いが、

その実力だけは俺が保証する」


神崎の言葉を受けて、

蓮司は白い歯を見せて笑い、

親指を立てて光にウィンクをしてみせた。


「そういうわけだからさ、

俺が光ちゃんのナイトって訳さ! 

もう安心してよ!」


光は、命がけの戦いを支える討魔局の中に、

これほどまでに飄々とした、

チャラい人間がいるという事実に

驚きを隠せなかった。


けれど、美しく差し込む

朝の光の中で彼を見つめるうちに、

光の胸の中に

不思議な違和感が小さく芽生えた。


(……この人……)


光は彼の顔をじっと見つめる。


(あんなに明るく笑っているのに……


なんで、こんなに

寂しそうな目をしてるんだろう……)


まるで、大切なものを

どこかに置き去りにしてきて

しまったかのような、

そんな物悲しい揺らぎが、

彼の瞳の奥底にほんの僅かだけ

見えたような気がした。


それは、この過酷な世界を

生き抜いてきた者だけが持つ、

特有の陰影なのかもしれなかった。


神崎はどこか嬉しそうな

ニコニコとした表情を崩さないまま、

いつもの朝礼を続けていた。


「今日は大きな任務はなしだ。


通常業務と、

周辺の軽い調査が中心になる。


お前ら、適度に休めよ」


朝礼が終わり、

それぞれのデスクへと散る。


光のちょうど向かい側のデスクに

腰掛けた蓮司は、頬杖をつきながら、

ニヤニヤとした笑みを浮かべて

ずっと光の方を眺めていた。


その双眸が、

彼女の輪郭を優しくなぞる。


(……マジで、希さんにそっくりだな……)


蓮司の頭の中に、

かつての伝説の女の面影が過る。


美咲は、そんな蓮司の視線を

デスクの横目から捉えていた。


その瞬間、美咲の脳裏に、

以前蓮司が酒の席で熱弁していた、

最悪な言葉が鮮明に甦る。


美咲はハッとして、

目の前に座っている光の顔を

まじまじと見つめた。


光は美咲のただならぬ視線に気づき、

不思議そうに小さな首を傾げた。


「どうしたんですか? 美咲先輩? 


私の顔に、何かついてます?」


美咲の背筋に、冷たい汗が伝う。


(……完全に、一致してる……!)


美咲が、目の前のチャラ男に向けて

凍りつくような冷たい視線を投げかけると、

蓮司はそれに怯むどころか、

ニヤリと笑って大袈裟に両手を広げてみせた。


「なんだよ美咲〜。


そんなに俺の顔を見て、

もしかして惚れ直したか? 


ふっ、しょうがねえな。

俺の罪深い美貌が憎いぜ」


「……あんたさ、

仙台のSSクラスの妖魔はどうなったのよ? 


その危険な個体を討伐するために、

わざわざあっちに

異動になったんじゃなかったの?」


美咲がジト目で問い詰めると、

まるで今日の天気のことを話すかのように、

蓮司は肩をすくめて、あっけらかんと答えた。


「あー、そんなの、

とっくに終わってんだよ。


マジで楽勝だったぜ。


俺にかかればあんなもん、

相手にもならねえよ」


「なっ……!? 


かなり強いって本部でも噂になってて、

私、それなりに心配してたのに!」


美咲が憤慨すると、

蓮司はへへっ、と悪戯っぽく笑い、

彼女の顔を覗き込んだ。


「へへっ、心配してくれてたのか? 


お前も意外と可愛いとこあんだな〜。


もしかして、本当は俺のこと好きなの?」


「違いますっ!!!!」


静かなオフィスに美咲の怒声が響き渡る。


神崎は、デスクの向こうから聞こえてくる

数年ぶりの二人の

賑やかなやり取りを耳にしながら、

懐かしい我が家に帰ってきたかのように、

ただ優しく苦笑いを浮かべていた。


「おいおい、仕事しろよ……」



その日は幸いにも新たな討伐依頼はなく、

オフィスは終始穏やかな空気に包まれていた。


なにより鳴海蓮司という

嵐のような男が加わったことで、

神崎班の空気はいつもよりずっと賑やかで、

どこか懐かしい活気に満ちていた。


夕方ーー


美咲の住むマンションの前。


ちょうど買い出しを終えて

帰宅しようとしていた彩花の前に、

低いエンジン音を響かせながら、

一台の派手なマットイエローの

スープラが滑り込んできた。


夕闇のグラデーションの中で、

その車体は嫌というほど目立っている。


買い出し袋を抱えた彩花は、

そのあまりの派手さに眉をひそめた。


(……な、何この車! 


音がうるさっ! 


っていうか、運転席の人、

めっちゃ金髪でチャラいんだけど……!)


彩花が怪訝な視線を向ける中、

スープラが静かに停車する。


運転席から降りてきた金髪パーマの男ーー


蓮司は、流れるような仕草で

助手席側へと回り込み、

恭しくそのドアを開け放った。


(うわぁ、絶対に絵に描いたような

キャバ嬢か誰かが乗ってるんだわ……


関わらないでおこ……)


彩花がそう心の中で身構えた次の瞬間、

その予想は木っ端微塵に

打ち砕かれることになる。


男に優しく手を引かれるようにして、

車内からちょこんと降りてきたのはーー


他ならぬ光だった。


(ーーー彩花の心の中で大パニック)


ええええええええええ!?


ひ、ひかり!?


なんでひかりが、

こんな見るからに危ない

チャラ男の車から降りてくるの!?


ナンパ!? 


絶対ナンパされたんだわ!


まさか、もうLINEとか

連絡先を交換させられてたりしないよね!?


……え、待って、


まさか下の名前で

親しげに呼ばれてないよね!?


ダメだよ! ひかり!!


あんなに知らない人には

ついてっちゃ危ないって

何回も何回も言ったのにぃ!!


彩花が頭の中で大絶叫していると、

続けて後部座席のドアが開き、

そこから美咲が、北極の氷山よりも

冷たい目で蓮司を睨みつけながら降りてきた。


光は、マンションの前で

荷物を抱えて固まっている親友の姿に気づき、

いつものんびりとした調子で

パタパタと手を振った。


「あ……あやか! 


ただいまー!」


「何やってんのひかりぃぃぃっ!!!!」


彩花はスーパーの袋を抱えたまま、

さながら愛娘の危機に駆けつける

母親のような猛烈な勢いで光に詰め寄り、

悲鳴に近い声を上げた。


「ナンパついてったらダメって

あれほど言ったでしょ!? 


こんな金髪パーマの

見るからに怪しい男の車になんて

乗っちゃってーー! 


危ないって、

何回も何回も言ったの忘れたの!?」


光は彩花のあまりの剣幕に

目を白黒させながら、

不思議そうに首を横に振った。


「え? 


あやか、落ち着いて、

ナンパじゃないよ? 


この蓮司さんはね、

今日から私たちの班に入った新しい人で、

私の護衛だって班長が……」


光が懸命に説明すると、

それを聞いた蓮司は、

両手を腰に当てて、

まるで少年漫画の主人公のように

自信満々に白い歯を見せて笑った。


「よぉ、君が噂の彩花ちゃんか? 


初めましてだな! 


そういうわけだからさ、

俺が光ちゃんのナイトを務めてるんだよね。


安心しとけって、

俺にかかれば安全第一、

お姫様を傷つけるような

ヘマはしねえからさ!」


(……ダメだ、


この人、笑顔が軽すぎて絶対信用できない。


絶対に口の上手いプロのナンパ師だ……!)


彩花が完全に

不審者を見る目で蓮司を警戒していると、

美咲が、今日何度目か分からない

深い、深いため息をつきながら

二人の間に割って入った。


「……とりあえず、


これ以上ここで騒ぐと近所迷惑だから、

中に入ろう、光。


彩花ちゃんも、

部屋でちゃんと説明するから」


夕陽が沈み、

静かに夜の帳が下りていく街並みの中で、

美咲の冷静な一言が、

彩花の頭の沸騰を

ようやく静めていくのだった。


ーーー美咲のマンション、リビング。


部屋に戻っても

彩花の興奮はまだ冷めやらず、

まずは外敵から隔離するようにして、

光の華奢な身体をソファに座らせた。


「ちょっと説明してよ! 


なんで、ひかりがあんな

派手な黄色い車から降りてきたの!? 


しかもあの金髪パーマの男……

絶対ヤバいでしょ!?」


光はクッションを抱えたまま、

ぼーっとした様子で小さな首を傾げた。


「えー……ヤバいかな? 


蓮司さん、前は仙台にいて、

今日から私たちの班に配属された人で、

私の護衛だって班長が言ってたよ」


「護衛!? あの人が!?」


彩花の声がひっくり返る。


美咲は呆れたように

ため息をつきながらキッチンに向かい、

手際よく夕飯の準備を始めた。


「彩花ちゃん、

とりあえず落ち着いて。


そこにあるお水でも飲んで。


夕飯食べながらちゃんと説明するから」


香ばしいソースの匂いとともに、

テーブルに焼き立てのハンバーグが並ぶ。


だが、彩花はフォークを握りしめたまま、

すぐに本題を切り出した。


「……その蓮司さんって人、

正直どんな人なんですか?」


美咲は自身のグラスに注いだ

赤ワインを一口含み、

少しだけ昔の記憶を遡るように

目を細めながら話し始めた。


「蓮司はね、

昔、悠真と一緒に

本部殲滅班で戦っていたのよ」


その言葉に、彩花は目を丸くした。


「えっ……


あのチャラ男が、

あの悠真さんと同じ殲滅班!?」


美咲は落ち着いた声で、

その驚きを肯定した。


「そう。


その後、仙台の方で

妖魔の活動が活発化して、

その地域を一人で抑え込める

重要戦力として

あっちの支部に派遣されていたの。


今回は悠真が入院しちゃったから、

その穴埋めと、光の護衛として

東京に戻されてきたのよ」


美咲はワイングラスを揺らし、

その深い赤を見つめながら静かに続けた。


「蓮司は珍しい二刀流の使い手で、

抜群の戦闘センスを持っているわ。


……それこそ、悠真と同じくらいに強い。


だけど……戦いになると、

時々ちょっと危なっかしいのよね。


死線を楽しんでいるというか……


まあ、本人は

ただ遊んでるだけなんでしょうけど。


……で、性格は見ての通り、あの軽さよ」


彩花はハンバーグを

フォークで小さく刺しながら、

納得のいかない様子で眉をひそめた。


「……で、


光の護衛ってのも本当なんですか? 


なんかやっぱり、

口実っぽくて胡散臭いというか……」


美咲は、少しだけ言いづらそうに

視線を泳がせながら言葉を重ねた。


「公式には護衛なんだけど……。


実はね、蓮司の昔からの好みのタイプが、

光の条件と完全に一致してるのよね……」


その言葉に、

のんびりスープを飲んでいた光が

ドキッとした。


「え?


……私が……?


……なんでだろ……」


光は小さく首を傾げながら、

自分の何がその金髪の男性の

琴線に触れたのか、

少し考え込んでしまった。


「……でも、蓮司さん、


オフィスでもみんなに優しそうでしたよ?」


光がそう呟くと、

美咲は光の華奢な輪郭を上から下まで眺め、

いたずらっぽく、意地悪に目を細めてみせた。


「『童顔でスタイルが良くて、大人しくて、

全力で守ってあげたくなるような子』……って、

昔本人が酒の席で熱弁してたわよ」


「完全に光じゃん!!!!」


彩花が勢い良く椅子から立ち上がり、

テーブルを挟んで

光の顔の目の前まで突進した。


「光! 


絶対気をつけて!! 


あの男、護衛とか何とか言って、

下心全開で近づいてきてるだけだから! 


絶対に騙されちゃダメ!」


光は彩花の勢いに気圧され、

テーブルの上の味噌汁のお椀を

少しだけ下げて、

申し訳なさそうにその細い肩を縮めた。


「……でも、


護衛なんて、

本当は私には迷惑じゃないかな。


私、いつもみんなに

心配ばかりかけちゃってるし……。


蓮司さんにも、

わざわざ私のために

遠くから戻ってきてもらって、

車で送ってもらったりして……」


光は、自分が周囲の重荷に

なっているのではないかという、

いつもの小さく不器用な罪悪感から、

静かに視線を落とした。


美咲は、そんな光の

誤解を解くように優しく首を振った。


「光、それは違うわ。


今は本当にあなたの命が狙われている、

危ない状況なんだから。


誰かが側にいるのは必要なことよ」


彩花も、今度は本気の顔になって

言葉を届けた。


「そうだよ! 


光が申し訳なく思う必要なんて、

どこにもないの! 


むしろあのチャラ男が、

光を守れるからって

勝手に一人で張り切って

戻ってきただけなんだから!」


光は、二人の熱い視線の前で

一瞬だけフリーズした。


それから、その言葉の

表面だけを受け取るように、

ポツリと呟いた。


「……うん。


わかった」


その、全く核心が伝わっていない

平坦な返事に、彩花と美咲は、

呼吸を合わせるように

同時に深いため息をついた。


美咲はやれやれというように首を振る。


「……全然、伝わってないわね」


彩花はガックリと両肩を落とし、

椅子に座り直した。


「本当に、一ミリも伝わってないね……」


光だけが、

二人の落胆の理由が分からず、

綺麗に澄んだ瞳のまま

キョトンとした表情で首を傾げていた。


「えっ……?」


窓の外からは、

夏の始まりを告げる夜の虫の声が、

静かに、そして温かく

食卓の沈黙を埋めるように響いていた。


賑やかな夕食が終わり、

綺麗に片付けを終えた後、

光はリビングの窓辺へと歩み寄り、

静かに外の景色を眺めた。


ガラス窓の向こう側、

南砂の夜景が、

闇に融けるような

柔らかな光を静かに広げていた。


遠くのビル群が

星屑のように優しく輝き、

街灯のあたたかいオレンジ色が、

静まり返った道路を

穏やかに照らし出している。


戦場の血生臭さなどどこにもない、

守るべき大切な世界の姿だった。


光はふと、小さな首を傾げ、

硝子に映る自分の顔に向かって

独り言のようにぽつりと呟いた。


「……蓮司さん、

本当にただの護衛なんだよね?


……なんか、今日も自分で

『ナイト』って言ってたけど……。


騎士様って、

絵本だともっとこう、

カッコいいイメージだったな……」


その、あまりにも直球で純粋な感想が

後ろまで聞こえていたのだろう、

リビングで寛いでいた彩花が、

プッと堪えきれずに吹き出した。


「あはは! 


ひかり……

それ、さすがに天然すぎるよ……!」


光はきょとんとした顔のまま振り返り、

もう一度、不思議そうに首を傾げた。


「え? 


天然……? 


私、変なこと言ったかな……?」


美咲もそんな光の様子に

くすくすと笑みを漏らしながら、

ソファから立ち上がって

光の元へと歩み寄り、

その柔らかな髪を

愛おしそうに優しく撫でた。


「光は……


本当に可愛いわね。

そのままでいてちょうだい」


光の頭を撫でながら、

美咲の視線が、

窓の向こうの昏い夜空の先へと向けられる。


(……でも蓮司。


あんたが光に変な下心を出したりしたら、

その時は私が絶対に容赦しないからね)


そんな大人の密かな決意を隠すように、

美咲の口元には優しい笑みが浮かんでいた。


大きく開け放たれた窓の外。


きらめく夜景のグラデーションが、

部屋を満たす三人の穏やかな笑い声を、

優しく、そしてあたたかく包み込んでいた。


どこか気まぐれに、

けれど確実に夜を揺らす新しい風が、

そっとカーテンの裾を翻して、

それぞれの未来へと滑り込んでいった。


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