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白翼の光  作者: 月凪
第三巻 宿命は光と影になって

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第43話 その指先が求めるもの


世界は、ただ深く、

昏い夜の深淵に満ちていた。


天空にぽつんと浮かぶ蒼い月が、

地上に絶対の静寂をもたらしている。


その冷たい光が、

薄暗い廃ビルの屋上にたたずむ一人の男の、

無機質な眼鏡の奥を怪しく照らし出していた。


その男ーー


薄刃恒一は、

冷え切ったコンクリートの壁にその背を預け、

獣のように荒い息を吐き出していた。


片手で持ったタブレットの液晶画面には、

先ほどまでの凄惨な戦闘の記録が

繰り返し再生されている。


光の翼によって深く穿たれた腹部の傷口は、

未だ世界の法則を拒むように塞がっておらず、

痛みの代わりに黒い生命の粒子が、

夜の風に舞い続けていた。


ーーーズッ……、ズッ……。


静寂を切り裂くようにして、

重く肉を引き摺るような足音が

屋上に響き渡った。


ーーーギィ……。


錆びついた屋上の鉄扉が、

重々しく、ゆっくりと開け放たれる。


そこに立っていたのは、久我累だった。


彼はその恨めしそうな、

飢えた獣のような表情のまま、

薄刃を鋭く睨みつけた。


悠真との死闘の爪痕か、

彼の全身には無数の切り傷が刻まれており、

その傷口からは未だに、乾いた黒い粒子が

黒い雪のように舞い続けている。


だが、自分以上に深く傷ついた

薄刃の姿をその網膜に捉えた瞬間。


久我の口元はニヤリと、

どこか子供じみた

怪しい微笑みへと歪んでいった。


「……へへ……


薄刃……良い顔してるな。


……光ちゃんの翼に、

派手にやられたのか?」


薄刃は内臓を灼かれるような苦痛に

眉をひそめながらも、

その硝子のような冷たい眼差しで、

久我を平然と見下ろした。


「……お前も、黒崎悠真に

散々遊ばれたようだな」


久我は子供が図星を突かれたように、

軽く肩をすくめてみせた。


しかし次の瞬間には、

その双眸に狂気的な光を宿し、

薄刃を睨み返す。


「……光ちゃんに会えなかったぞ。


お前……俺を嵌めたな?」


薄刃はすでに興味を失ったかのように

タブレットの画面に視線を戻し、

抑揚のない声で淡々と答えた。


「たまたまだ。


お前の方に、

希の娘が残る可能性もあった。


ところで、黒崎悠真はどうだった?」


久我はフゥ……と、

胸の腑に溜まった熱を吐き出すように

大きなため息をついた。


直後、歪にその口元の端を緩ませる。


「面白かったよ……。


あいつ、やっぱり強いな……。


妖魔刀を『解放』してきやがった」


久我の手が、自身の胸元を強く掻き毟る。


「……俺も、他の奴らを『共喰い』して、

あれだけの力を得ている筈なのに。


……まだ……足りない。


もっと食って、食って、食いまくって


……黒崎悠真。


アイツを、俺の手で殺す」


渇望。


それだけを燃料にする怪物は、

喉の奥でククッ……と、

壊れた玩具のように笑った。


薄刃は視線だけを動かし、

一瞬だけ久我のその歪んだ貌を確認した。


「それは良かった……。


お前はそうでなければ俺が困る」


薄刃の指先が、

冷たい画面をスクロールする。


「ああ……そうだ。


解放といえば……


一ノ瀬美咲も、不完全ながら

妖魔刀を解放していたな……」


薄刃は液晶のバックライトを見つめたまま、

その細めた目で、遠くを見つめるように

虚空をジッと睨み据えた。


「……フフ……。


しかし、こちらも予想以上だった」


(……あの暴走した、美しい紫の翼。


攻撃と防御を同時に行う。


あれは、まるでかつての

美雲希そのものだった……)


世界を拒絶する、ほぼ無敵の防壁。


薄刃は眼鏡の奥の瞳を妖しく光らせ、

静かに思考の深淵へと沈んでいく。


(さて……あれを、どうやって崩そうか……)


久我は引き摺る足取りのまま

薄刃へと近づき、その手にある

タブレットの液晶を上から覗き込んだ。


青白い光に照らされた瞬間、

彼の双眸が驚愕に大きく見開かれる。


「何だ……そりゃ……!?」


薄刃は表情の筋肉を一つも動かさず、

ただ画面を見つめたまま、

淡々と事実だけを返した。


「希の娘を極限まで追い詰めたら、

こうなった……。


興味深いことに、

本人は完全に意識を失っている」


ーーードクン……。


久我の胸の奥で、

異形の核が重く跳ねた。


画面の奥。


淡い紫色の翼に守られるようにして、

ただ静かに眠り続ける光。


そして、その小さな身体を

愛おしそうに抱きしめたまま、

狂おしく紫の粒子を撒き散らし、

世界を拒絶するように

周囲を破壊し尽くす異形の翼。


久我は、自らの体内を巡る黒い粒子が、

一気に逆流していくかのような

奇妙な錯覚に囚われていた。


その瞬間ーーー。


彼の脳髄の底で、

かつて『影目』が放った言葉が、鮮烈に甦る。


『人間たちの言葉を借りるならーー


『愛情』、とでも呼ぶのでしょうね』


久我は、不意に始まった

自らの指先の震えを

抑え込むようにして、

衣服のポケットの奥にある『人形』を、

壊れそうなほどギュッと握り締めた。


(これは……あの時の、

あの涙に近いものなんじゃないか?)


(泣いている訳じゃない……。


だけど、この光景に、

あの時と同じものを感じる……)


魂の、形の提示。


(やはり……光ちゃんの中に、

それは確かにあるのか……?)


薄刃はその横で

ニヤリと不快な微笑を浮かべ、

タブレットの硝子に映る

その紫の翼を、愛おしそうに

その指先でなぞった。


「やはり……思った通りだ……」


その、常軌を逸した研究者の姿を見て、

久我がポツリと、冷めた声を漏らした。


「……腹を深く貫かれてるのに……


随分と余裕だな、お前」


薄刃の目が、

冷徹なメスのように鋭く細められた。


吐き捨てられた声は、

地を這うように低い。


「……この傷は、むしろ収穫だ。


あの翼が放った妖力のサンプルが、

いまも俺の体内に残っている。


これを解析しさえすれば、

あれが『何』なのか、裏付けが出来る」


薄刃の引き裂かれた腹部。


そこに未だ付着している純白の粒子が、

まるで心臓のように、ドク、と微かに揺れた。


薄刃は致命的な苦痛に眉をひそめながら、

昏い夜空を見上げ、呟くように声を漏らした。


「……次はもっと、完璧な準備を整える。


美雲希の娘……必ず、俺たちの手中に収める」


久我は、自らの執念だけで

薄笑いを浮かべる薄刃を横目に、

用は済んだとばかりに

再びズルズルと足を引き摺りながら、

廃ビルの奥にある自室へと戻っていった。


冷たいコンクリートの部屋に着くなり、

張り詰めていた糸が切れたように、

彼はベッドの上へと仰向けに倒れ込んだ。


満身創痍の身体は動かない。


久我はポケットから、

あの『希の人形』をそっと取り出し、

目の前に掲げてジッと見つめた。


(光ちゃん……会いたかったな……。


……何なんだよ、この胸の奥の気持ちは……)


人間を真似ることもできない怪物は、

その答えを得られぬまま、

泥のような深い眠りへと落ちていった。


彼の右手に、しっかりと

握られたままの希の人形。


それは窓から差し込む

冷たい月明かりに照らされながら、

いつもと変わらない、優しい母親の顔で

微笑み続けていた。


ーーー夢の中。


そこは、現実の血生臭い戦場とは無縁の、

どこまでも眩くて、温かい世界だった。


見慣れた、南砂の小さな公園の砂場。


そこで幼い光と一緒になって、

泥だらけになりながら無邪気に遊ぶ、

美雲希のまばゆい笑顔。


久我は少し離れた場所から、

その誰も傷つけない、

ただただ優しい親子の姿を、

世界で一番幸せそうな目で、

静かに見つめ続けていた。


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