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白翼の光  作者: 月凪
第二巻 希望は時に厄災となって

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第41話 月明かりの寝顔


激しい嵐が去った後のような廃倉庫内は、

まるで巨大な猛獣が暴れ回った後のように、

ひどく無機質な静寂に包まれていた。


すべての窓は粉々に吹き飛び、

壁には無数のひび割れが走り、

天井は内側からの圧力に耐えかねて

大きく抉られるように穴が空いている。


だが、その破壊の爪痕すら、

いまはどこか神聖なものに思えた。


崩落した天井の穴から、

一本の清らかな月明かりが、

まっすぐに差し込んでいる。


その青白い光は、

空間に漂う

ラベンダー色の粒子と混ざり合い、

光を包み込む翼を幻想的に、

優しく照らし出していた。


光をその胸に抱くように

丸まっていた紫の翼が、

ゆっくりと、その輝きを弱めていく。


じわり、と世界の境界が融けていく。


淡いラベンダー色だった翼の表面が、

梢に積もる雪のように、

徐々に純白へとその色彩を変えていった。


まるで、静かな朝焼けが

どこまでも深い夜を溶かしていくように。


優しく、どこか哀しいほどに

綺麗な白い光が、

異形の翼全体を包み込んでいく。


やがて、その白翼は形を失い、

無数の光の粒子へと変わった。


キラキラと、

夜空の星屑のように輝きながら、

光の小さな背中へと

吸い込まれるようにして消えていく。


役目を終えた光の身体は、

重力に逆らうようにふわりと浮遊したまま、

ゆっくりと、熱を失った地面へと降り立った。


その表情は、どこまでも穏やかだった。


まるで、いままでずっと、

あたたかい布団の中で

深い眠りについていたかのように、

ただ静かに睫毛を伏せている。


神崎も、美咲も。


そして、

満身創痍の薄刃さえも。


誰もが声を発することを忘れ、

まるでお伽噺の結末に見惚れるかのように、

そのあまりにも静謐な光景を

じっと見つめていた。


薄刃は崩れかけた

コンクリートの壁に寄りかかったまま、

ゴホリと重い血を吐き、

ゆっくりと顔を上げた。


不意に、抜刀したまま対峙している神崎の、

冷徹な双眸と視線が交錯する。


「……神崎……久しぶりだな」


薄刃は苦痛に顔を歪めながらも、

その口元に、

いつもの歪んだ薄笑いを浮かべた。


「ゆっくりと

相手してやりたいところだが……


あいにく、俺はこのザマだ……


今日は引く。


だが、答えは見えた」


薄刃の背中から、

昆虫の足のような細く禍々しい触手が、

複数本、音もなく展開された。


それらを壁の隙間に突き立て、

まるで大きな影が這うように、

素早く移動を始める。


そのまま、

光の翼が消し飛ばした

倉庫の崩落跡から、

夜の闇に紛れるようにして、

音もなく逃走していった。


遠ざかる影の奥から、

独り言のような低い声音が、

風に乗って耳朶を掠める。


「…………なるほど


……そういうことか…………」


神崎は妖魔刀の柄をギチ、と握り締め、

即座にその影を追いかけようとした。


だが、床に倒れている美咲と、

いましがた地面に横たわった

光の姿が視界に入り、

その足を強く踏みとどまらせた。


「くっ……!」


神崎は刀を収め、

急いで美咲の元へ駆け寄ると、

その華奢な身体を慎重に抱き起こした。


「大丈夫か? 美咲! 


何があったんだ……!?」


美咲は肋骨の痛みに顔を歪め、

浅い呼吸を繰り返しながらも、

弱々しく声を絞り出した。


「光が……光が突然……。


翼が……すごく大きな……


紫の翼が……薄刃を……」


その呟きが、

神崎の胸の奥に眠る

古い傷をチクリと刺した。


「……紫……」


その時、近くで横たわっていた光が、

「……ん……ぅ……」と小さく呻き声を上げた。


神崎は美咲の身体を自らの肩で支えながら、

静かに光の傍らへと近づいた。


光はまだ意識を失ったまま、

穏やかな寝顔を保っている。


先ほどまで、

この空間そのものをねじ曲げるほどの

凶暴な妖気を放っていたとは、

どうしても信じられないほど、

ただただ静かだった。


神崎は、思わず息を呑んだ。


胸の奥が、ぎゅっと締め付けられる。


過酷な任務の帰り道、

夜の車内で希が無防備に眠っていた時と——

まったく同じ、愛おしくも切ない寝顔だった。


数年前の夜。


暗い夜道を走る黒いセダン。


運転席の神崎が赤信号で車を止め、

ふと左肩にコテンと重みが寄りかかってきた。


視線を落とすと、

童顔の寝顔で

希が寄りかかっている。


「……ったく」


神崎は困ったように頬を掻いた。


希は安心しきったように、

肩へ体重を預けて眠っている。


「おい……風邪ひくぞ……」


返事はない。


神崎は優しい手つきで

希を座らせ直し、

後部座席からブランケットを取り出して、

そっと肩へ掛けた。


「……ん……ぅ……」


希は安心しきったように

小さく寝言を漏らした。


まるで、

温かい夢を見ているかのように、

微かに口元を緩ませた。


ーーーそして、現在。


かつての愛らしい記憶とまったく同じ顔が、

いま、冷たい廃倉庫の中央で

月明かりに照らされながら、

うっすらと口元を緩ませていた。


「……馬鹿野郎」


神崎は、夜の静寂に融けるような

小さな声で呟いた。


その不器用な言葉は、

誰に向けたものなのか、

彼にも分からなかった。


光の背中には、

あれほど巨大だった白翼の痕跡が薄く残り、

淡い白い粒子がゆっくりと

夜の空気に溶けるようにして消えかけている。


(紫……あの色は……)


神崎はもう一度、光の寝顔を見つめ、

ぽつりと、語りかけるように声を漏らした。


「なぁ……希。


間に合ったのは、

俺じゃなくて、お前だったな……」


その傍らで、

美咲は小さな光の手をそっと握り締め、

その瞳に大粒の涙を浮かべた。


「ごめん……。


私……守れなかった……」


「お前のせいじゃねぇよ……」


神崎は傷つきながらも

生き残ってくれた二人を、

包み込むように優しく見つめながら、

ポケットからスマートフォンを取り出した。


「こちら神崎。


潮見地区の倉庫街に負傷者二名。


即時回収を要請する。


……妖魔は逃走した。注意しろ。」


短い通信を終えた神崎は、

もう一度だけ、世界から切り離されたように

静かに眠る光を見つめた。


ふと天井を見上げる。


あの暴走した翼によって破壊され、

見事なまでに、ぽっかりと空いた

大きな穴がそこにあった。


壊れた世界の隙間から、

冴え渡る月明かりが

まっすぐに差し込んでいる。


それはまるで、

劇場の舞台でたった一人、

主役を祝福するスポットライトのように、

光の無垢な寝顔だけを

神秘的に照らし出していた。


彼女の背中にわずかに残っていた

淡く白い粒子が、

夜の闇に、雪のように舞い踊る。


やがてそれは、ゆっくりと、

愛おしいその小さな背中へと

吸い込まれるようにして、

完全に姿を消していった。


やわらかな、夜風の匂いがした。


挿絵(By みてみん)

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