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白翼の光  作者: 月凪
第二巻 希望は時に厄災となって

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第38話 運命の影


黄昏の残光の中、

夕闇に長く延びた二人の影が、

少しずつその距離を詰めていく。


左肩を深く貫かれた激痛が、

悠真の全身を容赦なく蝕んでいる。


失血のせいで視界が揺らぎ、

焦点を結ぶことすら容易ではない。


それでも悠真は

妖魔刀を強く握り直した。


その瞳はただ冷たく、

眼前の怪物を正面から睨み据えていた。


久我のねっとりとした瞳が、

悠真の左肩に開いた、

致命的な傷口をジッと見つめる。


「……黒崎悠真……」


久我の喉から、掠れた声が漏れた。


「お前……死ぬのが怖くないのか?」


風が、止まった。


夕闇の中、二人の間に流れる

数秒の静寂。


それは、剣を交える前の、

互いの魂を見定め合う沈黙だった。


悠真は、答えなかった。


代わりに、静かに息を吐いた。


「……さあな……」


その声には、一切の悲壮感も、

命を軽んじる傲慢さもない。


「それよりも、大事な物がある……」


久我の眉が、ピクリと

不快げに跳ね上がった。


「何だと……?」


一瞬。


理解を拒むように

久我の攻撃の手が止まった。


その刹那の空白を、

悠真は見逃さなかった。


―――ヒュッ!


無駄な予備動作を削ぎ落とした突きが、

久我の心臓部にある『核』を

正確に狙って放たれる。


「グッ……!?」


久我は直感的な恐怖に身を捻った。


寸前で核への直撃こそ免れたものの、

妖魔刀の刃が、久我の肉体を深く掠め取る。


久我はそのまま、

大きく後ろへと跳躍し、

悠真から距離をとった。


ハァ……、ハァ……。


久我は肩を大きく上下させ、

激しく息を乱していた。


「……ちっ……」


久我の顔から、

初めて笑みが消えた。


◇


――だが、ここからが違った。


「……お前」


久我の声が、一段低くなる。


「本当に、それだけの理由で、

そんな目をしていられるのか……?」


問いかけと同時に、

久我の背から、

これまでの比ではない量の妖肢が

一斉に噴き出した。


―――ッ!


暴力的な質量が、

悠真の防御を、次々と食い破っていく。


「くっ……!」


悠真は妖魔刀の刃でそれを防ぎ、

捌きながらも、

確実に、着実に、後退を強いられていく。


避ききれなかった妖肢が、

脚を、腹を、肩を、

容赦なく打ち据えていく。


「……っ、が……ッ!」


膝が、崩れた。


冷たい芝生に片膝をつき、

悠真は肺の中の空気を

すべて絞り出すようにして咳き込んだ。


視界が、白く霞んでいく。


(……立て……)


命令する脳と、

それに応えない肉体。


久我はゆっくりと、

その勝利を確信した歩調で近づいてくる。


「アハハ……


やっぱ、口先だけだったな。


黒崎悠真……」


悠真の指先から、

妖魔刀の柄がわずかに滑り落ちかける。


(……ここまで、か)


初めて、頭のどこかで、

そんな諦観がよぎった。


◇


その、刹那。


すべての音が、消えた。


風も、久我の哄笑も、

自分の荒い呼吸すらも。


世界が、静止したかのような、

一瞬の真空。


悠真の脳裏に、

声にならない声が、次々と過った。


(……班長……)


大剣を担いで、

豪快に笑うあの背中。


(……美咲……)


自分の想いに真っ直ぐな、

あの強い瞳。


(……光……)


まだ震えながらも、

誰かを守ろうと前に出る、

あの小さな背中。


(……もう……)


(後悔は繰り返さない……)


その想いが、

言葉になるよりも早く、

悠真の指先が、

再び妖魔刀の柄を強く握り締めていた。


◇


「――ッ!?」


久我の勝ち誇った足が、

ピタリと止まる。


悠真の身体から、

それまでとは明らかに異質な、

青白い妖気が

静かに、しかし確実に立ち上り始めていた。


沈みゆく夕陽の最後の残光が、

その刃を鈍く、そして美しく照らし出す。


悠真は、ゆっくりと目を開けた。


その瞳に、もう恐怖はなかった。


「――片鱗解放」


刃から、青い粒子が

吹雪のように激しく舞い上がる。


「な……っ!?」


久我が、初めて後ずさった。


「何だよ……その力は……!」


つい先ほどまで

圧倒していたはずの男の顔に、

明確な『焦り』の色が浮かんでいた。


悠真は静かに、

けれど確かな声で言った。


「……まだ、終わりじゃない」


一瞬で間合いを詰め、

妖魔刀が一閃する。


「ぐ……ッ!?」


久我の妖肢が、

まとめて切り裂かれた。


「化け物か……テメェ……!」


(クソッ……


なんで、こいつ……


さっきまでと、

まるで別人みたいに……!)


焦燥に駆られた久我の妖肢が、

悠真の背中を打ちつける。


ーーービシッッ!!


「くっ……!」


だが、悠真の足は止まらない。


(まだ……足りない!)


膝が笑い、視界が霞んでも、

その刃だけは、

一度も鈍ることがなかった。


「……ここで、終わらせる」


悠真の唇から漏れた、

絶対の零度を孕んだ呟き。


握り直した妖魔刀から、

青白い粒子がさらに膨れ上がる。


「――解放」


静寂の引き金を引くように紡がれた二文字。


その瞬間、空間に漂う青く輝く粒子の嵐が、

磁石に吸い寄せられるように

妖魔刀へと収束していく。


長刀が光の残光を纏い、

その刀身がさらに長く、鋭く、

牙を伸ばすように延長されていく。


制御し尽くされた強大な妖気の奔流が、

爆発的な質量となって空間を押し潰した。


左肩を深く貫いていた激痛すら、

その圧倒的な圧力の前に一時的に吹き飛ぶ。


体を駆け巡るのは、

ただ『敵を断つ』ためだけに

研ぎ澄まされた純粋な力。


重く、速く、

空間の階層ごと切り裂くような、

あまりにも圧倒的な斬撃が解き放たれた。


ーーーサクッ。


無慈悲な一閃。


久我が誇る無数の太い妖肢が、

ただの紙切れのようにまとめて両断され、

宙に腐肉を散らす。


「テメェ……ッ!」


初めて敗北の予感に顔を歪め、

無様に後ずさる久我。


その退路を断つように、

一歩、重力に逆らうような

超高速の踏み込みを見せた悠真が、

地の底から天を穿つ軌道で、

妖魔刀を真下から一気に切り上げた。


「あいつらの明日を――」


残光が、一線の白を焼き付ける。


――一瞬。


世界から音が消えた。


「邪魔するなァァッ!!!!」


叫びが、世界の秒針を止めた。


久我は剥き出しの恐怖に上体を歪に逸らし、

必死の表情で、迫り来る刃を躱そうと足掻く。


――しかし。


鋭利な刃の先端は、

久我の肉体を紙一枚の差で逃しはしなかった。


彼の胸元を大きく掠めながら

切り上げられた妖魔刀は、

人間を模る最後の皮を引き裂き、

その奥に隠されていた、

脈動する心臓部の『核』を

無惨に白日の下に剥き出しにした。


胸の亀裂から、生命の残滓――


黒い粒子を、霧のように

大量に撒き散らしながら、

久我は剥き出しの苛立ちと絶望を露わにして、

残された妖肢を引き、猛スピードで後退した。


ハァ……、ハァ……。


(あいつ……


核を見抜いてやがる……!)


荒い、血の混じった怪物の呼吸だけが響く。


(くそ……! くそ……!


この妖力じゃ……


この身体じゃ……


もう、光ちゃんと遊べない……!)


魂の欠損。


久我は自らの胸を抑え、

悠真を呪うように鋭く睨みつけ――


そのまま、背後の夕闇の帳の奥へと逃走した。


悠真は妖魔刀を下ろし、

ただ静かに、闇へと消え去っていく

怪物の背中を見つめていた。


追撃する体力なんて、

もう一歩分すら残されてはいない。


刃を伝う赤が、地面へとポタポタと、

静かに滴り落ちていた。


妖魔刀が纏っていた

青白い粒子は、

空気へ溶けるように消えていき、

やがて完全な静寂が戻ってくる。


悠真は左肩から大量の血を流しながら、

妖魔刀を地面に突き刺して、

その場に膝をついた。


視界がぼやけ、

息が荒くなる。


それでも悠真は

血に染まった手で左肩を押さえ、

静かに呟いた。


「……美咲……光……無事でいてくれ……」


不意に、芝生を踏み鳴らす誰かの足音が、

悠真に近づいてくる。


ザッ……、ザッ……。


「久しぶりだな……


殲滅班No.1の坊や。


あれを1人で追い払ったのか……

流石だな。」


悠真は俯いたまま呼吸を整え、

その懐かしい声に、

少しだけ、口元を緩ませた。


「篠宮班長……何故……ここに?」


「神崎から連絡があってな……


たまたま近くにいたから、

直接、私がきた。


さぁ……帰るぞ。」


悠真はゆっくりと顔を上げた。


夕陽の逆光の中、

彼女の右の袖だけが、

風もないのに力なく揺れていた。


それを見るたび、

悠真の喉の奥が、

わずかに苦く締めつけられる。


「いや……俺は――


このまま潮見に向かいます。」


女性はやれやれというように、

深くため息をつく。


「そんな体で行って何ができる? 


仲間を信じることも

大切だと教えたのを忘れたのか? 


神崎を信じろ……」


その言葉に、

悠真も少しだけ口元を緩ませた。


「フッ……そうでしたね……」


傷ついた悠真の掌に、

迷いのない女性の手が重なり、

ゆっくりと引き上げる。


「さぁ……肩を貸してやる」


悠真はその肩に体重を預けた。


西の空を真っ赤に焦がしていた太陽が、

静かにビル群の向こうへと没していく。


青年と隻腕の女性、

その二つの影は、

世界を塗りつぶす暗闇のなかへ、

静かに溶けて消えた。


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