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白翼の光  作者: 月凪
第二巻 希望は時に厄災となって

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第28話 気まぐれな翼、自由な母。


翌朝――。


美咲のマンションのキッチンでは、

いつものように穏やかで温かい

朝食の時間が、静かに流れていた。


外の空は一面、厚い灰色の雲に覆われ、

窓から差し込む柔らかな薄明かりが、

新しく始まった3人の部屋を

静かに照らし出している。


彩花が香ばしいトーストを焼きながら、

弾んだ明るい日常の声をかけた。


「ひかり、今日からまた訓練だって?


復帰早々大変だけど、頑張ってね!」


光は3人分のコーヒーを丁寧に淹れながら、

少しだけ緊張した笑顔を浮かべた。


「うん……


ありがとう、あやか。


今日は翼のコントロールを

重点的にやるみたい。


まだ、色々と自分のなかで

不安ばっかなんだけど……」


美咲が、優しく

光の華奢な肩に手を置き、微笑んだ。


「焦らなくていいわよ、光。


昨日は復帰初日の実戦だったのに、

いきなりAAランクを相手に

頑張ったんだから。


今日はゆっくりと、

自分の身体と相談しながら

調整していきましょう」


「はい……っ!」


朝食を全て終え、

光と美咲の二人は紺色の制服に身を包み、

連れ立って深川支部へと向かった。


曇り空の下、

街路樹の青い葉が重たげに揺れ、

今日はいつもより、肌寒く感じられた。


◇


――深川支部・室内訓練場。


道場のような、広い訓練場のなかに、

神崎、悠真、美咲、光の4人が集まっていた。


神崎が、無骨な腕を組み、

ニヤリと笑った。


「よし、光!


今日は予定通り、

お前は翼のコントロール訓練だ。


自分の意志で翼を出せるようになれ。


さぁ、やってみろ!」


光は一度こくりと頷いて目を閉じ、

練習用の竹刀を両手で強く握りしめた。


深く、深く息を吸って、

精神の集中を高めていく。


(……お母さん……。


守りたいって強く願えば、

きっとまた出てくれるはず……)


しかし——


一瞬だけ純白の粒子が

浮かび上がったものの、

形を成す前に霧散して消えた。


「……出ない……です……」


光は寂しげに呟いた。


美咲が優しく声をかける。


「焦らないで、光。


昨日は危機感があったから

出たのかもしれないわ。


もう一度、ゆっくり……」


神崎は光の背中を見つめ、

僅かに眉をひそめた。


「よし。


今度は俺を本物の妖魔だと思え。


実戦の緊張感が鍵なのかもしれねぇ」


「はいっ——!」


激しい打撃音が響き、

実戦形式の厳しい訓練が始まった。


神崎の竹刀が、

大剣を思わせる重い一撃となって

容赦なく光へ襲い掛かる。


光は背中の翼を出せないまま、

手にした竹刀だけで、

その猛攻を必死に受け止めた。


「く、ぅ……っ!」


何度も神崎の攻撃を

持ち前の反射速度で躱し、

必死に反撃の隙を窺うが、

彼女の肉体の動きは明らかに重く、

歯切れが悪かった。


◇


――30分後。


光は、訓練場の外にある外階段の上で、

両膝を内側へ寄せ、

足を身体の左右へ投げ出した

『アヒル座り』のまま、

ぺたんと力なくへたり込んでいた。


華奢な身体を小さく丸め、

ゼーゼーと激しく息を荒げながら、

俯いて額の汗を拭う。


「ハァ、ハァ……っ。


……やっぱり、どうしても

自分の意志だけじゃ出せないです……。


敵の、本物の妖気が満ちていないと……

翼は出てくれないのかもしれないです……」


神崎は額の汗を拭い、

太い腕を組んだ。


「……気まぐれだからなぁ……」


光は言葉の意味が分からず、

少しだけ首を傾げた。


「……え?」


神崎はハッとしたように光を見つめ、

慌てて頭を掻いた。


「いや……違う。


そういう……

発動条件みたいなものが

あるのかもしれないな」


美咲が心配そうに、

後ろから包み込むような声をかけた。


「でも、昨日は確かに

ちゃんと出せたわよね?


『守りたい』という

強い意志が鍵なのかも……」


光は自分の膝の上で震える両手を

じっと見つめ、ぎゅっと唇を噛み締めた。


「……自分の力だけで出せないと……


いつか、皆を守れない時が

来るかもしれない……


それが、怖いです」


少し離れた場所で、

一人黙々と竹刀を振っていた悠真は。


その言葉を聞いた瞬間――


空間を切り裂いていた素振りの手を

ピタリと止めた。


わずかに視線を伏せ、

その眉間に深い皺が寄る。


悠真は、俯く光の背中を静かに見つめた。


「……」


◇


――日の暮れかけた、午後。


江東区の片隅にある、

人通りのない小さな児童公園。


灰色の雲に覆われた空の下、

妖魔反応を検知した

当局からの要請を受け、

Cランク汚染型妖魔の

討伐任務が行われていた。


神崎、悠真、美咲の3人が、

妖魔が外へ逃げ出さないよう

周囲を包囲する。


ベンチの下に隠れ、

赤く目を明滅させている

小さなウサギ型の妖魔を見て、

神崎が首を捻った。


「あァ? ウサギか……。


元々はペットだったのが

妖魔化したんだろうな。


妖肢も無いが……

まぁ、微かな妖力はあるな」


美咲が、少し離れた後方で

妖魔刀を構える光に声をかけた。


「本物の妖気が

目の前にあるんだから、

翼を出せるか試す

良い機会かもしれないわ」


光は表情を引き締め、

妖魔刀を正眼に構えた。


「……はい! やってみます!」


彼女は背中に意識を集中させる。


(お母さん……。


みんなを守るための力を……!)


フワッ……。


一瞬だけ純白の粒子が舞い上がったが、

形を成す前に霧散して消えた。


「……出ない……です……」


光はしょんぼりと肩を落とした。


神崎が大剣を下ろし、笑顔を作った。


「まぁ、出ねえもんは

悩んでもしょうがねえ。


翼なしの、今まで通りの動きで

サクッと討伐してみろ!」


「はいっ!」


光は妖魔刀を握り直し、

ウサギ型の妖魔へと狙いを定めた。


しかし——


相手は最低ランクとはいえ、

機動力に特化した小動物の怪異。


光の斬撃はことごとく空を切り、

勢い余って転んでしまう。


その頭の上へ、

ウサギ妖魔がぴょこんと飛び乗った。


「も、もう……!」


慌てて立ち上がる光だったが、

次の斬撃も軽々と躱されてしまった。


その空回りを見兼ねた悠真が、

滑り込むように間合いに入った。


光が放った斬撃を妖魔が躱した刹那、

悠真の長刀が一突きで核を貫いた。


サラサラと黒い塵になって

消えていく妖魔。


悠真は冷静に刀を納め、

光へと静かに告げた。


「……落ち着け。


翼がなくても、いつものお前なら

斬れていたはずだ」


「う……っ」


光はぐうの音も出ず、

しょんぼりと肩を落とした。


神崎が近づき、その肩をポンと叩いた。


「焦るな、光。


昨日は一歩前へ出られた!

今日はその一歩を確かめた日だ。


少しずつだ!」


「班長……ありがとうございます……」


悠真は少し離れた場所で、

その二人のやり取りを静かに見つめていた。


ふと、その雰囲気を察した美咲が、

隣に歩み寄った。


「どうしたの……? 悠真?」


悠真は答えることなく、

撤収のためのバンへと、

スタスタと歩き出した。


「いや……何でもない」


美咲は、いつもより

少し不機嫌そうな悠真の後ろ姿を、

不思議そうにじっと見つめていた。


◇


――深川支部・討伐課 執務室。


午後からの任務を終えて戻ってきた光は、

まるで怒られた子供のように

しょんぼりと肩を落としながら、

自らのデスクの前に座り、

未熟な自分のせいで空回りしてしまった

任務報告書を、ただ黙々とまとめていた。


美咲は、隣の席で

今にも消え入ってしまいそうなほど

落ち込んでいる後輩の姿を見て、

元気づけるための秘策を思いつき、

声を潜めて話しかけた。


「ねぇねぇ……。


光! ちょっとこれ見て!」


光はハッとして隣の美咲の方を向く。


「美咲先輩……?


どうしたんですか?……」


美咲は周囲をすばやく見回し、

班長が席にいないことを確認する。


「ちょっとね、

昔の古い動画なんだけど……。


どうしても、

光に見て欲しいものがあるのよ」


美咲は自分のデスクのノートPCを操作し、

局の旧アーカイブサーバーから、

『第3回合同決起会』のログを検索した。


そして、その口元を

いたずらっぽく少しだけ緩ませながら、

動画の再生ボタンをクリックした。


ザァ、とノイズが画面を走った後、

液晶モニターには、

新宿の巨大な宴会場にひしめき合う、

大勢の職員たちの姿が映し出された。


誰もが酒を酌み交わし、

楽しそうに宴会を繰り広げている様子が

映し出されている。


美咲は動画の再生を一時停止させ、

画面の隅を指先でそっと指さした。


「ねぇ……。


この人、そうじゃない?」


光は、その美咲の指先を見つめ、

大きな瞳をさらに大きく見開いた。


「……お母、さん……」


目の前のモニターには、

光が世界で誰よりも会いたかった

母・美雲希が、当時の制服を着て

オレンジジュースを飲んでいる姿が、

映し出されていた。


さっきまで

暗く落ち込んでいた光の表情が

一瞬にして消え去り、

その大きな目頭が一気に熱くなった。


「お母さん……。


本当にお母さんだ……」


大きな瞳にみるみるうちに

温かい涙を溢れさせる光のその様子を、

美咲は、優しい笑顔で見つめ続けた。


「ねえ、光。


……その希さんのすぐ隣で、

顔を真っ赤にしてる人、誰か見覚えない?」


光は、白い頬を伝う涙を拭うことも忘れて、

再び驚愕にその目を見開いた。


「これ……っ。


もしかして……班長……ですか!?」


美咲はニコッと光に微笑んだ。


「ええ、大正解。


班長はいつも私に、

希さんのことを『ただの昔の同期だ』

としか言わないんだけど……。


でもね、この二人の距離感の感じだと……


割と近しい仲だったんじゃないかな、

って私は思うのよね。


……まぁ、実際のところは、

本人に聞かなきゃ分からないけれどね」


◇


美咲はそう言って光を和ませながら、

再び、動画の再生ボタンをそっと押した。


光は胸の奥の懐かしさを

どうしても抑えきれず、

液晶モニターのなかの希の顔へと、

自分の指先でそっと触れた。


「お母さん……」


動画のなかで、

神崎はすでに完全に泥酔していた。


ガハハと豪快に笑いながら、

隣に座る希の華奢な肩を

バシンと豪快に叩いた。


神崎のその怪力に煽られて、

希の身体が前のめりに激しくのけぞり、

持っていたオレンジジュースを、

『ブーッ!』と盛大に吹き出した。


酒に酔った神崎の手が、

希の肩をもう一度バシンと叩こうとした――

その、次の瞬間だった。


希の小振りの拳が、

神崎の顔面に目掛けて突き出された。


それは目にも留らぬ神速で

神崎の分厚い頬へと、

強烈なクロスカウンターとなって

完璧に叩き込まれたのだった。


光は、自分の母親の放った

あまりにもお転婆すぎる暴力のキレに驚き、

その目をまん丸に見開いて凝固した。


「お……お母さんっっっ!!? 」


予想通り、光の最高のリアクションに

耐え切れず、美咲は「プププッ」と、

手でお腹を押さえながら吹き出してしまった。


ドガシャァンッ!


動画の中で、希の拳を顎に喰らって

後ろへと吹き飛んだ神崎の巨体が、

盛大に後ろのテーブルをなぎ倒し、

持っていたビールを派手にぶち撒ける様子が、

生々しく画面に記録されている。


光は目を丸くしたまま、

両手で自らの口を慌てて覆った。

何も言葉が出ず……。


まるで自分が班長を

殴り飛ばしてしまったかのように、

青い顔をして、美咲の顔をじっと見つめた。


美咲は、予想を遥かに上回る

光のその純粋すぎるリアクションに

耐え切れず、笑ってしまった。


「フフフッ!

本当に面白いでしょう?


これ……私が最初に見たときも、

もの凄い衝撃映像だったわよ」


光は青い顔を崩さないまま、

震える声で美咲に尋ねた。


「こ……これ……。


私が……代わりに謝るべきでしょうか?」


美咲は、その光の

真面目すぎる天然な心配に

苦笑いしながら返した。


「大丈夫よ!


ほら……これ見て!」


神崎は大の字になって動かない。


画面をズームしてよく見ると、

班長はただ殴られた衝撃のまま、

床の上で「フゴォー」と

そのまま気持ち良さそうに

寝てしまっているだけだった。


美咲は自分の頬に手を添えて、

少し呆れた表情だ。


「班長……絶対、覚えてないから」


光も、その班長の

大物すぎる可愛い生き様に、

思わずフフッと吹き出してしまった。


「班長……若い頃からなんだか……

豪快で可愛いですね……」


美咲は光のその優しい感想に、

あたたかく微笑んだ。


「……可愛いの?


……あ、ほら、光!

これ、次を見て!」


美咲が再び画面を指差すと、

神崎を仕留めた希が、

カメラのレンズに向かって

ズイッと悪戯っぽく近寄ってきている。


光はその画面のなかの母親の

生きていた動きを、大きな目を細めて、

懐かしそうに見つめていた。


『ねね! 咲ちゃん!


『空刃』のことばっかで疲れてるでしょ?


カメラ代わってあげるよ、私に貸して!』


『いや……俺はいい。


カメラも三脚で固定して

撮ってるから触るな』


『いいって!


いいってば! 』


画面が激しく上下に揺れ動く。


光は指先で、画面の中で希の顔を、

チョンと愛おしそうに触ってみた。


「お母さん……。


お家での印象と全然違う。


職場では、こんなに明るくて

お転婆な人だったんだ……って。


……お母さんの『新しい一面』を

見られた気がして、凄く新鮮です」


画面から一瞬たりとも

目を逸らさずにそう語った光の横顔を見て、

美咲は目を細め、口元を優しく緩ませた。


「この動画を撮っていた人、

実は私のお父さんなの。


名前が『咲也』っていうんだけどね。


画面のなかで、

希さんはお父さんのことを

親しげに『咲ちゃん』って

呼んでいるでしょう?


だからね、光。


もしかしたら、

私の父と、光のお母さんは……


私たちが思っている以上に、

当時、仲が良かったのかもしれないわね」


光は驚いて大きな瞳を見開き、

美咲の顔を見つめた。


「これを撮影したの、

美咲先輩のお父さんだったんですか……!?


――そうですね。


美咲先輩のお父さんと、

私のお母さんが、

昔そんな風に仲良く

笑い合っていたんだとしたら……。


私、なんだか凄く嬉しいな……」


美咲は微笑みながら、

光の頭を優しく撫でた。


「どう? 光。


少しは、元気出た?」


光は美咲のその深い気遣いに、

パァッと明るい満面の笑顔を見せた。


「はい! 凄く……凄く元気が出ました!


美咲先輩、本当にありがとうございます!」


美咲は、光のその笑顔を見て

にこやかに微笑んでいたが、

次の瞬間、少しだけ真剣なトーンに変えた。


◇


「でも……これだけじゃなかったのよ。


さっき、希さんが動画で

私のお父さんに向かって『空刃』って

言葉を口にしていたでしょ?


そのワードが、

どうしても少しだけ引っかかってね……。


ちょっとだけ、深く調べてみたのよ」


美咲は、あらかじめ

ダウンロードして保存していた、

別の動画データのアイコンを、

マウスで静かにクリックした。


そこには、

光の知らない表情を浮かべた

お母さんが立っていた。


そして、見たこともない武器から

凄まじい斬撃を放ち、

AAA級妖魔を一撃で両断する、

殲滅班――『美雲 希』の姿が

モニターに映し出された。


光は口元を両手で覆い、

弾かれたようにモニターから身を引いた。


美咲は頬杖をついたまま

光の表情を確認して、口を開いた。


「これが恐らく、

希さんの戦闘スタイルなんだと思う……。


圧倒的な『飛ぶ斬撃』……。


討魔局の伝説と呼ばれる人の戦い方……」


暫く沈黙していた光は、

小刻みに震えながら

ようやく言葉を紡ぎ出した。


「お母さんが……

こんな戦い方をしていたなんて……。」


光は息を呑み、

画面から目を離せなかった。


「……それなのに。


なんで……


こんなに強いお母さんが

死んじゃったんだろう……?」


光は記憶を辿るように

天井を見上げた。


「『薄刃』っていう妖魔……、

そんなに強い妖魔なんですか?」


画面には、満面の笑みで

ピースをする希の姿が映っていた。


挿絵(By みてみん)


その笑顔を見つめたまま、

光は小さく呟く。


「……薄刃」


窓硝子の向こう、

どす黒く濁った空から、

誰かの悲しみが零れ落ちるように、

微かな雨が静かに糸を垂らし始めた。




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