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白翼の光  作者: 月凪
第二巻 希望は時に厄災となって

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24/73

第24話 大きくて 温かくて 怖くなかった


翌日の夕方――。


白いカーテンを透かして、

窓の向こうから燃えるような

柔らかな夕陽が斜めに差し込み、

病室を茜色に染め上げていた。


美咲は仕事を終えたその足で光を訪れ、

持ってきた色鮮やかな花束を、

サイドテーブルのガラスの花瓶へと

丁寧に挿していく。


傾いた光がガラスに反射して、

水と花びらをキラキラと美しく輝かせる。


その手元を、ベッドの上の光は

ずっと黙って見つめていた。


視線に気づいた美咲は、

少し照れくさそうに微笑みながら、

最後に残った一輪を

そっと整えて口を開いた。


「これ、途中の花屋さんで見つけて。

光の好きな色、入ってるかな?」


ベッドの上で、

光はその白い花を見つめた。


「……その白い花

すごく綺麗ですね!


綺麗な花束……

ありがとうございます」


美咲は光の方を振り向き、

ニコッと柔らかく微笑んだ。


「この白い花はね……

私の父も大好きだったの。


病院の部屋は殺風景だからね。


少しの間でも、

こういう綺麗なものがあるだけで、

不思議と気持ちが落ち着くでしょ?」


光も、その温もりにつられるように、

優しく微笑んだ。


「はい……!


なんだか、すごく元気が出ます。


……あ、そういえば、

美咲先輩のあの妖魔刀にも、

綺麗な花の模様が描かれていますよね。


美咲先輩は、

昔からお花が好きなんですか?」


美咲は花びらの形を

そっと指先で整えながら、

遠い日を見つめるようにして

目を細めた。


「うん……。


多分、父の影響ね。

花が好きな人だったから……」


美咲は優しく微笑みながら、

ベッドのすぐ横にある丸椅子を小さく引き、

そこへ腰掛けてゆっくりと静かに話し始めた。


「光のお母さん――


美雲希さんが

この討魔局で働いていたでしょう?


実は、私の父親も、

昔、働いていたのよ」


「え……っ!?


そうだったんですか……?」


光は驚いて大きな瞳をさらに丸くした。


美咲は手元にあった

ペットボトルの水を一口だけ含むと、

ブラインドの隙間から覗く茜色の空へと、

その遠い眼光を向けた。


「うん……。


討伐課じゃなくて

『装備開発課』というところで、

ずっと図面を引いていたわ。


――もう、ずいぶん前に

死んじゃったけどね」


光は、先輩が自分と同じように

「世界に一人で取り残された喪失」を

背負っていることを知り、

切なそうに、申し訳なさそうに

視線を俯かせた。


「そう……だったんですね……。

知らなくて、すみません……」


美咲はそんな光の細い肩を

安心させるように、

その小さくて温かい手で、

優しくぽんぽんと撫でた。


「父が亡くなった後ね、

装備開発課の相馬さんっていう方が、

独りになった私の様子を

よく気遣って見にきてくれてね。


その人が、私の妖魔刀に、

父が一番好きだった白い花の模様を、

特別に入れてくれたの」


光はゆっくりと顔を上げ、

美咲の黒い瞳を真っ直ぐに見つめ返した。


「美咲先輩の、

あの綺麗な妖魔刀には……


そんな、大切なお父さんへの

特別な想いが込められていたんですね……」


美咲は、光の大きな瞳を

慈しむように見つめながら、

声を静かに繋いだ。


「私の父はね……。


光のお母さんが亡くなる数年前に、

……妖魔に殺されちゃったの」


「――っ」


光の肉体が、

その残酷な因果に

一瞬にして真剣に強張る。


美咲は、そんな光の揺れる瞳を

穏やかに見つめながら続けた。


「だから、なのかな……。


私、光のこと放っておけないのよね。


まるで昔の、自分を見ているような……

そんな感覚になっちゃうのよ」


光は差し出されたお茶の入ったカップを、

震える両手で包み込むようにして

きつく握りしめた。


じわりと、胸の奥が、

熱く震えるのを感じていた。


「……美咲先輩のお父さんも、妖魔に……」


(それが、私に……


命懸けで優しくしてくれる、

本当の理由だったんだ……)


美咲はもう一度、

光のブラウンの頭髪を、

愛おしそうに優しく撫でた。


「私も、あなたと同じ新人時代はね、

毎日がすごく怖かったのよ。


初めての実戦任務で

足の震えが止まらないほど怖くって……。


妖魔刀を握る両手から、

恐怖で力が抜けて、

何度も取り落としそうになったわ。


『私なんか、最初から

この仕事に向いてないんじゃないか』


って……

毎晩ベッドで泣きながら思った」


光は大きな瞳を少し見開いた。

美咲の思いもよらない過去。


「……美咲先輩も、私と同じように、

怖くて手が震えていたんですか?」


「もっとよ。情けないくらいにね」


美咲は茜色の光のなかに目を細めて、

言葉を続けた。


「でもね、ある時――


緊急任務で、悠真が目の前で

重傷を負って倒れたの。


その血の海を見た瞬間、

『私が、今ここで

この人を守らなきゃ死んじゃう』

って、頭じゃなく魂で思ったの。


その瞬間、

恐怖で動かなかったはずの身体が、

急に動いたのよ。


――それから少しずつ、

私のなかで何かが変わっていったわ」


光は、その圧倒的な覚醒の理由を

自分のなかに刻み込むようにして、

ぽつりと、静かに聞いた。


「……美咲先輩は、どうやって、

そこから強くなれたんですか?」


美咲は光のその真っ直ぐな瞳を、

一寸の誤魔化しもなく見つめ、

静かに、でもはっきりとした

強さを持って答えた。


「守りたいものが、

私の世界に増えたからよ」


「守りたいもの……」


「悠真を守りたい。


神崎班のみんなを守りたい。


……そしてね、光」


美咲は光の小さな手を、

自らの両手で優しく、

包み込むようにしてきつく握った。


「新しく班に配属されてきた、

光みたいな大切な後輩も……


何があっても守りたいって、

心から思うようになったの。


『守られる側』から、

『守る側になりたい』という

その強い気持ちの質量が、

私を、今日まで少しずつ

強くしてくれたんだと思うわ」


光は、自分の胸の奥が、

熱い想いで満たされていくのを感じていた。


その大きな瞳に、

これまでにない、

濁りのない純粋な輝きが灯る。


「……守りたいものが、増える……。


私も、私もいつか、

そうなってみたいです。


美咲先輩みたいに……


みんなの日常を、

みんなの命を、

全部守れる強い存在に……!」


光のその純粋な誓いに、

美咲は、心の底から嬉しそうに、

柔らかく微笑んだ。


「光はもう、

昨日の夜、自分の命を懸けて

親友の彩花ちゃんを守り抜いたでしょう?」


美咲は光の頭を、

もう一度だけ優しく、

慈愛を込めて撫でた。


「その、誰かを大切に想う気持ちを、

胸の奥でずっと大事にしていれば、

光ならきっと大丈夫。


何も焦らなくていいわ。


これから、私と一緒に、みんなと一緒に、

少しずつ強くなっていきましょう」


光は胸の奥の熱い想いを、

白翼の覚悟とともに、

きつく噛み締めるようにして返事をした。


「はいっ――!!」


◇


その後、二人が柔らかに談笑していると、


――ガラガラ


病室のドアが、勢いよく開かれた。


神崎剛志だった。


班長はいつもの豪快な挨拶も一切なく、

無言のまま、重い足取りで

光のベッドへと近づいた。


そして、その大きな、

傷跡だらけの無骨な手のひらで、

光の華奢な両肩を、ガシッと力強く掴んだ。


「……お前、馬鹿か」


低く、重い声だった。

病室の空気が一瞬にして凍りつく。


「美咲がお前に

『すぐにその場から避難しろ』と

指示を出したはずだ。


それなのに……お前は独りで、

あのSクラスに挑みやがった」


神崎の太い指先が、

光の細い肩へときつく食い込んだ。


「お前は俺の班の人間だ。


身勝手な単独行動は、

結果的に班全体を、

危険に晒すことになる。


お前の親友の彩花ちゃん

まで――」


「……っ」


しかし、

そこで神崎班長の言葉が、

ピタリと止まった。


光は逃げずに、

ただ自分の両手首を

きつく握りしめて俯いたまま、


大好きな人たちを

危険に晒してしまったという罪悪感に、

その華奢な小さな肩を、

小さく激しく震わせていた。


「……ごめんなさい……班長……っ」


零れ落ちる一筋の涙。


「あの時……。


あやかを助けることしか、

私……考えられなくて……っ」


神崎は何も言わなかった。


ただ、光の細い肩を

しっかりと掴んでいる。


数々の修羅場をくぐり抜けてきた

無骨な手だけが、光の涙の震えに

シンクロするようにして、

僅かに、小刻みに震えていた。


「……俺が」


掠れた、今にも消え入りそうな声だった。


「俺が……あと少しでも……


現場へ到着するのが

遅かったら……


お前は……」


光がハッとして青ざめた顔を上げる。


けれど、神崎は俯いたまま

光の顔を見ていなかった。


何か、遠い昔を思い出すかのように。


奥歯が砕けるほどの力で、

きつく顎の骨を噛み締めていた。


「……また……


俺は、守れずに、

失うところだった……」


その言葉は、

まるで、悲しみの底から漏れ出た、

引き裂かれそうな後悔の残響。


「班長……?」


光が不思議そうに、

その背負う深い闇を

覗き込むようにして声をかけた。


神崎は、その声に弾かれたように

ハッと顔を上げ、その目を見開いた。


「……いや」


班長は肺のすべての空気を吐き出すように、

大きく、深く息を吐き捨てた。


「何でもねぇよ」


神崎は右腕で乱暴に顔を拭うと、

無理やり口元を歪め

光の曇った瞳を見つめ直した。


「……俺は、この班を預かる人間だ。

部下を死なせない……それが俺の役目だ」


その言葉に、光はハッと顔を上げた。


神崎は、光の頭へと、

大きな、傷だらけの手を

ゆっくりと伸ばした。


しかし――。


その肉厚な手のひらは、

光の髪に触れる、

ほんの数センチの寸前の空間で、

何かを迷うように、

ピタリと動きを止めてしまった。


「……」


神崎は深い悲しみの中に、

その大きな目をそっと伏せる。


それでも。


男はゆっくりと、

大切な宝物に触れるかのような手付きで、

光の頭の上へと、大きな手を優しく置いた。


「……よく、無事でいてくれた。


……本当に、生きて俺の前に

帰ってきてくれて、ありがとう……」


「――っ」


光は、班長のその傷だらけの、

無骨な手のひらから伝わってくる、

愛の質量に、胸の奥が

張り裂けそうなほど熱くなった。



その手は、


大きくて。


温かくて。


――怖くなかった。



(班長……)


神崎は光の髪を優しく撫でながら、

自分自身へと言い聞かせるように、

低い声で言葉を紡いだ。


「……これからは、

ちゃんと俺を頼れ。


お前はもう、俺たちの、

神崎班の大切な仲間なんだ」


光は、静かに、深く

その言葉を噛み締めていた。


(……班長には、

きっと……何か深い想いがある……)


(今の私には、

まだその真実は分からないけれど……。


でも、いつか……


いつか私がもっと強くなったら、

ちゃんと聞きたい……)


病室の大きな窓から差し込む、

淡く溶けるような茜色の夕陽。


それは世界を包み込むほどに穏やかで、

どこまでも優しかった。


オレンジ色の柔らかな光は、

静かに寄り添う三人の影を、

そっといたわるように長く、

深く伸ばしていた。


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