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白翼の光  作者: 月凪
第二巻 希望は時に厄災となって

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第22話 その手の温もり

挿絵(By みてみん)


お母さんの温もりで目を覚ました。


視界に飛び込んできたのは、

無機質な白い天井、

目に優しい柔らかな照明。


そして――


鼻腔を微かにくすぐる、

特有の消毒液の匂い。


(……あ、ここ……病院、だ……)


(夢を見ていた気がする。


お母さんの、すごく温かい夢……。


でも……そうだ!


私はあの公園で……あやか……!)


「……あやか――っ!」


弾かれたように記憶の回路が繋がり、

光は急に上半身を勢いよく起こして、

そのままベッドから降りようとした。


その瞬間――。


――ゴチンッ!!!


「いたっ……!?」


「痛っ……!」


静まり返った病室に、

間の抜けた硬質な衝撃音が響き、

二人の少女の声が見事に重なった。


光が凄まじい勢いで起き上がった

まさにその拍子、

ベッドの脇で心配そうに

自分の顔を覗き込んでいた彩花の額と、

正面から盛大に衝突してしまったのだ。


彩花は自分の額を両手で押さえ、

涙目を浮かべながら、

痛みを堪えるようにして

少しだけ文句を言った。


「もう……っ。


ひかりはいつも、

考えるより先に

身体が動いちゃうんだから……。


悪い癖だよ、それ……」


彩花は額を赤くしながら、

呆れたように、

けれど愛おしそうに光を見つめる。


光もまた、自分の額を

きゅっと押さえながら、

申し訳なさそうに眉を下げて謝った。


「ご、ごめん……あやか……。


いたた……。


でも……本当に、

無事でよかった……。


……(小声)あやかの頭固い……」



彩花は敏感にその呟きを察知し、

プクッとその白い頬を

子供のように膨らませた。


「……ひかり、


今、頭が固いって言わなかった?」


けれど彩花はすぐに

その怒った表情を崩し、照れくさそうに、

心からの安心を込めてふにゃりと笑った。


「ひかり……


起きてすぐそれかぁ……。


本当に、いつもいつも

無茶ばかりするんだから。


――でも、


本当に……

無事でよかった、ひかり」


「クスクス……。


光、目が覚めて本当に良かったわ」


ベッドの反対側から、

優しい笑みを湛えた美咲が、

静かに歩み寄ってきた。


「目覚めて早々、

大切な親友に頭突きを見舞うなんて……。


あなた、相変わらずね」


光はまだぼんやりとした頭で、

不思議そうに周囲を見回した。


「あやか……美咲先輩……。


どうして、二人がここに……?


ここ……どこですか?

私はなんで……?」


美咲は光の華奢な肩を

その細い手で優しく支え、

彼女のパニックを静めるように、

穏やかに説明を始めた。


「ここは、

討魔局と連携している医療施設――


『深川中央病院』の一室よ。


光、あなたは

あの公園での戦闘の直後に気絶して。


そのまま駆けつけた救助班のバンで、

ここに緊急搬送されたの。


……本当に、無事でよかったわ。光」



彩花が、ベッドの上の光の細い手を、

ぎゅっと強く握りしめた。


「ひかり……」


親友の瞳から、

再び大粒の涙が溢れそうになる。


「私、大した怪我もないし、本当に無事だよ。


ひかりがあの時、

命懸けで助けてくれたから。


でもね、ひかりが私の目の前で、

あの白い翼を消して倒れたときは……

本当に怖かったんだからね?


だから次は絶対に、

一人でそんな無茶はしないでよ?」


光は、目の前にいる

二人の大好きな日常の顔を見つめながら、

胸の奥がじんわりと、

たまらなく温かい熱で

満たされていくのを感じていた。


しかし同時に、

ベッドから動こうとした反動で、

肉体の最深部から鈍い痛みが

全身へと急激に広がり、

その顔を少しだけ痛々しく歪めた。


「……私……。


また、みんなに、

神崎班のみんなに心配をかけて……。


私のせいで、

あやかをこんな恐ろしい

事件に巻き込んじゃって……


本当に、ごめんなさい……」


光のその自責の言葉を遮るように、

彩花は光の手をさらに強く握り締め、

世界で一番明るい

太陽のような微笑みを浮かべた。


「謝らないで、ひかり。


そんな顔、全然ひかりに似合わないよ」


彩花は、光の大きな瞳を

真っ直ぐに見つめて言い切った。


「ひかりは、私の――


世界でたった一人の、

最高のヒーローだよ。


……ただ、起きた瞬間から

頭突きしてくるヒーローは、

ちょっと困っちゃうけどね!」


その二人の掛け合いに、

美咲が再び堪えきれずに

くすくすと声を上げて笑い、

光の柔らかな髪を、

慈愛を込めて優しく撫でた。


「本当に……。


これだけ口が回るなら、

光はもう大丈夫そうね。


でも、身体の痛みはまだ残ってるわ。


今は何も考えずに、

ゆっくり休んで」


「はい……

ありがとうございます、美咲先輩」


◇


――その頃、

静まり返った病室の外の廊下では。


黒崎悠真が、

白い壁に背中を預けるようにして

寄りかかり、静かに佇んでいた。


ドアの隙間から漏れ聞こえてきた、

光のあのいつも通りの元気そうな声と、

彩花たちの明るい笑い声。


それを鼓膜に収めた瞬間、

いつもの冷徹な表情が、

ほんのわずかに、優しさで緩んだ。


生きている。


あいつは、ちゃんと自分の意志で、

あの暗闇から帰ってきた。


悠真は、中にいる少女たちに

声をかけることもなく、

ただ静かに、その場を後にした。


◇


光が目を覚ましてから数十分後、

白衣を纏った担当の医師と看護師が、

静かに病室へと入ってきた。


医師はカルテのページをめくり、

その電子の文字を目に収めながら、

穏やかで丁寧な声で言った。


「美雲さん。


まずは意識が戻って本当に良かったです。


――検査の結果ですが、

命に関わるような外傷はありません。


ただ、妖力と体力を極限まで消耗しています。


二、三日は入院して様子を見ましょう。」


看護師がカラカラと点滴の速度を確認し、

光へと優しく微笑みかける。


「何か体調に異変があったら、

枕元のナースコールで

すぐに呼んでくださいね」


医療班の二人が去った後。


白いカーテンの引かれた病室には、

再び、日常の柔らかな静けさが

しっとりと落ちてきた。


パイプ椅子に座る彩花が、

怪訝そうに、不思議そうに首を傾げた。


「あんな恐ろしい化け物に、

地面に叩きつけられたのに……


外傷がほとんどないって

どういうことなんだろう?」


光は再び無機質な天井を見上げて

目を細め、あの死闘を思い出した。


「あ……。


もしかしたら、

あのとき背中から落ちたから……。


あの翼が、クッションみたいな

役割をしてくれたんじゃないかな?


それに……あの白い翼……

不思議と、地球の重力そのものが、

軽くなったような感覚になるの。


落ちた瞬間は……


さすがに息が止まるほど

痛かったけれど……」


その言葉を隣で聞いていた美咲は、

細い顎にそっと手を添えて、

納得の表情を浮かべた。


(重力制御……。


……なるほど、だから光は、

あんな蝶のような動きができていたのね……)


美咲は思考を切り替えると、

パイプ椅子で小さくなっている彩花へと、

優しく声をかけた。


「ねえ、彩花ちゃん。


もしよかったら、今夜はここの病室に、

光と一緒に泊まっていっても大丈夫よ。


……本当は、

光のそばにいてあげたいんでしょ?」


彩花は自分の心を一瞬で見抜かれ、

驚きながらも、迷うことなく力強く頷いた。


「はい……っ!


ひかりのそばに、いたいです。


ひかりに……ちゃんと、

言わなきゃいけないこともあるから……」


美咲は光のベッドの傍らへと寄り、

その柔らかな髪を

もう一度そっと撫でながら、

温かい眼差しを向けた。


「光……


今日は、本当によく頑張ったわね。


よく無事に、

私の所に帰ってきてくれた。


私は一度、班長たちへの報告と

手続きがあるからこれで帰るけれど、

光も彩花ちゃんも、

今夜はゆっくり休むのよ」


光はベッドの上で、

コクンと素直に頷いた。


「はい……。美咲先輩!


今日は……私を助けにきてくれて、

本当に、本当にありがとうございました。


美咲先輩が投げ渡してくれた、

あの綺麗な妖魔刀……。


握りしめたとき、

もの凄く、心強かったです」


美咲は振り返り、ニコッと笑うと、

静かに病室を後にした。


美咲が病室を出て少しすると、

光のベッドのすぐ隣に

もう一つの簡易用のベッドが

静かに運び入れられた。


◇


パチリ、と夜の消灯の時間を告げる

スイッチの音が響く。


すっかり暗くなった病室には、

規則正しく脈打つ心電図のモニターの、

小さな、電子の機械音だけが

静かに木霊していた。


カーテンの隙間から、

青白い冷徹な月光が

かすかに床を白く縁取っている。


隣の簡易ベッドに横たわる彩花が、

寝返りを打って光の方を向き、

真剣な表情でそっと切り出した。


「ねぇ……ひかり……。」


光もその彩花の真摯な視線に気づいて、

身体の痛みを堪えながら、

彩花の方へと向き直った。


「ん……? どうしたの、あやか?」


光がそう問いかけた瞬間、

彩花の大きな瞳から、

大粒の涙がボロボロと溢れ始めた。


「ひかり……ごめんなさい……。


本当に、ごめんなさい……っ」


「え……!?


あやか、どうしたの?


何で、なんであやかが謝るの……っ?」


光は親友の突然の激しい涙に、

ベッドの上で大きく目を丸くした。


彩花は光と真っ直ぐに

視線を合わせることが出来ず、

布団で自らの顔を

深く覆い隠しながら声を震わせた。


「私……。


あの時、あの部屋にいたあの怪物が、

本当に、死ぬほど怖くて……。


あいつに言われるがまま、

あんな置き手紙を書いてしまったの……。


ひかりがそこに来たら、

絶対に危ない目に遭うことぐらい、

少し考えれば簡単に思いつく筈なのに……っ。


あんな……自分の身を守るために、

世界で一番大切な親友を売るような

最低なことを、私がしちゃったの。


そのせいで……


ひかりは、あんなにボロボロになって……っ!


ごめん……ごめんなさい、ひかり……っ!!」


世界で一番、

自分のために泣いてくれる親友。


光は優しく微笑み、

布団から覗く彩花の濡れた頬へと、

そっと自らの細い手を伸ばした。


「あやか……。


……あの手紙が、

もしも無かったとしてもね。


私は絶対に、あの場所へ行ったよ。


何があっても必ず、

あやかを見つけ出してた。


それにね、あの手紙があったおかげで、

私は迷うことなくあやかのいる所に

真っ直ぐ行けたんだよ。


あの手紙が、

私にあやかの場所を教えてくれたの。


……だから、あやか。


ありがとう……」


彩花は布団のなかに小さく蹲りながら、

その光の圧倒的な優しさに

救われるようにして、

コクコクと深く頷いた。


光は青白い月光のなかに

目を細めて、言葉を続けた。


「あやかを守ることができて、

本当に良かった。


――約束するよ。


私は絶対に、

もっともっと強くなって、

二度とあやかをあんな怖い目に

遭わせないようにするから」


彩花は泣きじゃくりながらも、

その光の真面目すぎる誓いに

くすっと小さく笑い、

布団から引き抜いた自らの指を、

光の細い指先へと、

優しく、ぎゅっと絡ませた。


「ひかりはいつも、

ちょっと真面目すぎるんだよ……。


……でも、それが私の

大好きなひかり、だよね」


「ふふ、そうかな……」


繋がれた手のひらから、

お互いの絶対的な

日常の体温が伝わってくる。


それから暫くすると、

極限の疲労に襲われていた彩花は、

安堵したように

穏やかな眠りへとついていった。


光は彩花の温かい手をそっと離し、

自らの左の背中――

翼の眠る肩甲骨の奥へと、

そっと右手を当てた。


(お母さん……。


お母さんのおかげで、

私、大切なあやかを守ることが出来たよ。


……本当に、ありがとう……)


隣から聞こえてくる

彩花の穏やかな日常の寝息を聞きながら、

光もまた、静かにその瞳を閉じた。


――意識が微睡みのなかへと沈んでいく。


ふと、光の脳裏に、

幼い日の光景が蘇った。


まだ、小学生になったばかりの頃。


あの公園の小さな砂場で、

白いコートを泥だらけにしながら

楽しそうに笑うお母さん。


そして、その隣で――


幼い自分と一緒になって

無言で砂の山を作っていた、一人の青年。


その横顔は、

今夜のあの怪物とは重ならないほど、

穏やかで、寂しそうだった。


(……久我……累……)


光の閉じた瞼の隙間から、

きらりと光る一筋の涙が、

静かに頬を伝っていく。


その雫は、

無機質な病院の枕に、

小さな切ない染みを残した。


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