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白翼の光  作者: 月凪
第一巻 白翼は希望の光となって

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第21話 白い夢


病室は、しんしんとした

深い静寂に包まれていた。


柔らかな間接照明が、

天井と壁を淡いベージュ色に

優しく染め上げ、

窓の向こうの夜の闇を

部屋から遠ざけている。


硝子の外には、

遠い街灯が、にじむように

ぼんやりと浮かんでは消えていた。


光はベッドの上に横たわり、

深い、深い眠りの淵へと落ちていた。


◇


――夢の中。


そこは、無限に広がる純白の世界だった。


壁も、床も、天井も、

すべてが輪郭を失った、

まばゆい白い光の粒子でできている。


どこまでも果てしなく

続いているようであり、

同時に、世界のすべてを

拒絶して閉じ込めた

透明な繭のように、

酷く狭くもある――


そんな不思議な精神の境界。


空気は柔らかく温かい。


記憶の底にある、

かすかに、懐かしい花の香りが漂い、

足を下ろす床は、雲をなぞるように

ふわりと心地よく沈み込んでいく。


「……光」


懐かしくて、

世界で一番大好きな声が、

白い空間全体に優しく響き渡った。


幼い子供の姿に戻った光は、

ゆっくりと、その大きな瞳を開いた。


そこに――美雲希がいた。


純白のコートを身に纏い、

昔と変わらない穏やかな眼差しで、

こちらを見つめて微笑んでいる。


希の周囲には、

淡い白銀の光粒子が

ゆっくりと陽炎のように舞い、

まるで切り取られた

星屑のドレスのように輝いていた。


光は気付けば、

希の膝の上にぽつんと

頭を乗せられていた。


記憶のなかにしか存在しなかった、

絶対的な安心をくれる温かい膝枕。


そして――。


自らの髪を、ゆっくりと、

優しく撫でてくれる、

あの小さくて柔らかい

お母さんの『手』。


世界のすべてを包み込み、

ただ自分という存在を肯定してくれる、

絶対的な愛を宿した、温かい母の手。


なんだか、すごく懐かしい。


「お母さん……?」


希は柔らかく静かに笑って、

光の髪を長い指先でゆっくりと梳いた。


その手のひらのぬくもりは、

まるで光という世界で一番大切な命を、

守り抜くように優しかった。


「頑張ったね、光……」


「うん……」


「痛かったね、辛かったね」


「うん……っ」


「怖かったね……」


「うん……。お母さん……っ」


希の指が、光の髪をゆっくりと梳き

少しだけ、目を細めた。


「寂しかったね」


「――――」


光が、日常のなかで

ずっと忘れたフリをして、

心の最深部へ隠し続けていた、

独りぼっちの感触。


その一番触れられたくなかった古い傷を、

希の優しい声の『寂しかったね』

という一言が、

優しく、綺麗に融かしていく。


ずっと独りで水を溜め続け、

耐えて、耐えて、強がっていた心のダムが、

一瞬にして完全に決壊してしまうような感覚。


光は堪えきれず、

幼子のように大きな瞳から、

大粒の涙をぽろぽろと溢れさせていた。


懐かしい母の声。


優しく自分の頭の輪郭を撫でてくれる指先。

膝枕から伝わる、絶対的な命の温もり。


希の白い指先が、

光の濡れた頬をそっと優しく撫で、

その溢れる涙の温かさを

丁寧に拭い去っていく。


希の瞳には、我が子への

深い、深い愛情と、そして――


独りにしてしまったことへの

悲しみが浮かんでいた。


「ありがとう、光。


あなたが、

最後まで頑張ってくれたから。


……やっと、会えた……」


希は光の涙の跡を

愛おしそうに見つめながら、

その小さな手に、自らの白い手を重ねた。


「……遅くなって、ごめんね。

あの日の……約束……」


光は、震える声を

喉の奥から振り絞るようにして、

自分のなかにあった

すべての情愛の質量を、

そのまま母へと伝えた。


「……お母さん……っ。


私、お母さんにまた会えて……

すごく、すごく嬉しいよ……っ!」


希は静かに、

どこまでも穏やかに微笑んだ。


「ふふ……。


光……。


光がこれから先、

困ったとき、悲しいとき、

いつでもお母さんの名前を呼んで。


――その時はすぐに、駆けつけるから……」


光は、涙のなかに小さく、

愛らしい笑みを咲かせた。


「……嬉しい……。


お母さん、いつも

お仕事で忙しかったから……。


私、本当は、ずっとずっと、

一緒にいたかったの……」


希は愛おしそうに

光の髪に自らの白い頬を寄せ、

静かに、夜の風のように囁いた。


「ごめんね、光。


……でも、これからは、


いつも一緒だよ……」


その言葉が、

空間のなかに

融けて終わると同時に、

純白だった世界が、

ゆっくりと、

淡い光の彼方へと

白く溶け始め、

境界線が消失していく。


光は夢の終わりのなかで、

母の手のぬくもりを、

その絶対的な愛の残響を

身体に刻み込みながら、

静かに、優しく目を閉じた。


「――っ、お母さん――ッ!!」


光は真っ白なベッドの上で、

弾かれたように

ハッと大きな目を覚ました。


「キャアッ!?」


「光――っ!?」


隣の丸椅子で仮眠を取っていた彩花が、

びっくりして声を上げて飛び起き、

デスクで書類をめくっていた美咲も、

ガタッと椅子を蹴って素早く立ち上がり、

ベッドへと駆け寄ってきた。


光は荒い息を吐きながら、

無機質な天井を見つめた。


目尻から耳へと一粒の雫が伝い、

枕を濡らしていく。


「光!? 大丈夫!?」


「ひかり……どうしたの? 


夢……見てた?」


彩花と美咲の心配そうな声が響く。


けれど、光はすぐには答えられなかった。


夢の輪郭は、目を覚ました瞬間から、

指の隙間からこぼれ落ちるように薄れていく。


世界で一番大切な約束を

していた気がするのに、

どうしても思い出せない。


――サワァ……。


その時、少しだけ開いた窓の隙間から、

静かな夜風が病室へと滑り込んできた。


白いカーテンが淡い月明かりを浴びて、

ふわりと優しく、波打つように揺れる。


光はゆっくりと自分の右手を持ち上げ、

その小さな手のひらを、じっと見つめた。


冷たい夜風に触れたはずなのに、

そこにはまだ、夢の中で

お母さんが優しく包み込んでくれた、

あの小さくて白く、

どこまでも温かい「手」のぬくもりが、

じんわりと、切ないほどに残り続けていた。


(これからは、いつも一緒だよ……)


光はその言葉を手繰り寄せるように

自分の胸元へとその手をそっと引き寄せ、

もう一度だけ、

小さく、愛らしい微笑みを

その唇に咲かせるのだった。


挿絵(By みてみん)

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