並行世界の|道標《みちしるべ》。
寮のアルバイト三日目。私は管理人室の鍵を開け、エプロン姿に着替えた。
「先輩の新車ないや。間に合った。」
誰も居ないのを確認し、ビオラを取り出し試しに弾いてみる。
ヨーロッパ風のレトロな様子に室内が変化した。
「こうなると思った。やっぱり先輩の趣味か。」手を二回叩くと元に戻った。
「いっそのこと、この部屋は最初からこれでしたって事にならないかな。めんどくさ。」
この世界は酷似しているが分岐した並行世界。所謂パラレルワールドという訳だが、この世界にはこの世界なりの日常的な秩序がある。
「自宅なら模様替えで済む話も職場じゃ勝手が違うし、こんな時や場所を選ぶ楽器なんて渡されても…。」
外が一瞬光り、ガレージから先輩が出てくる。
「先輩ってどこかの星から来たのかな。深入りする気はないけど。」
「おはよう梅子さん。昨日はあれからどうだった?」管理人室に入って来る先輩。
「結構、楽しかったです。楓が我が家に来るの久しぶりで、家族がはしゃいじゃって。」
「あ、弾いてくれてたんだ。」
「お返ししようかと。」
「気に入らなかった?」
「いえ、色々辺りが変わっちゃうから。」
「ああ、それなら…。」先輩は無造作に置かれたリモコンのボタンを押す。
管理人室の地下への階段が姿を現す。
「この部屋、地下シェルターがあるから。万が一に備えて。」手招く先輩。
照明が点き辺りが見渡すと洋風の部屋。シェルターの様な備蓄倉庫の雰囲気はない。
「プライベートルームになっちゃってますね。」呆れる私。
「だって、万が一なんて滅多に起こらないのに勿体ないじゃない。」
先輩は花瓶に花を生けてサイドテーブルに飾る。
「このパネルで、世界の名所が投影されるから。私じゃなくて元々オーナーの設計なの。ヴィオラを弾いてもここでは何も起こらないから安心して。」天井に映し出される月の満ち欠け。
「試奏してみて。大丈夫だから。」
私はドビュッシーをワンフレーズだけ演奏する。
「こんな感じでいいですか?これから仕事があるから。」
管理人室へ戻り、私たちは仕事の準備に取り掛かることにした。




