38話 箱と卵
親方もとい師匠に教えられた通りに塔の23階へ上がり、東北東の廊下を進む。
進む。
……まだ進む。
はぁ、これは最近も似たようなことがあったぞ。
俺は、入学試験の際、トーカ、いや、学院長が筆記会場へと案内してくれた場面を思い出していた。
あの時は精神干渉系の魔法を使ってたって言っていたけど、この廊下も似たような仕組みか?
ふむ、窓もなければ扉もない、おまけに同じ模様の壁がひたすら続くだけ。体感ではとっくに塔の直径を越えている気がするのだが、歩いてきた距離の感覚がどんどん分からなくなってくる。
さらに入学試験の時と違うのは、歩いているうちに、なんというか――引き返したいという思いに囚われそうになること。この先へ行く用事なんてなかったんじゃないか、出直した方がいいんじゃないか。そんな考えが頭に湧いてくる。
親方が2度も工房の場所を念押しした理由が分かった気がする。行き先を強く意識しないといつの間にか目的を忘れそうだ。
行き先を頭の中ではっきり唱え直しながら歩き続けると、やがて突き当たりに分厚い金属の扉が現れた。教室のものより一回り小さいが、同じく刻印がびっしりと彫り込まれている。
ノックしようと拳を上げたところで、扉が勝手に開いた。
「入んな」
どうやら師匠自ら扉を開けてくれたようだ。
「師匠、この廊下、何か仕掛けてますよね」
「ん?ああ、人払いの刻印だ。用のねぇ奴は途中で引き返したくなる。行き先をはっきり頭に入れてる奴だけが辿り着ける寸法よ。だから念押ししてやっただろ?」
あれは親切だったのか。
工房の中は、授業を行った教室をさらに煮詰めたような空間だった。中央に大きな作業台、奥には炉。壁の棚には素材と工具がぎっしりと詰まり、床にも当然のように部材が積んである。そして例によって、通路だけはきっちり空いている。
「初日だからって、いきなり面白いことはやらせねぇぞ。まずはそこの箱の部材の仕分けだ。金属、水晶、木、その他。触りゃ分かるもんから手ぇつけな」
「はい、師匠」
そこから先は、ひたすら手を動かした。
部材の仕分けがひと区切りつくと、次は金属板に刻印を彫る練習。といっても魔力は使わずに鏨で彫るだけだ。
「いいか、魔力を使って彫るのもいいが、まずは基礎を固めて刻印の精密性や精度を高めろ。それが一流と超一流を分ける差だ。完成度の高い刻印はそれだけで生み出す効果を飛躍的に高める」
授業で彫ったサイズの金属板50枚に様々なパターンの刻印を彫って、及第点をもらえたのはわずか2枚だった。
「上等だ。初日で2枚をこの精度で彫れたら十分すぎる」
「師匠の基準だと、普通はどれくらいなんですか」
「見習いを始めたばかりなら500枚に1枚でもあたしの及第点を貰えれば上等だ」
……この人の「弟子」の基準は高すぎるのでは?大丈夫だろうか、俺は。
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休憩になり、師匠が茶とも薬湯ともつかない何かを出してくれた。香りは強烈だが、飲むと意外に染みる。酒は入っていなさそうだ。
「そういや、ノイアーから聞いたぞ。お前、入学前に学院に来る時にドラゴンの群れをバッサバッサと切りまくったらしいな?」
いつの間にか持ってきた酒を飲みながら師匠が話をし始める。
「ああ……はい。ドラゴンっていってもレッサードラゴンでしたけど」
「で、何頭ぐらい切ったんだ?」
「全部で50頭以上いたのは覚えているんですけど切った数となると、10頭もいかないくらいじゃないですかね。ほとんどは、ノイアーとリオレスの魔法で倒していましたから」
「10頭行かないくらいって、普通は1頭でもレッサードラゴンを倒せる11歳がいたら大騒ぎだぞ。ましてや近接武器で」
親方は鼻で笑って、湯呑みを置いた。
「その刀、見せてみな。レッサードラゴンを切った刀だ」
「……刀、ですか」
「職人の前で得物を出し渋るんじゃねぇよ。あたしの専門は魔道具の職人だがドワーフの端くれとして武具についてもそこいらの鍛冶師には負けねぇぜ。レッサーとはいえドラゴンを斬った刀となりゃ、見ねぇで帰す訳にいかねぇだろ」
「分かりました」
まあ、減るもんでもないし別にいいか。
俺は魔法の鞄に手を入れ、愛刀「閃」を取り出した。
鞘ごと作業台に置くと、親方は両手で持ち上げ、「抜くぞ」と一言断ってから静かに抜いた。反りのない刀身が、炉の灯りを受けて鈍く光る。
「……ほう」
親方の目つきが変わった。ついさっき3本目の酒瓶を空にして上機嫌だった師匠の目が、職人のそれに。
「反りなしの片刃。こっちじゃまず見ねぇ形だ。鋼の質も、刃の付け方も、銘こそねぇが相当な腕の持ち主の仕事だ。誰が打った」
「ズズ爺……ズズイラバーダって爺さんです。爺ちゃんの呑み仲間で、たまにうちに来ては炎酒を呑んで帰る……」
ガタンッ!
親方が椅子を蹴倒す勢いで立ち上がった。
「『焱剣』ズズイラバーダ・ビルか?!」
「え、えんけん?」
「『六壊長』だぞ!まさか知らんのかっ?!ドワーフの大工房を統べる6人の長!ドワーフなら豆粒みてぇなガキンチョからくたばり損ないの年寄りでも知っている!あたしら鍛冶の血筋にとっちゃ雲の上の存在、現人神だぞっ!?それが、なんだって?呑み仲間ぁ?!」
「は、はい。来るたびに爺ちゃんの酒を勝手に開けて、記憶を飛ばして帰っていく爺さんですけど……」
「言い方ぁ!」
親方は頭を抱えて唸ると、閃をそれはそれは丁寧な手つきで鞘に納め、両手で恭しく返してきた。さっきまでと扱いの格が2段階くらい上がっている。
「……ったく。さっきからお前の話は『爺ちゃん』ばっかりだと思ってたが、出てくる名前まででかくなってきやがった」
親方はどっかりと座り直した。それから、その目がすっと俺の腰の鞄に移る。
「つーかお前、その鞄」
「え?」
「魔法の鞄だろ、それ。見たところなかなかの高級品だろ?」
しまった。癖でそのまま出しちまった。……まあいい。どのみち今日は、この人に相談するつもりだったんだ。
「工房とかじゃなくて……母の形見です」
「……形見、ね」
親方は伸ばしかけた手を、自分で止めた。
「やめとく。形見を弄り回すのはあたしの流儀じゃねぇしな。けどな弟子、その調子だと他にも面白そうなもの持ってんじゃねぇのか?あるだけ出してみな」
面白そうなものか、いや、むしろ好都合だ。そういえば「学院で調べよう」と思っていたものがあったな。
「実は、見てもらいたいものが2つあります」
「ほう、言ってみな」
俺は魔法の鞄から卵を取り出して、作業台の上にそっと置いた。
暗い色の殻をした、両手にようやく収まる大きさの卵だ。よく見ると、殻の表面には薄い帯のような模様が一周している。
「……卵か?」
「卵です」
俺はシトルエンの蚤の市での経緯を話した。隠蔽魔法で古びた木像に偽装されて売られていたこと。俺の眼がそれを見破ったこと。孵化には条件があるらしいこと。
「隠蔽を見破った?お前がか」
「俺の眼は、その、ちょっと特殊で」
「ふぅん」
親方はそれ以上は聞いてこなかった。代わりに棚から道具を持ち出してくる。金属の枠に水晶玉が嵌め込まれた、ランタンのような道具だ。
「素材鑑定用の魔道具だ。素材の見極めは職人の基本だからな。――見てな」
親方が水晶に魔力を流すと、淡い光が伸びて卵の表面を撫でた。
そして、吸い込まれた。
水晶の光が、ふっと消える。
「……あん?」
親方がもう一度、今度は明らかに強く魔力を流す。光が殻に触れた瞬間、根こそぎ持っていかれた。鑑定器はうんともすんとも言わない。
「おい。こいつ、鑑定の魔力ごと喰いやがったぞ」
「喰った……?」
「鑑定ってのはな、流した魔力の反響を読む技術だ。固いもんに当てりゃ固い反響が、古いもんに当てりゃ古い反響が返る。だがこいつは、当てた魔力が返ってこねぇ。殻に触れた途端、中に吸われて終わりだ。反響がなけりゃ何も読めねぇ」
親方は卵を持ち上げ、灯りにかざし、爪で軽く弾いた。コンッ、と素っ気ない音がする。
「ただ、1つだけ確かなことがある」
「なんですか」
「生きてるよ、こいつは」
親方はそう言って、卵を俺の手に返してきた。
「例外はあるかもしれんが、死んだもんは魔力を喰わねぇ。喰うってことは、中にいる奴にとって使い道があるってことだ」
生きてる。
時折、鞄から出して様子を確認したが、まるで孵化する気配も中で何かが生きている気配も感じなかったが、そうか、生きているのか。
「正体は分からねぇ。生き物はあたしの専門外だ。学院のもの知り共にも聞いてみな。……ただ、面白れぇもん持ってんな、お前。あたしも学院にいる以上、それなりに色々なものを見てきたが、未知との遭遇はやっぱり好奇心を刺激してくれるいいもんだぜ」
俺は卵を鞄に戻した。心なしか、さっきより少しだけ丁寧な手つきになった自覚がある。
「で、もう1つは」
「これです」
今度は鞄から金属の立方体を取り出した。
一辺15センチほどの、鈍い銀色の塊。シトルエンを発つ朝、ジルテーノさんから渡されたものだ。
それを作業台に置いた瞬間、親方の動きが止まった。
さっきまでの、面白がる職人の顔が消えていた。
親方は無言で立方体を手に取った。その瞬間、眉がぴくりと動く。
「……軽いな。それに、温けぇ」
掌の上で何度か重さを確かめ、指の腹で表面をなぞり、炉の灯りにかざして色を見る。
「……」
「師匠?」
「お前、これをどこで」
「道中で世話になったジルテーノって商人から、『ある人からの贈り物』だと。誰からかは、必要になった時に分かる――そうとしか教えてもらえませんでした」
「……なるほどな」
親方は立方体を作業台に戻した。ことり、と。さっきまでの手荒さが嘘のような、丁寧な手つきで。
「ミスリルに色が似てる気がしたんですけど、少し違いますよね?」
「似てるが、違ぇな」
「じゃあ、何なんでしょう。これは師匠でも分からないですか」
「……分からねぇとは言ってねぇ」
え。
「じゃあ――」
「当てはあるが、確信がねぇし、今はまだお前に教えることもできねぇな」
親方は立方体を俺の方へ押し返した。
「いいか、弟子。世の中にはな、知るべきタイミングっつうもんがある。こいつはそういう類のもんだ。そんでもって、あたしの見立てじゃ、今のお前にゃまだ早ぇ」
「……」
「大事にしまっとけ。人前で軽々しく出すんじゃねぇぞ。……まあ、最初に見せた相手があたしだったってのは、お前の日ごろの行いの結果だな」
それだけ言うと、親方はぷいと炉の方へ歩いて行ってしまった。
これ以上は何を聞いても言わない、という背中だった。
----イモルタ視点----
弟子が帰った後の工房で、あたしは一人、炉の火を眺めていた。
ばあさまの炉端話を思い出す。鍛冶の民の間で千年も語り継がれてきた、神代の銀の話だ。どんな炉でも溶けず、どんな鏨も受け付けず、ただ定められた血にだけ応えて目覚めるという――子供を寝かしつけるためのお伽噺にしてはおどろおどろしい内容。
まさか実物を拝む日が来るとはね。
しかも持ってきたのは、入学したての11歳のガキだ。「ある人からの贈り物」ときた。
あんなもんが、贈り物。
どこの筋のもんだ、あの弟子は。隠蔽を見破る眼。初日で形になる刻印の腕。『焱剣』の打った刀に、母親の形見だっつう最上級の魔法の鞄。歳に似合わねぇ落ち着き。挙句、神代の銀と薄気味悪ぃ卵ときた。
……まぁ考えてもしようがねぇ、やめだ。
詮索は職人の流儀じゃねぇ。素性より、仕事と目を見りゃ十分だ。あいつの目は、いい職人の目だ。今はそれでいい。
知るにはまだ早ぇ――ってのは、案外、あたし自身への言葉だったのかもしれねぇな。
炉の火が、ぱちりと爆ぜた。
「……退屈はしなさそうだな」
----ドラゴ視点----
そうして、俺の工房通いの日々が始まった。
週に2日、放課後になるとあの長い廊下を歩く。部材の仕分けと、刻印の練習と、たまに特等席で見る親方の仕事。日が経つごとに、触って分かる部材の種類が増え、及第点の枚数が増えていく。
授業があって、工房があって、食堂ではリオレスたちと飯を食う。フェンとミレイは相変わらず俺の工房話を聞きたがり、リオレスとは学院で学ぶ魔法について語り合う。
そんな日々が、気づけば滑るように過ぎていった。
寮の掲示板に『寮対抗戦』の文字が躍り始めたのは、そんなある日のことだった。
読んでくださってありがとうございます。
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