37話 弟子
転移室の扉を開けた瞬間、空気がおかしいことに気づいた。
ロビーが、静まり返っている。
夕食前のこの時間、本来なら談笑する寮生で賑わっているはずの空間で、生徒たちが壁際に避難するように固まっていた。全員の視線が一点に注がれている。
視線の先、ロビーの中央。
ノイアーが、床に両手をついて崩れ落ちていた。
「……は?」
レッサードラゴンの群れを前に涼しい顔で魔法障壁を張り続けた男が。あの湖の死闘を生き延びた男が。色を失った顔で、床を見つめている。
「ノイアー?おい、どうした」
駆け寄った俺に、ノイアーがゆっくりと顔を上げた。その目には深い疲労と、そして敗北の色が浮かんでいる。
「ドラゴ……すまん……俺では、抑えきれなかった……」
「何の話だ?!」
「もう手遅れかもしれんが、一応言っておく、……逃げろ」
「だから何の話――」
「さっきぶりだなぁ~、ドラゴ・グリント~」
ロビーの奥から、聞き覚えのある声、いや、ついさっきまで耳にしていた声がする。
油汚れの目立つつなぎ。腰に差した何本もの工具。赤茶色のごわついた髪。片手には、栓の抜かれた酒瓶、まさかあの酒瓶は炎酒か?!。
「……親方?!なんで寮に、あと、その酒瓶は何ですか?!」
「お前を迎えに来たに決まってんだろ。酒瓶がなんだってんだ、授業中じゃねぇんだぜ。な~んにも問題なんてなかろうがっ!」
親方はずかずかと歩いてくると、床に崩れているノイアーを跨いで――跨いだ!――俺の前に立った。足取りに危なげはまるでない。頬はほんのり赤い気がするが、それだけだ。
さ、酒くさい。
小さくしゃっくりをひとつ挟んでから、親方は言った。
「単刀直入に言うぞ。ドラゴ、おめぇ、あたしの工房に来い」
「工房?」
「あたしが個人で学院に用意してもらっている工房だよ。学院の塔の23階、東北東の廊下を一番奥まで行ったとこにある。放課後、週に何日かでいい、そこで作業を手伝いながら腕を磨け」
弟子入りの勧誘、ということか。確かに今日の授業で目を付けられた自覚はあるが、それにしたって動きが早すぎないか?さっきの今だぞ。
「えっと、俺はまだ入学したばかりなので、勝手にそういうことをするのは……」
「ドーンッと、使い放題っ!」
「……え?」
「あたしの工房にある部材、工具、素材、全部使っていい。学院の備品と違って申請もいらねぇ。希少素材もある。竜の鱗も、ミスリルの端材もな!遠慮はいらねぇ!」
ぐっ。
「なんとっ!報酬ありっ!!」
「なっ!?」
「働いた分はきっちり払うぜ、そこら辺の線引きには厳しんだあたしゃ、ヒック!まぁ、学生の小遣いにしちゃ破格のはずだ」
ぐぐっ。
「極めつけはっ!あたしの技術のすべてを余すことなく見放題の盗み放題っ!!!」
「くっ!!」
「あたしの技術は隠さず全部見せてやる、懇切丁寧には教えねぇけどな。今日言ったろ、技術は見て盗めって。盗む先がなけりゃ盗みようがねぇからな。特等席で超一流ってのを見せてやるよ、ヒック!」
ぐぐぐぐっ。
「ちょ、ちょっと待ってください」
待て。落ち着け俺。条件を聞く流れになってる時点でもう半分飲まれてるぞ。
床の上から、かすれた声がした。
「ドラゴ……断って、いいんだぞ……」
ノイアーが床に手をついたまま、絞り出すように言う。
「学院生の本分は学業だ……教師が特定の生徒を囲い込むなんてのは、規則の上ではグレーかもしれんが職業倫理の上では望ましくない……俺は寮監として、お前の学院生活を守る義務が……」
「囲い込みじゃねぇって、正式な弟子だ。教師と生徒じゃねえぞ、あたしの工房に弟子入りしろって言ってんだ」
「同じことだろうがっ!俺をさんざん踏み潰しやがって!」
「踏んでねぇ、ただちょっと跨いだだけだ。タッパが小せぇもんで跨ぎきれなかった気がしたが、ヒック!」
ノイアーはこの勧誘を止めるために、俺が帰ってくるまでの間ずっと親方とやり合っていたのか。……そう考えると、この惨状にも納得がいく。戦闘力では化け物の部類に入るはずのこの男は、たぶん、こういう種類の暴力にはとことん弱い。
「ノイアーの坊主はこう言ってるが、どうするよ?」
親方が俺を見る。
さっきまでのふらついた気配が、すっと消えていた。据わっていた目つきが、いつの間にか授業のときと同じ、澄んだ鶯色に戻っている。相変わらずきつい酒の匂いを漂わせて、こちらにまっすぐ焦点を合わせて見つめてくる。
俺は一度、深く息を吐いた。
冷静に考えてみよう。
魔道具にはもともと興味があった。プロメーテに振り分けられたときも文句はなかったし、今日の授業は正直、楽しかった。前世の知識でズルをした感はあったが、あの積層構造を思いついて、手を動かして、失敗して、直して、動いた瞬間。あれは、久々に夢中になった時間だった。
さらに、その道の自称超一流の職人が、技術を隠さず見せると言っている。部材も道具も揃った環境で。
……あれ?
断る理由、どこにもなくないか?
…………うん、ないな!
「分かりました。お世話になります」
「よし!」
「ド、ドラゴぉぉ……俺の抵抗は……」
ノイアーがひっくり返った。今度こそ完全に床に伸びている。哀れな寮監に、俺は心の中で手を合わせた。あんたの戦いは無駄じゃなかった。たぶん。
「契約成立だな。善は急げだ、今日から来い」
「今日はさすがに無理です」
「ちっ」
舌打ちっ?!
「なら明日!と言いたいとこだが、明後日からだ。もう一度言っておくぞ、23階、東北東だ!」
2度も言われたら忘れるわけにはいかないな。
「……ああ、それと」
親方は思い出したように、腰の工具差しから例の通信機を抜き出した。俺が今日作った、4層構造のやつだ。
「こいつは預からせてもらうからな。楽しい楽しい検証が残っているからな!」
「あ、はい。――親方、ひとつ聞きたいことがあるんですが」
「親方じゃない、師匠と呼べ」
「あ、はい。では、師匠、今日教わった、一方通行の刻印。あれの名前はなんて言うんですか。固定刻印、伝導刻印、遮断刻印みたいな呼び方が、あれにもあるんですよね」
「『定向刻印』だ。向きを定める刻印、そのまんまの名前だろ。流れの向きを縛る分、彫りの精度がシビアでな。半端な職人が彫ると流れごと殺しちまうから、3年の授業でやる予定だ」
「だから授業では名前を伏せてたんですか」
「意図して伏せてたんじゃねぇよ。今日の課題の内容なら本来その刻印に触らねぇんだよ」
親方はニッと笑って、俺の胸を指先で小突いた。
「まっ!自分で考えて、手ぇ動かして、しくじって、それでも分からねぇことを聞きに来る。それが正しい順番だ。今のは上等な質問だったってことだぜ、弟子」
そう言って親方は、伸びたままのノイアーをもう一度跨いで、転移室へと歩いていき扉を開いて振り返る。
「明後日、遅れんなよ!」
扉が閉まる。
ロビーに、ようやく日常の音が戻り始めた。壁際に固まっていた寮生たちが、ざわざわと俺とノイアーを見比べている。
「……なあ、ドラゴ」
いつの間にか隣に来ていたフェンが、半笑いで言った。
「お前、入学して二日目だぞ。なんでもう弟子になってんだよ」
「俺が聞きたい」
いまだ床から起き上がれずにいるノイアーと濃く漂う酒の匂いが残されていた。
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