第六六話「主の契約」
あのあと自分は、契約したてのハウルスクを専用の詠唱で送り返し、やっと『宿り木』に戻ってきた。
戻ってきたときには、アルコンさん、リィゼさん両名の拘束は完全に終わっていた。
場所は戦場になった部屋からその隣に移されていて、この場所には自分、ライラさん、ユークさん、ケイ君、それに加えてアルコンさんとリィゼさんの6人。
残りの二人、ロッシさんは手足の治療が終わって別室で絶対安静らしいし、オリヴィエさんは戦闘後に複数人分の傷まで引き受けて治療したため完全に参っているらしく、彼女もまた別室で休んでいるらしい。
それはそうと。
アルコンさんはあぐらをかいた状態で、足首を括られ後ろ手を拘束されていた。あれでは身じろぎ程度しか取れないだろう。だがその状態でも彼は反骨心を失っていないようで、部屋に入ってからずっとこちらを睨みつけ続けている。
一方リィゼさんはベッドに寝かされていた。といっても安らかにってわけじゃなく、少し寝苦しそうにしていて、状況から考えて何らかの魔法で眠らされているようだ。ケイ君の仕業だろう。
「というわけでお前にはこいつと契約してもらう」
「えっと、すみません話の流れがよく分からないんですけど」
ユークさんは開口一番そんなことを宣った。
アルコンさんに睨めつけられて緊張の糸が張り詰めていたところにだ。
お前にはこいつと契約してもらう?
推測するに、主語の「お前」は自分のことで、指示語の「こいつ」はアルコンさんのことみたいに思われる。
とすると、自分とアルコンさんが契約する……ってこと?
何故?
「ふざけるな! そこの男!」
「ユークだ」
脳内に疑問符を浮かべる自分をよそに、アルコンさんが食って掛かる。
だけどユークさんは涼しい顔で、若干ズレた言葉を返した。
「あぁ、そうか覚えたぞ! 非道な手段で俺達を陥れようとしている奴の名前をな!」
「あー貴様もきちんと聞いておけよ」
そして彼はさっき契約の概略を説明したのと同じ調子で、つまり大学の講義みたいな論調でまた語り始めた。
「我々が直面している深刻な問題は、まぁ……それなりの数があろうが、今このザマになっている直接の原因はなんだ?」
ユークさんは自分へと質問を投げかけてきた。
「このザマ」っていうのは、アルコンさんとリィゼさん及び彼らに率いられた魔獣の襲撃で、こっち陣営は満身創痍になったっていうこの状況のことだろう。
その原因というと……2人が『魔言』で操られていたから。
「エリニテスの『魔言』、ですか?」
「その通り。死神エリニテスの異能である『魔言』。これが我々に牙を向いた結果がこのザマだ」
そう考えると、なんて恐ろしい能力なんだろう。
言葉を振りかざすだけで、こちらの戦力を削ぎ落としあちらの手駒に加える。悪質に過ぎるだろう。こんなのどうやって攻略すればいいんだ……。
「我々はこの魔言に対していつまでも手をこまねいているわけにはいかない。具体的な対策を取らねばならない、おれはそう考えている」
「はい、そうですけど……」
ユークさんの言っていることは、間違いなく正しいだろう。
だけど自分には『魔言』攻略に際してのとっかかりも見えない。ユークさんならなんとかなったりするのだろうか?
この2人を確保したことで攻略の糸口が掴めるといいんだけどなんて期待してみたりする。
「では『魔言』について考えてみよう。なに、それ相応の情報は転がっているものだよ」
その期待はどうやら裏切られることはなさそうだ、と得意気に語り始めるユークさんを見てそう思った。
◆
「ではまず、魔言に一般人どころか、それなりの猛者ですら抗いようがないのは、こやつらが証明してくれているな?」
「はい、そーですねー」
「…………」
自分らはアルコンさんと、リィゼさんを見て、「ふっ」と鼻で笑う。
さっきまでは割と深刻な事態だったけど、彼らが袋のネズミとなった今となっては皮肉を言う余裕も出来てきた。
「ま、まぁアルコンさんを詰るのはよして、……この二人でも魔言に抗えないってのはやっぱりヤバイですよ。いざエリニテスと相対してもどうもできないかもしれないじゃないですか」
戦闘中に魔言で囁かれたら途端に操り人形とか、どうやって勝てって話だ。
耳栓でもすりゃいいのかな……?
いや、それでなんとかなったとしても、既にやられちゃった人には意味ないし。
「あぁ、そうだな。だが反例もあるぞ」
「え?」
「魔言はこのヒューゲンヴァルトにおいて魔言の影響下にあってもおかしくないのに、そうはならなかった人物が2人存在する。おれはこれが『魔言』攻略のとっかかりになると思っている」
えっと?
そんな人物いたっけ……?
すぐには思い至らず、自分は首をかしげる。
誰のことだろう?
「1人はエリュー、君だ君」
え、自分ですか!?
確かに自分はエリニテスと面と向かって話したけど……。
「話を聞く限り君はアギラに殺され蘇生した後、なんとか包囲を抜けてここまで逃げおおせたのだろう? 魔言による洗脳があったのなら蘇生直後の君に対してもその試みがなされてもおかしくはなかったろうが、そうはなっていない。これには何かしらの理由があった然るべきだろう。……エリニテスが性悪で正気の君をからかって遊びたいだけの可能性も否定できないが」
うんうん。あいつの性格からしてその線が濃厚だと思います。
「だが死神である君には、同じ死神の異能はそもそも効かないという可能性もあるだろう。まぁその話はバロル氏と既に先日話したのだが」
『あァ、少なくとも話しかけられただけで、精神を誑かされるこたぁねェだろ。じゃねェと同じ死神同士で格差がひでェことになっちまう』
「とのことだ」
ふむふむ。なるほど。
そんな不公平なことはないだろうということか。
若干楽観的に過ぎる感があるけど、まぁそういうことにしようか。
「だがもう一人、参考になる人物がいるだろう。アギラ・ダールだ」
「あ、あーあーあー」
そっか。アギラとエリニテスは契約関係にあるけど、だからってその関係性が友達ライクな安穏としたものであるとは考えづらい。
だとしたらエリニテスがアギラに魔言をかけて、意のままにしていてもおかしくないのに、そうはなってない。
「確かに、アギラはエリニテスと戦って勝ったとか言ってました」
「シュテロンの街で君たちがアギラと密会したときだな。そのときのことをもう一つ拾い上げるなら。アギラとエリニテスは目的を違えているということだろう」
あーアギラはエリニテスと目指すところは違う、といった趣旨の発言をしてたなぁ。
エリニテスは自分に執心しているのに対して、アギラは単に強い奴と戦いたいのだとか。
ソフィーちゃんを連れて歩いていたのもエリニテスの考えではないように思われる。
そもそも、自分たちはアギラの誘いに乗って今日ソフィーちゃんを救出しに行くつもりだっだのだ。なのに今朝に限ってこんな襲撃を受けた。
これはまるでアギラとエリニテス、2人の思惑が微妙な食い違いを見せているかのようだ。
だとするとアギラが『魔言』の影響下にないというのも、頷ける話だ。
「まぁ今重要なことは、アギラ・ダールは魔言の影響下にないということだ」
「はい」
「それは何故だ?」
「え、えっとー……」
って言われても、なんでだろー。
首を傾げる自分を数秒ほど待ってから、ユークさんは指を3本立てて説明を始めた。
「考えられる可能性は3つある」
「説1、アギラ・ダールとエリニテスが契約関係にあるため」
「説2、アギラ・ダールの強さがエリニテスよりも上であるため」
「説3、なんらかの取り決めで、エリニテスはアギラ・ダールに魔言をかけていない」
「この3つの可能性だ」
おぉー。今判明してる情報から、そこまで仮説推論ができるんだー。
アギラが魔言にかかってないとするなら、アギラと同じ状況を魔言に捉えられた人で再現してみるってことだね。
「この場で、試すことができるのは説1のみだ。他2つは検証のしようがないからな」
「あー、ということは自分とアルコンさんが契約することで、アルコンさんは魔言の影響下から抜け出ることができるかもしれないってことですか? でもそれはエリニテスが魔言の使い手だからで、他人である自分と契約しても特に何もないんじゃ……」
「いや、そうとは限らないのだ」
「……?」
単に契約すれば魔言が解けるってこと? そんなうまい話があるんだろうか?
そう思った自分の疑問はすぐさまユークさんに否定された。
「死神の契約者は全ての死神の異能への耐性を持つ可能性がある」
「……そう、なんですか?」
「俺が知るかよ」
寝耳に水の新事実に思わず自分はアルコンへと疑問をパスしてしまう。まぁつっけんどんに返されちゃったけど。
「でなければ、そもそも契約なんぞが成立しているのがおかしい。だからそういう機能を予め入れ込んでおくのが悪魔との契約におけるベターな方法だ。そもそも、人間が超常の存在を自らの配下として支配しようとした叡智の結晶が召喚魔法だ。それに与ろうではないか」
召喚魔法ひいては契約っていうものは、そういうものなのか。
だとしたら、自分がアルコンさんと契約することで、先人の仕込んだ魔法術式の何かが対魔言の機能として働き、アルコンさんを正気に戻すことができるかもしれないってことか!
唐突に筋道が一つ通って、さっきまでの痛み分けムードが吹き飛ばされていく。
これはいい兆しってやつだな! そういうのは大歓迎だ。
「そして何よりも、おれの仮説が当たっているのなら。君はこのためのピースを完璧にそろえてくれたことになるのだ」
そう言ってユークさんは自分を、いや正確には自分の身に纏うローブをじっと見つめる。
このローブは確かにリッチーから剥ぎ取ってきた古代の遺物ですけど、ってあぁそうか!
「以前言ってた、このローブに元々格納されていた魔法陣って……!」
「そうエリュー、幸いにも君のもたらしてくれた古代の魔法陣の内の一つは悪魔との契約用のものだ。それには実績がある。君を死神という存在に貶めたのもそれであろう? そしてアギラ・ダールがエリニテスとの契約に用いたのもそれだろうさ」
身に纏うローブに視線を落とし、しみじみと思う。
自分とリッチーとエリニテスとアギラ、この4者の奇妙な運命の重なりとでも言うものを感じさせる。
これなら大分と分の良い賭けと言えるのかもしれない。
「何にせよ君がこの男と契約し、この男が正気に戻れば儲けものだ。特に失うものもないしな。こういう契約の魔力は主持ちだしな」
なるほどなるほど……!
魔力の心配すらないとなれば、懸念材料なんて一つも思いつかない。
これはやってみるしかなかろうて。
自分はやる気から自然と両手で小さくガッツポーズを取り、ユークさんに話しかける。
「よーし。じゃあ契約しますか、どんな感じにすればいいですか?」
「あぁ、君は契約される側だから適当に待っててくれ」
「あ、はい……」
気合入れて、やる気を奮い立たせてたのに。
自分は小さなガッツポーズをみぞおちのあたりでの指遊びに変えて、消化不良な気持ちを慰める。
そうして手持ち無沙汰なやる気の置き場に困る自分をよそに、ユークさんはそこで寝てるリィゼさんを脅しの材料にしてアルコンさんへと脅迫にかかっていった。
……仮にアルコンさんが正気に戻ったとして、あれ後でぶん殴られたりしないんだろうか?
◆
俺は自分の非力さを呪った。
なんでこんなことになっちまったんだ。
俺がギガントコボルトの件で指名がかかり、小遣い稼ぎに西の国境付近まで護衛をこなして、オルゼの街に戻るとそこには懐かしい人がいた。
アギラ・ダール。
粛清部隊時代にふらりと消えてしまった俺の先輩かつ師匠。
会うやいなや稽古をつけてもらったが、やっぱりあの人のいるところはまだまだ遠い。
その後になんでここにいるんですかと聞くと、アギラさんはあいつを倒した死神を追ってるんだと答えた。
あいつって言うのは、イングマール前隊長のことだろう。それを追ってアギラさんはずっとこうしてきたんだと。
そして俺はそのその翌日に、件の死神とロッシが行動を共にしているのを見つけ、交戦した。
俺は結局そのときは取り逃がしてしまったが、あのときにやつらが逃げの一手を打ったことで次は勝てると増長していたんだろう。
そして数日かけて準備を整えて、未明に奇襲をかけて、このザマだ。
リィゼを人質に脅されりゃもう詰みだ。
この死神と契約するしかねぇ。
俺はアギラさんとエリューが助け出してくれるのを祈りながら、呪詛のような詠唱を吐き出した。
「“このクソッタレの”・“死神めが”────」
◆
「おはようございますアルコンさん。気分はどうですか?」
ややあって目を覚ました俺に、話しかけてくるやつがいた。
その声はつい先日も聞いたんだが、はっきりと別人の声と理解できた。
鼓膜から這入りこんで頭の中をいじくりまわすあの魔力はこの声にはなかった。
そして俺は、何が起こっているのかをおぼろげにだが理解できた。そしておれが何をしでかしたのかも。
そんな一切合切をまとめて俺はこう返答した。
「……最悪の気分だよ。こんなに頭はすっきりしてんのにな」
約束された神ゲーの続編が出るので次の更新が遅れるかもしれません。




