第六十話「二十三の詠唱と六の魔法陣」
視点と時系列が前後します。読みにくかったらごめんなさい。
あとすごく長いです。
「じゃあリィゼ、魔法戦を、しようか」
「……タチの悪い冗談だわまったく。折角うまくいきそうだったのに」
リィゼは嘆息を吐き出して、諦めたような表情でレイピアを構えた。
彼女は私達パーティーの中でいつも作戦立案をする参謀的な立場にいた。彼女がそんな顔をするときはその作戦が上手く行かなかったとき。
「いいわ。といっても私はあくまで魔法剣士、魔法戦は悪いけど無理よ。剣と魔の両方の領域を行き来しての魔法剣士よ」
そういいながら、私はリィゼの魔法運用が一級品であることを知っている。
水と土の第三階位であり時間限定といえど皇鉄を錬金できる彼女は、私達の中で一番冒険者として過ごした期間が長い。
ただ高ランクの魔法を撃ち放つだけだった私に、魔法使いとしての戦い方を教えたのは他ならぬ彼女。
そして近接のレイピアも中々のもので、さっきも錬金のアドバンテージがあったのであろうが、ロッシを追い詰めていた。私なんかでは近づかれれば一刺しで終わりだろう。
リィゼは魔法剣士として完成されている。
私は勝てるのか?
そんな疑念が頭に纏わりついて離れない。
マンティコアは愚かだったから十分な勝算があった。けれど、リィゼ相手にこの狭い部屋で純魔の私が勝てるビジョンが思い描けなかった。
けれどやらなければいけない。
ここで私達がやられてしまえば、エリューは死神に囚われてしまう。そんなのはだめ。
自分は怯えを心の奥底に押し込んで言葉を吐き出す。
「それでいい。少なくともロッシを虐めるのはだめ」
「別にそれが効率的だっただけよ。だから寝込みを襲うのも、アルコンに狙撃させるのも、全部私の計画の内、そしてまだ、想定内よ」
私の精一杯の強がりと対照的に、リィゼは飄々とそんなことを言ってのける。
同時にタンッと一歩踏み込むステップ音が耳に届いた。
これが開戦の合図となった。
「《ウォーターカッター》!」
リィゼが一歩踏み込むと同時にレイピアが閃く。
魔法陣の仕込まれた鍔より水魔法が発動する。知っている。あれは私が仕込んだものだから。
魔力を込めた高圧の水を刃に這わせ、刃として飛ばす魔法。
振るわれたレイピアの軌跡は水の刃となり、五歩の距離にいる私を切り裂かんとする。
皇鉄化しているなら、防御は厳しかっただろう。けど、これならなんとかなる。
「氷よ!」
私は既に展開していた氷魔法で迎撃を行うしかなかった。
周囲に浮遊していた6本の氷矢の内、3本を真正面に放ち、水刃を迎え撃つ。
相殺。
水刃ははじけ飛び、氷矢は砕け散る。
「っ……! 射出、再展開」
私はまず残り3本の氷矢を同時に射出した。リィゼはそれを横っ飛びでかわすが、少なともそれで距離を詰められることは避けられる。
そして私は杖に纏わせた《アイシクルレイン》の魔法陣へと魔力を注ぎ込む。
数秒で私の周囲には氷矢が再展開されていき、それらが順次射出されてリィゼをは思うように近づかせさせない。
「あぁもうっ!」
たまらずリィゼは後退し、奥のベッドの脇に屈み込んだ。そこならばベッドが遮蔽となり氷矢の脅威から逃れることができると踏んだのだろう。
それを見て私は《アイシクルレイン》による攻撃を中断する。
ベッド自体は木でできた何の変哲もないもの。だけど私の《アイシクルレイン》は第二階位で魔力を注ぎ込む限り氷の矢を放つことができるものの、そのかわりに威力は大したことはない。
この角度ではリィゼは完全に遮蔽に入っているが、かといって射線を通そうとすれば自ずとリィゼとの距離を詰めねばならず、魔法剣士でもある彼女に距離のアドバンテージを放棄することは愚の骨頂。
ならば選択肢は一つ。
あのベッドを砕ける威力の魔法を放つということ。
私は思考を二つに分割し、一方で《アイシクルレイン》を維持しながら、喉まで魔力を押し上げ脳裏でそのための魔法句を組み上げていく。
そして私は詠唱を紡ぎ出す。
密かに、囁くように、10歩の距離にすら詠唱が聞き取れないように。
「“氷牙の”・“鋭き凍槍は”・“餌食に凍瘡を”・“刻みつけることもなく”・“ただ深々とした・“傷跡を徹すのみ」
そうして私が第三階位の魔法を編み上げる中で、私の猫耳が別の詠唱を聞き取った。
リィゼの詠唱。
その詠唱は私の細心の注意を払った詠唱とは対象的に、ただひたすらに速く唱えられていた。
「“錬金開始”・“僅かばかりの間”・“布切れを”・“鉄壁へと”・“寝台には”・“安息が”・“存在して”・“然るべきなのだから”────」
そしてリィゼは私よりもほんのすこし速く詠唱を終える。
猫耳で聞き取った詠唱は錬金の魔法。だが不可解だった。一体何に使うつもり?
だけどあんまり考えても仕方ない。
予定通り、私はベッドごと氷槍で串刺しするための魔法を完成させた。
けれど、既に詠唱を終えているはずのリィゼは一向に魔法を発動させる気配を見せない。
やはり不審に思いつつも、私は杖を突き出し、氷槍を撃ち出す。
仮に串刺しになってしまっても即死じゃない限り私なら治せるので大丈夫のはず。
「────《アイシクルジャベリン》」
氷槍は私のウエストと同じくらいの太さで、あの程度のベッドなら容易く貫ける。マンティコアのときとは趣向を変えて、凍結させられない代わりにより鋭利にし、貫通性能を高めてある。
だけどそこでリィゼも魔法を発動させた。
「────《アルケミー・アイアン》」
私が氷槍を撃ち出すと同時に、バッと白いものが翻る。何かと思えばそれはベッドにかけられていたシーツ。
そしてそれが、銀色に固まり、氷槍と激突する。
響き渡る音は甲高く。
硬いものと硬いものがぶつかる音。
ギャリギャリと火花を散らして、氷槍は逸らされていく。
そして気づいたときには私の氷槍は窓枠に突き刺さっていた。
そうか。そういうことかと合点がいく。
リィゼのしたことはその実単純。
ベッドにかかっていたシーツを錬金で鉄に変え、即席の盾とし、氷槍を逸らした。
その柔軟な対応に私は舌を巻く。
だがそれでのんきに感心している私は甘ちゃんなのだと叱咤するように、リィゼの高速詠唱の声が耳に届く。
「“赤き生命の河流”・“肥沃を運ぶ”・“激流となれ”」
彼女は錬金シーツを盾に次の魔法を準備し始める。
それは水魔法の強化魔法の詠唱だった。
魔法剣士は魔法で己にバフをかけたり、武器にエンチャントをかけることで戦闘力が飛躍的に上昇する。
リィゼのよく使う強化魔法は《エンドゥランスアクセル》。
水魔法で体内の血流を加速させ、代謝を急速に促進させる、ようはスタミナおばけになる魔法。その詠唱が私の手出しのできないところで完成しつつある。
私は歯噛みした。
妨害をする猶予がない。あの錬金シーツがいい仕事をしている。
仕方なく私は、受け身な対応に回らざるを得なかった。
「“凍てついた”・“その鋭き氷矢は”・“さながら驟雨の如く”・────《レイニーアイシクル》」
魔法陣と詠唱で、同一の魔法を展開。
私の回りには計16本の氷矢が展開される。こけおどしにばらまくだけならこれの3倍くらいは作れるけれど、リィゼにそんなのは通用しないだろうし
だとしたら殺傷性のある、本命の氷矢は一度に16本が限度。
ちなみに詠唱で行使する場合は魔力を込めて“氷よ”と唱えるごとに相応の魔力消費で、2発ずつ補充される。
そうして私が迎撃の準備を整えたところで。
「………………《エンドゥランスアクセル》」
彼女はひときわ長い深呼吸ののち、彼女の魔法が発動する。
そして、銀色に固まっていたシーツがにわかに白色に回帰し、くしゃりと潰れる。錬金を解いたのだ。
それがバッと中空へと投げ広げられた。
撹乱なのは明白だった。
けれど私は反射的に撃ってしまう。
何の変哲もないシーツに氷矢が2発突き立ち、向こうの壁へと縫い付けられる。
それと同時に、ベッドの遮蔽からリィゼが、ベッドの足側から風のように飛び出してきた。
一瞬反応が遅れたものの、まだ距離はある。
冷静に落ち着いて、3発の氷矢を一気にリィゼに向かって放つ。
けれど氷矢はさも当然のように、一発切り払われ、残り二発はすんでのところでかわされてしまう。
そこからリィゼは一気に床板を叩き、加速した。
ダンッと踏み込んだ彼女は一気に飛び上がり、壁に向かって三角飛び。そのアクロバティックな身のこなしに私はうまく照準を定めることができない。
立体的な起動を描いて私との距離を一気に詰めにかかる。距離は7歩
だけど着地の隙を狙って。
私は氷矢を5発、絶妙にタイミングをずらしながら、扇状になるように放つ。
それをリィゼは着地からスムーズにスライディングへと遷移。
扇状の氷矢を見事に躱してみせる。そしてこの距離になって気づく。彼女があの動きをしながら詠唱までも行っていたことに。
発動させてたまるかと私は追加で4発の氷矢をお見舞いする。
だがリィゼはスライディングしつつ床板にレイピアが走らせながら、足にグリップをかけ勢いを活かして立ち上がり、同時に勢いよくレイピア抜き振るう。
その動きに連動するように、バゴンッ! と床下から岩の牙が生えてくる。詠唱はすでに終わっていた。
発動した魔法は《ロックグレイヴ》、今のスライディングのときに床下の土に魔力を流し込んで行使したのだろう。
角度は今のリィゼの前のめりな姿勢を反映したかのように前傾していて、その岩牙に真下から突き上げられ、氷矢が粉々になってしまう。
そして一切勢いを殺すことなくリィゼはこちらまであと4歩の距離まで詰め寄ってきていた。
もちろん次の詠唱を口ずさみながら。
「“大河もかつては”・“一滴の雫”」
私はもはや細かい論理や思考などかなぐり捨て、ただ近づけさせないために4本の氷矢を放つ。同時に魔法陣と喉に魔力を注ぎ込んで、追加の氷矢を次々と生成する。
それらを出来たそばから発射していく。
「“悠久の時を以て”・“陸を削り”」
けれどそんなやぶれかぶれの攻撃でリィゼを捉えきれるはずもない。
彼女は4~5歩の距離で右へ左へと激しく動きながら、あるときは宙返りや側転などを織り交ぜながら。跳ねるようにあるいは這うようにして、《氷の雨》の全てを避けていく。
その中激しい動きの中でも彼女は朗々と詠唱を紡いでいた。
これが完成したときがチェックメイトなのよ。そう言わんばかりに。
「“地をも割る”・“流れる水”」
《エンドゥランスアクセル》は単純な血流を加速させるだけの魔法。
速度が上がったわけじゃない。
筋力が増したわけじゃない。
ただ本当に持久力が底知れないものになるだけの魔法。
けれどそれがリィゼ・ファルケンスの戦闘スタイルには恐ろしいほど噛み合っているのだ。
激しく動き撹乱しながら、思考をフル回転させ、詠唱を紡ぎ、息一つ切らさない。
それが魔法《血流加速》。
これが、これこそがリィゼの辿り着いた魔法剣士の形。
「“この一閃に”・“かの久遠の巡りを”────」
もう詠唱は8節に差し掛かった。
一刻の猶予もない。
だから私は杖を手放した。
諦めたんじゃない。
この杖ではこの状況を打開できる術がなかったから、私の腕は今片方しかないから。
魔法陣も魔力もほぼそのまま宿された杖が床に倒れ、注ぎ込まれていた魔力が音を立てて吹き出す。
それにリィゼはありがといことに警戒してくれた。
彼女の進撃は見えない壁にぶち当たったみたいに止まり、たたらを踏む。
その隙に私はとんがり帽子をむんずと掴んだ。
格納された魔法陣を展開する。
天球儀のような立体的な魔法陣はこの部屋の隅で窮屈そうに展開され、私達をその内側に抱き込んだ。
「《アイシクルチャスナット》」
「んなっ! ちょ……!」
これはほとんど賭けのようなもの。
魔法名を告げると同時に、リィゼはトドメをさそうと踏み込んだ足に急ブレーキをかけて、飛び退った。知っているからこその対応。既に魔法は発動した以上、私を傷つけようともこの魔法の発動を止めることはできない、彼女が無事でいるには退くしか選択肢はない。
そして私は遁走するリィゼを見送り、展開された魔法陣に目を這わせる。
今から私がやることは途方もないこと。
魔法陣の紋様を読み取って、つまりランダム形成される氷柱の生成アルゴリズムの乱数を読み取り、解析して、大丈夫な位置に私の体を潜り込ませる。
常識的には無理難題だが、私の魔法陣への知見があれば可能性はゼロではないはず。
魔法陣は精緻で、美しい、芸術品だ。
その模様を目に焼き付ける。
そしてその線の、模様の、図形の、文字の果たしている意味を審らかにしていく。
階位は氷の第三階位。
様式は虚式ツィルニトラ魔導円。
魔法円は25重に回転軸が4つ。
魔法文字はグラゴル文字。
回転軸の回転パターンを解析。
氷柱の生成アルゴリズムを魔力の流れから逆算。
脳味噌を血が流れる音がうるさい。
頭がパッカリ開かれしまったたような浮遊感というか多幸感の中で私は魔法陣を読み取っていく。
そして……。
あぁ、この子はこうやって花開くだと、確かに解った。
─
──
───
────結果的に私は壁際に追い詰められ、尻もちをつくような形で生きていた。
この魔法に警戒してリィゼが退いてくれるかという賭けに私は勝った。
そもそもランダム生成に対して安全な場所ができるかとどうかという賭けに私は勝った。
そして魔法陣のアルゴリズムをこの土壇場で解析できるかという賭けにも勝った。
どろりと喉を不快感が滑り落ちていき、僅かに鉄の味を舌の根が訴える。
次いで唇を液体が伝って、顎から雫になって私の寝間着にポタリと紅を差した。
さっきの魔法陣解析で頭を使いすぎて、鼻血を出したみたい。
頭がボウッとする。
だけど、全身を侵す冷気を意識した途端にその倦怠感は一気に吹き飛んだ。
型に押し込められたみたいに、今の私は氷柱の狭間に閉じ込められ、立ち上がるスペースすらない。
「状況確認……“光”・“見通して”」
私は光魔法で氷越しに視界を確保し、リィゼがどうなったかを確認しにいく。しかし我ながらひどい詠唱だ。
それで氷柱群の向こうを見通すと、隣の部屋まで逃げのびたリィゼの姿が確認できた。
おそらくさっき私に打ちこむために詠唱していた魔法で壁をくりぬいて、向こうの部屋へ逃れたのだろう。
彼女は安心したように息を吐いている、油断していると言い換えることもできそう。
仕切り直しといこう。
◆
あぁまったく冗談じゃない。
なんでどいつもこいつもそんな必死なんだ。
こんな面倒くさい案件になると分かってれば首を突っ込んだりしなかったのに。
私は《アイシクルチャスナット》の前でそう毒づいた。
目の前にあるのは氷河のごとき氷の壁。いくつもの大氷柱が折り重なった結果のね。
あのときのオリヴィエの自爆まがいの魔法に、私は退かざるを得なかった。
用意した魔法を放てばオリヴィエを仕留めることはできはした、けれどそうしたなら私は今頃あの氷柱に串刺しのめった刺しにされていただろう
自ずと後退した私は、用意した《ウォータースライサー》を部屋の壁に向かって放ち、さっきロッシへ奇襲をかけたときみたいに、壁をくり抜いて、隣の部屋へ逃げ込むことで事なきを得た。
そうして「ふぅ……」と安心して振り返ると、私がくり抜いて通り抜けた部屋の壁は氷河になっていたというわけ。
それにしてもらしくないわね。
あのオリヴィエが自爆技を選ぶだなんて、まぁそれほど切羽詰まっていたんでしょうけど。
……死んだ……わけはないでしょう。あの子はアホみたいに賢いから。
私は万全を期すためにレイピアを再び皇鉄化させようとする。
「“錬金開始”・“僅かばかりの間”────!?
だけどそのとき、氷河の向こう側に光を見た。それが魔法陣の発する淡い光だと理解する。
つまり私は狙われているのだ。
「やっぱり生きて……マズっ!」
私は今しがたの呑気な判断を愚かだと呪いながら、途中の錬金詠唱を破棄し、手を前に突き出し防御の魔法を展開しようと詠唱を発した。
水の第一階位でたったの3節の詠唱。それで張れたのは頭と胴体を守れるくらいのシールドが精々だった。
その直後。
パッと眩い光が氷河の向こうから発されたかと思えば。
私の四肢が幾条もの光線に貫かれていた。
「────っっううッ!」
この魔法を私は知っていた。
いや、むしろ何この状況で油断なんかしているのよ。
「《プリズムレイ》なんてあの子の十八番じゃないのよ……!」
私は自分の思慮の至らなさに歯噛みする。
今の魔法は《プリズムレイ・スペクトル》。
光線を氷塊に通して、無数に拡散させ一直線状の範囲を貫く魔法。
水のシールドのおかげで頭や胴体への光線は逸らすことができた。
逆に言えば左手と両足には被弾してしまった。
光線は貫通こそしていないが、孔は空いてしまい。そこから血液がドバドバと溢れ出してくる。 これはまずいわっ……!
「っ“解除”!」
普段でも無視できない傷だけど、《血流加速》発動中の今だとこのレベルの負傷は死に直結する。加速された血流は出血の勢いを尋常ではないレベルにまで引き上げてしまうから。
私は貧血で途端に息苦しさを感じながらも《エンドゥランスアクセル》を解除し、同時目の前の水シールドに向かって更に魔法をかける。出来る限りの最高速で詠唱を紡ぐ。
「“錬金開始”・“僅かばかりの間”・“水壁を”・“鉄壁へ!」
すぐさま水は鉄へと変じ、楕円状のシールドとなる。その遮蔽を作った上で、私は更に後退することを選択した。
錬金シールドでできた遮蔽を這うようにして壁まで移動する。
《プリズムレイ・スペクトル》のせいで私が水盾で軌道を曲げた一点を覗いて、後ろの壁面はボロボロだった。
これならブチ抜くのも簡単そうね。
レイピアの刃へと先ほどの大量出血が滴り落ちていく。
握力を必死で保ちながらその、レイピアを振るった。
べチャリと壁面に私の血がへばりつき。
「“水泡が”・“弾けるが如く”」
魔法を発動させる。
これは対象に付着した水を破裂させる簡単な魔法。それを自分の血液に向けて行う。血液なら魔力濃度が高いがゆえにその威力は保証できる。さしずめ《ブラッディブラスト》ってとこね。当の壁も穴だけで強度もあったものじゃないしいけるはずよ。
そして案の定、パアッンと風船が弾けるような音と共に血液が破裂し、目論見通りに壁を発破する。
同時、私の後方からガシャガシャという若干騒々しい足音がいくつも聞こえて、慌てて振り向いた。
そこにいたのは5、6体のアイスゴーレム。先の《アイシクルチャスナット》を素材にしたのであろう氷のゴーレムたちは、シャープで尖ったフォルムをしていて、手なんかは槍そのものでとても殺意が高いデザインをしているわね。
普段なら相手にもならないけど、今の手足を負傷した状態では厳しいものがあるわ。
私は一も二もなく開通したその先の空間へと転がりこんだ。
そうして状況確認のために周囲を見回す。
私が逃げ込んだのはこの宿のエントランス。その中のキッチンカウンターの内側に出たようだわ。
冷蔵庫やオーブンといった少し高級な魔法具が置かれているのはそれなりに高い宿ならではね。
そう思って私はじくじくと痛みに滲む足を奮い立たせ、調理設備に目を通していく。
「あった、これね!」
思わず声が上ずる。
私が足を止めたのはシンクと蛇口の取り付けられた一般的な流し場の前。
そう、目当てはキッチンに存在する水道設備。これを使えばなんとかできる。
魔法に巻き込まれないようキッチンカウンターを乗り越え、外に出てから、魔法陣で制御されたそれに、つまり蛇口の根本へとレイピアを突き刺す。
これで水道の魔法陣に干渉できる。
このタイミングでガシャリと氷の足音を鳴らして氷のゴーレム達がキッチンへと侵入してくる。もはや一刻の猶予もない。
私は焦りを押し沈め、冷静に一つ呼吸を整えてから、詠唱を開始する。
それはまるで清流を淀み無く流れる水のように紡がれた。
「“押し流す自然の暴威”・“恵みの雫も”・“束ねられれば”・“森薙ぎ倒し”・“大地を抉る”・“無慈悲な濁流と化す”・“その内に呑まれれば”・“黒泥に沈み”・“二度と光は見られまい”」
これは私の使える魔法の中で最高レベルの魔法。水属性は第三階位まで、土属性は第二階位までしか使えないけれど、水道の魔法陣に水の供給を任せて、私は詠唱でその水を濁流に変えるのに注力する。
私のもうすぐ前にまで、氷ゴーレムは迫っていた。
奴は槍状になった手をぐぐっと引いて、構える。
でも残念、もう一歩足りなかったわね。
「────《レイジングストリーム》!」
キッチンが爆砕する。
冗談みたいなシチュエーションだけど、噴水みたいに溢れ出る水は冗談じゃない量の水量と化していき、やがて地下からも水が吹き出してきて、水に土色が混じり始め、キッチンカウンターの内側はなみなみと冠水してしまう。
そして水の濁流はまるで見えない手にこねくり回されるようにして渦を巻き、私が入ってきた壁の穴へと押し出されていく。
それはまさしく森を押し流す激流そのもの。
ゴウゴウと音を立てて先程私のいた部屋へと激流が荒れ狂う。
今さっきまで私の眼前にいた氷ゴーレム達は一瞬にして姿が消えてしまう、それほ濁流。向こうの氷河ですらこの勢いの激流を受ければ無事ではいられないはず。
勿論その影で私を追い詰めようとしていたオリヴィエもただではすまないはずよ。
そしてそれをオリヴィエは重々承知しているから、彼女はおそらく無事でしょう。
あの子がそうそう死ぬタマじゃないしね。
私は疼痛を訴える手足に鞭打って、キッチンカウンターから離れる。そして、客室が並ぶ廊下の正面へと陣取った。
向こうまで見渡せるストレート。
そして、ほぼ同じタイミングでオリヴィエが転がり出てくる。
激流に潰される前に脱出したんでしょう。
「リィゼ……」とオリヴィエの口が発したのが読み取れる。
読心くらいは魔法剣士たるものできる。
その言葉と表情にはある種の覚悟のようなものが宿っていた。
────私たちはおよそ15歩の距離をおいて向かいあう。
視線が交錯し、互いの一挙手一投足を見逃さないように睨み合う。
この距離では純粋な魔法使いであるオリヴィエの方が有利に見える。一般的にはね。
それにしても、両者ともに中々ひどい状態だ。
私は《プリズムレイ・スペクトル》で左手と両足をやられ、だいぶ出血している。血を失って貧血気味なのもよくない。近接戦闘は厳しいだろう。
対するオリヴィエはなんか無茶な魔法行使をしたんでしょうが、鼻や口の端から血を流していた。体の節々が凍りついているのは自分の《アイシクルチャスナット》のせいでしょう。
私たちはほぼ同時に詠唱を開始した。
「“氷牙の”・“鋭き凍槍は”・“餌食に凍瘡を”・“刻み込み”・“氷の磔刑に・“処するのみ────《アイシクル・ジャベリン》」
オリヴィエは杖を支えにしながら、先程のような氷の大槍を生成し始める。突き刺されれば瞬く間に氷漬けにされてしまう恐ろしい魔法ね。
「“錬金開始”・“僅かばかりの間”・“刺刃を”・“皇鉄に”・“研がれ”・“尖った”・“一振りの”・“細剣は”・“刃の到達点へ”・────《アルケミー・アダマント》」
私はレイピアを改めて皇鉄化させることを選択する。
そして詠唱しながらも痛む足を進める。
────あと13歩。
オリヴィエの6節と私の9節はほぼ同時に詠唱を終えた。
放たれる氷槍。
先程のとは違い、刺されば凍結するタイプ。
猛烈な勢いで飛来してくる。
それを私は冷静に錬金レイピアで切り払う。
切れ味が尋常じゃないのでどうにかなる。
真っ二つになり、足元に突き刺さる氷槍。
その砕けた氷槍の一欠を掴んで。私は詠唱を唱える。指が凍りつくがむしろ止血になってちょうどいい。
「“錬金開始”」
それと同時にオリヴィエの杖がクイとさりげない所作で突き出される。
恐ろしく速く展開される魔法陣。
だけど半秒にも満たない時間で展開されるそれを私は知っていたし。
なにより今回の私はきちんとその予測ができていた。
そのために私は氷片を手に取ったのよ。
────あと10歩。
「“氷片を”・“鏡に”」
「《ペネトレイター》」
オリヴィエが魔法名を囁く。
《貫くもの》という名が与えられたオリヴィエのその魔法は、普通ではあらゆる物理的な防御を貫通し、さらに光線という魔法そのものの性質に、専用にチューンされた超速展開する魔法陣とあいまって、彼女の最速の魔法ね。
けれど私はそれを知っているのよオリヴィエ。
錬金で作り出した鏡。
《ペネトレイター》がそれに照射される。
光線は浅い角度で折れ曲がり、くの字に方向を逸らされ、ムグスール山の方向へと貫いていく。
オリヴィエの顔を彩ったのは驚愕と絶望。
必殺の一手が破られたことに、いつもは感情を表に出さない彼女がそんなこと顔をしたことで、私の目論見通りに事が運んでいることを確信させてくれる。
そして彼女の魔法陣についても私は把握している。
今吐き出した《ペネトレイター》を除けば、彼女の残りの魔法陣は帽子に収納された氷系のいくらかのみ。
ならば彼女は詠唱で攻撃を行おうとするはず。
さぁ、詠唱を紡ぎなさいオリヴィエ!
「……っ、“此処は氷精の住処”・“凍れる氷窟は”・“踏み入れる”・“一切を”────」
そうして彼女はやむを得ないといった、少し嫌そうな表情で詠唱を始める。
私はほくそ笑んだ。さぁ、魔法使いの殺し方を披露するとしましょう。
「────“私は人ならず”・“氷精と”・“友誼を交わしし”・“水精よ”」
詠唱妨害が成立する。
詠唱の魔力が途端に霧散していく。
彼女はこの廊下を氷の洞窟に見立てた魔法を行使しようとしたみたいだけど、付け入る隙があった。それを突いて、できるだけ穏便な形に改変して、ピリオドを打ってしまう。それだけで詠唱なんてものは成立しなくなるのよ。
そして私は足を引きずるようにして歩みを進める。極限の集中が要求されるこの場面では足の痛みなんか瑣末なものでしかなかった。
────あと7歩。
「“氷の女王の”・“ため息は”・“冷たき”・“冬運ぶ”・“北風の如く”────」
「────“雪解け水から”・“春がもたらされ”・“女王が嘆息を”・“吐くことも”・“なくなるでしょう”」
次に行使しようとした冷気系の魔法も丁寧に妨害してあげる。
詠唱妨害に必要なものは、知識と発想力と速度。
即座に相手の詠唱を聞き取って相手の詠唱が終わる前に、改変して終わらせてしまう。
難易度は果てしなく高い。けれど勝手知ったる友の詠唱。分の悪い賭けではないのよ。
私はまた一歩一歩と歩みを進める。
────あと5歩。
もう手の届きそうな距離まで来られて、オリヴィエの顔に焦りが見て取れる。
彼女は口をもごもごさせながら、また詠唱を始める。そこで狼狽えるようじゃ二流よオリヴィエ?
「“氷の死神の”・“その弧刃に”・“這うは”・“冥府の冷気”・“冴えた三日月が”・“貴方の死を”・“白く彩ろう”────」
「────“柘榴を”・“刈り取ろうとも”・・“冥府の女王は”……あーー」
私はやろうとしていた詠唱妨害を途中でキャンセル。難易度高めだったから不安だったし。これなら錬金レイピアでなんとかなるわ。
「────っ??……《エンドブリンガー・デスサイズ》!!」
案の定オリヴィエは私が詠唱妨害を止めたことに混乱したようだけど、すぐに立ち戻って、高らかに魔法名を宣言する。
生成されたのは、十人ぐらいの胴体をまとめて両断できそうなサイズの氷の大鎌。仮にも第四階位。それで切れたときにどんなことになるこなんてわからない。傷口から全身の血液が凍りついたりだとかあり得る。
魔法で制御されたそれが、ぐぐぐと力を溜めるように振りかぶられた。
確かに近接に対して有効な魔法でしょうね。
足を負傷してる私はこれを躱すのは厳しいわ。
けれどね。
「そもそも魔法選択間違えてるわよ」
私は皇鉄のレイピアを一閃。
それで大鎌の刃はすっぱり断ち切られてしまう。
いくら第四階位といえど、所詮は氷。
魔法的干渉において最高の強度を持つ皇鉄が相手では分が悪い。まさしくオリヴィエは悪手をうった。
「……え」
「らしくないわね」
────あと3歩。
もはや手の届く距離。
詠唱では二節か三節が限界でたいしたものはできない。
あの杖にもう魔法陣は残っていない。
とすればオリヴィエはもう帽子に格納された魔法陣しか頼るものはないということ。
そして彼女は今右腕がない。
彼女が杖を手放して、帽子を掴もうとするのは明らかだった。
「二度目はないわよ!」
「っぁあっ!」
私は踏み込みながら錬金レイピアを一閃。
それで彼女のトレードマークだった帽子を真っ二つにしてみせる。
バッと帽子の布地と、展開しようしていた魔法陣の魔力が光の粒となって散っていく。
オリヴィエの左腕が霧散するそれらに縋るようにして伸ばされるが、彼女の手の中に残ったのはただの帽子だった布切れだけ。
────あと1歩。
これで詰み。
殺したくなんてないから、動けなくして口を塞げばなんとかなるでしょう。
私はレイピアを振りかぶった。
だけどそこで。
左の壁が消し飛んだ。
「はぁーー!!?」
私はまた飛び込んできたイレギュラーに思わず声を上げる。
だけどその私の声も響き渡る大音響にかき消される。
その音はガラスの割れる音に似ていた。
そちらはロッシとアルコンが斬り合っていた部屋のはずよね。
壁材が砕け散り、朝の日差しが差し込んでくる。
そして何より特異なのは空間そのものにヒビが入っていたことだ。
これのせいで部屋の中の様子がイマイチはっきりしない。
これはアルコンの……。
そう思った瞬間。
オリヴィエのちょうど真後ろにザンッと何かが飛来する。
それは弧を描く大刃に相応の長さの柄を取り付けた大型武器。つまり。
そこには死神の大鎌が突き刺さっていた。
投稿日時がズレてきてるので次回更新は日曜か月曜の夜に戻そうと思います。おそらく直近の日月には仕上げられそうにないので、その次の週ですかね。
※6/10 各部の描写強化及び誤字修正等を行いました。セリフ増えたり説明増えたりしてますが戦闘の流れ自体は変わってません。




