第五二話「決意」
ひさしぶりのエリューちゃんですねー。
あ、今話はわりと長めです。
昔話が終わり、幾つかのとりとめもない話の後、自分達は酒場を後にすることにした。
アギラの元にソフィーちゃんを置いていくのは不安で仕方がないが、今の自分たちでアギラには勝てないからどうしようもない。
裏路地には纏わりつくような闇が充満していて、それらを振り払いながら表通りに出ると、夕陽のオレンジが通りを染め上げていた。
随分と時間がたってしまっているなと思いながら、自分達は外に留めておいたヒポグリフのピュゼロの下へと早足に急いだ。
通りですれ違う人達は一様に帰路へとついているようで、外を目指す自分たちは大きな流れに逆らっているみたいだった。
締まりそうな街門を出て、森の中に入り、健気に主人の帰りを待っていたヒポグリフの姿を見つける。
ピュゼロのエサは持ってきていたようで、後ろ足の付け根辺りに吊り下げたバックからそのエサを取り出し、「少し早いけど夜ごはんだよー」とライラさんは馬肉のジャーキーをピュゼロに与える。
そしてエサやりも済んだところで自分、ライラさん、ロッシさんの三人でヒポグリフに跨り、一路クームへと私達は空を翔ける。
その最中で自分は酒場で聞いた昔話について思い返していた。
アギラとロッシさんから昔の話を聞いた。それはある戦闘狂の話だった。その戦闘狂のことが今までの自分は恐ろしくて、同時に憎いと思っていた。当然だろう自分は一度奴に殺されたのだ。
だが奴の口から、そしてその後輩の口から戦闘狂の話を聞いて、何だか奴のことが少し理解できた気がした。そして彼のことをを自分は少し可哀想だと思った。
彼は空の彼方を目指して、きっと地の果てへと辿り着く。
そこには誰もいないし、もちろん彼が追いかけた背中もそこにはないのだろう。
アギラ・ダールを殺すことなんてできるのだろうか。
それこそ死神の手にかかりでもしないかぎり……あんな奴が倒れることなんてないんじゃないか。
アギラを倒せないなら、『オーロラ亭』を取り戻すことも、ヒューゲンヴァルトに安寧をもたらすことも夢のまた夢。いったいどうすればいいんだ……。
ねぇバロル自分はどうすればいいと思う?
『……いやに弱気だなァ。なっさけねェことだァ……!』
バロルは途方に暮れる自分を「情けない」となじる。
そういったって……粛清部隊の隊長を殺ったアギラに自分が勝てる道理があるはずがないじゃないか。
『いいやァお前ならいけるなァ。俺様が保証してやる』
……なんでそう思うのさ……。自分はただちょっと強いだけのウエイトレスで、それじゃあアレに勝つなんて土台無理な話なんだよ。
『いや違うなァエリュー。お前はただの人間の小娘じゃァねェ。死神だぞ。それがちっと強ェだけの人間にィ怖気づいてェ、すくみあがってェ……全く情けねェ」
確かに自分は不死だし、魔眼もあるし、魔法もたくさん使える。けどそれじゃ本当にちょっと強い程度だ。それに死神だから勝てるって言いたいなら、その理論は破れてるよ。
だってアギラの奴は、エリニテスと闘り合って打ち倒したって言ってた。あいつの妄執は遂に死神すらも超えてしまったんだ。
『はッ、おめェがまだペーペーなのァ確かだろうがよォ。だが俺様をあのアマと一緒にされるのは心外だァ』
バロルなら奴に勝てるって言いたいの……?
死神の中にも格とかそういうのがあるんだろうか……?
『さァな。オルゼで戦ったときゃァ奴ァ手抜いてやがったからなァ。全力を出されたらどうなるかァ分かんねェ。だが少なとも、だ。あのときのおめェは死神としてできることを総動員していたわけじゃァねェだろ? いいか。お前はお前が混ざったことで死神として劣化してるわけじゃねェんだ。むしろ俺様にはなかった魔法だとか別種の魔眼だとかそういう強みだってある。ま、努力してみろ。徒労に終わることはねェだろうさ」
バロルの言葉は語気こそ優しいものだったが、その内容は子を千尋の谷へ突き落とす獅子のようなものだった。
その言葉は袋小路に突っ込んでいた自分の思考に風穴を開けたような気がした。
あぁ何を考えていたんだ自分は、馬鹿じゃないのか。
何が「それこそ死神の手にかかりでもしないと」だ。
死神は自分だろうが。
あの大鷲が人間の手に余るというなら、それこそきっと死神の両分なのかもしれない。
バロル、自分は……。
『まぁ、俺様は言うことは言ったぜ。お前がそのつもりなら俺様は手とり足取り、何から何まで、協力してやる。それに他の奴等もお前が言えばそうなるだろうさ。どうするか近い内に決めときな』
それきりバロルは黙りこくってしまった。言うべきことは言ったってことだろう。
バロルの言うことはつまり、自分こそがアギラ、そしてエリニテスを倒せるってことか。
いや、でも、その道はきっと恐ろしくつらく厳しい道だ、そしてそれが実を結ぶのかも分からない。
自分はどうするべきなんだろう……。
ヒポグリフの背から地平線を眺めながら、自分はずっとそんなことを考えていた。
◆
クームに着いたのは日がとっぷりと落ちてからであった。
オルゼに偵察に行くだけのつもりがアルコンさんに絡まれ、昼食に立ち寄った酒場でアギラと鉢合わせし偵察とは何だったのかと言いたくなるが、何はともあれ誰一人欠けることなくマンティコアに半壊させられた宿「大庭園の宿り木」に戻って来れたわけだ。
バサバサとヒポグリフは翼をはためかせてゆっくりと高度を落とし、大庭園の原野に降り立った。
月明かりだけで足元の覚束ない芝生の上を渡って、自分たちは「宿り木」に帰った。暗くてよく見えないけど、先日のマンティコアの襲撃で半壊状態なのがそんなすぐに直るはずもなく、自分が最初に取った二階の部屋には大工さんが使うような足場が組まれていた。他の客室にも明かりはない。まぁあんな騒動起こして一般の宿泊客がいるわけもないか。でも完全に人が出払っているわけじゃないみたいで、一階エントランスだけは煌々とした明かりが漏れ出していた。
ライラさんはピュゼロを馬屋に繋ぎにいくので少し別れ、自分はロッシさんを後ろに伴って、宿のドアを押し開けた。バーンと。
「エリューさん?」
一番にやってきたのは自分の名前。それが変声期もやってきてない少年の声でやってきた。
その声の主はブラウンの髪をした少年だった。料理の乗った皿を両手にした彼はおそらく夕食の配膳中だろうか。なんで彼がという疑問が湧き上がるがそんなことは後でいい。自分はその弟のように思っている少年の名前を口にする。
「ケイ君! もう起きて大丈夫なの!?」
ケイティスことケイ君。先日のマンティコア戦で自分の大鎌を取り戻すために奮戦してくれて、そして毒霧に侵され朝の時点ではこんこんと眠っていた。体調を心配して彼の顔色やら足取りやらを見てみると、すっかり元気というわけにはいかないみたいで足取りは覚束ないし、血色も悪そうに見える。
「はい。オリヴィエさんがなんとかしてくれました」
ケイ君の視線を追いかけると、右手にあるテーブルにはうず高く本や巻物が積み上げられ、あるいは崩れて散乱していた。そしてそこでは一組の男女がその魔法関連だと思われる書物群を読み漁っていた。
オリヴィエさんとユークさんだ何してるんだろう。
「ん、エリュー、それにロッシ。おかえり」
「戻ったかお前達、……ライラはどうした?」
「ピュゼロを馬屋に繋ぎに行ってますよ」
二人はここで初めて自分達に気づいたのか、本から顔を上げて自分らの名前を呼ぶ。
「はい、ただいまです。あーっとそれよりケイ君の状態は……」
「それならまぁ……大丈夫」
曖昧ですねオリヴィエさん。まぁ全快という訳ではないのは彼の「なんとかしてくれました」って発言や見た感じの印象からも分かるけどさ。そんな自分の「それじゃよく分かんねーよ」って顔を察してかケイ君が言葉を引き継ぐ。
「一応命に別状はない……ですよね」
「そう」
「絶対安静ってわけじゃないですけど、あんまり動くのもよくない、みたいな感じです」
「そう、そうゆうこと」
「あ、はい。分かったありがとう」
結局ケイ君本人が全部解説してしまった。彼の状態は安心していいみたいだ。むしろたった2日でマンティコアの毒を安全な状態までもっていったライラさんとオリヴィエさんの施術に関心する場面だなここは。
ひとまずケイ君の状態が
「それでオリヴィエさんとユークさんは何をしていたんですか?」
「まぁ色々調べにゃならんものがあってな。魔言や生贄の紋、そうだ君に頼まれていた眼鏡も出来ているぞ。取ってこようか」
「ほんとですか」
仕事が早いですねユークさん。それはそうとして、たぶん魔言の対策とかを練ってくれてたのかな? 何か色善い報告はあるだろうか。 それと生贄の紋ってなんだろ。何かよくないものの気がビンビンするんだけど。
「まぁとりあえず荷物を部屋に置いてくるといい。積もる話は夕食を取りながらでいいだろう」
「そうですね。エリューちゃん。僕は荷物を置いてきます」
「はい」
立ち話も何だし、せっかくの料理を冷めてしまう。自分はまぁ置いてくるものはないんだけどね。大鎌を仲間外れにするわけにはいかないし。
◆
夕食はケイ君が作ったみたいで、トマトソースのかかったパスタがどんっと大皿に盛られて、それを各々がよそって食べるスタイルみたいだ。あとはカラフルな果物を混ぜたフルーツサラダだ。病み上がりでこんなことさせて申し訳ない。まぁオリヴィエさんは料理無理な感じだし、ユークさんもそういう感じだ。ケイ君はまじめすぎるきらいがあるからきっと自分で引き受けちゃったんだろう。
「それでまずそっちの収穫から聞かせてもらおうか。……手ぶらだったところを見るとおれの期待するものはなさそうだけどな」
全員が席についたのを確認して、最初にユークさんがそう発言する。テーブルの端の方では、ライラさんから順にパスタををトングで掴んでめいめいの皿へと引き込んでいた。
「はい。えぇとオルゼでイレギュラーが発生してですね……アジトには寄れなかったんです」
「それつまり最初から躓いたのでは?」
「いやまぁそうですけど……」
さすがに1km先から発見されるとは思わないよ。
ま、そんなこんなでイレギュラーまみれだった偵察任務で知り得た情報を3人とも共有することにした。
その中でまず重要なことといえば、アルコンさんとおそらくリィゼさんの二人は魔言によりエリニテスの支配下にあるということだ。こちらはこのテーブルにいるのが総戦力なのに対して、あちらはアギラにエリニテスに魔獣達だけでもつらいのに、それに加えて魔言で支配されたアルコンさんリィゼさんに他の血盟員も丸々敵だ。正直戦力差は絶望的といっても差し支えないだろう。
「そう、あの二人が……それは厄介」
「予想はしてましたけど……ギガントコボルトを捻り潰したようなあの力がこちらに向けられているかと思うとぞっとしますね」
「事実アルコンさんは厄介でしたよ。射程1kmの大弓にそれと同射程の瞬間移動、まさか生身で空中戦ができる人間がいるなんて想像だにしないですよほんと」
「そうですね、彼は……」
ここでアルコンさんについての話になりそうになったので偵察の報告へと話題を修正する。いずれ戦うことになるし彼らについての話はまた後でゆっくりと聞こう。
それで次にエリニテスから盗み視た情報を挙げると、アギラは『儀式』の準備で手が一ヶ月の間手が離せないということだ。
「ひと月。といっても厳密に30日きっかりとは考えづらいですね。ある程度の余裕を見て、今から一ヶ月程度の後何かあったりしますかユークさん?」
「ふむ……、そうだな。ひと月か。……なるほどな」
ユークさんは妙に納得したようにし、食事中に立ち上がって、向こうのテーブルに広がった書籍群に向かっていった。
自分たちは自ずと顔を見合わせる。オリヴィエさんですら首をかしげているのは意外だった。
そうして暫くしてユークさんは一冊の雑誌を持ってきた。厚さ的に書籍というより雑誌で合ってるはず。そして彼は表紙を自分たちに見えるようにして掲げてくれた。タイトルは『召喚術』。なんともそっけないタイトルだ。それに表紙のデザインは円の中に五芒星を封じたシンプルな魔法陣のみ。やはりこちらもそっけない。
「これは召喚魔法に関する学術雑誌だ。一応召喚はおれの専門分野だからな。まぁ別にこれで初めて知ったわけではないが……ふむ、そもそも君たちは『星辰』という概念を知っているか?」
『星辰』? 何だろうそれ。他の皆もいまいちピンと来ていないようだ。
それを受けてユークさんは少し考え込んだ後、まるでプレゼンテーションをするかのように語り始めた。完璧脇道に逸れ始めたけどまぁ重要そうだしいっか。
「『星辰』というのは主に召喚魔法等を行使するときに考慮される、術者に依らない外的要因のことだ。具体的に言えば星の巡りや周囲のマナの濃度、地勢などだな。例えば使い魔としてサラマンダーを召喚したいなら水場を避けて、砂漠の遺跡や、もっといえば火山の中で行った方がいいという話だ。そのため『星辰』を整えることが召喚魔法においては重要視される、『星辰』をうまく整えれば術者の技量以上の使い魔や悪魔を召喚することだってできるからだ」
なるほど。言われてみれば感覚的に納得できる話だ。自分だって召喚されるならお菓子とかいっぱいあるとこがいいな。うん……そういう話ではない?
「ということは一ヶ月に何か『星辰』に影響を及ぼすようなことが?」
「その通りだ。ひと月後、この地域ではとびきり巨大なオーロラが観測できるはずだ。召喚魔法を専門に修めるものの間ではそれの話題でもちきりだな。この雑誌でも掲載されている論文の内半分ほどはヴォロス以北のオーロラについての論文だったはず。まぁ、悪魔使いも一端の召喚魔法使いだ。これを逃す手はないだろうさ」
オーロラ。それなら一月後という具体的な指定があったのにも頷ける。『儀式』が行われるのは一月後のオーロラの夜。そこでおそらくアギラは何かを召喚する心づもりなのかもしれない。同時に自分はそのワードに何か運命のようなものを感じた。自分たちが取り戻そうとしているのは『夜明けのオーロラ亭』。奴と雌雄を決するには実に相応しい舞台だと、そう思えた。
「なるほどそれで一月後という訳ですね。余裕があるようなないような……微妙なタイムリミットですね」
「あーでもロッシさん。それはおそらく最終タイムリミットであって。それとは別に自分たちには差し迫った期限がありますよ……」
「ソフィーちゃんのこと、だね」
「はい」
「え、ソフィーに何かあったんですかエリューさんっ」
案の定というか、ケイ君は年が近いのもあってソフィーちゃんとは仲が良かった。彼にこのことを聞かせるのは心苦しいが、かといって隠すにはもう遅すぎる。話題を選ぶべきだったと反省しつつ、ケイ君に経緯を話す。ソフィーちゃんが今自分達は仕方なくオルゼから遁走して、昼食を兼ねてシュテロンに足を運び、そこで『大鷲』の首魁であるアギラ・ダールと鉢合わせたこと。そしてソフィーちゃんが彼に追随していることを。
「そんなソフィーが!?」
「うん。一週間後に、たぶんあの『大鷲』のアジトに来いって」
「そんな。どうすれば……」
「どうもこうも……行くしかないよ。たとえ罠だったとしてもね」
そこで重苦しい沈黙が降りる。
ソフィーちゃんを助けるということはおそらくアギラ・ダールと一戦交えるということ。奴には既にこちらの陣営は実質二度の敗北を喫している。一度目は自分が、二度目はアルコンさんとリィゼさんが、それに奴の過去の話も加味するとオリヴィエさんのお母さんもやられている。ヴォロス王国騎士団は込み入った事情こそあれ、結果的にアギラの力を恐れて手出し無用としている始末。奴は正真正銘のバケモノだ。
何か、奴を攻略する糸口を掴めないものか……。
「まぁとりあえず。バカ正直に一週間後に訪ねてやる必要はないと思う。むしろそれは危険だ。相手の手の平の上で踊るにしてもできるだけの抵抗はしてやろうよ」
「それがよさそうですね。とすると5日後の朝にはまたヒポグリフを駆ってここから北西にあるという『大鷲』のアジトへ向かいましょうか」
ひとまずはそんな感じに話はまとまった。誰が行くかとかの話は後で決めよう。
その後は言っておくこと、シュテロンに闇鍛冶屋のドワーフの経営するバーがあるとか、アギラが求めているのは楽しい闘争だとか、そのために奴は封印されていたエリニテスを解放して死合ったとか、奴は互いの目的のために手を組んでいるに過ぎずその目的は違う可能性が高いとか。あとは、先にソフィーちゃんの話題になっちゃったから言い忘れてたけど、今日の朝の時点でマンティコアがやられたことがエリニテスへと伝わってたこととかかな。
「うん? それかなりまずいんじゃない?」
「え?」
ここで今まで黙々とパスタを口に運んでいてであんまり話に入ってこなかったライラさんが不穏な指摘をしてくる。
「だってここからオルゼまではどう頑張っても馬で一日以上。今日の朝の時点では普通の手段でエリニテスさんがマンティコアがやられてことなんかを知る手段はないはずなんじゃ……」
「確かに……言われてみればそうですね。というと自分たちがここに泊まってるのとかバレバレ?」
「かも、ね?」
「じゃあ宿を移した方がいいんじゃ……」
「いやそれはどうでしょう」
ここでケイ君が自分の懸念に疑問を差し挟んでくる。
「この街はそれなり広いですけどやっぱり僕達は目立ちますよ。街中の宿をとっても結局五十歩百歩だと思いますし、かといって近隣の村に拠点を移しても不便だと思います。この『宿り木』は立地的に戦闘になっても一般の人を巻き込みずらく、その上クームの街の便利さを享受することもできる、新しい宿を見繕う時間ももったいないですしね」
なるほどケイ君の言うことはもっともに思える。そうして自分の怖気づいた考えを改めようとしたところで、ユークさんも口を挟んできた。
「この宿は貸し切りということになってる。昼間は主人が顔を出すし、修繕の大工達なんかは来るが、一般の宿泊客はいない。まぁ氷漬けのマンティコアの監視もせにゃならんが台所や洗い場は自由に使っていいときた、二部屋分の代金で貸し切りだ。悪くない話だろう。これをみすみす手放す手はないだろう」
「そう、ですね。うん」
ひとまず自分たちはここでどっしり構えておくことになった。あっちにしてもアギラは一週間後に来いと誘っていることから、逆にあっちから仕掛けてくるとは考えづらいし、エリニテスにしてもマンティコア以上の手札はそうそうないだろうし、つかの間の安息が得られそうだ。
「とりあえずこっちの報告は以上ですかね」
そんなところで今回のオルゼ偵察の報告は終了と相成った。内容はともあれ収穫自体はあったと思う。
◆
「なら次はこっちの報告か。まぁおれ達はあっちのテーブルを見てもらえば分かるように色々と調べ物をしていた。あと君の眼鏡だな。ふむそうだなそれから片付けようか」
ユークさんがそういって懐から取り出したのは透明なケースに入った赤い眼鏡だった。これ自体はまぁ昨日自分でショッピングに行って買ってきたものなんだけど。
「魔流視の眼鏡、にとりあえず仕上げておいた」
「はい……とりあえず?」
マンティコア戦で失ってしまった眼鏡をてっきり新しく作ってくれたんだと思ったら、何だろう、思わせぶりだな。
「君の魔眼の性能を鑑みるに魔流視の眼鏡ではただの下位互換になってしまうのでな。後で魔眼を見せてそれのサポートをするように調整をしたいと思っている」
「おぉ、それはいいですね。自分もこの魔眼のことよく分かってないんで色々実験とかしてみたいですしね」
そんな約束をしてユークさんから眼鏡を受け取る。カパッとケースを開けてその眼鏡をかけてみた。別に度は入ってないけど視界の一部に何かが覆いかぶさっている感覚はやはり新鮮だ。「ほらどうっ?」って感じに皆の方を向き直ってみる。
「おー似合ってるよー」
「かわいいですね」
「……いいと思う」
自分が眼鏡をかけた途端褒め言葉で包囲されてしまった。ライラさんロッシさんオリヴィエさんが素直な印象を言ってくれる。あ、すっげーむず痒いやつこれ。なんだこの盛大な自爆。
そしてトドメとばかりにケイ君が口を開く。
「エリューさんのきれいな白い肌と金色の眼にピッタリですよ」
さらっとすごいことを仰るねケイ君。やめてすっごい恥ずかしい。
自分は羞恥で首をすくめながらユークさんに「(早く次の話題に行ってください)」と訴える。
「……まぁ次の話に移るぞ」
自分の意図を汲んでくれたのか分かんないけどこういうときユークの事務的な態度が助かるってもんですねー。
そんな自分の安堵をよそにユークさんは今日の報告を始める。
「さて、それで俺はこの街の図書館なんかの書籍に当たって『魔言』の対策について調べていた」
「おぉ、なんか分かったりしました?」
「参考になりそうなものは幾つか、か。ただ上級魔神との交戦記録は絶対数が少なくてな、『魔言』という能力を持った上級魔神となると更に少ない。見つけたのはもはや伝説といってもいいほど昔の叙事詩程度だ。それも神からもらった何々のおかげで『魔言』に惑わされることがなかった、というもので現代で参考になるものではない。そう都合よく対策になる神秘のアイテムが落ちているものか」
「ですよねぇ……」
具体的な対策は分からないかぁ。こんなんだったら先日マンティコアに『魔言』について訊いてみるべきだったなぁ。
「ただそれが死神つまり魔神の発する『魔なる言葉』であることは事実だ。その点で神の力や光の魔法で抗するのは理に叶っているだろうな。……幸い光魔法に関しては第四階位に至った後輩がいてくれている。なんとかできないこともないだろうさ」
そういって彼はオリヴィエさんの方を見やる。彼女は自分らの視線が集中するのをはばかることなくパスタをフォークにぐるぐると巻き上げていた。
おーオリヴィエさんは第四階位なんだー。すげー。そういえばマンティコアのときもぶっとい光の柱を見たな。あれなら確かに第四階位と言われても納得だ。
そうしてユークさんに視線を戻すと、彼は難儀したような表情をしていた。
「『魔言』のこともやはり、詳しいことは実際にそれに侵されたサンプルがないとどうも分からんことが多すぎる」
「ですよねー……」
「ただ一つ光明があるとすればそれこそ君の『魔眼』だ」
「……? 自分の?」
「そうだ。『音を視る魔眼』と『精神を誑かす魔言』。いかにもなんとかできそうじゃないか。まぁ視てどうするんだと思うかもしれんが、観測は研究でとてもとても重要なことだ。それができて初めて解析に移れるのだからな。データ化だってとても簡単だ。今渡した眼鏡にちょいと細工をしてやればそれで済む。」
うぉぉ、ユークさん。なんとも頼もしい。
それに自分が奴へのジョーカーになるってことですかそれ……。なんかバロルにも言われたけど自分そんなすごく見えるのかぁ。
「あー、一応エリニテスから逃げるときに、アイツの言葉の波は何か変な感じでしたけど……」
「ほう、それは期待できそうじゃないか……!」
「そうですか、ね?」
あの時は状況が状況で逃げるしかなかったけど、ユークさんらのバックアップがあればあいつにギャフンと言わせることができるかも。そう思うとなんだか心躍るような感じがした。案外八方塞がりってわけじゃないのかも……?
「ま、そんな訳でおれが今日やっていたのは魔言についての調査と眼鏡の作成だな。夕方からはオリヴィエがあることを発見してしまったので、それについて色々調べていた」
「あること?」
「というわけでここからはオリヴィエが話そう」
「…………」
以上がユークさんの今日の動きらしい。それでここからはオリヴィエさんにバトンタッチのようだ。まぁ今朝の時点ではケイ君が寝込んでたから看る人が要るし自ずと別行動になるよね。
それでオリヴィエさんの方を見やると、彼女はパスタを食べ終わったのか、フルーツサラダの切った果物を一つ一つフォークに差して口に運んでいた。
「おーいオリヴィエさーん。オリヴィエさんの番ですよー」
「んー」
彼女はめんどくさそうな視線を虚空に投げかけてから、唐突に真剣な眼光をケイ君の方へ向ける。それを受けてケイ君は少し俯く。見えづらいけどどうも表情は明るくない。なにかあったんだろうか。
「今日の私はユークが街中へ出かけてから暫く魔法陣の補充をして、昼前にケイティスが目覚めて状態を色々確かめていた、そこでケイティスについてあることが発覚した」
「あること、ですか」
なんだろうすごく嫌な予感がする。
「ケイティスの身体、その内部にはどうやら魔法陣が敷かれているよう。魔術的方法でその効果について調べると、どうやらエリューのものとは気色が違って、悪魔の生贄としての適正を高めるような効果が確認された」
「ケイ君が……!?」
自分は何か触れてはいけないものが穢されたような。そんななんとも言い難い嫌悪感が自分の胸の中にじわりと広がっていくのを感じた。
確かにケイ君の出自は自分と同じようなリッチーの実験材料だ。それが生贄として価値が高いというのは納得できる。それだけでなくあのリッチーは既にケイ君に手をかけてその処置を終わらせていたということか。
悪魔の生贄。それの適正を高める紋。
自分がどれだけ辱められるのはいい。けれどその不条理が誰かに降り注ぐのは許せない。そんな悲劇を自分で最後にするために、自分は邁進してきたのに。あんな悲劇は自分だけで十分じゃないのか……?
「ケイ君はそれを知ってるの……?」
「……はい、オリヴィエさんの口からそう伝えられました……」
「そんな……」
彼はどこか怯えているようだった。それもそうだ。お前は悪魔の生贄なんだと宣告されて己の運命に恐怖を感じずにいられるものか。それも11そこらの少年だ。まだ物事の分別がつき始めたばかりの年頃にこんな酷なことがあるものか……!
「……私は本人が知っているべきと考えた。ケイティスはとても、とても強い。押しつぶされるようなことはないはずだと」
「いえ、別にオリヴィエさんを責めてるんじゃないんです。ただ……」
ひどく恐ろしい推測とそれによってもたらされる最悪の結末。この死神と魔獣の跋扈するヒューゲンヴァルトではその想像が明日に現実になってもなんらおかしくはないのだ。
事実彼は怯えているじゃないか。
彼は『大鷲』のアジトから抜け出したときも、エリニテスの手に落ちたオルゼから逃走するときも、マンティコアが毒霧の津波を放ったときでさえ、気丈に振る舞ってみせたケイ君がだ。
けどそれはきっと、少し恥ずかしいけれど、自分のために奮い立ってくれたんだと、そう思う。
なら自分がやることは一つだった。
「ケイ君大丈夫……?」
「……はい。大丈夫です」
そんな震えた声で何が大丈夫なものか。
自分は隣に座っているケイ君の頭をポンポンと撫でて、それから彼の目を見てこう言った。
「そんな気負わなくていいんだよ。大丈夫自分が頑張ればいいんだ。ケイ君は安心してくれていい。自分がなんとかしてみせるから」
「エリューさん……」
私は全てを失った。自分はそれらを守り抜くための支払う対価を無限に手に入れた。死神となった自分はきっとその力を手に入れたのだ。きっとそういうことだろうバロル?
だがその力を持っておきながら、この体たらく。まったく何が死神だか。でも今からは違う。
ふと目を閉じて、オルゼからの帰り途。バロルとの会話を反芻する。
自分が何をすべきか、それをしっかりと見定める。
「だから一つ頼みがあるんです」
自分はすくと立ち上がり、このテーブルについた5人それぞれと目を合わせていく。そして覚悟を決めて、決意を固めて。その言葉を口にした。
「強くなりたいです。いいえ自分は強くならなくちゃいけない。そう思うんです」
自分は弱い。あの酒場でアギラと向き合ったとき、勝てるわけがないと思ってしまった。けれどそれじゃダメだ。ダメなんだ。
ケイ君を守るために、『オーロラ亭』を取り戻すために、アギラに引導を渡すために、エリニテスを討ち滅ぼすために、そのために自分は強くならなければならない。自分が強くならないといけない。
決して驕り高ぶっているわけじゃない。
死神である自分ならそれができる。バロルがそう言ってくれた。
「だから皆さん協力してくれますか」
自分がそう云うと皆は一斉に顔を見合わせる。その顔に宿った感情は困惑やきょとんとしたもの。だがそれはおそらく自分が変なことを言ったというよりは、自分の改まった態度に面食らったみたいな感じだ。
そして少しの目配せや仕草が五人の間で交わされ、その中でおもむろにロッシさんが立ち上がって、じっと自分の目を見つめ返してくる。
「何を今更って話だよエリューちゃん。けど、君は何かを踏み越えたんだね」
「はい。やるべきことがはっきりしたんです。ちょっとおこがましいかもしれないですけど……それでも、自分があのアギラ・ダールを斃さないといけないような、そんな気がして」
「そうか。エリューちゃんはそう思ったんだね……」
ロッシさんは少し嬉しそうな、少し悲しそうな顔をしてそうつぶやいた。その複雑な表情の裏にはきっと彼が昔日に過ごした粛清部隊への、そしてアギラへの感情が渦巻いているのだろう。
けれどまたロッシさんも覚悟を固めたように表情を引き締める。
「願わくば君がアギラさんの死神になれることを祈っているよ」
「そこは、任せてくださいっ!」
がっちりと握手が交わされる。
これで自分は名実ともに『夜明けのオーロラ亭』に住むただのウエイトレスとしてだけでなく、不徳を働く人魔を誅する死神として、戦うことになったのだ。
あぁ自分こそがアギラ・ダールの死神になってやろうじゃないか。




