4話
アルノルドが案内した先は台所だった。
魔術師らしい炉以外は至って普通のお勝手で、二人が入るや否やロルフの「手洗い」という指示が飛んだ。
手際よく夕食を作り、手伝いを終えたアリーセがテーブルを拭こうと布巾を片手に工房に戻ると……
「わあ……! 綺麗に片付いてる!」
台風一過の部屋が、整然としていた。
脱ぎ散らかされた衣服は壁にかけられ、本は棚に仕舞われている。紙束は塊ごとに紐で纏めてあり、これがコボルトの仕事か、とアリーセが感動に震えた。
「入り口に立ってるなよ」
「あ、ごめん」
半歩避けたアリーセの横を、両手に器を持ったロルフが通過する。芋のスープをなみなみ注いだボウルをテーブルに並べ始めたので、アリーセは慌ててテーブルを拭き始めた。
台拭きを走らせながら、アリーセがちらちらと部屋中を見回しているのに気が付いたのだろう。ロルフが「そんなに珍しいか?」と問いかけてきた。
「エヌマエル先生だって、このくらいの呪文は使えるだろ」
「し、師匠は……あまり生活の中で魔術を使いたがらなかったから」
じっと紫色の眼差しが、理由を問う。アリーセは言っていいものかと口籠もり、最終的に声を顰めて答えた。
「『魔術は精霊の優しさだから、決して敬意を忘れてはいけない』……それが、先生の教えなの」
気軽に使ってはいけない。自分でできることは自分でする。
そして、どうしても人間の力だけでは解決できない物事にかち合った時、精霊の力を借りるのだ、とエヌマエルは言った。
「だから、私……びっくりしちゃった」
視線を綺麗になった部屋に向けるアリーセ。こんな形で魔術を行使する魔術師がいるだなんて、アリーセは思いもよらなかった。
しかし、驚いたのは、ロルフも同じであった。互いの顔を見つめ合う二人。
そんな二人に声をかけたのは、
「相変わらず頭の硬い男だねえ」
「先生……」
パンを山のように盛った器とミルクがたっぷり入った皿を持って来たアルノルド。新しい視点に触れ困惑する子供たちを見て、彼は楽しそうに笑う。
「魔術に携わる以上、精霊への敬意はあって当然。しかし、その示し方は魔術師それぞれだよ」
さあ話は食べながらにしよう、と言われ、アリーセは小さく頷いた。
食事の最中、アリーセは自身の目的をアルノルドに伝える。彼は相槌を打ちながら、静かに聞いていたが、アリーセの話が終わると「ふむ」と困ったように眉根を寄せた。
「行方不明、ねぇ……以前来た時は、そんな大層な話はしてなかったと思うけど」
いつも通りだったしなぁと回顧するアルノルドに、アリーセは大きく肩を落とした。くるくるとスープの中で泳ぐ銀のスプーンが、立ち上る湯気を掻き乱す。
あからさまな態度に、かける言葉をなくすロルフ。一方で、アルノルドは「そう落ち込むことはないよ」と言った。
「エヌマエルは白鳩を連れて行ったんだろう?」
「はい。見習いの私では、鳩の飼育ができないので」
多くの魔術師は白鳩を飼育している。通常の鳩より細身で、ほんのり白光りするその魔性生物には、ある特性があった。
「白鳩たちは、配達先や配達元に問題が起きると、帰巣する習性がある。もしエヌマエルに何かあったのなら、鳩が工房に戻って来ているはずさ」
「……それはわかっているんですが」
はあ、と溢れたため息は浮かない。一層小さくなった少女の姿に、ロルフは責めるような視線を師匠に向けた。失言に気付いたアルノルドは、申し訳なさそうに頬を掻く。
「あ〜……とはいえ、何かトラブルに巻き込まれている可能性はあるからね。探しに行くという判断は間違っていないさ」
「ですね。今日はうちに泊まって、明日もう一度王都で情報を集めるといい」
「そうそう。寝床なら余っているから」
部屋に鍵もついてるから安心して、と冗談混じりに付け加えるアルノルドに、アリーセは小さく笑う。それから、ふと思い出す。
「そういえば、私のこと、お二人は知っていたんですか?」
出会ったばかりの二人は『あの』だの『噂の』だのと言っていた。そのことを問えば、師弟は揃って顔を見合わせ、何かを思い出すように笑った。
「いや、何。あのエヌマエルが弟子をとったと聞いてね。どんな名のある魔術師かと思ったら、ただの見習い魔術師だというじゃないか」
「一時期、噂になったんだ。どんな人物が弟子になったのか、と。あの人はどれだけ金を積まれても、決して弟子を取ろうとはしなかったから」
アリーセは再び小さくなった。エヌマエルがすごい魔術師だというのは知っていた。しかし、それはアリーセの想像をはるかに超える立場だったらしい。
アルノルドは縮こまる少女に追加のパンを勧めながら、さらに話を続ける。
「アイツはただの基礎魔術でしかなかった自然魔術を、『白魔術』として専門魔術まで格上げした。現状、世界でただ一人の白魔術師だ。みんな、その後継が気になるのさ」
期待の目でこちらを見つめるアルノルドに、アリーセは言い出しにくそうに口籠った。それほどの期待が自分の双肩にかかっているとは思わなかったのだ。
しかし、意を決すると「あの、実は……」と口を開く。
「私、専門魔術はまだ、決めていなくて……」
「おや、そうなのかい?」
「はい……師匠に弟子入りしたのは、小さい頃から一緒にいたからで……私、白魔術はその……」
適性が、と呟くと、ロルフがハッと息を呑んだ。
先ほど、アリーセが火の魔術を使った時のことを思い出したのだろう。
——簡単な点灯に二度失敗した時のことを。
少し身を乗り出したアルノルドが、憂うように表情を消した。
「魔力量が、少ないんだね」
語りかけるような声に、アリーセは小さく頷いた。




