3話
二人は歩きながら、さまざまな話をした。
専門魔術はどうするとか、最近あった難しい依頼だとか。そんな話をしているうちに、あっという間に時間は経ち——……
「見えてきたぞ。あそこがメェルカの森だ」
長閑な街道の先に、広大な森が広がった。陽はとっくに地平線の向こうに沈んでおり、途中で灯したアリーセの杖先だけが煌々と行く手を照らしている。
「火を消してくれ。燃え移ったら困る」
ロルフの言葉に、アリーセは折角灯せたのに、と内心ガッカリしながら「《礼を以って、還さん》」と呟いた。
杖を振ると、それまで辺りを照らしていた明かりが、ふっと息を潜めた。森の息吹が途端に小さな二人を飲み込み、宵闇がずしりとアリーセの心にのしかかる。
暗くないかな、と震える声で問いかけるアリーセに、ロルフは「すぐに慣れるよ」と片手を差し出した。
杖端で足元を確認しながら、暗闇の中を手慣れたように歩くロルフ。その袖口を掴んで、アリーセは彼の後ろを慎重についていく。
しばらく歩いていくと、ようやく灯りの漏れる小さな丸太小屋を発見した。ほっとアリーセの口から安堵の息が溢れる。
「おかえり〜。ずいぶん時間がかかったねぇ」
ロルフが扉を開けると、くたびれた様子の男性が床で大の字になっていた。
周囲にはよれよれの毛布と、散乱した書籍。散らばった粗悪紙には、びっしりと小さな文字が書き込まれている。部屋の中心で大きく幅をとっている一枚板のテーブルには、所狭しと怪しげな実験道具とその材料が並んでいた。
まるで台風が過ぎ去った後のようだ、とアリーセが男性の身を案じた時だった。
隣でわなわなと震え出したロルフが、突然怒号を上げる。
「どうしたら、たった二日でこんなに散らかせるんですかっ! 出ていく前に綺麗にしてったでしょう!」
「あはははは、おかげで研究が捗ったよ〜。弟子が優秀だと、僕も助かるなぁ」
「笑って誤魔化さないでくださいっ!」
がくがくと男性の胸ぐらを掴み、揺さぶりをかけるロルフ。おそらく、へらへらとしている彼がアルノルドなのだろう、とアリーセは思ったが……
(こ、こんなにフランクな師弟関係、初めて見た……)
珍しい光景に、思わず立ち尽くすアリーセ。そんな彼女を見て、アルノルドは「ところで」とロルフに話しかける。
「そこの可愛らしいお嬢さんはどこの子だい?」
猫のように笑う淡青色の目。ひどく懐っこいその表情に、アリーセは固まっていた体がほぐれる。
呆れたような長いため息の後、ロルフが「例の、エヌマエル先生んとこのお弟子さんですよ」と掴んでいた胸ぐらを離した。解放されたアルノルドの顔がぱっと華やぐ。
「ああ、あの! へえ! こんなに可愛い弟子を隠していたなんて、本当に罪深いな、アイツは!」
「……アリーセ。あまりそのロクデナシに近付くなよ。魔術師としては優秀だが、人としては全く尊敬できないお人だ」
「えっ!?」
ギョッとするアリーセに対し、ケロッとした様子で「おや、ひどい」と肩を竦めるアルノルド。ロルフはそんな二人を一瞥し、ため息と共に「晩飯の支度をしてきます」と荷物を抱えた。そして、奥にある小さな扉の向こうへ消えて行く。
置いて行かれた、とアリーセが気付いた時、いつの間にか立ち上がっていたアルノルドが視界を塞いだ。
怯えながらも、眼前の男を見上げるアリーセ。先ほどまではちっともわからなかったが、幼い言動に反してアルノルドはかなり背が高い。首が痛くなるほど見上げた先で、ニィっと彼は笑った。
「あ、の……はじめ、まして……」
なんとか絞り出した挨拶。一度解けたはずの緊張が、再びアリーセの喉をキュッと閉めた。
「ああ、初めまして。僕はアルノルド。精霊魔術師として、メェルカの森の管理人をしている」
お噂は予々、とアリーセの小さな手を握るアルノルド。握手が終わると、彼は周囲を見渡し「あーあ」と他人事のように嘆いた。
「椅子でも薦めたいところだが、これじゃあ、座る場所がないな。ちょっと待ってておくれ」
ひょいひょいと長い足で器用に障害物を避けながら、アルノルドは壁脇に立てかけた長杖を取る。細身のガラスランプを取り付けたようなそれは、ガラス部分が淡く七色に光っていた。
杖をゆらゆら揺らし、アルノルドは子供のような無邪気さで呪文を唱える。
「《親愛なる友人たち、僕の暮らしを支えておくれ》」
アリーセは、初めて聞く精霊言語に目を丸くした。
自分の知る文言よりもずっと抽象的な呪文に一抹の不安を覚えた途端、カタカタと床に落ちた本が揺れ始める。
「さ! 後はコボルトたちが頑張ってくれるはずだ。僕たちはロルフくんの手伝いでもしに行こう!」
驚くアリーセの肩を抱き、奥の間に向かおうとするアルノルド。自然とアリーセの荷物を受け取り、そのまま壁際の棚に置いた。
「あ、あの! 今の呪文って!」
「ん? もしかして精霊言語は初めてかい?」
「いえ、基礎魔術の呪文はいくつか……でも、今のは、一体?」
「ああ……これは精霊魔術でよく使われる文言さ。彼らは精霊よりも気さくだからね。そこまで畏まる必要はないんだ」
魔術は、基本的に精霊の力を借りることで発動する。呪文に魔力を乗せ、人とは違う理で生きる精霊にお願いするのだ。しかし、精霊の姿は目に見えない。力を貸してくれたかどうかは、魔術が発動したかどうかでしか判断ができない。
一方で、精霊魔術は違う。精霊という名を冠しているものの、その対象は魔性生物だ。
ゴブリンやユニコーン、バジリスクやケット・シー……種類はさまざまだが、実態のある彼らの力を借りる魔術だ。目に見えない精霊よりもずっと身近に感じやすい、というのはアルノルドの言だ。
アリーセは未知の呪文にキラキラと目を輝かせる。
「私、白鳩しか見たことがないです」
「彼らの多くは恥ずかしがり屋だからね。特に街中に出るような魔性生物は、人に姿形を覚えられたくないんだ」
「何故?」
「イタズラがしにくくなるだろう?」
茶目っ気たっぷりにウインクをするアルノルド。その色男振りに、アリーセは思わずポッと頬を染めるのだった。




