42話
「わっわっ……思ったより高い!」
「あはははは、何だコイツ。すげぇ涎だな!」
初めて乗るラクダはぐらぐらと揺れ、アリーセの体は今にも放り出されそうになる。一方で、どこまでも楽しそうな声のヘルマン。そんな二人の子供たちを見て、商人はニコニコとしている。
いつまでも続きそうな、平和な旅路。それに終わりが来たのは、西を見ても東を見ても砂ばかりの景色に飽き始めた頃だった。
「見えて来ましたよ」
商人の言葉に顔を上げるアリーセ。しかし、視界に広がるのは相変わらず砂の海ばかり。商人の言葉に従いラクダから降りた二人は、きょろきょろと視線を彷徨わせる。
(やっぱり、何もない……間違えたのかな?)
アリーセが再度確認しようとした、その時だった。キラッと何かが視界の端で煌めいて、アリーセは思わずそちらを見る。
視界に映ったのは、大ぶりのナイフ。
「きゃあっ!」
驚いた拍子に、アリーセは砂に足を取られて尻餅をついた。
アリーセの名を呼ぶヘルマンの声が聞こえ、目の前の男が大きな舌打ちをする。空振りしたナイフを再び反転させ、男——笑顔を消した商人は、再びアリーセに襲いかかった。
間一髪で二撃目を避け、アリーセは四つん這いのまま男から逃げ出す。が、サラサラした砂に手足を取られ、上手く動けない。
こちらに駆け寄ろうとするヘルマンもまた、慣れない砂漠の砂に苦戦していた。
「急にどうして……!」
「どうして? おいおい、まさかまだ信じているのか? 俺が魔術師先生を遺跡に運んだなんて話を」
コイツは傑作だ、と笑いだす商人に、アリーセはようやく気が付いた。
「っ……騙したの!?」
「ヒヒヒッ……ガキは騙されやすくて助かるぜ。やっぱ、騙すなら馬鹿な観光客と素直なガキに限る。……さあ、金目のものを全て寄越しなっ!」
大ぶりのナイフを突き付けられ、アリーセはギュッと身を縮こませる。呪文を口にする間も無く、男の振り翳した刃先がアリーセを襲った。
次の瞬間、
「っ!!」
声にならない悲鳴を上げたのは、間に割って入ったヘルマンだった。
アリーセに覆い被さるように倒れたヘルマン。一回り大きい背中がザックリと切られ、真っ赤な血がパッと砂地に吸い込まれていく。
「ヘルマンっ!」
小さな手を彼の背に回すと、ぬるりとした感触がした。このままではマズイと直感的にわかったものの、それ以上の危機が眼前にある。
太陽の光を受けギラつくナイフと血走った商人の目。アリーセはヘルマンを抱えながら、じりじりと後退る。
ふと指先に何かが触れた。砂の中に硬い石のような何かが埋もれている。ハッと気が付いたアリーセは、腰に結えたままの水筒をその場でひっくり返した。
「……頭でもおかしくなったか?」
アリーセの奇行をせせら笑う商人。
しかし、次の瞬間——地面が突然、揺れ始めた。
いち早く異変を察知したラクダたちが逃げ出し、商人が慌てて視線を巡らせる。
「な、何だ……? 何が起こってるんだ!?」
「……以前、精霊魔術師に教わったことがあるの」
困惑する商人に、アリーセは幻想的な夜の森で起きた凄惨な事件を思い出す。あの晩、彼らが教えてくれたことだ。
「魔性生物は精霊よりも身近な存在で、どこにでもいる。たとえ、その姿が見えなくとも」
砂を掻き分け、悪魔のような姿の石像が顔を出す。アリーセの振りまいた水が滴り、石像は動かない瞳で目の前のならず者たちを睨み付けた。
石の翼が砂を撒き散らしながら広がり、空へと飛び上がる。
「がが、ガーゴイルっ!?」
悲鳴を上げ、腰を抜かす商人。その隙に、アリーセはヘルマンを引っ張って石像が出て来た穴に体を滑り込ませた。
ポッカリと空いた穴の先にあったのは、地下に向かって伸びる石の階段だ。体のあちこちを打ち付けながら、アリーセはヘルマンと共に階段を転げ落ちていった。
先ほどアリーセの手に触れたのは、地下遺跡の入り口だった。多くの場合、遺跡には門番がいる。そのことを思い出した時、アリーセの脳裏で悪戯っぽい目付きの魔術師が笑った。
アリーセは決して魔力が多いわけではなく、その言葉が精霊や魔性生物に届くことは少ない。だが、彼らの性質を学び、活かすことはできる。古代魔術師を訪ねる上で、アルノルドは古代魔術に関わる魔性生物をいくつか教えてくれていた。
そのうちの一つがガーゴイルであり、グロテスクであった。
建造物の門番として作られることの多い魔除けの装飾。雨どいとしての役割の有無で名称が分かれるそうだが、それらの石像は、長い年月が経つと命が宿るという。
作った者の怨念か、あるいは古代の魔術師だけが使えた御業かはわからない。だが、その目的だけははっきりとしている。
遺跡の守護だ。旅人の悪き心根を見定め、彼らは襲い来る。アリーセが彼らを叩き起こしたのは、眼前に立つ男の方に石像が向かうという確信があったからだ。
(そもそも遺跡にガーゴイルがいるかどうかは賭けだったけど……いや、今はそれよりもっ……!)
アリーセはヘルマンの体を引きずりながら、階段の奥へと進んだ。最下段まで降りると、もう光は入って来ない。
仄暗い地下の中で、アリーセはヘルマンをうつ伏せに寝かせた。背中の傷は決して浅くない。未だに流れ出る血が、アリーセの心臓を早鐘のように打った。
(大丈夫、大丈夫……!)
アリーセは心の中で何度も自分に言い聞かせながら、滲む涙を乱暴に拭う。手早く鞄を探り、奥底にしまった小さな塗り薬を引っ張り出した。




