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今は亡き貴女に、花束を  作者: 桜庭
第四章 あなたを訪ねて

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43話

 アリーセがカバンから引っ張り出したのは、以前、ロルフから受け取った傷薬だ。スクォンクの涙で精製したそれは、市販の薬とは比べ物にならない程の効果を発揮する。

 

 沼底のような臭いのそれをヘルマンの背中に塗り込み、清潔な布と包帯で手当てした。手持ちの包帯を使い切ってしまったが、アリーセに後悔はない。ただ一刻も早いヘルマンの回復を祈った。

 

 願いが届いたのか、間もなくしてヘルマンが小さな唸り声と共に身じろぎを始めた。びっしりと額に汗をかきながら、ヘルマンはゆっくりと琥珀色の瞳を覗かせる。

 

「…………う、ぅ……」

 

「っヘルマン! 気が付いた!?」

 

「……あ、あいつは?」

 

 体を起こすことなく、周囲に意識を向けるヘルマン。アリーセが石像を叩き起こし、地下遺跡に逃げ込んだことを伝えると、彼はホッと安堵の息を吐いた。

 それから少しだけ顔を上げ、今度はアリーセをじっと見つめる。

 

「アンタは? 怪我、してないか?」

 

 ボロボロの体で問いかけてくるヘルマンの声は、地下の薄暗さを忘れさせるほど優しく温かい。拭ったはずの涙が再びじわじわと滲み出し、唇が小さく震えた。言葉が喉に張り付き、なかなか声にならない。

 

 アリーセは答える代わりに、大きく首を横に振る。そうか、と呟いたヘルマンの声は、どこか肩の力が抜けたように感じた。

 


 

 勝手に遺跡へ入ったことで、石像の敵意がアリーセたちに向かうかもしれない。そう言ったヘルマンの言葉に従い、二人はさっさとこの場を脱することに決めた。

 初め、アリーセはヘルマンの体を気遣ったが、彼は力瘤を作りながら薬が効いたと主張したのだ。

 

 その様子に痛々しさを感じつつ、アリーセには彼の選択を責めることができなかった。

 ヘルマンの言う石像の危険があることも確かだし、何より彼が商人に襲われたのはアリーセが原因だったからだ。

 

(私が師匠の話に騙されなければ……)

 

 壁に手をつき、アリーセの肩に支えられながら歩くヘルマン。暗くて狭い横穴では、小柄な二人でも並んで歩くのはギリギリだった。

 

 初めは一本道だった道も、気が付けば二つ、三つと道が分かれ、次第に迷宮のようになり始める。壁一面に描かれた奇妙な紋様。四角や三角を組み合わせた不思議な図形は、方向感覚を段々と麻痺させていく。

 

「……また、分かれ道」

 

「次はどっちに行く?」

 

 ヘルマンの言葉に、アリーセは口を閉ざす。道を選ぶたび、アリーセは自分の選択に自信が無くなっていった。

 

 石像が戦っている以上、あの時は奥に進む以外の選択肢はなかった。しかし、奥に進めば進むほど、アリーセは地上への出口が他にあるのかという不安に駆られる。

 分かれ道に来るたび、アリーセは心臓が縮むようだった。

 

 気難しい顔で黙り込む少女の姿に気付いたのだろう。ヘルマンはアリーセに支えられながらも、できるだけ明るい声を出す。

 

「迷ってるなら、右にしようぜ」

 

「え?」

 

 アリーセが困惑しながらヘルマンを見上げる。すっかり参ってしまった顔のアリーセを笑わせようとしたのだろう。

 俺の利き手側、と片手を上げたヘルマン。その瞬間、塞がったばかりの傷口が引き攣ったようだ。

 

「いっ……!」

 

 痛みに顔を顰めるヘルマン。

 その表情に、アリーセはついカッとなってしまった。

 

「っふざけないで! そんな理由で選べるわけないでしょ!」

 

 叫んですぐ、アリーセは自分の失言に気付く。大きく見開いたヘルマンの目が、僅かに動揺の色を見せたからだ。

 ヘルマンの言葉に悪意はない。そこにあったのは、アリーセへの優しさと気遣いだった。

 

(なのに、私……)

 

 アリーセの中にあったのは、罪悪感と責任感。度重なる不安が、アリーセの心を窮屈にさせていた。

 

「……っごめんなさい、私、いま……」

 

 慌てて謝罪の言葉を口にするアリーセに、ヘルマンもまた気まずそうに苦笑を浮かべた。

 

「いや、俺のほうこそごめん。余計な口出ししちゃったな」

 

「ち、違うの! 今のは、その……早くここを出て、ケガの手当てをしなくちゃって焦って……」

 

 一度不安を口に出すと、今度はもう止まらなかった。先程は必死に飲み込んだ涙が、ぼろぼろと頬を伝う。

 

「ごめんなさい、私のせいで……私があんな嘘に騙されたから、ヘルマン……背中、痛かったでしょ?」

 

 繰り返される謝罪に、ヘルマンは言葉を失う。

 遺跡を彷徨っている間、目の前の小さな少女がそれほどまでに責任を感じていたことに、彼はずっと気付いていなかったからだ。

 

「そんな、気にすんなよ。俺が勝手にやったことだし、それに、どう考えても騙したあの男が悪いだろ」

 

「でも……もし、私について来なければ、こんなことにはっ……!」

 

 ついにわんわんと泣き出したアリーセ。ヘルマンはますますどうしていいかわからず、おろおろと無意味に視線を巡らせる。

 

 どんな言葉をかければ良いのだろうと、気まずさで立ち尽くしたその時だった。

 

「しっ……! 何か音がする」

 

 小さな音を捉えたヘルマンが、アリーセの口を塞いだ。無理やり口を閉ざされたアリーセは、突然のことにびっくりして涙が止まる。

 顔を顰めながらもナイフを構えたヘルマンに、アリーセも慌てて杖を握り直した。

 

 耳を澄ますと、微かにコツ、コツ、と何かが地面を叩く音がする。

 段々と近づいてくる音に、二人の鼓動が少しずつ早まっていき——……

 

「随分と賑やかな侵入者だね。あまり大きな声を出すと、遺跡が崩れてしまうよ」

 

 目が眩むような灯りと共に現れたのは、大きな眼鏡を掛けた初老の女性であった。




 

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