40話
三日ほど船に乗り、ようやく西大陸のエルレス港に到着した。
初めての船旅で気分を悪くしたアリーセは、ふらつく体をヘルマンに預けたまま船を降りる。
「ご、ごめんねヘルマン。介抱して貰っちゃって……」
「気にすんなって。ほら、そこ段差あるぞ」
忠告に従い、ようやく安定した大地に足をつけたアリーセ。
程よい解放感と清々しい涼しさのあったメルズ港と異なり、エルレス港はガヤガヤとした熱気のある騒がしさに包まれていた。怒号に近いやり取りが飛び交う様は、ヴェンヌズを彷彿とさせる。
筋骨隆々な船乗りとすれ違う度、アリーセの脳裏には大きなヘルツの姿が思い出された。しかし、すぐに視線を引き剥がすように前を向き、アリーセは新しい街での情報収集を始める。心はまだ少しちくちくと痛んだが、歩き出せないほどではなくなっていた。
ヘルマンとは港で別れた。彼は未だ心配そうであったが、アリーセが笑顔を見せると渋々ながらも別れを告げた。
再び街で情報収集を始めるアリーセ。ユピトルを出たばかりの頃より、話を聞き出すのが上手くなった。それでもエヌマエルの話はほとんど聞けず、たまたま一人、小さな女の子が怪我を治してもらったと話してくれただけだった。
(やっぱり、ザトロンを目指そう)
適当なところで諦めをつけ、アリーセは次の旅支度を始める。
古代都市ザトロンは砂漠地帯の中にある街だ。遺跡の発掘や調査を行う為だけに作られ、変わることなくその役割を果たし続けている。
花の町と呼ばれるほど緑豊かなユピトルで育ったアリーセにとって、乾燥地帯は初めての経験だった。店の主人と話しながら、必要なものを買い足していく。特に飲み水に関しては、ひと回り大きな水筒を購入した。
ようやく買い出しを終え、西大陸の地図を眺める。すると、遠くから「引ったくりだー!」という声がした。
パッと視線を上げると、一人の男が周囲の人を押し除けながら走っている。突き飛ばされた女性が悲鳴をあげて倒れた。
アリーセは杖を構え、短く呪文を唱える。最初は不発。しかし、二度目はきちんと精霊に声が届いたようだ。男の足元の地面が拳大に隆起し、彼の足を引っ掛ける。
転倒した男に誰かが飛びついた。それは、見覚えのある青年だった。
「えっ……ヘルマン?」
慌てて駆け寄るアリーセ。ヘルマンは引ったくり犯を組み伏せながら、荷物を奪い返していた。
駆け寄ってきたアリーセに気付くと、彼は「よう、また会ったな」と嬉しそうに笑う。
「荷物盗られたの、ヘルマンだったんだ」
「ああ、でも、無事取り返せたよ。……これ、もしかしてアリーセの魔術か?」
不自然に盛り上がった地面を指さす。アリーセが頷くと、彼は素直にお礼を言った。
駆け付けた警備に引ったくりを引き渡し、二人は改めて情報を交換する。残念なことに、ヘルマンはアリーセ以上に上手くいっていないようだった。
頭を掻きながら、困ったよう笑うヘルマン。しかし、すぐに暗い空気を打ち消すと、一回り以上大きくなった水筒を指差し「砂漠に向かうのか?」と明るく訊ねた。
「うん。初めてだから、少し不安だけど……途中でオアシスもあるみたいだから、まずはそこに行こうかな」
「ふぅん……そっか」
まじまじとアリーセの顔を見つめるヘルマン。琥珀色の瞳に真正面から見つめられ、アリーセは心臓がドキリと跳ねた。
暫く無言で見つめ合う時間が流れた後、しっかりとした眉を僅かにあげたヘルマンは「よしっ!」と突然膝を打った。
「やっぱり俺も一緒に、その、ザトロンとやらに行くよ」
「えっ!?」
「どうせ兄貴の手掛かりもないし、行き先も定まんないしさ。それなら、アリーセと一緒の方が楽しそうじゃん?」
ヘルマンの理屈にアリーセは目を白黒させる。
確かにヘルマンと共に過ごした船内はとても楽しかった。ヘルツを失ったばかりのアリーセにとって、彼の明るさは救いになったし、同年代との旅は新鮮でワクワクした。
しかし、彼には彼の目的があるはずだ。アリーセの旅に付き合わせることで、無駄足を踏ませてしまうのではないだろうか。
そんなアリーセの心配をよそに、ヘルマンは「俺も砂漠対策しないとな」と頭の後ろで手を組む。鼻歌混じりに歩き出す彼の中で、同行することは決定事項のようだ。
「……水筒を買うなら、四つ角の雑貨屋さんが安いよ」
アリーセは呆れながらも、ほんの少しだけ温かくなった胸を押さえ、ヘルマンの背中を追った。




