39話
「今どき人攫いなんてしてるヤツいるんだな。それも、あんな堂々と!」
意気揚々と街を歩きながら、青年はくるりとアリーセを振り返る。琥珀色の瞳は悪戯っぽく、しかしどこか気遣うような温かさを含んで笑った。
「ここまで来りゃ、もう大丈夫だろ。アンタ、怪我はないか?」
屈むようにして、アリーセの顔を覗き込む青年。歳の頃はアリーセよりも上だろう。子供と大人の間を歩いていそうな彼は、アリーセの頷きを確認すると「よし」と歯を見せて笑った。日に焼けた肌が、その白さを一層際立たせる。
「一人か? 親は一緒じゃないのか?」
「はい……あ、あの、ありがとうございました。助けていただいて……」
どこか放心していたアリーセは、思い出したように頭を下げる。青年はぱちくりと目を瞬き、すぐに「良いって」と苦笑する。
「オレ、弟がいてさ。ちょうどアンタくらいの歳なんだよ。それ思い出したら、放っておけなくて……」
照れ臭そうな彼につられ、アリーセも小さく笑う。
どんな理由であれ、助けられたのは事実だ。アリーセの未熟な魔術では、先ほどの危機を脱することはできなかっただろう。
今更になって恐怖心が背筋を走り、アリーセがふるりと体を震わせた。チリン、と音を立てた杖を見て、青年はどこかわざとらしく「へえ!」と声を上げる。
「その杖……アンタ、魔術師か!」
「え、あ、はい。まだ見習いですが……」
「いやいや、十分立派だって。名前は?」
屈託のない視線に、アリーセの丸まった背中が少しだけ伸びた。以前、エヌマエルに教わった言葉のせいだ。
(工房の看板を背負うのだから、名乗りは堂々と……)
すう、と息を吸い、アリーセは今までよりも少し大きな声で言った。
「ユピトルの白魔第三魔術工房所属、魔術師見習いのアリーセです」
「おっ……こりゃご丁寧に」
ははっと笑った青年は、自身の胸元を指差しながら、それじゃあ俺も、と名乗った。
「ヘルマンだ。アンタみたいなご立派な肩書きはないが、付け足すなら『陽気な旅人』ってとこかな。……よろしく、アリーセ」
二人は握手を交わす。改めて触れた手は力強く、太陽のようにポカポカと温かかった。
ヘルマンはいつの間にか手のひらより大きなナイフを腰の鞘に収めていた。まるで軽業師のようだとアリーセは驚く。もちろん、これまでアリーセは軽業なんてものは見たことがない。ユピトルは田舎だったし、エヌマエルはそう言った芸能に全くと言っていいほど興味がなかったからだ。
だからその感想はあくまでアリーセの想像でしかない。しかし、その想像は鬱屈とした少女の心をほんの少し持ち上げるのに、十分な効果を発揮した。
「アリーセはどこに行くところだったんだ? さっきのこともあるし、良ければ送り届けてやるよ」
波止場の縁石を踏みながら、ヘルマンはアリーセに訊ねた。どうやら彼は時間を持て余しているらしい。アリーセが夕方の出航を待っている事を告げると、彼は驚いたように振り返る。
「マジ? 俺もなんだ」
乗船券を見せ合うと、二人は同じ船に乗ることがわかった。顔を見合わせ、奇遇だと笑い合う。
ようやく明るい表情を見せたアリーセに、ヘルマンはホッと息を吐いた。
「少しは落ち着いたみたいだな」
ヘルマンの言葉に、アリーセはパッと頬を赤らめた。それから、少しだけ申し訳なさそうに眉を落とすが、ヘルマンはアリーセの自己嫌悪などちっとも気にしていないようだ。
それどころか、何かの縁を感じたらしく、西大陸まで行動を共にしないかと持ちかけてきた。初めは申し訳ないと遠慮するアリーセだったが、ヘルマンはあっけらかんと笑う。
「さっきみたいなことがあったら、危ないだろ?」
からっとした彼の物言いには妙な納得感があった。
アリーセは改めてよろしくとヘルマンの手を握り、二人は乗船までの時間を共に潰した。
「それじゃあ、ヘルマンも人を探しているんだね」
船が海の上を走り出すと、二人は西に行く理由を打ち明け合った。どうやら同じなのは船だけじゃなかったらしい。甲板で海風に飛ばされそうな帽子を押さえながら、アリーセは口をあんぐりとさせた。
ヘルマンは楽しそうに「ああ」と頷きながら、水平線に向けていた視線をアリーセに戻す。
「兄貴に会いたくてさ。遥々ムオンデからやって来たんだ」
ムオンデは首都の北東にある小さな田舎町だとヘルマンは言った。ここよりもずっと寒い地域で、夜になると星が綺麗に見える丘が近くにあるそうだ。
「うちは両親がいないから、ずっと俺が弟たちの親代わりだったんだ。でも、ようやくあいつらもしっかりしてきたんで、そろそろ生き別れた兄貴を探しに行こうかなあって」
さらっと暴露された重たい過去に、アリーセはギョッとする。その反応を見て、ヘルマンは「あ、いや、ごめん! こんな話をされても困るよな!」と慌てて話を引っ込めた。
どうやら本人の中では、それほど重いエピソードだとは認識されていないらしい。アリーセはドキドキする胸を抑えながら、ううん、と小さく首を横に振った。
「私も両親のことはよく知らないから……えへへ、ヘルマンと一緒だね」
「……そうなのか?」
うん、と頷くアリーセ。続けて、エヌマエルがずっと親代わりだったことを伝えると、彼は神妙そうに頷いた。
「成る程ね……ちなみに、そのシショーの行き先に当てはあんの?」
「一応、港でも色々話を聞いてみるつもりだけど……今の所はザトロンが第一候補かな」
「ふぅん……まあ、でも何かしら情報がある分いいよな。俺は今んところサッパリ! どこにいんのかなぁ、あのバカ兄貴は」
頭の後ろで手を組みながら、ヘルマンはのけぞるように背を伸ばす。
似たような旅をしているにも関わらず、彼からは一切の不安が感じられない。不思議な人だ、とアリーセは気持ち良さそうに風を浴びるヘルマンの横顔を見つめた。
アリーセも甲板の手摺りを掴み、体を伸ばす。
遮るもののない海の真ん中で、沈みゆく太陽がアリーセの頬を赤く染めた。カバンにつけた拡大鏡が、太陽の光をキラキラと甲板に反射させている。




