37話
「以前来よったのは、男の魔術師だ。長いプラチナブロンドの髪をした、背の高い優男だったわ……そのくせ、随分と嫌な目をしていたな」
不快そうに付け足す村長。しかし、その言葉にアリーセは師匠だと確信した。
日頃から柔和な態度で誤魔化しているが、エヌマエルは自身の鋭い目つきにコンプレックスを抱いていたのだ。アリーセは野良猫のようなその鋭い目つきが嫌いではなかったが、本人は度々鏡と睨めっこをしてはため息を吐いていた。
「彼は何をしに?」
「其奴も他の魔術師を探しておるようだったな。確か女の名前で……えっと……」
記憶を掘り返すように天井に視線を向ける村長。アリーセが「もしかして……シャルロッテですか?」と問うと、彼は思い出したように頷いた。アリーセはやっぱり、と唇を噛んだ。
「そのシャルロッテとかいう魔術師も、確かに来ておっての。もちろん、男が来るずっと前の話だがな」
「えっ?」
思わずアリーセは身を乗り出した。母もこの村に来ていたのか、と目を見開いたアリーセに、村長は「何だ、知り合いか」と辟易した声を出した。
約束通り、魔女の元から帰ったアリーセに村長はエヌマエルの話を聞かせてくれた。
しかし、話こそしてくれるようになったが、依然として彼の態度は魔術師への嫌悪感に満ち満ちている。できるだけ手短に終わらせて、さっさと出て行ってもらいたいという姿勢が感じ取れた。
そんな村長の態度に不快感を覚えたアリーセ。しかし、カバンの中から出てきた小さな鍵が、その荒んだ心を諫めた。
少しでも情報を得なければと、アリーセは感情を押し殺して話を続ける。
「ええ、まあ……彼女は何をしに?」
「古い魔術の研究だとか何だとか言ってたな。今でこそこんな状況だが、昔はうちの村も魔術が盛んだった。古くから伝わる一子相伝の珍しい魔術もあった。……とはいえ、それも昔の話だがな」
ふんっと鼻を鳴らす村長。アリーセは母の専門魔術が失われた魔術——古代魔術であった事を思い出す。
しかし、どうやらブルースト村の魔術はシャルロッテのお気に召さなかったらしい。突然やってきた彼女は一通り魔術の話を聞くと「新しすぎるわね」と言い捨て、早々に村を離れたそうだ。
エヌマエルもその話を聞き、すぐに村を発ったという。
彼らは村の惨状に気付かなかったのだろうか、とアリーセは少しだけショックを受けた。
「其奴らは、二人とも南西の方へ向かっていったよ。おそらく、メルズに向かったんだろ」
「メルズって……水の街メルズ?」
話を聞きながら、アリーセは広げていた地図に印を書き込む。村長は不愉快そうに目を眇めた。
「ああ、そうだ。あそこの港なら、ザトロンのある西大陸への定期便があるからな」
「ざとろん……?」
「……古代都市ザトロン。ウェンヌズに並ぶ、古代魔術の二大中心地だ」
古い魔術の研究ならあそこしかあるまい、と村長は言った。アリーセは地図の中からザトロンを見つけると、大きくまるで囲んだ。次の目的地が決まった。
村長にお礼を言い、アリーセは最後にもう一度だけマリアの家を訪ねた。本当はもう数日ここに残り、彼女の体調が完全に回復するのを見届けてから立ち去りたかった。
しかし、目的地が決まった以上、今は一分一秒が惜しかった。それ以上に、旅のお供を失ったこの村に居続けるのは、まだ年若いアリーセにとって心苦しくもある。
マリアの熱を測りながら謝罪するアリーセに、マリアは気丈にもにっこりと笑った。
「あたし、魔術師様に会えて本当に嬉しかったの。ずっと、ご本の中にしかいないと思っていたから」
ほんのり赤みの残る頬で、マリアはアリーセに微笑みかける。未だベッドから出ることもできない体だというのに、彼女の小さな手はアリーセの手を握った。
「ブルーストからはまた魔術師様がいなくなってしまうけど、精霊様のご慈悲があることを知れたの。なら、後は精霊様のご加護を信じるだけだわ。いつかきっと、あたしたちも救われるって」
そうでしょう、と問いかけてくるマリアの信仰を、アリーセはどうしても否定することができなかった。ただ、力無い少女の手を握り返し、小さな声で「うん」と頷いた。
「きっと……いつかきっと、この村にもまた魔術師が訪れる日が来るよ」
「そうかしら? ふふ、そうだといいな」
夢見心地で微笑むマリアを寝かしつけ、アリーセは再び立ち上がる。ハイデマリーに幾つかの処方を施し、近隣の魔術工房を教えた。何かあれば、必ずそこを頼るようにと。
ハイデマリーはほんの少し躊躇した様子を見せたが、マリアの事を思ったのだろう。すぐに深く頷いた。
(……これで、できることは全部)
色褪せたマントを翻し、アリーセは再び村を出る。しっかり休んだとは言えないが、これ以上この村に居たくなかった。モーゼスから預かった鍵が、ポケットの中で小さく揺れる。
村の出入り口を潜り、どこまでも広がる森へ足を踏み入れようとした。その瞬間だった。
目の前に、見覚えのある何かが浮かんでいる。
深緑の視線に気づいた途端、それは吊り糸が切れたようにふっと地面に向かって落ちた。慌てて利き手を伸ばすアリーセ。手の中に何とか収まったのは、かつて幾度もアリーセの姿を写した分厚いレンズだった。
(……これ、ヘルツの……)
レンズの周りには冷たいヘルツの体と同じ手触りをした、鈍色の縁が付けられている。
届けてくれた人物は、言うまでもなかった。
アリーセはぎゅっと新たな宝物を握り締め、静かに大粒の涙をこぼし始める。
しかし、歩みを止めるわけにもいかなかった。一歩、また一歩と足早に歩を進める。少しでも早く森の中に入り、人目を憚らずに泣きたかったアリーセは、今にも走り出しそうな心持ちで村を離れた。
次に向かうのは、水の街メルズ。
——だが、アリーセはひと足先に、一人で涙に濡れそうだ。




