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今は亡き貴女に、花束を  作者: 桜庭
第三章 魔女の住まう森

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36話

 アリーセが外に出ると、辺りはすっかり夜だった。

 メェルカでのことを思い出し、一瞬、アリーセの足が竦む。しかし、雨の降ってこない空をぼんやりと見上げる魔女の姿が目に入り、アリーセは誘われるように踏み出した。

 

 魔女に促されるまま、アリーセは魔術を使った。ただでさえ苦手な魔術だが、何度も失敗したのは、未だ精神が安定していなかったからだろう。

 やっとのことで発動したのは、杖先に小さな火を灯すだけの簡単な魔術だった。魔女が呆れたように嘆息する。

 

「そんな実力で、よくここまで辿り着けたね」

 

「……友達が守ってくれたから」

 

 アリーセが視線を向けた先に、ヘルツの姿はなかった。

 全て溶けきってしまったのだとアリーセは思ったが、違うらしい。その証拠に、魔女が「そこにあったゴーレムは、もう片してしまったよ」と言った。魔女はずっとアリーセと共にいたから、それもまた彼女の魔法なのだろう。

 

 魔女は相変わらず暗い双眸でアリーセをじっと見つめている。剥き出しの足で一歩、二歩とアリーセに近付くと、彼女はさも不思議そうに訊ねた。

 

「君はさ、考えなかったの? もしも、自分にもっと力があれば、こんな雨、簡単に晴らせたのにって」

 

「……それは、魔女になればってこと?」

 

「有り体に言えば、そう」

 

 淡々と、魔女は杖を握るアリーセに問い続ける。

 

「悪魔の力に頼れば、こんな酸の雨を被ることもなかった。そもそもあたしの力を頼る必要もない。杖を落とすことも、友達を失うこともなかった」

 

 誰も傷付けることなく、村人を助けられたとは思わないのか。

 

 アリーセの目をまっすぐに見つめ、魔女は訊ねる。それは、かつて彼女が直面した思考だった。犠牲を出さずに事を成すためならば、禁じられた手法に触れても構わない……たとえ、その後どんな不幸が自分に降り掛かろうとも。

 

 魔女の言葉に、アリーセは僅かに視線を逸らした。

 半分ほど伏せた目には、ヘルツの最期の姿が焼き付いている。ややあって、深緑の眼差しはゆっくりと魔女に向けられた。彼女が出した答えは……

 

「思うよ」

 

 まさかの肯定に、魔女は意外そうな表情を浮かべた。それは、初めて彼女が見せた人間らしい反応だった。

 そんな魔女にアリーセはちょっぴり笑いかけ、すぐに「でもね」と言葉を続けた。

 

「私がなりたいのは、一時(いっとき)の救いじゃないんだ」

 

 アリーセがブルースト村に立ち寄ったのは、偶然だ。エヌマエルを探す旅の道中で、言ってしまえば彼女の目的はずっと先にある。

 だからと言って、彼らのための献身に手を抜くつもりもないが、アリーセの目指す魔術師はいつだって師の姿をしていた。

 

「悪魔に頼ったら、心臓を持っていかれてしまう。仮に貴女のように生き残っても、努力の伴わない実力は信頼されない。……きっと後に残るのは、力を持っただけの役立たずな私。それじゃあ、意味がないんだよ」

 

 魔術師は誰かの為に存在する。その誰かに信頼される為には、まずは自分が自分の力を認めないといけない。誰かに与えられた力では、きっとアリーセは納得できないだろう。

 借り物の力を自分のものだと言い張れるほど、少女はまだ外の世界を知らなかった。

 

 無垢な答えを聞いた魔女は、奇妙な顔で目を瞬く。それからゆっくりと瞼を伏せて、ああと小さく感嘆の声を口にする。

 

「それに気付けてたら、あたしも魔女にはなってなかったよ」

 

 初めて、魔女は笑った——今にも泣き出しそうな、迷子の子供のような顔で。

 

 アリーセはそんな魔女を見て、何か言葉を口にしようとした。しかし、ぐっと言葉を飲み込む。代わりに一粒の涙をポロリと零し、アリーセはやはりこのまま村に戻る事を告げた。

 魔女も今度は止めなかった。その代わり、祝福のような魔法をアリーセにかけた。



 

 どんよりとした空気のブルースト村にも朝は来る。東から薄く太陽が差し込み始めた頃、北の森からアリーセが戻ってきた。酸の雨の中を通ってきたというのに、村を出た時と変わらない姿のアリーセが。

 ただ一つ、大きく違うのは傍らに巨大なゴーレムを連れていないことだった。

 

 アリーセはすぐにマリアを訪ね、薬を飲ませた。きっと陽が天辺を過ぎる頃には、熱も下がっているだろう。安堵の息と共に感謝の涙を流すハイデマリー。その姿を見て、アリーセはようやく夜が明けた気がした。

 

「魔女は恐ろしかったか?」

 

 村長を訪ねると、彼はそう訊いた。アリーセは少し考え、小さく頷いた。村長は何も言わなかった。しかし、彼とアリーセが感じる魔女への恐怖はおそらく別のものだろう、と幼い魔術師は察していた。

 

 アリーセが魔女に感じた恐怖。それは、親近感にも似た感情だった。

 師がエヌマエルでなかったら、ヘルツが共にいなければ、森の奥に暮らしていたのはアリーセだったかもしれない。

 

(たった一人で、森の奥に……)

 

 深緑を薄い瞼の奥にしまい、アリーセは森の中で眠る友人の姿を思い浮かべる。

 彼の体があれ以上酸の雨に晒されることはない。そんな風にヘルツの弔いをしてくれたのも、あの恐ろしい魔女だった。


 彼女からしてみれば、ただ邪魔だから片しただけかもしれない。

 それでも、あのぶっきらぼうで花の好きな——己によく似た少女の孤独が、一時でも無くなればいい。アリーセは静かにそう願った。

 

 


 アリーセが村に辿り着く頃、魔女もまだ眠ることができずにいた。

 雨の当たらない家の裏に運んだ金属の塊。それを見上げながら、魔女は何もない空間に話しかけた。

 

「これで何か作って」

 

《何かとは何だ?》

 

 返ってきたのは、空気を震わすような仄暗い声。

 

「何でもいい。これから寒くなるし、暖かいストーブとか」

 

《お前は寒さを感じないだろう》

 

 感情の乗らない声は事実だけを告げる。

 悪魔に心臓を捧げた魔女はもう、生きているとは言い難い。人の暖かさを感じることも、生きるための熱を必要とすることもない。食事も、睡眠も、魔女には必要のないものだった。

 

 魔女はどこか自嘲的に笑って「それじゃあ、あたしの心臓を食べる?」と、誰でもない誰かに何度も訊いた言葉を繰り返す。声はいつものように答えた。

 

《お前の願いは『村の人を救い、尊敬される事』。……願いはまだ果たされていない》

 

 そして、一生果たされることはないだろう。

 最後の言葉は一度たりとも声に乗ったことがない。だが、それが魔女と声との共通認識であった。

 

 故に、魔女はこの先も悠久の時を生きるだろう。誰に認められることも、求められることもなく——ただ一輪の花も咲かない痩せた土地で、静かに死に行くその時まで。

 

 しかし、同時にアリーセの願いはすでに叶っていた。彼女の傍らには、常に見えない誰かがいた。名も無く姿も無い、ただ周囲の命を枯らすだけの何かが……。

 

 二人の少女は森を挟んだままほんの少しだけ互いに想いを寄せ——そして、各々の歩む道に意識を戻した。二人の道が交わることはもうないだろう。

 これは、今に留まる者と未来に進む者のほんの一瞬の交わりだったのだから。




 

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