↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
今は亡き貴女に、花束を  作者: 桜庭
第三章 魔女の住まう森

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

33/34

32話

 それは、アリーセが七つの頃だった。珍しく高熱を出し、寝込んでいた。

 アリーセの部屋は二階の奥で、一階ではいつものようにエヌマエルが工房を営んでいた。床を一枚挟んだだけで、階下の音は殆んど聞こえない。コンコンと鳴り止まない自分の咳を聴きながら、幼いアリーセはこう思った。

 

(ああ……私、このまま死んじゃうんだ……)

 

 もちろんそれほど重篤な病ではない。ただの風邪だ。しかし、弱った体と思考では、正常な判断ができなかった。自分の吐く息があまりに熱いので、そのうち火を吹くんじゃないかと思うと怖くて涙が出た。

 あの時の孤独感を、アリーセは未だに覚えている。

 

 同時に、その後現れたエヌマエルの——冷えた手のひらの温かさも。

 


 

 あの安心感を、アリーセは届けたかった。もう大丈夫だ、と肩の力が抜ける感覚を。

 

 そんな使命感の元、痛くて重たい足を更に一歩、踏み出した。

 ばちゃっと泥水が跳ね、ジュッと嫌な音を立ててショートブーツの紐が溶けた。防水薬はとっくの疾うに役目を果たし、酸の雨に溶けてしまっている。

 

 靴底が半分ほどになった。手袋も指先が覗き、マントも徐々に穴が空き始めている。帽子のつばは歪な形に抉れてしまった。

 それでも、アリーセの歩みは止まらない。一歩、また一歩と土砂降りの中を進んでいく。

 

『緊急停止! 緊急停止! アリーセ、危険でス! 今すぐに引き返しましょウ!』

 

 ヘルツの声が、雨に混じって聞こえてくる。

 しかし、アリーセは首を横に振った。大丈夫、大丈夫と繰り返し、足を引き摺るように進んでいく。

 

 草木は殆んどが死んでいる。森と呼ぶのも烏滸がましい荒野だった。土砂降りのせいで視界が悪く、先が見えない。魔女の家にはまだ着かないのだろうか。

 

 アリーセはひたすらまっすぐに歩き続けた。道を違えぬよう、まっすぐ、まっすぐ——……

 

 違和感を覚えたのは、さっきまですぐ後ろを歩いていた金属音が、突然ぴたりと止んだからだった。振り返った途端、アリーセは自分の荷物が舞うのが見える。

 ヘルツが腹を開け、中の荷物を投げ出していた。

 

「ちょっ……! 何をしてるの!?」

 

 慌てて駆け寄るアリーセ。止めさせようと手を伸ばした瞬間、ヘルツはぐいっとその手を掴み、腹の中にアリーセを投げ入れた。

 杖も落とし、その身一つで安全な鉄の箱に閉じ込められたアリーセ。ガチャンと外から錠を落とす音がした。

 

 真っ暗な中、アリーセは声を上げる。


「な、何をするの、ヘルツ!」

 

『暴れないでくださイ。そこなら少しは安全でス』

 

「ふ、ふざけないで! 今すぐ外に出して!」

 

 冷たい金属の壁を拳で叩くアリーセ。薄らと入り込む外の光が、腹の継ぎ目を示している。開けろと騒ぐアリーセに、ヘルツは困ったように言った。

 

『やめ、止めて下さイ。蝶番が壊れてしまいまス』

 

「うっ……!」

 

 壊れる、という単語にピタリと手が止まる。モーゼスの顔を思い出し、アリーセは泣きたくなった。

 どうしたらいいかわからず、僅かに空いた隙間から外を覗き込もうと試みる。が、ぐらぐら揺れる腹の中では落ち着いて外を観察することもできず、結局配線だらけの腹の中で、アリーセは腰を落ち着けた。

 

「何よ……そんなに私の言うことが信じられないの?」

 

 不貞腐れたようなアリーセの言葉に『はイ。アリーセは時々とんでもない無茶をしまス』とヘルツは肯定する。

 そんなことない、と言い切れず、アリーセはむっつりと黙り込んだ。

 

『大丈夫でス。私はゴーレムですから、貴女よりずっと頑丈でス』

 

 その言葉に偽りはない。確かに彼はアリーセの何倍も頑丈で、何倍も耐久性がある。ボロボロになった帽子とマントでは防げない酸の雨も、ヘルツの外装なら暫くは弾いてくれるだろう。

 

 返す言葉もなく、叩く手も禁じられたアリーセ。できることが何も無くなった少女は、再び己の無力さに苛まれる。

 そんな少女の心を敏感に察したヘルツは『ご存じですカ?』と静かに問いかけた。

 

『私は貴女の側にいるために作られました』

 

「……急に何?」

 

『ただの雑談でス。座っているだけでは暇でしょウ?』

 

 アリーセは渋々「そうね」と頷いた。続けて、彼女はブルースト村に来る前のことを思い出す。ほんの数日前の話なのに、大昔のように感じられた。

 それがなんだと言うのだろう。

 

「モーゼス様がそう作ってくださったんでしょ? 私にお母さんのことを教えるために」

 

 ヘルツの中で、アリーセは器用に膝を抱える。仄かに熱を放つ内部機関に背中を預け、わずかな暖を取った。

 どこか拗ねたような声のアリーセにヘルツは答える。

 

『いいエ、違いまス』

 

「え?」

 

『私を作ったのは、シャルロッテでス。彼女が、私をそう作ったのでス』

 

 言い切るようなヘルツの言葉に、雨の音が一気に遠のいた気がした。スッと体の芯が冷え、引いたはずの汗が再び吹き出した。

 

「おかあ、さんが……?」

 

 戸惑いながらも、そんな筈がないとアリーセの脳が否定する。何故なら、シャルロッテがヘルツを作ったのはアリーセが生まれる前——彼女が宮廷魔術師になる前の話だからだ。

 

 辻褄が合わない。だから、アリーセは自分が魔具核を取り返した際、モーゼスがヘルツを作り替えたのだと思った。自分の側にいるように、と。

 

「あ、あり得ないよ……そんなの」

 

 震える声で否定するアリーセ。心臓が耳元で鳴っているように感じ、アリーセはギュッと穴の空いた手袋で胸元を押さえた。

 

「だって、私が生まれる前の話だよ? 生まれてもいない子供の側にいろって、おかしいじゃん」

 

『えエ……そうでス。シャルロッテはどこカ変わった女性でしタ』

 

 懐かしむような調子で語るヘルツ。昔話でも聞かせるように、彼は淡々とシャルロッテの話を始めた。

 

『私が目覚めた時、初めて認識シたのがシャルロッテの顔でしタ。……アリーセ、貴女にヨく似てまス』

 

 アリーセは静かに目を伏せた。

 

『彼女は子供ノような無邪気さで笑イ、私に言いマしタ。誕生日おめでとう(アレス グーテ)ト』

 

 アリーセは両手で耳を塞ぐ。

 

『シャルロッテは私ヲ自分の子供のよう扱イ、繰り返シ言いましタ。私に何カあったラ、私の家族をヨろしくね、ト』

 

 アリーセは奥歯を噛み締め、小さな子供のように丸まった。

 それでも、

 

『シャルロッテはアリーセを愛シてタ』

 

 ——ヘルツの声は止められなかった。

 

 ガンっと一際大きな音を立てて、アリーセは金属の壁を叩いた。お喋りを止め、アリーセを気遣うような言葉を投げかけるヘルツ。

 だが、もう遅い。アリーセは小さく鼻を啜り、噛み付くように言った。

 

「なら、…………どうして会いに来てくれなかったの」

 

 微かに震えるその声には、恨みが籠っていた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。